虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

メタ認知力を高めるための言葉かけ 1

2011-01-17 21:53:38 | はじめに

今日は、緊急入院していた義母の転院手続きに出かけていて、記事のアップが遅くなってしまいました。

少し前に、メタ認知力について、記事書かせていただきました。
メタ認知を高めることは自立した学習者を育てることはわかったけれど、、どうやったらメタ認知力を伸ばすことができるの?」と思った方がいらっしゃるかもしれませんね。

メタ認知力を高めるとは、自分の行動を少し高い視点から眺める力を養うことです。
幼児を育てている親御さんは、
メタ認知なんて難しそうな言葉だから、まだまだ先の話だろうなと受け取ったかもしれません。
けれども、まだ2、3歳という幼い子たちも、言葉のかけ方を工夫するだけで、メタ認知力が伸びてくるし、その結果、情緒が落ち着いて、知恵がついてきて、集中して工作やごっこ遊びなどで遊べるようになってきます。
それでは、具体的な例をあげて、メタ認知力の養い方を紹介しますね。

4歳児0ヶ月の★くん、☆ちゃんのふたごちゃん、1歳10ヶ月○ちゃん、2歳1ヶ月の●くんの4人で、不定期の異年齢のグループレッスンをしたときの話です。
異年齢のグループでは、大きな子も小さな子もどちらも成長させてくれるすてきな出来事がいろいろ起こります。

○ちゃん、●くんは、どちらも2歳前後ということもあって、しょっちゅうおもちゃの奪い合いをしていました。
その都度、力の強い●くんが、おもちゃを取り上げてしまって、「貸さない!いやいや!」と意地をはっていました。
見ていた親御さんが、「ハイッて渡しなさい。どうぞしなさい」と指示を出しますが「いや!」の一点張りです。
○ちゃんは、毎回、おもちゃを取られてしまうことに呆然として、
悲しいそうな表情をして突っ立っていました。

すると、4歳になったばかりの☆ちゃんが、
作っていた薄紙のお花をもうひとつ作りたいと言い出し、「○ちゃんの分」と言ったのです。
「○ちゃんは、ほしかったおもちゃで遊べなかったから、お花を作ってあげることにしたの?」とたずねると、☆ちゃんは、こっくりうなずきました。
☆ちゃんは、喜怒哀楽をオーバーなくらい表現する子で、聞き分けの良いふたごの★くんに比べて、感情的になって泣くことがよくある子です。
でも、それだけにおもちゃを取られて悲しいときどんな気持がするのか、
くやしい時どうしてほしいのか、よくわかっているようなのです。

「☆ちゃんは、○ちゃんが、おもちゃで遊べなくて悲しいだろうなって思ったのね。だからお花を作ってあげたのね」
そう言うと、☆ちゃんは、その通りだと言いたげな真剣な表情になってうなずきました。

すると、その様子を見ていた●くんも、★くんも、
自分からお片づけのお手伝いをしたり、自分の持っているおもちゃを差し出したりしました。

同じような場面で、子どもに親切な行動を教えようとして、
「ほら、かわいそうだから、それをあげなさい」とか、
「これこれしてあげなさい」とか、子どもに指示を出す方がいます。
その場合、反射的に子どもは大人の指示に従うかもしれませんが、
次から進んで親切な行動を取る子はほとんどいません。
また周囲にいる子たちも、他人事として知らんふりしています。

子どもに声をかけるときは、子どもを動かすために指示の声をかけるのではなく、
「これから何をすればいいのかな?」と次の自分の行動に思いを馳せたり、
「どうすればいいのかな?」と問題解決をうながす声かけをします。
それか、上の場合のように、子どもが行動を起すまで大人は何も言わない方が良いのです。
答えを持っているのはいつも大人で、指示を出してもらって、その通り何も考えずに行動することを身につけてしまうと、
いろいろできるようになってもメタ認知の力はなかなか伸びないのです。

それでは、子どもに良い行動を教えられないと思うかもしれませんね。
良い行動は、
大人がお手本として、たびたびやってみせてあげていると、子どもは自然に真似します。また、子どもの良い行動を具体的に言葉で説明しつつ褒めると、
他の子たちも真似します。

子どもに質問する場合、必ず答えを求めるようなことはしません。
その時、答えなくても、問いは子どもの中にでゆっくり浸透しているはずだからです。

メタ認知力を高めるには、自分で何をしようとしているのか、意図がわかった上で行動することが大事です。

たとえば、「ままごとのお皿とスプーンがほしいな」と思って取りに行くだけのことでも、自分で意図して取りに行くなら、

「ままごとをするには、あんな道具、こんな道具が必要だな。何かをするときには、必要なものを取りにいって準備しなくちゃならないんだな。
道具は、あの場所においてあるな。行ったみたら、やっぱりあったからうれしいな。
お母さんがお片づけしなさいって言うのは、取りにいったときなかったら悲しい気持ちになるからなんだな」

といった気づきがあります。

ところが、これしなさい、あれしなさい、と親が指示をしっぱなしか、
これは出しちゃだめ、あれは出しちゃだめと注意しっぱなしだと、いつまでたっても、自分の行動を俯瞰して眺めることができないのです。

それなら声をかけるのをやめて、放っておくと良いかというと、それも問題があります。
子どもが、良くない行動や、良い行動をした場合、その行動をていねいに言葉にしてあげると、子どもは客観的に自分のしたことを振り返ることができます。
周囲の子も、行動とそれに伴う心の動きを理解することができます。

たとえば、意地が悪く見える行動も、まだ相手の気もちを察することができない月齢の子どもたちにすれば、意地悪とは少し異質なものなのです。
叱りつける前に、
「●●くんは、このおもちゃがほしいのね。ちょうだいって言われたら嫌なのね。ひとりで遊びたいのね。おもちゃをハイってしたら、なくなるから悲しいのね」と本人の行動や気持ちを言葉にして説明してあげる必要があります。

そうした上で、「じゃあ、あとで、貸してあげてもいいよって気持ちになったら、渡してね」と具体的に説明すると、たいていの場合、数分で、「どうぞ」と自分から渡しに行く姿があります。

このように、子どもの行動を言葉にしてあげると、メタ認知力がアップしてきます。
子どもが自分の行動や気持をコントロールできるようになるには
長い期間が必要ですから、
無理強いせずに気長に働きかけることが大事です。
また、幼い子にすると、これから自分の獲得する行動や態度を学ぶために、
年上の子にすると、自分の行動を客観的に眺めたり、優しい気持を引き出すために、異年齢で遊ぶ時間を設けることはとても大切だと思います。


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子どもが意欲的にがんばるようになるための支援のコツ 5

2011-01-16 21:23:24 | はじめに
教室の子たちは、
いろんな面でゆっくりさんで、できないことがたくさんあった子も、
いつの間にか最初は考えられなかったほど進歩しています。

でも中には、もともとけっこう優秀な子なのに伸び悩む子もいます。
そうした子のできない一番の原因はやる気や意欲に欠けることです。
皮肉なことに、親御さんの方は、
子どもの教育の世話に意欲的な場合が多いです。

親が教育熱心だと子どものやる気がなくなるのかというと、必ずしもそうとは言えなくて、問題は熱心さではなく、
熱心さのあまり親の『時間の肌感覚』が短くなることにあるように感じています。

時間の肌感覚というのは、
先日紹介した『おせっかい教育論』という著書にあった言葉です。

私が気にかける『時間の肌感覚』が短い状態というのは、
子どもに何かしたら、すぐに目に見える成果を期待してしまうとか、
教えたらその日のうちに理解させようと考えるとか、
同じ月齢の他の子にできていることは、すぐに自分の子にもできるはずとあせるとか、
子どもを放っておけず構いまくったかと思うと、
会話や遊びに付き合うのは5分が限度といった子育ての態度です。

虹色教室には、発達障害の診断を受けていたけれど、
今はその子の年齢より数年先の学習内容もきちんと理解しているし、
社会性などの問題もほとんどない子や、
幼稚園などでかなり気がかりな行動がたくさんあって、先生や周囲から指摘されてきたけれど、今は勉強面も、授業態度や友だち関係もとても良いという子たちがけっこういます。
そうした子たちの親御さんには、共通する特徴があります。
『時間の肌感覚』がとにかく長いということです。

子どもの「できない」にきちんと対処するし、
叱るときは叱るし、適度に学習の面倒を見ているのですが、
いつもゆったりかまえていて、結果を急がないのです。
失敗することや、働きかけがムダに終わることを気にせず、
人間的な愛情をしっかりかけながら子育てしているのです。

「私の子育ては昭和の子育て」とおっしゃる方もいます。昭和の時代には、あちこちで見られたような、ていねいだけど大ざっぱなところもある、愛情深いけど厳しいところもある、急がない近視眼的ではない子育てなのです。

親が結果を急がないと、
子どもって本能的に成長していく方向、進歩していく方向に伸びていくものですから、あるとき気づいたら、期待以上の良い結果を受け取るものなのです。

それが、時間の肌感覚が短い親御さんの場合、すぐに良い結果を期待するものですから、
子どもも幼いときから、自分の頭でじっくり考えてみたりせずに、とにかく教えられたことを反射的にアウトプットしておきさえいればいいと身体で覚えてしまいます。
それと、子どもがどうしても関西地方でいう『いらち』(気が短い)な性質になって、
できそうなものはするけれど、
時間がかかりそうなものは最初から「できない!」と言い張ってやろうとしなくなるのです。
また、結果を期待されるだけに、失敗経験がトラウマになって、やる気のないぐずぐずした態度しかしるさない場合もよくあります。

私は時間の肌感覚がかなり長いので、それはそれでのんびりし過ぎて困ったもんなのですが……。(何でもバランスが大事ですよね)

先日も、『おせっかいな教育論』の内容について、晩に風呂からあがってファンヒーターの前でくつろいでいる息子と、ああだこうだとしゃべっているうちに、(この本、息子のツボにも大いにはまったらしく話すことがつきなくて)
12時近くなってしまいました。
ダンナに「早く寝ろ!」と一喝される前に、急いで寝に行かなくては……とあわてていると、息子が急にひらめいたように、
こう言いました。
「そういう教育の話を見て考えていると、何がよい教育なのかわからなくなって、教育の問題って考えれば考えるほど解決するのが難しい気がしていたんだけど……。
でもさ、お母さんとこんだけいろいろしゃべってるうちに、ハッて答えがわかった気がしたよ。
教育って、つまり本当の意味で勉強になるのは、『対話』なんだって思ってさ。
小学生とか中学生も、家とか、他の場所とかで、いっぱい対話する必要があるよ。それが一番、勉強になって残るから。
対話をするうちに、自分の中で体験が整理されて、考えが引き出されて練られていくからね。
高校にも、いくら話しても話題がつきないって友だちがいるんだけど、その友だちと出会えただけでも、今の高校に行った価値があったって思っているよ。
前に言ってたゲームの中のノイマン世界の話なんかもしゃべってたら話がつきなくて終わらないんだ。
宇宙論でも心理学でも、哲学でも、何でも深いところまで本気で話しあえる友だちって希少価値があるよ。
中学でできた友だちもみんな大事だけど、そういう話題を本気で話し合える友だちは今の高校に移らなかったら作れなかったしさ。
もっともぼくと似たところがあってのんびり屋だから、医学部目指しているけど、浪人するかもしれないんだけどさ……。
これからも本はたくさん読みたいけれど、
でも何よりしたいのは、いろんな年代のいろんな職業の人たちと話がしたいんだ。」

『対話』こそ教育の理想形と気づいたという息子の言葉を聞くうちに、
対話を通じて相手の考え方に疑問を投げかける問答法 によって哲学を展開したソクラテスのことが思い浮かびました。
今時の子も、大昔の人であるソクラテスが大事と思った教育のあり方を必要としているのでしょうか……?

対話が学びにとって重要なものなら、家族の対話時間を奪う
時間の肌感覚の短さからくる慌しさやせわしなさは
学びにとって大敵ですね。

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子どもが意欲的にがんばるようになるための支援のコツ 4

2011-01-16 10:21:05 | はじめに
最近、さまざまな本で、『ミラーニューロン』という言葉を目にします。
脳についての本だけでなく早期教育のハウツー本にも、
「ミラーニューロンの働きをよくするためには、
こんなことをすればいい」「あんなことをすればいい」といった話題が載っています。

ミラーニューロンとは、自分の動作時だけでなく、他の人の動作を見ているだけで、同じ動作を自分がするときに働く脳の領域が自動的に活動するという現象です。
つまり観察するだけで、自分がそれをしたのと同じ脳内の状況が生じ、
それによって他者の感情や認知を理解することにつながっていくのです。

ミラーニューロンの働きのおかげかはわからないけれど、確かに、
子どもに教えるときは、「こうしなさい」と口で説明するよりも、
ていねいに大人がやってみせる方が、
ずっと理解や上達が早いです。
子どもは観察しているだけですが、自分で練習したかのように、
できるようになっていきます。「やらせる」ことと同様に「見せる」ことも大事なのです。
ただお手本を見せればいいといっても、子どもが「できそうだ」「やってみたい」と思うような内容にする工夫は必要です。

子どもたちと接していると、「ミラーニューロンが働いているのかな?」と思うシーンがたくさんあります。
あるとき、こんなことがありました。

ひとりの子が『れ』の字をなぞろうとして、はみだしてしまい、
いらいらして、ぐちゃぐちゃと塗りつぶしてしまいました。
この子が、そんな風にやけを起したのには、
不器用なために普段から思うようにできないことが多いからです。
何も『れ』の字ひとつに切れているわけではないのです。
「自分は何をやってもうまくいかないし、一生懸命したってムダだ!」と感じたのかもしれません。

私はその子がぐちゃぐちゃと塗りつぶした黒い塊に耳とひげとしっぽをつけてやりました。それから、「もういちど、ぐちゃぐちゃっと書いてみて」と言いました。すると、その子の硬い表情がやわらいで、楽しそうにぐちゃぐちゃの線を描いてみせました。
その後、その子が黒いぐちゃぐちゃを書くと、私が耳やひげやしっぽをつけて猫にするというのを繰り返すうち、
紙は黒猫でいっぱいになりました。
「ぐちゃぐちゃっと書くの上手よ!」
と言うと、その子の目が笑っていました。
「次は、こんな風にできる?
書いて書いて書いて、ストップ!」
私はそう言いながら猫に足をつけてみせました。その子も真似て足を描こうとするけれど、えんぴつを止めるところで止まれず、ふにゃっとした長い線が続いてしまいました。
それでも、真剣な様子で、何度も足を描くことにチャレンジし、しまいにちゃんと止まれるようになってきました。
「ちゃんとストップで止まれるようになってきたね。きっと『れ』の字のすべりだいみたいなところでもちゃんと止まれるよ」と言うと、
「やってみる」と言い、きちんと『れ』をなぞるようになってきました。

そうした一部始終を興味津々で見ていた他の子たちはどうしたかというと、
自分たちも黒猫を描いてみせて、「見て見て」と私に言ったあとで、
自分たちの作業をそれまで以上に真剣にやっていました。

それだけでなく、最初に『れ』の字をなぞっていてやけを起した子が、
それからはちょっとしたことでイライラを起さず、
それをがんばって乗り越えて、懸命に練習するようになると、
他の子たちも、できないことやうまくいかないことに尻込みしなくなってきたのです。
こんな風に、態度や心のあり方にしても、ひとりの子が新しく獲得したことは、
それを見ていた子たちも同じように獲得することになるんだな~と感じることがたびたびあります。

知らない間にそれぞれの子のミラーニューロンシステムが作動していて、その前後に、その子の行動が良くも悪くも変化しているように見えるのです。

大人は、子どもに「まじめにしなさい」とか、「ていねいにしなさい」など、言葉で指示を出しがちです。
大人の側にはそれまでの長い経験の中で作り上げてきた、イメージがあるからです。
けれども、子どもの側は、その言葉があらわす具体的な行動がどのようなものか、誰かの言動をお手本にして、その映像の記憶を頼りに行動します。
ですから、「静かにしなさい!」と怒鳴りながら子どもたちを静かにさせようとすれば、子どもたちは、そうした場所で、一方的にわめいたり怒鳴ったりすることを覚えます。

私は多人数の場でも、自分のペースで静かにしゃべるのですが、
そうすると子どもたちは黙って聞き耳を立てて集中し、私の質問に対して「聞こえない」と騒ぐ子はいませんし、いっせいに手が挙がります。


写真は、前に出て、算数の問題を自分の身体で表現してくれている子どもたち
です。
それを見ながら、20人ほどの子どもたちが、背後で問題を考えています。


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子どもが意欲的にがんばるようになるための支援のコツ 1

2011-01-13 08:35:19 | はじめに

何度か工作のワークショップに足を運んでくださっている方に次のようなコメントをいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奈緒美先生は言葉数が少ないけれど、子供の気持ちをぐっと掴み、それぞれの子供の気持ちを大切にしつつ、学ぶことは楽しいことだよみたいな感じを与えておられるような気がします。
ちょっとしたコツ。
どんなコツなんだろう?
奈緒美先生のような教育者、保護者がたくさんいればもっと子供が伸びると思います。
そういった方法を学ぶために大人だけの学びの会があれば嬉しいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上手に子どもに接しているというより、
子ども自身が、学ぶことに対して本能的な強い意欲を
潜在的に持っているため、
大人がちょっとタイミングに気をつけさえしたらがんばるのですが……。

私が子どもたちが積極的に自発的に振る舞い、
勉強や制作活動に集中して根気よく取り組むようになるために
気をつけていることをいくつか紹介します。

★子どもは自分の限界まで力を使いたい

京都の工作ワークショップでのこと。
会場には大量の折りたたみ式の会議用テーブルがありました。
ワークショップ中は、部屋の奥にたたんでしまっていたので、終了後に運んでも運んでも終わらないほどたくさんのテーブルの移動と、折りたたんだ状態から通常のテーブルに戻す作業が待っていました。
私がテーブルを引きながら移動していると、小学1年生の男の子がテーブルの後ろを持って手伝ってくれました。
1つのテーブルをセットし終えて、次のテーブルを移動させはじめたとき、
私は真剣な表情で押している男の子の様子をうかがいながら、少しずつ自分の力を抜いていきました。それから、「ひとりで押してみる?」とたずねました。
男の子はうれしそうにこっくりしました。
それで私は、テーブルの操作を男の子に任せ、人にぶつかったり、本人が疲れ果ててしまわないかにだけ注意を集中して、横を歩いていきました。
手伝ってもらってみんながとても助かっていることを伝え、ひとつひとつやり遂げていった後の達成感をいっしょに味わいました。
それから、本人がやりたがるだけそうして最後までつきあいました。

仕事を終えたとき、男の子は自信に満ちた表情をしていました。

この男の子が私と会議テーブルを移動していたとき、他にもテーブルを運ぶ手伝いをしようとしていた子たちがいました。

それが、子どもがテーブルを移動させだしたとき、
まわりの大人たちがその子に完全に任せてしまっていたので、
小さい子にぶつかってしまった子がいました。
相手に怪我はなかったものの、本人がショックを受けているところを、大人に見咎められて「何をしているの? 危ないからあっちへ行っていなさい」と叱られていました。
また別の子どもたちは、
「ここ持ってなさい」と指示されながら、お遊び程度の大人のお手伝いをさせられるうちに飽きて他所へ行ってしまっていました。

私はとても残念に感じていました。
ほとんどの方が、勉強のように大人が価値を感じるものを教えるときは、
熱心なのに、
子どもが自発的に学ぼうとしているときには、無造作に接して、追い払ってしまうからです。

勉強でがんばる子というのは、勉強以外の自分がやってみたいことの中で、(コマ回しでも、泥遊びでも、泡だて器を使うことでも、卵焼きを作ることでもいいのですが、)「意欲的になってやってみてよかった!自分にはできる!」という成功体験を積んでいる子です。
そうした体験を通して、
自分の意志や選択に自信が持てるようになっているのです。
がんばることからくる見返りは、他人から得る評価ではなく、自分で感じる達成感や誇りにもあることを知っている子なのです。

「自分でやってみよう!」という意欲を見せたときに、
自分の無力を見せつけられたり、
「あなたにできるわけないでしょ」と大人が考えていることに気づいた子は、
自信喪失をごまかすように やる気のない子どもっぽい態度をしるすようになります。

子どもはいつも自分の枠を超えて、自分の限界に挑戦しようとしているので、
子どもの中から「やってみる」という覚悟を引き出したら、その体験が成功につながるようていねいに支援する必要があると思うのです。

えっ、子どもには失敗から学ばせるのじゃないの?
と思った方がいるかもしれません。

子どもには自由にたくさん失敗させることも大切ですが、
大人にフォローしてもらいながら、自分の限界を乗り越え、成功を味わう体験もたくさん必要だと思っています。

特に、コンプレックスにつながりそうなことはそうです。

たとえば、知的なゆっくりさんがいるとしたら、その子が他の子に何か教えるチャンスをたくさん与えます。遊び方でも工作手順でも、三角形の直角がどこかということなど何でもいいのです。
ある一点、分度器の十字に交差する点はここに当てるということをしっかり教えたら、
他の子たちには、その子に教えてもらい、きちんとお礼を言うように言います。
そうして言葉ではなく体験を通して、学ぶことの意味や喜びを味あわせるようにしているのです。

知的障害の子も自閉症の子も、それぞれが独自の才能を持っているし、
「やってみたい」と意欲的になる活動があります。
自閉症スペクトラムの子たちは、人と関わりたがらなくて自分の世界に閉じこもっているイメージがありますが、現実には、一般的な子たちよりも強く友だちを求めていて、人との関わりで成功体験を積みたいと希求しているケースが多いです。

ただ、自然には難しいので、
大人の十分な(でも控えめな)フォローが必要なだけなんです。

私は子どもがどんなに幼くても、障害を持っている子でも、

「あなたは社会の一員で、社会はあなたの力を必要としています」

というメッセージが伝わるように接しています。

子どもは体験を通したそうしたメッセージに
必ず全力で応えてくれます。

言葉だけでは難しいので、次回にもう少し具体的に書いていきますね。



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現代を生きる子どもたち  子どもたちとの会話

2011-01-07 12:29:07 | はじめに
ボランティアで、小学生たちに工作を教えに行くことがあります。
そうした場で、小学生の子たちと話をしていると、
マンガやアニメよりニュースの報道番組が好きという子によく出会います。
具体的にどんな内容のものが好きなのかと聞くと、
大きな事件が起こって人が殺されたり、
離婚や病いや詐欺事件のニュースを見ると面白いのだそうです。
「ね、ワクワクするよね」とひとりの子が言うと、
他の子たちも目を輝かせて、「そうそう、ドキドキするやんか。ニュース好き好き!」とうなずきます。
「でも、殺された人や殺された人の家族のことを思うと、辛い気持ちになるでしょう?」と問うと、
「だって、うちのお母さんとかも、サスペンス面白いって見てるもん」という答え。
サスペンスドラマと現実のニュースの垣根は、子どもにとってないに等しいようです。
「ホラーが好き、殺人が面白い!」と感情を切り捨てて宣言することは、
子ども同士の間では、ちょっと笑いを誘うかっこいいことであるようです。
その言葉に嫌悪感や違和感を感じる子は皆無に等しく、
むしろ共感を誘います。
こういうことを言う子も、共感する子も、親に邪険に扱われている子ではなく、
目に入れても痛くないような愛され方をしている子たちです。
ただ、大人の世界の過干渉はあって、常に自由は制限されています。

世界には、ゴミ山の中や、ヘビや毒虫がいるジャングルを裸足で駆け回る子がいる一方で、
日本の子たちは、ニュース報道から流れてくる変質者の存在を理由に、子ども同士の外遊びを禁じられている子たちは多いのです。
そうした対応を、仕方がないことだとは思いつつも、
スポーツマンガより、恋愛マンガより、
刺激的な事件がめまぐるしく見れるニュースの報道番組が好きという子が、
多数派になるとき……
大人の責任というものを感じずにはいられません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そういううちの子たちも現代っ子。
ある面、したたかに、現代を生きています。
朝食を食べながら息子がこんなことをつぶやきました。
「ぼくの周囲の友だちは、まるで老人のような考え方をする人が多いよ。
就職に対して安定志向ってだけじゃなくて、遊ぶ時にも、絶対リスクは負いたくないって人が多いんだ。
カラオケやゲーセンのように、かけた時間だけ十分な楽しみを保証してくれることはするんだけど、
面白そうだけど、やってみないと吉と出るか凶と出るかわかんないってことは、意地でもしないんだ。
映画を作るにしたって、撮影をしたいって人は多いんだ。でも、そのためには、何を撮るか意見をまとめて準備しなくちゃならないゴタゴタがあるよね。そうした苦労を乗り越えてでも、撮影したいかって言うと、誰も残ってないんだ。面白そうなことをするのに、知的な苦労はいとわないって考えがないんだよ。
ぼくは、ひねくれているのかもしれないけど、
本やゲームでもあえて高い評価を得ていないものも読んだり、やったりしてみるし、ギャンブル的に楽しみなのかもしれないけど、自分がやってみないと、良いか悪いかわかんない先の見えなさを含んでた方が面白いんだけど。
まぁ、この年齢だから、人のことを評価できる立場じゃないんだけどさ」
「でも、自分の生き方を考える上でも、そうしたことを考えていくいことは大事なんじゃないの?」と問うと次のような返事が返ってきました。
「それはそうだけど、そうやって誰かを批判すると、自己矛盾に陥るんだ。
ぼくは、いろんな人の考え方を受け入れて、自分の考えを広げていきたいと思っているんだ。
ぼくの年齢だからというのもあるし、クリエイティブにいきたいと考えているからでもあるけど。
それなのに、一方で、友だちの考え方や態度を批判するのは矛盾していることだからね。でも、遊ぶ時まで安定志向でリスクを負わない人が多いのは残念なのは事実。
ぼくの場合、将来やりたいことに対する情熱だけは誰にも負けない自信があるんだけど、今の時代、みんながあまりにリスクを避けているって状況だと、
情熱があるってだけで、外の世界に出たら、周囲より一歩先に進める気がするよ。
就職氷河期といったって、今はむしろ、情熱さえあれば、チャンスの時なのかもしれない」

そういう見方もあるんですね……。確かに、マイノリティー(少数派)を生きるのは勇気がいるけど、それはそれでチャンスがあるのかも……
能力だけでなく、失敗を恐れないことや、情熱も今を生き抜いていくカギになるのでしょうね。

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お正月の読書三昧(『メタ認知』など) 4

2011-01-05 17:54:25 | はじめに


『メタ認知 学習力を支える高次認知機能』 三宮真知子 北王路書房
を読みました。
簡単に興味深かった部分をまとめますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
メタ認知とは、認知についての認知を意味する言葉です。
メタ認知が学習に大きな影響力をもつのは、学習者が主体的に学習にかかわる場合だと言われています。

学習科学の重要なテーマはの一つは、熟達で、熟達には次の2つがあります。

一つは、『定型的熟達』
これは型にはまった認知や行動が迅速にできることを意味します。

もうひとつは『適応的熟達』
型どおりの方法を再現するにとどまらず、新しい方法を柔軟に取り入れることができることを意味します。

『適応的熟達』は、定型的な技能に習熟しているだけでなく、
より本質的な原理を習得しているため、
問題を解決するプロセスが、目的を達成するために有効かどうかを評価し、
自分の状態をモニターし工夫しながら作業を進めることができます。

『定型的熟達』は、反復練習によって形成されます。

『適応的熟達』には、思慮深い練習が重要な意味を果たすとされています。
『適応的熟達』のカギとなるのは、メタ認知です。

メタ認知をうながす学習支援法は、次の5つです。

★他の人と教えあうこと

★スキルの獲得時初期にメタ認知的手がかりを与えること
(メタ認知的スキルがあるのに使えない子がけっこういるそうです)

★『文脈化と脱文脈化』
文脈化とは、与えられた一般的・抽象的な知識を具体的な事例に結びつけること。
脱文脈化とは、
表面的な特徴に惑わされず、具体的な事例の本質的な構造を見抜くことです。

★意見の異なる他者との討論

★教師のメタ認知

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『メタ認知 学習力を支える高次認知機能』を読んで、

これまで小学生の学習法に関して、
「この方法がいい」「いや、こっちの方法がいい」と正反対の意見を耳にするたびに、
「何かすっきりしないな~」と、
もやもやしていた原因がわかったような気がしました。

100マス計算派やプリントでの訓練推奨派の方々は、
定型的熟達を目指していて、

思考力重視、ゆっくりじっくりイメージで理解することを推奨している方々は、適応的熟達を目指しているのでしょう。

子どもの学力を上げるといったって、目指しているものが別物だと、
意見がすれ違うも仕方がないはずです。

ひとりひとりの子の大学入試とか、社会人になったときとか関係なしに、
日本の小中学生の学力を海外の子たちと点数で比べることを第一目標にして、
数値上の上げ幅だけ考えるとすれば、
定型的熟達を重視するのもよいのでしょうね。
(私はそれだけで良いとは思えないのですが……)

問題は、訓練の度が過ぎると、どうしても同じパターンで受動的に学びを繰り返すことになって、メタ認知力の伸びが、何もしないより下がってしまうんじゃないかな?
ということです。

計算訓練や暗記による学習も、小学生には大切なものですよね。
それはよくわかるのです。
ただこうした訓練が害になるのは、子どものメタ認知が伸びる隙がないほど、
大人がレールを敷いて、子どもの点数を測って、定型的熟達に熱中してしまうことなのではないでしょうか?
たとえ、成績が伸びてよい大学に進めたとしても、
メタ認知の力が弱くては、社会に出てから生きていくのに苦労しますよね。

それと、どんな効果的な学習法にも
『足場を片づける』という発想がいるように思うのです。

足場って、建築現場で、建物を建てる前に組み立てて作業して、
建て終わったら取っ払ってしまうあの足場のことです。

たとえば、足し算の意味がわからない子に、まず+1ばかりたくさん練習させて、
「できる」「わかった」という状態にさせることは必要だと思うのです。

でも、「わかった。勉強が面白くなってきた。自分で次に何の勉強するのか選びたい」というレベルに達している子に、
系統学習に組み込まれているからと、
スローステップの学習をさせ続けることは、メタ認知力の伸びを阻害することにはならないでしょうか?

単に、定型的熟達上で、より速くより上の学年の内容に進みさえすればよいのか、疑問が残るのです。
ひとりでプリントで学ばせることは、大人には楽ですが、
対人関係の中で伸びる
メタ認知という面からすると、ちょっと物足りない思いがするのですよ。

だから、発達のある時期には、ちょうど良かった学習支援も、
子どもの成長にともなって、『足場を片づける』という発想で、
より自立した学習をうながしていくことが大切だと感じています。

次回に続きます。



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2歳2ヶ月の★くんのレッスンから(どうしてそうなるのか推理するのが好き)1

2011-01-05 12:26:27 | はじめに
2歳2ヶ月の★くんは、動くしくみが大好きです。
「どうなっているのかな?」と覗き込みながら、何度も何度も
動かしてみます。

ブロックの板を逆さまにして坂道を作っています。
ストローで巻き上げるしくみを作っています。
ストローをくるくる回して手をはなすと、車が滑っていきます。


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テクニックよりも態度と心 3

2010-12-30 21:03:24 | はじめに


写真は、小1の子どもたちと『暗算ゲーム』をしているところです。
1~13までの数が書いてあるラミイキューブの札を何枚か並べて、瞬時に答えを出す遊びです。
最初は2枚からはじめてだんだん数を増やしていってます。
私が「7枚チャレンジしたい人?」「8枚チャレンジしたい人?」と声をかけて、自分から進んでやりたがった子にさせています。
8枚までは「はい!」「はい!」と元気よく全員の手があがっていたのですが、
それを境に、意欲満々に手をあげる子は減っていきます。
必ずしも、計算が得意な子がチャレンジし続けるわけでなく、
計算はそれほど得意ではないけれど
リラックスして、難しい課題にチャレンジしようとする子と、
計算は得意だけど、慎重で失敗を恐れる子もいます。

この日、10枚にチャレンジしたいという2人の1年生が、
「用意、スタート!」で計算していきました。
ひとりの子が先に解答し、答えもあっていました。
もうひとりの子は答えは合っていたけれど、少し時間がかかりました。
時間がかかった方の子にどうやって解いたのかたずねると、
ユニークで新鮮な解き方でした。
12+8とか、13+7とか、20になるものを除外して、残りも10の位がいくつになったのか意識しながら足していき、10の位の数と1の位の数をできるだけすばやく出すようにしたのです。

私は、計算が速かった方の子には、すばやく丁寧に計算できていることを褒めて、
遅かった方の子には、工夫して効率的に解く方法を考えついたことを褒めました。
また、10個の暗算にチャレンジした子たちには、
「負けるかもしれないって怖さを乗り越えて、やってみようって思ったことはそれだけですごいことよ」と褒め、
「9個まででやめておく」と宣言した子には、「自分がどこまでやりたいのか、自分の意志できちんと決断できるのはえらいことよ。」と褒めました。

子どもの行動に対して、具体的に良いところを説明して褒めると、
子どもたちは友だちを尊重して認め合うようになります。
小競り合いこそ、しょっちゅうありますが、
思い切り自分の気持ちをぶつけあった後でも、
すぐに仲直りしていて、いっしょにいるのがうれしくてたまらない様子なのです。

テクニックの話題にこんな話を入れたのは、

『計算速度をあげるために、こういう方法で訓練する』という

○○法‥‥‥という方法に重きを置くと、
こんな場合に、効率的な計算の工夫を編み出すことも、自分で自分のことを決めることも、友だちの良い部分について学ぶことも
なくなってしまうということをお伝えしたかったからです。

私は、単にできるようになることだけでなく、

友だちに親切にわかるように教えてあげること、
友だちから習うこと、
自分の苦手を自分で分析して、どうしたら改善できそうか考えてみること、
しんどいときは、休んでもいいと知っていること、
どんな方法ですると自分のモチベーションがあがるのかいろいろやってみること
など、さまざまな経験をすることが、(それが計算練習であっても)
子どものメタ認知力や発想力、思考力を向上させると感じています。

テクニックは、ひとつの指針となりますし、
実際役立つものです。
でも、それを使う人の立ち位置は、
テクニックという一本の直線の上でも、
テクニックの世界の中心でもダメで、

それを十分理解し、消化して、
それを基礎、基盤とした上で、
子どもの個性に対応し、さまざまな外の世界の価値観にも開かれた場でなくてはならないのでしょう。


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共同注視を誘う遊び方 3

2010-12-29 16:35:58 | はじめに

広汎性発達障害の子たちは、それぞれの子が
その子固有のこだわりを持っていることがよくあります。
そうしたこだわりをやめさせたい、減らしたいと考えている親御さんは
多くて、
子どもがひとつのことに熱中しはじめると、
他のことをやらせようとしたり無視したりしがちです。
でも、そこで、こだわりを助長するのでは‥‥‥という不安をいったん脇において、本人が楽しいと感じていることに、こちらも参加してみると、
それが子どもの世界を広げるきっかけとなることが
よくあります。

特に、大人がやめさせたいと思うようなこと‥‥‥
パンパン机をたたくくせや、
紙をやぶったり、ドアを繰り返し開け閉めしたり、輪ゴムを引っ張っり続けたり、
かなり大きいのにベビー向けのおもちゃで遊びたがったり、
大量のビーズを糊の中に放り込んだり‥‥‥
といったことを、ユーモアを交えて、こちらも楽しそうにやってみせるのです。(危険がないように注意)

そうして、真似ると向こうもやって、向こうがすればこちらもするという具合に
順番にするようになっていき、
次第に、「相手は次にどうするかしら?」といった期待や、思った通りでゲラゲラ笑いだすと、こちらもいっしょに期待する表情や、笑いを重ねます。
すると、子どもの側に、
ああ、他人と呼吸を合わせるってこんな感じなんだな、というコツがつかめてくるのです。
同じ場面で、いっしょに笑ったり、同じことをいっしょにする
楽しさに少しだけ気づきます。

広汎性発達障害の子たちは、他の人がすることを見て真似るのが苦手です。
集団で過ごしているとき、お手本を見せて、
他の子たちが私の方に注目して真似ていても、
ひとりだけ自分のしたいことをしていることがよくあります。

障害特性ゆえ‥‥‥といえば、そうなのですが、
『他人のすることを見て真似る』という体験自体をしたことがなくて、
真似るってどいうことなのかわかっていない面もあります。
ですから、ごく簡単なことでも、真似るパターンを学んでいくと、
「お友だちのしているのをよく見てちょうだい。どうやってすればいいかわかるでしょ」と言うだけで、さっと態度を正せるようになってくることがあるのです。

そうした真似る体験をさせるのにも、
まず1対1で、広汎性発達障害の子のこだわりの世界に
大人の側が近づいていくというのが役に立つのです。
まず、本人の大好きな世界にこちらが共感をしるすことで、
子どもは、誰かといっしょに楽しむという体験をします。
まず大人が子どもの真似をします。
すると、自分の真似なので、子どもは興味を持つのですが、
それを見て、自分もやってみることを繰り返していると、
相手の手本を見て真似るという形に移行していくことがよくあるのです。

写真は、★くんと私の共同作品のカメラです。
この日、私が、ティッシュ箱に穴を開けていくと、★くんはチラッとこちらを見て、知らんふりでした。

が、その後で、私がサイコロを振る遊びや引き出しをかき回す「ないない」につきあって、★くんの真似をし、いっしょに笑いあうことをしたところ、

★くんは自分からこの箱を手にして、穴に目をあてて、カメラに見立てているような素振りをしました。
そこで、「カメラを作ろうか?」といってキラキラする折り紙をセロハンテープを用意すると、積極的に制作に参加しました。
★くんは、これまで工作の誘いにほとんど乗ったことがなかったのですが、
その様子からは、「他人といっしょに何かする」ことを
自分から求めているように見えました。

それから、うれしそうにポーズ。私の写真を撮ってくれています。


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人生について考える 夢みる 

2010-12-28 20:59:38 | はじめに
前回の続きは明日、書きますね。
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娘は友だちとディズニーランドに出かけていて留守。
受験勉強で家に缶詰になっている息子、
肩こりがひどくなってダウン……大掃除もせずにダラダラしている私、
明日は会社の大掃除というダンナ……

の3人で夕食を囲んでいる最中、
就職氷河期についての話題がのぼりました。

ダンナは息子をちょっとでも大きな企業に就職させたい意向。
理由は、もし転職となったときも、大きなところから小さなところに移るのは簡単だけど、中小からの転職は難しいから……というもの。
バブルやらリストラやらで踊らされてきたダンナらしい考え……。

「ぼくは、やっぱりクリエイターが向いているのかなと思うよ」と息子。
「大企業に入れたところで、合わないと思うよ。
そういう場で評価される能力が優れているわけじゃないからね。

履歴で評価される世界じゃなくて、
実力が一番物を言う世界で仕事をしていきたいんだ。

ぼくの強みといえばさ、偏見がないところかなと思うんだ。
物を作っていく上で、いろんなものに偏見を持っているか持っていないかで、すごいちがいが出るよ。
多くの人が、自分の支持する何か以外のものを、
馬鹿にしたり、無視したりして、そこから少しも学べないために、創造性を発揮できないでいるように見えるんだ。
音楽一つにしても、クラシックが好きな人々は、
ジャズやJポップやアニソンをぼろくそにけなして見向きもしないし、逆もある……でも、それは面白いものを作り出していくにはもったいないことなんだ。
学校での人間関係にしても、成績がトップクラスの人たちは、体育界系やオタ系の人を話もしないし、体育界系の人たちは、オタ系や勉強熱心な人に偏見を持っているし、オタ系の人にしたって、他のタイプの人々に話しかけようとも思っていないんだ。

でも、偏見なくいろんなタイプの人たちと話をしていると、それぞれとても面白いし、得るものもたくさんあるんだよ。
そうした自分の得意を生かして仕事をするとしたら、クリエイターになるのがいいって考えているんだ。

こんなものを作りたいってイメージははっきりあって、
そのためにどんな苦労もいとわない覚悟はあるしね。10000時間の法則
っていうのも、その通りだと思うんだ。それだけ時間を努力すれば、必ず作り出せるって思うし、それをやり遂げる自信はあるんだ。どれだけ時間がかかってもね(10000時間の法則というのは、伝説的なプログラマーのビル・ジョイのような人や、ビル・ゲイツや、ビートルズのようなバンドの成功も、「10000時間の努力」と、いくつかのタイミングが支配しているといった考えのことです)」

「そういえば、●(息子)は、無料の何かを作りたいんだったわよね」

「うん、そうだよ。
世の中の人は、結局、それほど身勝手な人ばかりじゃないと思うんだ。けっこう親切というか……。
だからさ、Linuxが無料でソースを提供しても、それで損をしてるってわけじゃない。
本当はビル・ゲイツのような大金持ちになれるかもしれない可能性があったのに、Linuxがそれを無料で使えるようにしているのって、すごいと思って尊敬しているんだ。
それでも、寄付したり、強く支持している人がいるし、
無料で提供したから大損ってわけじゃない。
ぼくもより多くの人が喜んでくれるものを作り出して、Linuxのように無料で
提供したいって思っているんだ。
その上で、ぼくのいろんな夢をかなえていきたい。
すぐに結果は出せないかもしれないけど、やり遂げる自信は絶対あるんだ」

ダンナは渋い顔で聞いていましたが、息子の決意が揺らぐこともなさそうなので、しぶしぶ寝室にテレビを見に行きました。

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