心理療法家の河合隼雄氏が、
『いじめと不登校』という著書の中で次のように述べておられます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近、『子どもと悪』という書物を執筆を終了し、校正をしていたが、これこそ「生きる力」の具体例だと思い当たった。
端的に言えば、子どもの「生きる力」は、悪の形を取ってあらわれてきやすいのである。
簡単な例をあげよう。
幼稚園で、まったく話をしない誰からも孤立している子がいた。いつでもぽつんとしている。ところが、そのこが、ある特定の子に近寄ってきて、腕をつねった。つねられた子は、もちろん、すぐに逃げてしまったが、しばらくすると、またつねりに来る。
このとき、自分が幼稚園の先生だったら、どう考え、どう対処するだろうか。
実は、これは、今まで孤立していた子の「親しくしたい」という気持ちのあらわれなのである。残念ながら、この子は自分の感情をうまく表現できない。
そこで、つねると、つねられた子は「痛い」と言って自分の方を見たりして、ともかく関係ができるので、こんなことをする。
もちろんつねりに行くのは、その子が好きだからである。
他人をつねることは悪いことだ。
しかし、この場合、ひとりぼっちだった子が他の子と親しくしたいという願い……「生きる力」のあらわれ……としてそれをしている。
だからといって、この子が他人をつねるのをほめるわけにはいかない。
その行為をとめるにしろ、そのときに先生が、これまでは大人しかったのにいじのわるい子になった、と考えるのと、
他の子と親しくなりたいと思うようになった、と受け止めるのでは、その接し方が変わってくるだろう。
『いじめと不登校』河合隼雄 潮出版社
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虹色教室でも子どもが「自分なりの善悪の基準を作っていこう」
「自分の内なる物差しを作っていこう」
「本当の意味で友だちと仲良くなりたい」
という時の最初のサインは、
「誰々ちゃんが、こんな悪いことしているよ~」の告げ口の形なのです。
自分のことを棚にあげて、友だちの汚点ばかり指摘してくる
言いつけ魔ちゃんたちのつげ口は、ある意味で
悪のひとつの形ともいえますよね。
でも、その告げ口を適当に扱わず、
かといって大人の価値観を押し付けて、
「教えよう」「しつけよう」という接し方をしないでいると、
告げ口の後ろにある子どもの本音が見えてきます。
まず、幼い子たちの場合、自他の区別がはっきりついていないので、
「悪いことしているよ」と言いつける相手というのは、
自分の分身でもあるのです。
悪いことがしたい、
めんどうくさいことはやりたくない、
大人の指示通りに従いたくないという自分の気持ちと、
それを外に出したらお母さんや大人に嫌われるんじゃないかという不安の間で揺れていて、
「あの子はあんな悪いことしているよ。悪いことしても、あなたは嫌わない?自分のことを見捨ててしまわない?」という思いが、
告げ口になっているような一面があるのです。
「先生、●●ちゃんが、ばかって言った~」
と言いつけてくるとき、
●●ちゃんを呼び出して、注意するのではなくて、
「ばかって言うのは悪いことなの?」とその子にたずねて、
「うん」とこっくりすると、
「他にも悪いことばってどんなのがあるの?」とたずねると、
「うん○とか、あほとか~」と言いながら告げ口した側の子が
ゲラゲラ笑い出します。
そういう言葉を使ってみたかったんですね。
そうして、悪いとされる言葉をいろいろ口にした後で、
「あ~大変、そんな悪い言葉を使っちゃいけないね」というと、
告げ口された側の子まで笑いながらうなずいて、それからは、そうした言葉を使おうとしなくなります。
また
「あのね。先生。Bちゃんが悪いの。私はうさぎちゃんを貸してあげたのに、ハムスターいっぱい持ってて、くれないの」と言ってきた場合、
「Aちゃんは、Bちゃんにうさぎを貸してあげたのね。でもBちゃんはAちゃんに貸してくれないのね。それは悲しいね。
貸してもらえないときに、さっき私は、どうぞってしたのにな~どうして、Bちゃんはしてくれないのかな~って思うよね。」とAちゃんの言葉に共感しながら言います。
Bちゃんには、
まず最初に、「あのね、先生、Bちゃんが悪いのって言いつけられて、いやな気持だね。」と今の本人の気持ちに共感した上で、
「ハムスターは大事だから貸したくないの?」とたずねます。
「そう」とこっくりしたら、
「Aちゃんね、ハムスターが貸してほしいんだって。あとで、貸してあげてもいいなと思ったら、どうぞってしてね」と言ってそのまま放って置きます。
こんな風に言いつけた相手が叱られずに、むしろ大切にされて一件落着となったとき、大きな子たちなら
「先生ったら、Bちゃんをひいきしている」とむくれるかもしれません。
でも、幼い子たちの場合、告げ口相手が優遇されると、
一番、安堵の笑みを浮かべるのは、告げ口した子なのです。
おかしな話ですが、
告げ口した子にすれば、告げ口されている側の子も、自分の一部のように見ていて、
そちらの子が厳しく叱られれば、
同じようなことをやりたと思っていた自分も否定されて、嫌われるような気持ちになるようです。
それが、どちらも厳しく叱られず、
自分たちで解決してもよいとなると、
リラックスして賢い判断をして、
自分なりの倫理観でお友だちに優しく接するようになってきます。
もちろん、そうした倫理観を育てていくには、
子どもは状況をきちんと読めていないし、相手からの視点がわかっていないことを
大人が知っていなくてはなりません。
意地悪に見える態度のほとんどは、
意地悪い心ではなく、わかっていないからしているのです。
もめたときに、「自分で解決しなさい」と放って置くのではなくて、
子どもが見えていない部分や
相手の気持ちを
「もし、あなたが、○ちゃんで、こんなことがあったらどうする?」
とたずねて、相手の立場に立って考える方法を説明してあげなくてはなりません。
でも、それ以上は、干渉せず、お互いの判断にまかせるようにします。
そうすると、ほとんどの場合、よい形で解決するし、
その場では解決しなくても、
時が経つと、きちんと出来事を消化して、成長している子どもの姿があります。
こうしたことを書くと、幼い子は、叱ったりしつけたりする必要がないの?
と思う方がいるかもしれませんが、
大人がいつもコミュニケーションのよいお手本を
ていねいに見せる必要はあります。
また、子どもにきちんとルールを説明することも大事です。
ただ、ルール違反が起こったときに、無理やり大人の価値観を押し付けるのでなく、
子どもが自分の判断力や倫理観を
現実の世界でためしていけるチャンスをあげるのです。
(もちろん危険なことなどは別です)
告げ口という形ではじまる関係は、
お互いに自分がやられたら嫌なことは相手にしないで、気持ちよく楽しく
遊んでいこう
という前向きな態度に変わっていきます。
子どもが、いちいち大人の判断をあおがなくても
自分たちで考えていいことがあるんだという気持ちを
共有するようになると、
問題が起これば、周囲の子たちも参加して解決します。
また、それぞれの子が、
自分の内なる物差しのおかげで、
他人が見ていないところでも悪いことはしない『自分で自分を律することができる態度』を身につけていきます。
告げ口が、仲良しに変化していくとき、
子どもは自分の嫌な一面も受け入れて、それと上手につきあいながら
よいところを伸ばしていこうとするようになります。
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『いじめと不登校』という著書の中で次のように述べておられます。
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最近、『子どもと悪』という書物を執筆を終了し、校正をしていたが、これこそ「生きる力」の具体例だと思い当たった。
端的に言えば、子どもの「生きる力」は、悪の形を取ってあらわれてきやすいのである。
簡単な例をあげよう。
幼稚園で、まったく話をしない誰からも孤立している子がいた。いつでもぽつんとしている。ところが、そのこが、ある特定の子に近寄ってきて、腕をつねった。つねられた子は、もちろん、すぐに逃げてしまったが、しばらくすると、またつねりに来る。
このとき、自分が幼稚園の先生だったら、どう考え、どう対処するだろうか。
実は、これは、今まで孤立していた子の「親しくしたい」という気持ちのあらわれなのである。残念ながら、この子は自分の感情をうまく表現できない。
そこで、つねると、つねられた子は「痛い」と言って自分の方を見たりして、ともかく関係ができるので、こんなことをする。
もちろんつねりに行くのは、その子が好きだからである。
他人をつねることは悪いことだ。
しかし、この場合、ひとりぼっちだった子が他の子と親しくしたいという願い……「生きる力」のあらわれ……としてそれをしている。
だからといって、この子が他人をつねるのをほめるわけにはいかない。
その行為をとめるにしろ、そのときに先生が、これまでは大人しかったのにいじのわるい子になった、と考えるのと、
他の子と親しくなりたいと思うようになった、と受け止めるのでは、その接し方が変わってくるだろう。
『いじめと不登校』河合隼雄 潮出版社
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虹色教室でも子どもが「自分なりの善悪の基準を作っていこう」
「自分の内なる物差しを作っていこう」
「本当の意味で友だちと仲良くなりたい」
という時の最初のサインは、
「誰々ちゃんが、こんな悪いことしているよ~」の告げ口の形なのです。
自分のことを棚にあげて、友だちの汚点ばかり指摘してくる
言いつけ魔ちゃんたちのつげ口は、ある意味で
悪のひとつの形ともいえますよね。
でも、その告げ口を適当に扱わず、
かといって大人の価値観を押し付けて、
「教えよう」「しつけよう」という接し方をしないでいると、
告げ口の後ろにある子どもの本音が見えてきます。
まず、幼い子たちの場合、自他の区別がはっきりついていないので、
「悪いことしているよ」と言いつける相手というのは、
自分の分身でもあるのです。
悪いことがしたい、
めんどうくさいことはやりたくない、
大人の指示通りに従いたくないという自分の気持ちと、
それを外に出したらお母さんや大人に嫌われるんじゃないかという不安の間で揺れていて、
「あの子はあんな悪いことしているよ。悪いことしても、あなたは嫌わない?自分のことを見捨ててしまわない?」という思いが、
告げ口になっているような一面があるのです。
「先生、●●ちゃんが、ばかって言った~」
と言いつけてくるとき、
●●ちゃんを呼び出して、注意するのではなくて、
「ばかって言うのは悪いことなの?」とその子にたずねて、
「うん」とこっくりすると、
「他にも悪いことばってどんなのがあるの?」とたずねると、
「うん○とか、あほとか~」と言いながら告げ口した側の子が
ゲラゲラ笑い出します。
そういう言葉を使ってみたかったんですね。
そうして、悪いとされる言葉をいろいろ口にした後で、
「あ~大変、そんな悪い言葉を使っちゃいけないね」というと、
告げ口された側の子まで笑いながらうなずいて、それからは、そうした言葉を使おうとしなくなります。
また
「あのね。先生。Bちゃんが悪いの。私はうさぎちゃんを貸してあげたのに、ハムスターいっぱい持ってて、くれないの」と言ってきた場合、
「Aちゃんは、Bちゃんにうさぎを貸してあげたのね。でもBちゃんはAちゃんに貸してくれないのね。それは悲しいね。
貸してもらえないときに、さっき私は、どうぞってしたのにな~どうして、Bちゃんはしてくれないのかな~って思うよね。」とAちゃんの言葉に共感しながら言います。
Bちゃんには、
まず最初に、「あのね、先生、Bちゃんが悪いのって言いつけられて、いやな気持だね。」と今の本人の気持ちに共感した上で、
「ハムスターは大事だから貸したくないの?」とたずねます。
「そう」とこっくりしたら、
「Aちゃんね、ハムスターが貸してほしいんだって。あとで、貸してあげてもいいなと思ったら、どうぞってしてね」と言ってそのまま放って置きます。
こんな風に言いつけた相手が叱られずに、むしろ大切にされて一件落着となったとき、大きな子たちなら
「先生ったら、Bちゃんをひいきしている」とむくれるかもしれません。
でも、幼い子たちの場合、告げ口相手が優遇されると、
一番、安堵の笑みを浮かべるのは、告げ口した子なのです。
おかしな話ですが、
告げ口した子にすれば、告げ口されている側の子も、自分の一部のように見ていて、
そちらの子が厳しく叱られれば、
同じようなことをやりたと思っていた自分も否定されて、嫌われるような気持ちになるようです。
それが、どちらも厳しく叱られず、
自分たちで解決してもよいとなると、
リラックスして賢い判断をして、
自分なりの倫理観でお友だちに優しく接するようになってきます。
もちろん、そうした倫理観を育てていくには、
子どもは状況をきちんと読めていないし、相手からの視点がわかっていないことを
大人が知っていなくてはなりません。
意地悪に見える態度のほとんどは、
意地悪い心ではなく、わかっていないからしているのです。
もめたときに、「自分で解決しなさい」と放って置くのではなくて、
子どもが見えていない部分や
相手の気持ちを
「もし、あなたが、○ちゃんで、こんなことがあったらどうする?」
とたずねて、相手の立場に立って考える方法を説明してあげなくてはなりません。
でも、それ以上は、干渉せず、お互いの判断にまかせるようにします。
そうすると、ほとんどの場合、よい形で解決するし、
その場では解決しなくても、
時が経つと、きちんと出来事を消化して、成長している子どもの姿があります。
こうしたことを書くと、幼い子は、叱ったりしつけたりする必要がないの?
と思う方がいるかもしれませんが、
大人がいつもコミュニケーションのよいお手本を
ていねいに見せる必要はあります。
また、子どもにきちんとルールを説明することも大事です。
ただ、ルール違反が起こったときに、無理やり大人の価値観を押し付けるのでなく、
子どもが自分の判断力や倫理観を
現実の世界でためしていけるチャンスをあげるのです。
(もちろん危険なことなどは別です)
告げ口という形ではじまる関係は、
お互いに自分がやられたら嫌なことは相手にしないで、気持ちよく楽しく
遊んでいこう
という前向きな態度に変わっていきます。
子どもが、いちいち大人の判断をあおがなくても
自分たちで考えていいことがあるんだという気持ちを
共有するようになると、
問題が起これば、周囲の子たちも参加して解決します。
また、それぞれの子が、
自分の内なる物差しのおかげで、
他人が見ていないところでも悪いことはしない『自分で自分を律することができる態度』を身につけていきます。
告げ口が、仲良しに変化していくとき、
子どもは自分の嫌な一面も受け入れて、それと上手につきあいながら
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