ふうせんファミリー♪
かわいい作品ですね。家族の仲が良さそうですね。
大阪で工作イベントをした後、伝える難しさについて
いろいろと考えました。
そして何が問題なんだろう……?と考えていて、
「人を評価する」という形があまりに日本の社会に浸透していて、
どんなささいなトラブルも、アドバイスも、
自分の悪い点を指摘された、攻撃されたとなってしまって、
反発して他罰的になるか、
反省しすぎて自罰的になるか
どちらかに激しく反応してしまうことによるように
感じました。
たとえば、私が、
「子どもが自由に知らない子とも交流できるような雰囲気を
大人たちが作リ出していく大切さを感じたのです。
また、あまり口出しせずに、
評価や作品の出来にこだわらず、子どもの長所を見つけることや、
子どもが何を楽しんでいるのか、どんな興味を抱いているのかに
フォーカスできにくい空気があったのが少し残念でした。」
と書くと、
人のいる場所で緊張してしまう方や人見知りのある方まで、
「そうした場で、交流しなきゃいけない、人とコミュニケーションを取らなくちゃ」というプレッシャーを自分にかけちゃうように
思えるのです。
私自身は、それぞれ個人個人が「正しい何か」である必要はないし、
「正しい」態度というのも
存在しないと思っています。
言葉にするのが難しいのですが……
「子どもが自由に知らない子とも交流できるような雰囲気を
大人たちが作リ出していく大切さを感じたのです。」と書くと、
私が、「社交的にすぐうちとけることができない人を、
評価したり判断をくだしたりしている目でながめている」という
伝わり方をして、
私がよしとする態度や性質を演じなきゃ、そうならなきゃ
会ったときに、批判的な目で見られるのではないか……
という伝わってしまいがちなのです。
どうして、そうなるのか?
それは、日本や社会があまりに検品作業をするように人も子どもも眺める
癖が定着しているからではないでしょうか?
私自身は、微妙なところで、複雑な立場にあって、
人としては親御さんに何の評価する気持ちもないけれど、
親の子どもへのかかわり方が子どもの問題行動を誘発していたり、
発達上に問題がなさそうな子なのに、
親が子に、このままの接し方を続けていると、
目でものを集中して見れない、人の話が聞けない、コミュニケーションを避けるなどの問題がおきそうな場合は、
そうした障害を避けるために、
少しポイントをアドバイスすることがあります。
でも、だからといって、心の中で、
そのお母さんの子育てが「まちがっている」とか、
その方が「ダメだ」と思っているわけではありません。
最初から何もかも知っていてうまくできる人がいるわけないですよね。
子どもが2歳なら、ママも2歳。
子どもが3歳なら、ママも3歳。
子どもが、あいさつの仕方や食事のマナーを
大人から少しずつ習っていくのと同じように、
大人だって子育ての偏った部分を、少し修正して、リラックスして
楽しみながら子育てしていけるように先輩ママから学んでいく
場面もあって普通なのです。
でも、今、子どもをしつけるときも、子どもの嫌な部分を見たくないというように全てに目をつむるか、しつけるとなると、
なぜか、子どもの存在を全否定することになってしまうという方がいます。
また親も、今の自分に「ひとつでも直す部分がある」ということは、自分が
ダメな母親だと評価をつきつけられたことだ~
ととらえてしまいがちなのです。
幼稚園や小学校に行かせるまでに
あれこれ就園、就学準備をするのも、
まるで完成品の出荷のような雰囲気があって、
人の前に子どもを出す=検品作業を受ける
と感じているふしがあるのです。
ですから、そこには、他の影響を受けながら学んでいく、成長していく
というゆるやかな空気はありません。
いつも、親にとって子どもは先生に提出する「小テスト」か「テスト」か学期末「テスト」なのです。
先生たちも、「点数」を返すことに忙しくて、
子どもを育む、育てる、成長を見守るという発想が
ないかのように見えることがあります。
もちろん、上の話はたとえ話です。
子どもが「テスト」だ
ということは、他人の目にわが子がどう映るか……
そうした評価の積み重ねが子育てのようになっているということです。
本当は子どもはいつも成長の経過点にいるのですから、
まだ「パンだねこねている最中に
焼き上がりのテスト」してもしょうがない~
といったものですよね。
必要なのは、こねが甘かったら、「いっしょに手伝いましょうか?」と
声を掛け合える間柄です。
たけのこのサイズ見て、どれほど高い竹に成長するかだれも
わかりませんよね。
ただ、土壌や日光などの問題に
慣れている人が気づいたら、より良い環境になるよう手助けする~
それだけです。
そうした助け合いの輪にいて、環境を整えてもらったから、
たけのこが悪いわけでも、そのたけのこの世話役が悪いわけでもありません。
お互いにじゅんぐりに成長しているだけです。
大阪での工作イベントで主催の方に、「3ヶ月に1度くらい工作に来ていただけませんか?」という相談を受けたのですが、
「工作は、まだキツイんじゃないかな……」とお答えしました。
子どもたちの月齢や親子の学習の様子から、
工作遊びより先に、
「見立て遊び、空想遊び、じゃれる遊び、絵本大好きクラブのような遊び」
が適しているように感じたからです。
でも、それって、このお母さんたち子どもたちはダメだ~と思ったから……
そう判断したから……ではないのです。
そんなに急がず、ひとつひとつ今、楽しい遊びをして、
今、必要な学習をする……
それがちょうど良いことだと感じているからなんですよ。

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