虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

競争心を刺激してがんばらせる幼児教育

2022-07-23 10:20:51 | 幼児教育の基本

早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏の『妬まずにはいられない症候群』(PHP文庫)という著書では、競争意識をかき立てる家庭で育った子の不幸について、胸が痛くなるような内容でつづられています。

子どもが競争心を煽られて育つと言うことは、つまり、子どもが「自分が自分であることによって、家族に受け入れられていない」ことを感じて育つということです。つまり、自然な自分であってはいけないのです。

のんびりやだったり、運動嫌いだったり、想像力や創造力が豊かで、競争よりもクリエイティブであることを好んだりする子であってはいけないのです。

頭脳活動を好む子は、他の子と自分を比べるより、自分の内面の好奇心を追いかけてのんびり過したがる子が多いですが、それは許されないのです。

大人が望む運動での競争、基礎計算や文字を書くことをがんばるかどうか……で大事にされたり、邪険に扱われたりします。


カレン・ホルナイが、自己蔑視の心理的結果の特徴のひとつとして、強迫的に他人と自分を比較するという点をあげています。
自分に劣等感を持つと、競争意識が異常に強くなり、人より自分の方が優れているかどうか気になって仕方がなくなるのです。
親自身が自分で自分を受け入れられないで、心の葛藤を解決できないでいると、親は子どもを巻き込んで解決しようとします。

親が自分で自分を軽蔑していると、自分の子を幼いときから競争させたくてたまらなくなり、他の子との優劣が気になって仕方なくなるのです。

子どもは自分を守るために必死でよい子を演じます。
その結果、親の心が不安定で、競争を煽られている子たちは、外から見ると立派にしっかり育っているように見えます。

けれど、それは、そう見えているに過ぎません。

心の満足がないまま社会的に適応を強いられると、態度やできることは擬似的に成長しているように見えても、心理的な成長が幼児のままとまってしまうのです。

加藤諦三氏は、別の著書『「大人になりきれない人」の心理』で、「子ども時代に無責任に遊び楽しむことをしないで、大人になってから責任ある立場を全うするのは、ナポレオンがアルプスを越えるよりもきついことである。」と言っています。

人間は、無責任なわがままで許される幼児の時代があって、その時期に幼児的願望が満たされて初めて、責任ある大人に成長していくのです。
「幼児的願望が満たされない」という不満は、人間にとって[本質的な不満]となって一生ついてまわるのです。

『「大人になりきれない人」の心理』によると、
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子どもの時期に子どもにしか堪能できないことを十分堪能した大人と、したくないことを力ずくでさせられていた大人は、同じ年齢でも全然別次元に住んでいるそうです。
子どもの時期にしかできないことを、「もういい!」というほど堪能した子どもは、満足しているので、我慢を強いられて育った人が「辛い」と感じることも「楽しい」と感じることが多いのです。
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幼児はまだ、自分の意志でいろんなことをやってみて、自分が「楽しい!得意だ!」という面に気づいて、「そこで全力を出し切って友だちと競争してみよう」と考えることができるほどの体験もなければ、気づく力もありません。

幼児が競争の場で、必死でがんばるのは、自分を高めるためではなく、
「親に見捨てられたくない」
「愛されたい」
という根源的な不安感がもとになっています。
また発達障害のある子が勝ち負けへのこだわりから競争に固執している場合もあります。

もし大人が安易に子どもの競争心をあおってさまざまなことをさせたなら、子どもが人の弱さを許したり、妥協しあったり、仲良く協力し合って何かすることを学ぶ力は育ちません。

強迫的に競争ばかりに心を使うようになります。

しかしその競争は、自分のためになる自己実現を目指しているのではありません。
人に勝った負けた~あいつよりえらい~と感情的ないきさつばかりにとらわれる狭い世界でだけ生きて、自分の可能性を求めて、自分の人生を生きることができなくなってしまうのです。

子育てをするとき、親は自分の心をきれいに保っておく必要がありますよね。みんながしているから……と、子どもを競争に駆り立てているときは、自分の心を見つめなおす大事な機会ではないでしょうか?



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