感覚を通して学ぶ子は、
外向感覚型や内向感覚型の子はもちろんなのですが、
思考型で感覚寄りの子も感情型で感覚寄りの子も
幼児期は感覚を刺激する遊びが大好きです。
モンテッソーリ教育風の遊びに
魔法でもかかっているように集中することが多いです。
モンテッソーリが自分の幼児教育法はすべての子どもに当てはまる…
と確信していた理由のひとつに
国や地域によって、ほとんどが感覚型の人ばかり…
というところがあるからではないでしょうか。
ヨーロッパの玩具の色味、素材感、おもちゃの目的が感覚重視であること
などから考えても、感覚型の人が多いんだろうな…と想像がつきます。
ただ私が子どもたちが感覚的な遊びに集中する様子を観察していると
感覚型の子の感覚遊びと
思考型の子の感覚遊びと
感情型の子の感覚遊びはずいぶんちがいます。
直観型の子はモンテッソーリ風の遊びにそれほど熱中しない子が多いです。
(直観型の子も時折、没頭するように手作業に熱中することもありますが、繊細さに欠け、折り紙をくちゃくちゃ丸め続けて、団子を作る…
など山ほど作って
どうするの…???
というお仕事が多いです)
今回は
感覚型の子の感覚遊びと
思考型の子の感覚遊びがどうちがうのか…最近気づいたことを書いてみようと
思います。
虹色教室に感覚遊びの大好きな兄弟が長いこと通って来てくれてます。
お母さんも感覚型の方で、お菓子を作ったり、タイムスケジュールどおりてきぱき動くことが得意な方です。
兄弟の下の男の子は外向感覚型を絵に描いたような男の子。
何でも繰り返し、スムーズに的確にできるようになるよう
努力を欠かしません。
手先が器用で観察力と根気がすばらしいです。
お兄ちゃんは、弟くん同様感覚的な遊びが好きな子で
オルゴール作りや、ペグさし、電子工作、設計図通りに作るブロック、あやとりなどに熱中しますが、そうした手作業を通してする単調な作業に没頭しつつも、
弟くんとまったく別の部分の頭脳の働かせている感じがします。
私は長い間、このお兄ちゃんに対して外向直感型の子かな?それにしては感覚が優れていておかしいな…?よくわからないところが多いなぁ…と
感じてきました。
が、この子が大きくなるにつれ、感情面の弱さが目立ってきて、
うまく気持ちが表現できなくていじわるしたりずるしたり…
だけど本当は優しくて繊細で、人一倍傷つきやすい性格
がはっきり見えてきました。
そして、感情を劣等機能に持つことから、思考型の子?
と考えて見直すと、これまでのお兄ちゃんの???がたくさん解けてきました。
私が長い間、お兄ちゃんを思考型の子と考えなかった理由は
この子が言葉で思いを表現することが苦手だったためです。
思考型だとしても、学習タイプは評価型ではないようです。
口数が少ない割に、論理的な数学の問題を解いたり
国語の文章題を解いたりが得意なため、
あれっ?と思うことがよくあったのです。
また感覚的な作業の最中も
直感が働くため、そこから深~い洞察を得ていることが多く
感覚的な作業が、数学の解法に直接リンクしていることがしばしばありました。
ブロックで大作を作り上げたあとで、
いきなり1年先の最レベの立体図形の問題が解けるようになったりするからです。
これが感覚を主とする子だと、
その作業の世界での最大限の可能性を目指す
感じです。
あんまり他とはリンクしないけれど、その分野では極めていくのです。
大人の意図とぴったり重なります。
こうしたことを考えると、大人が子どもを安易に評価するのは
とても問題があると思います。
絵を描く行為にしても、子どもによって
美しく描くことに向かう子
数学的発見にリンクする子
ストレスを解消しエネルギーをためる子
複雑な考えの整理に利用する子
などいろいろだからです。
そこで、すべてのタイプに感覚型の子が求めるような、その世界での完成を
望むと、せっかくのそれぞれの良い資質が枯れてしまうように
思います。
web拍手を送る