コメント欄で次のようなご質問をいただきました。



子供の態度に惑わされず、必要なものを
与えていく・・・肝に銘じて、前向きな態度が見えてくるまで気長に待ちたいと思います。なかなかできないんですけど(汗)
ついつい近視眼的になっている自分がいます。 息子さんは卒園時に棒人間を描いていたとのこと、今は息子さんも絵がお上手ですよね。
なおみ先生は子供さん達に絵に関して何か働きかけはされましたか?
うちの息子は3歳2ヶ月です。
最近顔を書くようになってきました。
輪郭と目と鼻口のみです。ママの頭についてるのなーんだ?って聞くと髪を書いたりします。そこで調子に乗って他の部分も描かせようとすると嫌がるのでやめます。うまく描かせようなんて気はないんですが・・
(心の底にはあるのかしら)先生は何か働きかけしてらっしゃいました?



うちの息子は、不器用だったので、卒園時、棒人間を描いていただけでなく、
小学校にあがってから読めないようなくねくねした字を書いて漢字テストなどはそれでバツばかりでした。
娘が器用だったので、少しびっくりしましたが、特に注意したり直させたりはしていません。
当時、息子はアイデアを形にしたくて白いコピー用紙を乱雑に切ってあれこれ作るのが好きだったので、とにかく雑でそこらじゅうゴミだらけにしていました。
何度もやりたがるエネルギーを大事にして、
乱雑な作り方や、散らかしすぎて掃除が大変なことについては
黙っていました。
そうするうちに、高学年には、
クラスから1人~2人選ばれる絵画展で受賞するようになりました。
子どもに接するとき、近視眼的になると、あれもこれもと口出したくなります。
でも、私はわが子に関しては、大事な1,2点さえチェックしたら、
ザルのような漏れている部分の多い適当な親でいたい気持ちがあったので、
その通りにして楽していました。
常識的な良い親になろうとしてそうしていたのでなく、
自分が子どもならそんな親でいて欲しい親でありたかったからです。
大事な1,2点とは、
対象に対して、自分は下手だとか、できないとか、自己卑下していないか……?
ということ。
実際客観的に見て、明らかにぐちゃぐちゃでも、
本人が自分の作品に自信を持っているのなら、
それでよしとして、いっしょに作品を喜びました。
もうひとつは、それと接しているとき
気持ちがいいかどうか、親しみが持てるか?ということ。
早く結果を出すより、何度でもそれにチャレンジしたいという思いを
育てることが大事だと感じていました。
絵だけでなく、勉強に関しても上の2点以外の
成績などはまったく気にしませんでした。
勉強が好きになれば、いずれ精神的に自立のときを迎えれば
どんどん伸びてきます。
テストの点が悪いときは、本人も傷ついているわけですし、
がんばろうかな?という気持ちが生じるいいチャンスですから、
テストの点には触れず、勉強に関する子どもの長所を言葉にして勇気付けるようにしていました。
こうして言葉にすると、すごく良い親をがんばっていたように見えますが、
不完全で適当なところが多い自分をそれで良しとしていただけなので、
あまり褒めれたものではありません。
絵や音楽に関することでは、
私は自分の子ども時代の記憶を頼りに「これくらいでいい」という
教育の目安を持っています。
私の母は、保母になりたくて、保育所でのパート勤めもしていましたが、
ピアノが弾けなかったため資格を取れませんでした。(他に方法があったかは思いもしなかった様子)
それで、私には、2~3歳の頃から
クラシック音楽と絵本がセットになった全集を与えて、ヤマハ音楽教室にも通わせました。
6歳になる頃には
団地の狭い部屋に本物のピアノを置いて、個人レッスンにも通わせました。
当時の思い出
[レッスンのテキストを音楽家が弾いているレコード]も購入していました。
とにかく母は私にピアノが上手になってもらいたかったのですが、
私は大の練習嫌い。いっこうに上達はしませんでした。
母が私にピアノをさせようとしたことが
すべて無駄だったかというとそうでもありません。
私は音楽を耳にすると、色の洪水が頭の中にすごく美しい形を作りながら
流れていく映像が浮かんできます。
色の洪水を、さまざまな光の点が舞う画像です。
幼児期は、
共感覚を持っているという話をよく聞くので、そうした記憶かもしれません。
(今の私は、文字に色が浮かぶようなことはありません。)
そうして頭の中に見えるものを描いて詩画集を作ったりしています。
また、そうした映像のおかげで短時間に気分がリフレッシュできて
明るい前向きな気持ちになれるのです。
それが、2~3歳の頃、音楽全集のクラシック曲を聴きながら
岩崎ちひろ他さまざまな一流画家の描く美しい画集の絵本(さっきの全集です)を眺めていた記憶から
生じているのがよくわかるのです。
幼児期に聴いた音楽のおかげで絶対音感も持っています。
そうしたものがすべて、今にも残って役立っている理由は
私の母が練習熱心でない私を
責めたり評価したりしなかったからだと思います。
とりあえず、ピアノがうまくはならなくても、きらいにはなりませんでした。
ピアノという楽器を技術的にマスターする点では
成果がありませんでしたが、母が近視眼的な結果を求めなかったために、
当時の音楽との出会いは私の生活を豊かにしてくれているのです。
また、母は私にそろばんやお習字や塾などいろいろ習わせましたが、
私はすべて、1,2回通ったらサボりだし、そこらをうろうろして暇をつぶしていました。あまり叱られませんでしたが……。
結局、習い事は身につきませんでいたが、当時のさまざまな記憶は
今の仕事に役立っています。ぶらぶらしたあげく高学年頃には勉強が大好きになっていました。
きちんとしたご質問の答えになっていませんが、
こうした話はまた別の機会にくわしく書かせていただきますね。

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