レゴではなく、なぜデュプロがいいのですか?
デュプロは赤ちゃん用ってイメージがありますが……。
デュプロだから出来ることや魅力を教えてください♪
という質問をいただきました。
デュプロブロックのサイズは、
●社の高級積み木の「人が手にして扱っていて、最も心地よく夢中になれる計算されたサイズ」と同じに作られた……
という話を耳にしたことがあります。
くわしいことは知らないのですが、
実際、子どもたちが遊ぶ姿を見ていて、子どもたちを何度もブロック遊びに誘う飽きのこない魅力があるのは確かです。
私自身はレゴブロックもけっこう持っているのですが、使うのは99パーセント、デュプロばかりです。
なぜかというと、比率が2対1という
シンプルな形のものが主流なので、頭の中で立体図形を動かしながら作っていく楽しさが味わえるからです。
こうしたシンプルさは、
数学的感性を強く刺激してくれます。
頭脳パズルや数学パズルって、複雑なものはまずありません。
限りなくシンプル形が少しだけ組み合わされて、多種多様の東大生も悩むレベルの問題も作られているのです。
こうした数学的なパズルの世界は、レゴというよりデュプロでの製作に
近いものです。
数学の図形問題も、どこへでも好きなサイズの線が自由に引けちゃったら、それは問題ではなくて、塗り絵になってしまいますよね。
デュプロのように形が限られていて、なおかつ比率が一定だと、
何を作るにも、制限やルールがつきまとい、
自然と考えるようになります。
ポツポツの突起が8のものと、4のものがほとんどなので、
6や2の空間を埋める必要が出ると必ず、試行錯誤して
パズルの問題を解くように考えなくてはならないのです。
そこで、最初から6や2の突起のブロックがあるレゴで作る場合、
思考するのではなくて、
「どこだろう~?どこだろう~?」と
探す行為になってしまうのです。
そのようにデュプロの一番の面白さは、不可能を可能にしていく「難しさ」にあります。
デュプロには、他にもとてもすばらしい面があります。
子どもと学習をするときに、デュプロを教具として利用すると
専門の高価な教具がいらなくなる上、
大きなサイズのおかげで難易度の高い問題も非常に易しく感じられることです。
幼児に方程式や鶴亀算、植木算などを考えさせたり、
分数や大きな数の理解を学ばせたりするときに非常に役立ちます。また小中学生と、理科の化学式の計算をするときにも便利です♪
科学実験をするときも、いちいち、実験セットを用意しなくても
デュプロで外枠を作れば実験できることはたくさんあります。
紙箱を切って貼って、穴を開けて、実験準備をするのはたいそうでも、
デュプロはサイズが大きいのであっという間に必要な道具を準備できてしまうのです。
デュプロは幼い子たちがただ遊ぶときにも、とても役立ちます。
写真は4歳の★くんと電車で遊んでいたときの写真です。
★くんは、「線路を高いところと、下の両方で走らせたい」と言い出しました。
そして、いろいろ考えて、線路を乗せる台をブロックで作りました。
一生懸命、高さ調節をしていました。
デュプロで遊ぶ時、子どもたちはこうした大掛かりなものをらくらくと作り上げていきます。
そして形がイメージに残りやすいため、一度マスターしたパターンは
次に生かしてさらにすごいものを作り出します。
素材が多すぎるとこうはいきません。
まだまだデュプロの魅力はいっぱいあるのですが、長くなりすぎたのでこれくらいにしておきますね
数学パズルのピースと同じように、少しあるだけでもずいぶん役立ちます。
持っていないという方は、ぜひぜひ、ちょっとだけでも手に入れて遊んでみてくださいね。
科学クラブのKくん(年長さん)が工作作品を持ってきてくれました。
(わざわざ名古屋から、工作作品を抱えてきてくれました)
Kくんはひらめきタイプの子。
次々良いアイデアをひらめきます。
牛乳パックをさかさまにすると、口を開けたり閉めたりするところから
物が出し入れできることに気づいたKくん。
ドリンクバーを作りました。
紙でできたオレンジジュースと、ココアがでます。
「ここがポイント!」と文字を簡単に変えられる場所を指しながら
作り方の説明をしています。
片付けるためのコップのホルダーや
大小コップサイズも変えられるとっても工夫された作品です。
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(わざわざ名古屋から、工作作品を抱えてきてくれました)
Kくんはひらめきタイプの子。
次々良いアイデアをひらめきます。
牛乳パックをさかさまにすると、口を開けたり閉めたりするところから
物が出し入れできることに気づいたKくん。
ドリンクバーを作りました。
紙でできたオレンジジュースと、ココアがでます。
「ここがポイント!」と文字を簡単に変えられる場所を指しながら
作り方の説明をしています。
片付けるためのコップのホルダーや
大小コップサイズも変えられるとっても工夫された作品です。
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何度か紹介させていただいている虹色オンライン教室
(お値段については私が勝手に公表するわけにいかないので、今月末まで待っていてくださいね)の
知識の絵本のコーナーは、科学クラブで年間を通してひとつひとつ学習している
テーマと重なっています。(歴史や地理に関することも、科学の部分を切り口に学んでいます)
それで、今月の科学クラブのレッスンでは『洞窟』を取り上げました。
図鑑を見て学んだり、鍾乳洞のなりたちについて話し合っている最中に
「ブロック講座で、洞窟を作ったのよ」と言うと
「見たい!作りたい!」と大騒ぎ。
といっても、講座のために作る作品は毎回バラバラにして崩している
ので、また新たにブロックで洞窟の入り口を少しだけ作ってみせました。
すると、あとは子どもたちだけで(この日はインフルエンザ等でお休みが多くふたりだけの参加です)
どんどんどんどん作って、
すごいものができあがっていきました。
鍾乳洞内の研究室と、マグマが湧いてくる池、火山、秘宝の隠し場所
などは、このふたりのオリジナル……。
子どもってすごいなぁと思うのは、
ブロックという扱いやすい素材を通せば、
どんな難しい内容のことも、どんどん取り入れて吸収していけることです。
また写真を見るだけで、あとは自分流に
自由自在に作れてしまうところ。
「本物を見にいきたい」「もっと知りたい」そんな思いではちきれそうになるのですから。
虹色オンライン教室を見ていただいても、大人の場合、知識の絵本のブロック作品を見ても
「ふ~ん、おもしろい」で終わるんですけど、
子どもは、すぐさま「作りたい!」という声を上げるんです。
ピラミッドでも縄文式土器でも!
子どもたちの好奇心が大きくふくらんで、いろいろなものにつながればいいな~と思いました。
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(お値段については私が勝手に公表するわけにいかないので、今月末まで待っていてくださいね)の
知識の絵本のコーナーは、科学クラブで年間を通してひとつひとつ学習している
テーマと重なっています。(歴史や地理に関することも、科学の部分を切り口に学んでいます)
それで、今月の科学クラブのレッスンでは『洞窟』を取り上げました。
図鑑を見て学んだり、鍾乳洞のなりたちについて話し合っている最中に
「ブロック講座で、洞窟を作ったのよ」と言うと
「見たい!作りたい!」と大騒ぎ。
といっても、講座のために作る作品は毎回バラバラにして崩している
ので、また新たにブロックで洞窟の入り口を少しだけ作ってみせました。
すると、あとは子どもたちだけで(この日はインフルエンザ等でお休みが多くふたりだけの参加です)
どんどんどんどん作って、
すごいものができあがっていきました。
鍾乳洞内の研究室と、マグマが湧いてくる池、火山、秘宝の隠し場所
などは、このふたりのオリジナル……。
子どもってすごいなぁと思うのは、
ブロックという扱いやすい素材を通せば、
どんな難しい内容のことも、どんどん取り入れて吸収していけることです。
また写真を見るだけで、あとは自分流に
自由自在に作れてしまうところ。
「本物を見にいきたい」「もっと知りたい」そんな思いではちきれそうになるのですから。
虹色オンライン教室を見ていただいても、大人の場合、知識の絵本のブロック作品を見ても
「ふ~ん、おもしろい」で終わるんですけど、
子どもは、すぐさま「作りたい!」という声を上げるんです。
ピラミッドでも縄文式土器でも!
子どもたちの好奇心が大きくふくらんで、いろいろなものにつながればいいな~と思いました。
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宝地図を書きこもう♪のママラッチさんの
科学と非科学の間にを読んで、さまざまなことが浮かんだので記事にすることにしました。
記事のなかに、小林秀雄の文章が引用してあって、
「世間には、不思議はいくらでもあるのですが、現代のインテリは、不思議を不思議とする素直な心を失っています。テレビで不思議を見せられると、これに対し嘲笑的態度をとるか、スポーツでも見るような面白がる態度をとるか、どちらかでしょう。
・・・・・
彼らにとって理解できない声は、みんな不正常なのです。」
小林秀雄は、とある経験について述べています。
「母が死んだ数日後のある日、仏にあげる蝋燭を買いにでかけた時、家の前に流れる小川に飛んでる今年初めての蛍をみた。今までにない大ぶりの蛍で、おっかさんは蛍になっているとふと思った。」
この経験を
「無論、読者は私の感傷を一笑に附することも出来るのだが、そんなことなら私自身にも出来ることなのである。」
とありました。
(小林秀雄と言えば、以前、シンクロニシティーの記事に登場した
画家の遠藤剛熈先生とはじめてお会いした日に「若い頃、小林秀雄に会いに出かけた~」というお話をうかがったことを、今思い出しました)
ここで小林秀雄が伝えようとしたことと近いことを
ユングも語っています。
「人生が更新や拡大を要求するように、意識を更新したり 拡大したりできるようになるためには、
意識が集合的無意識との非理性的なコミュニケーションラインを維持できなければならない。」
ユングは「意識を無意識の永続的で最も長い夢」として解釈しています。
最近の物理学の進歩は、こうしたユングの考えをあながち間違いとはいえないような実験データーをたくさんしるしてきています。
太古の昔から、人間の意識は絶えずより大きな意識性を得ようと
奮闘してきました。
ユングが「気づき」と読んだ意識性です。
知覚や認識のあらゆる種類の非理性的な形態を含んでいます。
非理性的ですから、まともな意識で考えたら「変!」「危ない!」「おかし~」と感じてしまうようなことばかりです。
大きい蛍がおっかさんってそれはないでしょう?
という感じです。
ユングはこんなばかばかしくも見える「気づき」が、
集合無意識の
中の自覚されていない無尽蔵の富との間にかける架け橋である
としているのです。
占いにしても、夢のお告げにしても、その起源と予知力が、
集合的無意識の深層パターンの中にあると考えていたのです。
私自身は直感的なため、さまざまなパターンを繰り返し夢見たり、
白昼夢のように映像が頭にはっきり浮かんだり、文章が塊の状態で浮かんできたりするので、そうした非理性的な「気づき」との付き合いはかなり長いのです。
それで、そうした自分の理解しがたいイメージが繰り返しあらわれるときは、
何かこじつけて理由を考えたり、
自分の良いように推測したり、
拒絶したり無視したりするのではなく、
映像をそのまま、言葉をそのまま、素直に素のまま受け取ります。
それから、何か無意識的なイメージを現代の言葉やイメージに変換させてくれるものはないか調べたり、自分の心と生活を見直したりします。
かなり長くなりましたが、最近私に繰り返しあらわれていたのは「ふたご」のイメージ。
ふたごちゃんブログの石井さんとのお付き合いがはじまったこともありますが、
それを差し引いても、ふたごに関する出来事が続きすぎるので、(夢ではツインソウル、双子の炎とかいう言葉も浮かびますし……)
「ユングとタロット」で、ふたごに関する記述がないか?
昔の人は、ふたごを何かの象徴として解釈していなかったのか
調べました。(それが無意識から浮上してきているからには、現在の自分の課題と関わりがあるように感じたからです)
ふたごかどうかは不明ですが、太陽のカードに子どもがふたり描いてありました。
私の心が「これ、これ」としっくりきたので、それでよしとして……。
太陽のカードのしるす意味は、
タロットの主人公は、彼の内的な「子ども」とつながりを持ち始めた。「創造的プロセスの中では、多くの科学者や作家たちは、単に言葉や観念のイメージと
遊ぶことにより、きわめて深遠な洞察に達していきました。
その中には、アインシュタイン、ユング、イェンツ、ヘンリーモーアといった人が含まれる。
創造的な深層を膨らませる技法として、遊戯療法がある。
「子ども」は劣等機能を表象することが多い。
子どもっぽく、未発達で、自然に近い機能。
再生が果たされるのは、自発性を留めており、自然で無意識に近い、この劣等機能を通してである。
劣等機能を組織化することは不可能で、とんでもなく費用と時間がかかる。
(つまり欠点は簡単になおせない)
一生の全ての日曜日と、全ての午後をささげなくてはならない。
それでいて何も得られない。
子どもたちが象徴しているのは、生まれたばかりのもの、生命力に溢れ、実験的で、原初的で、かつ全体性を持ったもの。
子どもは自分を意識していない。
人が自分を意識しているとき、彼は分割され、疑いに振り回される。
このタロットの子どもたちは、ともにのびのびと自然に遊び、自分自身と調和しているので、仲間とも調和している。それぞれが相手に拒絶されるという恐れなど
まったく持たずに調和しあっている。
「ふたご」のイメージに導かれて、読んだこの文章は、
私が現代の子どもが取り戻せるように力を注いでいるものそのもの。
そして、私や知人が、自分自身の意識を拡大するよう要請する内側の声にこたえるにはどうすればいいのか、答えをもらったような気がしました。
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科学と非科学の間にを読んで、さまざまなことが浮かんだので記事にすることにしました。
記事のなかに、小林秀雄の文章が引用してあって、
「世間には、不思議はいくらでもあるのですが、現代のインテリは、不思議を不思議とする素直な心を失っています。テレビで不思議を見せられると、これに対し嘲笑的態度をとるか、スポーツでも見るような面白がる態度をとるか、どちらかでしょう。
・・・・・
彼らにとって理解できない声は、みんな不正常なのです。」
小林秀雄は、とある経験について述べています。
「母が死んだ数日後のある日、仏にあげる蝋燭を買いにでかけた時、家の前に流れる小川に飛んでる今年初めての蛍をみた。今までにない大ぶりの蛍で、おっかさんは蛍になっているとふと思った。」
この経験を
「無論、読者は私の感傷を一笑に附することも出来るのだが、そんなことなら私自身にも出来ることなのである。」
とありました。
(小林秀雄と言えば、以前、シンクロニシティーの記事に登場した
画家の遠藤剛熈先生とはじめてお会いした日に「若い頃、小林秀雄に会いに出かけた~」というお話をうかがったことを、今思い出しました)
ここで小林秀雄が伝えようとしたことと近いことを
ユングも語っています。
「人生が更新や拡大を要求するように、意識を更新したり 拡大したりできるようになるためには、
意識が集合的無意識との非理性的なコミュニケーションラインを維持できなければならない。」
ユングは「意識を無意識の永続的で最も長い夢」として解釈しています。
最近の物理学の進歩は、こうしたユングの考えをあながち間違いとはいえないような実験データーをたくさんしるしてきています。
太古の昔から、人間の意識は絶えずより大きな意識性を得ようと
奮闘してきました。
ユングが「気づき」と読んだ意識性です。
知覚や認識のあらゆる種類の非理性的な形態を含んでいます。
非理性的ですから、まともな意識で考えたら「変!」「危ない!」「おかし~」と感じてしまうようなことばかりです。
大きい蛍がおっかさんってそれはないでしょう?
という感じです。
ユングはこんなばかばかしくも見える「気づき」が、
集合無意識の
中の自覚されていない無尽蔵の富との間にかける架け橋である
としているのです。
占いにしても、夢のお告げにしても、その起源と予知力が、
集合的無意識の深層パターンの中にあると考えていたのです。
私自身は直感的なため、さまざまなパターンを繰り返し夢見たり、
白昼夢のように映像が頭にはっきり浮かんだり、文章が塊の状態で浮かんできたりするので、そうした非理性的な「気づき」との付き合いはかなり長いのです。
それで、そうした自分の理解しがたいイメージが繰り返しあらわれるときは、
何かこじつけて理由を考えたり、
自分の良いように推測したり、
拒絶したり無視したりするのではなく、
映像をそのまま、言葉をそのまま、素直に素のまま受け取ります。
それから、何か無意識的なイメージを現代の言葉やイメージに変換させてくれるものはないか調べたり、自分の心と生活を見直したりします。
かなり長くなりましたが、最近私に繰り返しあらわれていたのは「ふたご」のイメージ。
ふたごちゃんブログの石井さんとのお付き合いがはじまったこともありますが、
それを差し引いても、ふたごに関する出来事が続きすぎるので、(夢ではツインソウル、双子の炎とかいう言葉も浮かびますし……)
「ユングとタロット」で、ふたごに関する記述がないか?
昔の人は、ふたごを何かの象徴として解釈していなかったのか
調べました。(それが無意識から浮上してきているからには、現在の自分の課題と関わりがあるように感じたからです)
ふたごかどうかは不明ですが、太陽のカードに子どもがふたり描いてありました。
私の心が「これ、これ」としっくりきたので、それでよしとして……。
太陽のカードのしるす意味は、
タロットの主人公は、彼の内的な「子ども」とつながりを持ち始めた。「創造的プロセスの中では、多くの科学者や作家たちは、単に言葉や観念のイメージと
遊ぶことにより、きわめて深遠な洞察に達していきました。
その中には、アインシュタイン、ユング、イェンツ、ヘンリーモーアといった人が含まれる。
創造的な深層を膨らませる技法として、遊戯療法がある。
「子ども」は劣等機能を表象することが多い。
子どもっぽく、未発達で、自然に近い機能。
再生が果たされるのは、自発性を留めており、自然で無意識に近い、この劣等機能を通してである。
劣等機能を組織化することは不可能で、とんでもなく費用と時間がかかる。
(つまり欠点は簡単になおせない)
一生の全ての日曜日と、全ての午後をささげなくてはならない。
それでいて何も得られない。
子どもたちが象徴しているのは、生まれたばかりのもの、生命力に溢れ、実験的で、原初的で、かつ全体性を持ったもの。
子どもは自分を意識していない。
人が自分を意識しているとき、彼は分割され、疑いに振り回される。
このタロットの子どもたちは、ともにのびのびと自然に遊び、自分自身と調和しているので、仲間とも調和している。それぞれが相手に拒絶されるという恐れなど
まったく持たずに調和しあっている。
「ふたご」のイメージに導かれて、読んだこの文章は、
私が現代の子どもが取り戻せるように力を注いでいるものそのもの。
そして、私や知人が、自分自身の意識を拡大するよう要請する内側の声にこたえるにはどうすればいいのか、答えをもらったような気がしました。
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ポッカレモン、砂糖水、塩水を
コップに少し入れて、
めんぼうの先にそれぞれをつけては、舌の先、真ん中、奥、両脇と
当てていって、
舌のどの部分が一番味を感じるか実験中。
舌の図に
感じなかったところは×
味がはっきりわかったところは塗りつぶした●をつけています。
すっぱい 黄色
砂糖 ピンク
塩 水色
で色分けています。
簡単なわりに、「どうして舌は味を感じるの?」
「場所によって味がわかるところとわかりにくところがあるのはなぜ?」
「どうして1回の実験ごとにめんぼうを変えるの?」
といった疑問を抱くきっかけとなります。
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コップに少し入れて、
めんぼうの先にそれぞれをつけては、舌の先、真ん中、奥、両脇と
当てていって、
舌のどの部分が一番味を感じるか実験中。
舌の図に
感じなかったところは×
味がはっきりわかったところは塗りつぶした●をつけています。
すっぱい 黄色
砂糖 ピンク
塩 水色
で色分けています。
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「場所によって味がわかるところとわかりにくところがあるのはなぜ?」
「どうして1回の実験ごとにめんぼうを変えるの?」
といった疑問を抱くきっかけとなります。
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息子の現在の将来の夢は、玩具会社に就職して、
★reactableのような
新しいタイプのおもちゃを作り出すことのようです。
息子にすると、こうした電子玩具は、もっと幅広く活用する価値があるはずで、現代の売り方はもったいない……とのこと。
小学生のころから、「ゲームクリエイターになりたい!」と
断言していた子なので、
そのまんまその道に進んでいくのかと思いきや、
高校生になって絵を描くことに熱中……いろいろな楽器に熱中……
勉強そのものがとても面白くなってきて数学を中心に勉強に熱中……
哲学を中心とする読書に熱中……
といまだに続いている熱中している数々のことの影響を受けて
大筋はゲームクリエイター路線からはずれていないものの、
なりたい夢が変化してきました。
息子と私はいろんな面でとても似ていて、
注意欠陥(ADD)気味でおっちょこちょいで、コツコツできないところも、
読書の趣味もかなり近いのですが、
「機械」の操作においては、
天と地ほども開きがあるんですよ~
私は理論としての機械の動きは好きだけど、アナログな動きのものじゃなきゃ
さっぱりなんだけど、
息子は小さいころから、機械の操作に関してはそうとうのツワモノでした。
我が家にパソコンが来たのは息子が3歳のとき……
両親ともに、いまひとつ操作がわかっていない時期に、
息子はというと……3つです……
分厚い半分英語で書いてあるゲーム解説書を調べては、そのデモ版
のゲームをかたっぱしからやってました。(
トランプゲームの変形や頭脳パズルのようなゲームがたくさんデモになっていました)
それで、英語のつづりも形としてたくさん覚えていて「これはこのゲームが始まるって意味が書いてある!」といいながら、やっていました。
幼稚園くらいになったら、当時はまだマックだったんで、
ハイパーカードにはまって(息子だけです)
いろんな操作を覚えこまして
簡単なゲームを作っていました。
最近になって、このハイパーカードほど面白いおもちゃはなかった……と語る息子。それなら、アップルに行って、息を引きとりかけているハイパーカードにどうやって売れば良いかの道をつけてあげてよ!
とはっぱかけたくなるんですけど……。
小3くらいのときは、ロールプレイングゲームを作るソフトで
私が食べっこ動物というお菓子を求めて、喫茶店などを放浪して回る
ゲームを(私をおちょくるために)作って、身内に遊ばせて
笑っていました。
この機械操作をパッパとマスターしていくところは、
年齢が上るにつれて加速していったのですが、
今度はとにかく学校が忙しくて時間がない生活……じっくり自分のやりたいことに熱中したいなぁ~とぼやきながら暮らしています。
私が子どもに願うのは、良い学校を出ることじゃなくって、
自分の力を本気で注げる仕事に出会って、創造的に主体的に生きていって欲しいな~ということです。
仕事にも人生にもクリエイティブで♪
また精神面で一生かけて成長し続けてもらいたいとも思っています。娘も息子も心がクリーンな子なので、親のそんな願望などなくても、スピリチュアルに人生を歩んでいくのかもしれませんが……。
最後におまけで……
息子が今回、ちょっとお仕事体験をしました。
というのは、息子が作曲してアレンジした曲を、
今回作っているオンライン教材の動画のバックで流す曲として採用してもらったのです。
このきっかけとなったのは、まなりんさんが撮影にいらしていたとき、
バックが無音じゃ寂しいね~フリーの曲でもつけようか……と話し合っていたときの出来事です。
たまたま息子が家にいたんで、
「即興で、ブロックに合いそうな軽い曲を作って!」と言ってみたんです。
(実際には、この話を息子にふったのは前日の夜だったんですが本気にとらえていなかったらしく……)
それで、「え~いきなし~!」とかぼやきつつも、息子が思いつくままに適当に弾いた曲をまなりんさんが
気に入ってくれて「採用!」となりました。
「急いで作ったから、まだ未完成だよ……」と今もまだぼやいております……
でも私にはとてもこんな曲作れません。息子らしくて良い曲だな♪と感じました。
オンライン教材を購入された方は、ぜひ、息子の初仕事の音を聞いてあげてくださいね。
記事を書き終えて一服していると、2階から息子が降りてきました。ハイパーカードが消えそうなことを伝えると、
「ハイパーカードは確かにとても面白いツールだったけど、多くの人が創作しようとするには敷居が高いんじゃないかな。難しい簡単という意味ではなくて……。
ぼくはさ、ハイパーカードを作りだしたのとほぼ同じような考えでいて、もう少し使いやすい創作活動を通してコミュニケーションが取れるようなツールが作り出したいんだ。
商売でもなく……仕事としての創造は堅苦しいからね。完全な遊びでもなく……もっと新しい形のコミュニケーションの場を生み出すようなものをね。
小説を書くとか絵を描くとか、今はあまりにも閉ざされた個人的なものだよね。
それをね、個人個人が自分の表現を守れている形で、
同時に合同で製作の場に参加できるような開かれた形の創作スペースが作りたいんだ。
絵手紙といったら御幣があるけど、
プログラムした簡単なゲームやイラストや音楽や文章なんかを、
遊び心満載でいて、本気で取り組めるような何かを作り出したいんだ。
今、オンラインゲームでそれに近いものがあるけれど、かなり中途半端だしね。」
「それ……ブロック製作では、そうした場が実現することはよくあるの。
ひとりがビルを作り出すと、ひとりがレールをしき、みんな自分の創作に本気で没頭しながら、ひとつの街ができあがっていったり……」思わず、私も熱くなって、自分のブロックの話に熱中していましたが……おそらく息子の構想とは……
ちょっとずれているんでしょうね
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★reactableのような
新しいタイプのおもちゃを作り出すことのようです。
息子にすると、こうした電子玩具は、もっと幅広く活用する価値があるはずで、現代の売り方はもったいない……とのこと。
小学生のころから、「ゲームクリエイターになりたい!」と
断言していた子なので、
そのまんまその道に進んでいくのかと思いきや、
高校生になって絵を描くことに熱中……いろいろな楽器に熱中……
勉強そのものがとても面白くなってきて数学を中心に勉強に熱中……
哲学を中心とする読書に熱中……
といまだに続いている熱中している数々のことの影響を受けて
大筋はゲームクリエイター路線からはずれていないものの、
なりたい夢が変化してきました。
息子と私はいろんな面でとても似ていて、
注意欠陥(ADD)気味でおっちょこちょいで、コツコツできないところも、
読書の趣味もかなり近いのですが、
「機械」の操作においては、
天と地ほども開きがあるんですよ~
私は理論としての機械の動きは好きだけど、アナログな動きのものじゃなきゃ
さっぱりなんだけど、
息子は小さいころから、機械の操作に関してはそうとうのツワモノでした。
我が家にパソコンが来たのは息子が3歳のとき……
両親ともに、いまひとつ操作がわかっていない時期に、
息子はというと……3つです……
分厚い半分英語で書いてあるゲーム解説書を調べては、そのデモ版
のゲームをかたっぱしからやってました。(
トランプゲームの変形や頭脳パズルのようなゲームがたくさんデモになっていました)
それで、英語のつづりも形としてたくさん覚えていて「これはこのゲームが始まるって意味が書いてある!」といいながら、やっていました。
幼稚園くらいになったら、当時はまだマックだったんで、
ハイパーカードにはまって(息子だけです)
いろんな操作を覚えこまして
簡単なゲームを作っていました。
最近になって、このハイパーカードほど面白いおもちゃはなかった……と語る息子。それなら、アップルに行って、息を引きとりかけているハイパーカードにどうやって売れば良いかの道をつけてあげてよ!
とはっぱかけたくなるんですけど……。
小3くらいのときは、ロールプレイングゲームを作るソフトで
私が食べっこ動物というお菓子を求めて、喫茶店などを放浪して回る
ゲームを(私をおちょくるために)作って、身内に遊ばせて
笑っていました。
この機械操作をパッパとマスターしていくところは、
年齢が上るにつれて加速していったのですが、
今度はとにかく学校が忙しくて時間がない生活……じっくり自分のやりたいことに熱中したいなぁ~とぼやきながら暮らしています。
私が子どもに願うのは、良い学校を出ることじゃなくって、
自分の力を本気で注げる仕事に出会って、創造的に主体的に生きていって欲しいな~ということです。
仕事にも人生にもクリエイティブで♪
また精神面で一生かけて成長し続けてもらいたいとも思っています。娘も息子も心がクリーンな子なので、親のそんな願望などなくても、スピリチュアルに人生を歩んでいくのかもしれませんが……。
最後におまけで……
息子が今回、ちょっとお仕事体験をしました。
というのは、息子が作曲してアレンジした曲を、
今回作っているオンライン教材の動画のバックで流す曲として採用してもらったのです。
このきっかけとなったのは、まなりんさんが撮影にいらしていたとき、
バックが無音じゃ寂しいね~フリーの曲でもつけようか……と話し合っていたときの出来事です。
たまたま息子が家にいたんで、
「即興で、ブロックに合いそうな軽い曲を作って!」と言ってみたんです。
(実際には、この話を息子にふったのは前日の夜だったんですが本気にとらえていなかったらしく……)
それで、「え~いきなし~!」とかぼやきつつも、息子が思いつくままに適当に弾いた曲をまなりんさんが
気に入ってくれて「採用!」となりました。
「急いで作ったから、まだ未完成だよ……」と今もまだぼやいております……
でも私にはとてもこんな曲作れません。息子らしくて良い曲だな♪と感じました。
オンライン教材を購入された方は、ぜひ、息子の初仕事の音を聞いてあげてくださいね。
記事を書き終えて一服していると、2階から息子が降りてきました。ハイパーカードが消えそうなことを伝えると、
「ハイパーカードは確かにとても面白いツールだったけど、多くの人が創作しようとするには敷居が高いんじゃないかな。難しい簡単という意味ではなくて……。
ぼくはさ、ハイパーカードを作りだしたのとほぼ同じような考えでいて、もう少し使いやすい創作活動を通してコミュニケーションが取れるようなツールが作り出したいんだ。
商売でもなく……仕事としての創造は堅苦しいからね。完全な遊びでもなく……もっと新しい形のコミュニケーションの場を生み出すようなものをね。
小説を書くとか絵を描くとか、今はあまりにも閉ざされた個人的なものだよね。
それをね、個人個人が自分の表現を守れている形で、
同時に合同で製作の場に参加できるような開かれた形の創作スペースが作りたいんだ。
絵手紙といったら御幣があるけど、
プログラムした簡単なゲームやイラストや音楽や文章なんかを、
遊び心満載でいて、本気で取り組めるような何かを作り出したいんだ。
今、オンラインゲームでそれに近いものがあるけれど、かなり中途半端だしね。」
「それ……ブロック製作では、そうした場が実現することはよくあるの。
ひとりがビルを作り出すと、ひとりがレールをしき、みんな自分の創作に本気で没頭しながら、ひとつの街ができあがっていったり……」思わず、私も熱くなって、自分のブロックの話に熱中していましたが……おそらく息子の構想とは……
ちょっとずれているんでしょうね
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幼児の死亡率が高かった昔は、「七歳までは神のうち」という考えがありました。
これは前述の通り、
幼児期の生命が危うかったために伝えられた言葉でしょうが、
幼児を神様として、大人とは一線を引いて扱っていたことは
別の意味でも重要なことだったように思います。
モンテッソーリにしても、フレーベルににしても、シュタイナーにしても、
世界の幼児教育家と呼ばれる方々は、
自分の方法論に子どもを当てはめて教育しようとしたのではなくて、
幼児期という「人間の本能」とか「内的衝動」とか
「生まれながらのプログラム」といった
子どもが子どもであるゆえに、
内在する潜在的能力や、自然や宇宙と密につながっている状態であることを
教育法の中心にすえています。
7つまでの子の「神の性質」とでも呼べるようなものにあわせた教育を展開しているといえるのです。
神なんていうとオーバーかもしれませんが、
大人が左脳やエゴで判断し操作しようとする教育のあり方は、
7つを迎えて、小学校で学んでいる子たちにのみ有効なことなのです。
幼児期は、自発的活動を洗練させていく時期、
感情を通してさまざまな体験を消化する時期、
脳が欲することに熱中する時期、
好奇心を大きく広げる時期、
五感を通して芸術、
知識などの美しさを感じとる時期
つまり、右脳を通して世界や宇宙と交流し続けている時期と言えるのです。
子どもは系統的な左脳の学習をしないでも、自分で自分に必要な文法の整理などを自然におこないながら、
(どんな教えべたな親のもとにそだっても)
きちんと母国語を身につけることができますよね。
★フレーベルの恩物
にしても
モンテッソーリの秩序感にしても、
子どもの内部には宇宙の構造の縮図があり、それが成長とともに展開されてくることを前提としているように感じるんですよ。
そのように「神」に近い存在である子どもの能力を最大限に高めていくために必須の要素は、
チル大のゆっかりんさんが「近頃、育児が楽しいぞ♪」 というブログで記事にしていらした★「評価を急がない」ということなのだと思います。
幼児期に「評価」という形で
子どもと関わらないようにするだけで、
「神」のようでも「自然そのもの」でもある子どもは、
自分で自分の成長のバランスをとっていき、
苦手なことは繰り返しチャレンジし、
できなかったことは時期がくると集中的に熱中します。
4歳になったばかりのグループのレッスンをしていると、ひとりの子は
数がよくわかっているけれど、ひとりの子はちんぷんかんぷん
という場合があります。
教室で観察していると
言語理解の能力が高い子は、先にそちらが発達するようで、
数学的な理解力はゆっくり発達することがよくあるんです。
ただ、それはどっちが先に発達するかや、能力の個性の問題で
時期がくると、そうしたちんぷんかんぷんだった子も
それを取り戻すように数学的な遊びに熱中します。
ただそのようにバランスがとれない子もいます。
それはお母さんや他の教室が、そのときすぐに
子どもの能力への評価をくだしがちな場合です。
子どもはたちまち「大人の思い」を吸収して
「できない自分」を信じ込みます。そして時期がきても、その課題を避けようとします。
ただ、7歳を過ぎた子には、評価も適度に必要です。
自分で自分を振り返り、修正していく力が育ってきているからです。
幼児期の神から直に何を次にするべきか指令を受けているような
無意識的な学び方から、
「自分」を中心にした学び方に変化するからです。
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これは前述の通り、
幼児期の生命が危うかったために伝えられた言葉でしょうが、
幼児を神様として、大人とは一線を引いて扱っていたことは
別の意味でも重要なことだったように思います。
モンテッソーリにしても、フレーベルににしても、シュタイナーにしても、
世界の幼児教育家と呼ばれる方々は、
自分の方法論に子どもを当てはめて教育しようとしたのではなくて、
幼児期という「人間の本能」とか「内的衝動」とか
「生まれながらのプログラム」といった
子どもが子どもであるゆえに、
内在する潜在的能力や、自然や宇宙と密につながっている状態であることを
教育法の中心にすえています。
7つまでの子の「神の性質」とでも呼べるようなものにあわせた教育を展開しているといえるのです。
神なんていうとオーバーかもしれませんが、
大人が左脳やエゴで判断し操作しようとする教育のあり方は、
7つを迎えて、小学校で学んでいる子たちにのみ有効なことなのです。
幼児期は、自発的活動を洗練させていく時期、
感情を通してさまざまな体験を消化する時期、
脳が欲することに熱中する時期、
好奇心を大きく広げる時期、
五感を通して芸術、
知識などの美しさを感じとる時期
つまり、右脳を通して世界や宇宙と交流し続けている時期と言えるのです。
子どもは系統的な左脳の学習をしないでも、自分で自分に必要な文法の整理などを自然におこないながら、
(どんな教えべたな親のもとにそだっても)
きちんと母国語を身につけることができますよね。
★フレーベルの恩物
にしても
モンテッソーリの秩序感にしても、
子どもの内部には宇宙の構造の縮図があり、それが成長とともに展開されてくることを前提としているように感じるんですよ。
そのように「神」に近い存在である子どもの能力を最大限に高めていくために必須の要素は、
チル大のゆっかりんさんが「近頃、育児が楽しいぞ♪」 というブログで記事にしていらした★「評価を急がない」ということなのだと思います。
幼児期に「評価」という形で
子どもと関わらないようにするだけで、
「神」のようでも「自然そのもの」でもある子どもは、
自分で自分の成長のバランスをとっていき、
苦手なことは繰り返しチャレンジし、
できなかったことは時期がくると集中的に熱中します。
4歳になったばかりのグループのレッスンをしていると、ひとりの子は
数がよくわかっているけれど、ひとりの子はちんぷんかんぷん
という場合があります。
教室で観察していると
言語理解の能力が高い子は、先にそちらが発達するようで、
数学的な理解力はゆっくり発達することがよくあるんです。
ただ、それはどっちが先に発達するかや、能力の個性の問題で
時期がくると、そうしたちんぷんかんぷんだった子も
それを取り戻すように数学的な遊びに熱中します。
ただそのようにバランスがとれない子もいます。
それはお母さんや他の教室が、そのときすぐに
子どもの能力への評価をくだしがちな場合です。
子どもはたちまち「大人の思い」を吸収して
「できない自分」を信じ込みます。そして時期がきても、その課題を避けようとします。
ただ、7歳を過ぎた子には、評価も適度に必要です。
自分で自分を振り返り、修正していく力が育ってきているからです。
幼児期の神から直に何を次にするべきか指令を受けているような
無意識的な学び方から、
「自分」を中心にした学び方に変化するからです。
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ちょっぴり怪しげな右脳の本などには、
人はこれまで生きた人々のすべての知識の蓄積とつながりがあって、
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……
と うたっている本があります。
昨日書いたスピリチュアルの記事の新しい世界観、物質観に基づいて解釈すると、
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……は、
ある意味、真実ともいえるし、
かなりの誇大な解釈ともいえるでしょう。
この右脳を通してアクセスできる……というのは、本当にできたところで、
人がインターネットできる状態のパソコンを所有しているのと
同じようなものです。
確かに、そうしたパソコンを所有している人は、
いつでもこの膨大なインターネットの情報にアクセスできます。
でもパソコンを持っていて、いつでも膨大な情報とつながる可能性があるから、
そのひとたちはみんな天才!!とは言いがたいですよね。
だからといって、インターネットの情報は
無意味で個人にとって利用価値がないともいえません。
不治の病にかかった人が、必死で、アクセスし続けたら、
その思いに引き寄せられるように、
病気を治すことができる異国の医師についての情報を手に入れるかもしれません。
しょっちゅうネットサーフィンをしながら、
自分の興味を暖めていたなら、
自分では知りえないほどの興味の対象の知識を持つようになるかもしれません。
インターネットと右脳が潜在意識や集合的無意識に蓄積された膨大な
情報を手に入れる方法は、ちょっと似ているな……と感じるのは、
天才と呼ばれる人々が世紀の発明品や著書のアイデアをひらめく瞬間が
本人の能力よりも、その思いや意志や願望やしょっちゅうアクセスしようとしていたか……にかかっているように見えることです。
古代のヨガの経典には、個人の心を活性化させて宇宙の力にする「方法」が書かれています。この方法……神通の達人は、他者の心や思考を知る力、すべての生き物の言葉を理解する方法、過去と未来を知る力、隠されている物や遠くにある物を知る力、前世を知る力などがあるそうです。
これらは、ヨーガの技法によって意識を拡張させていくものだそうで、
一歩間違うと、新興宗教の教祖さまのような人がそうした技法の一部を乱用してそうですね……。
この神通は、深い瞑想をおこなう現代人や、薬物を使って人の意識を探求しようとする研究者、また新しい世界の統一理論を模索する物理学者などによって
大真面目に再考されています。
「ありえる……」と……
↑の不思議さは怪しいイメージがつきまといますが、
人が集合的無意識の部分で過去や他の人々と相互につながっていることからすると
不思議でもなんでもなく、
パソコンでいうと、「検索」をかける方法をマスターしたり
ネットサーフィンのコツを身につけたりすることに近いものでしょう。
唯物論でもなく
唯心論でもなく
(どちらも極端で怪しげな解釈ですから)
新しい世界観では
物質も心も実在ではあるけれど、実在の根源ではありません。
そのどちらも共通の母体……
宇宙の量子真空が持つゼロ点エネルギー場から進化してきた
そうアーウ゛ィン・ラズローは断言します。
また次のようにも語っています。
心と量子真空が持つダンスによって、私たちは周囲にいる別の人の心ばかりか、
それを超えた宇宙とも結びついている。この結びつきは
現代の洞察では
人間の脳はその頭蓋骨の外にある世界の特性をもっと広く処理している。その情報には、電磁波の可視スペクトルと音波の可聴領域にある情報ばかりでなく、真空に基づくホロフィールドにおける波動電波も含まれる。
創造性……の話は?
これと深く関わるのですが、まだ出てきませんでしたね。
この続きはまた次回に書きますね。
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人はこれまで生きた人々のすべての知識の蓄積とつながりがあって、
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……
と うたっている本があります。
昨日書いたスピリチュアルの記事の新しい世界観、物質観に基づいて解釈すると、
右脳を通してそれらに、うまくアクセスできるようになると、
誰もが天才になれる……は、
ある意味、真実ともいえるし、
かなりの誇大な解釈ともいえるでしょう。
この右脳を通してアクセスできる……というのは、本当にできたところで、
人がインターネットできる状態のパソコンを所有しているのと
同じようなものです。
確かに、そうしたパソコンを所有している人は、
いつでもこの膨大なインターネットの情報にアクセスできます。
でもパソコンを持っていて、いつでも膨大な情報とつながる可能性があるから、
そのひとたちはみんな天才!!とは言いがたいですよね。
だからといって、インターネットの情報は
無意味で個人にとって利用価値がないともいえません。
不治の病にかかった人が、必死で、アクセスし続けたら、
その思いに引き寄せられるように、
病気を治すことができる異国の医師についての情報を手に入れるかもしれません。
しょっちゅうネットサーフィンをしながら、
自分の興味を暖めていたなら、
自分では知りえないほどの興味の対象の知識を持つようになるかもしれません。
インターネットと右脳が潜在意識や集合的無意識に蓄積された膨大な
情報を手に入れる方法は、ちょっと似ているな……と感じるのは、
天才と呼ばれる人々が世紀の発明品や著書のアイデアをひらめく瞬間が
本人の能力よりも、その思いや意志や願望やしょっちゅうアクセスしようとしていたか……にかかっているように見えることです。
古代のヨガの経典には、個人の心を活性化させて宇宙の力にする「方法」が書かれています。この方法……神通の達人は、他者の心や思考を知る力、すべての生き物の言葉を理解する方法、過去と未来を知る力、隠されている物や遠くにある物を知る力、前世を知る力などがあるそうです。
これらは、ヨーガの技法によって意識を拡張させていくものだそうで、
一歩間違うと、新興宗教の教祖さまのような人がそうした技法の一部を乱用してそうですね……。
この神通は、深い瞑想をおこなう現代人や、薬物を使って人の意識を探求しようとする研究者、また新しい世界の統一理論を模索する物理学者などによって
大真面目に再考されています。
「ありえる……」と……
↑の不思議さは怪しいイメージがつきまといますが、
人が集合的無意識の部分で過去や他の人々と相互につながっていることからすると
不思議でもなんでもなく、
パソコンでいうと、「検索」をかける方法をマスターしたり
ネットサーフィンのコツを身につけたりすることに近いものでしょう。
唯物論でもなく
唯心論でもなく
(どちらも極端で怪しげな解釈ですから)
新しい世界観では
物質も心も実在ではあるけれど、実在の根源ではありません。
そのどちらも共通の母体……
宇宙の量子真空が持つゼロ点エネルギー場から進化してきた
そうアーウ゛ィン・ラズローは断言します。
また次のようにも語っています。
心と量子真空が持つダンスによって、私たちは周囲にいる別の人の心ばかりか、
それを超えた宇宙とも結びついている。この結びつきは
現代の洞察では
人間の脳はその頭蓋骨の外にある世界の特性をもっと広く処理している。その情報には、電磁波の可視スペクトルと音波の可聴領域にある情報ばかりでなく、真空に基づくホロフィールドにおける波動電波も含まれる。
創造性……の話は?
これと深く関わるのですが、まだ出てきませんでしたね。
この続きはまた次回に書きますね。
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4歳になったとたん、それまで大好きだった
おままごとやお人形遊びよりボードゲームをしたがるようになった
4歳前半までの3人グループ。
お家では、おばあちゃんが困ってしまうほど、
神経衰弱にはまっているのだそう……。
簡単バージョンで
世界一周ゲームで遊んでいます。
ニコニコ笑顔がこぼれています。
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おままごとやお人形遊びよりボードゲームをしたがるようになった
4歳前半までの3人グループ。
お家では、おばあちゃんが困ってしまうほど、
神経衰弱にはまっているのだそう……。
簡単バージョンで
世界一周ゲームで遊んでいます。
ニコニコ笑顔がこぼれています。
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最後に算数パズルを解いて遊びました。
年長さんの★くんは、こうしたパズル初挑戦ですが、面白くてたまらなかったようで
どんどん解いていきます。
1年生の☆くんは、自分でどんどん解いていく算数パズルには魅力を感じず、
単調そうに見える繰り返しの学習をきちんとこなしていきたい
タイプの子でした。
お家で学習環境を整えるときに
こうした個性の差は良いヒントになります。
★くんには、いつでもこうした頭脳をいっぱいいっぱいまで使える
数学的な感性を育てるおもちゃを
身近においておいてあげると
いいですよね。
☆くんには、毎日規則正しい学習習慣がつくように
親が見守ってあげることが
大事だと思います。
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年長さんの★くんは、こうしたパズル初挑戦ですが、面白くてたまらなかったようで
どんどん解いていきます。
1年生の☆くんは、自分でどんどん解いていく算数パズルには魅力を感じず、
単調そうに見える繰り返しの学習をきちんとこなしていきたい
タイプの子でした。
お家で学習環境を整えるときに
こうした個性の差は良いヒントになります。
★くんには、いつでもこうした頭脳をいっぱいいっぱいまで使える
数学的な感性を育てるおもちゃを
身近においておいてあげると
いいですよね。
☆くんには、毎日規則正しい学習習慣がつくように
親が見守ってあげることが
大事だと思います。
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