学習の習慣付けやワークについて、賛否両論飛び交っていますが… 1
の続きです。
私が、学習の習慣付けを、あまり幼い頃からしない方がいいと考える理由を説明しますね。
一番の理由は、幼児期は自分の内部にある力、
外から得る情報に頼らず自分の知っていることで考える力、
自分の言葉で表現し、
自分の内側にあるものを限界まで引き出して物事にどっぷり関わる態度を身につける時期だと
幼児の成長していく姿を見ながら感じているからです。
子どもは科学者と同じやり方で学習する 1
子どもは科学者と同じやり方で学習する 2
の記事でも書いたのですが、幼児は大人とは異なる幼児特有の学習の仕方で
学んでいきます。
それは外から見るとでたらめに見えることをしていたとしても……
たとえば、前回紹介した2歳の★くんが、「楽器の弦にサイコロを放り投げてみたらどうなるだろう?」と試してみるような
ことだったとしても、「こうすれば、こうなる」という結果をインプットして、たくさんよく似た実験を繰り返し、
情報を集めて、統計を出して、正しい世界の因果マップを作る作業をしているといえます。
ここで、大人が一つの解答を与えて、
子どもがそれを鵜呑みにして学んでいく場合、確かに効率的だし、学習時間が短縮できます。
けれども、
肝心の幼児が脳を使いながら脳の機能を作り上げていく仕事が
おろそかになってしまうのではないでしょうか。
変なたとえなのですが、もし私たちが
まだ今の時代の科学の力で作ることができないような
「人間の子どものように自分で働きかけながら脳の中に因果マップを作って
創造的に自分で自分を作り上げていく人工知能を持ったロボット」
を開発したとしたら、
どうでしょう。
それは、自分でいろいろやってみて、学び方そのものを見つけだしたり、
自分で世界に働きかけて、そうした自分をメタな視点から眺めなおして
自分の内面から意欲や達成感、自立心といったものまで引き出していくことができる
最先端技術を駆使して作られた特別なロボットだとします。
でも、それを手にした人が、ロボット同士を、
「世界クイズ選手権」で競わそうとか、
「より素早く迷路を脱出する競技」で競わそうと考えて、
ロボットが世界に自分で働きかける期間に、
従来のパソコンにでもするように、外から教え込むことだけに反応するような
接し方を繰り返してしまったら、
どうなるでしょう。
優れたロボットですから、そうした方法は方法で
学習して身につけるでしょう。
ロボットが自分でやってみて、自分自身の機能を進歩させていくのを待つなんて、
非効率すぎるように見えるし、
従来の外から情報をインプットしていってその通りに動くロボットと
同じ方法で対応した方が、一時期は能力が上がっているように感じるかもしれないですから。
その結果、
宝の持ち腐れ……といったらよいのか、
この現在の科学的な技術では創り出すことができない
すばらしい機能を備えたロボットは、
どこにでもあるような旧式の機能のロボットやパソコンと同じ仕事しかできなくなるかもしれません。
今の例は、
ちょっと極端で、変なたとえですが、
「ハードの部分を作っている時期」と
「ソフトウェアを増やす時期」をいっしょくたにして
早く始めれば始めるほど、先に進めると考えるのは、
人間というのをあまりに単純に捉えすぎているように感じます。
パンのようなものでも、
イースト菌を膨らましている最中に、パン種をオーブンに放り込めば、
うまく作れないですよね。
植物にしても、南国の植物を購入してきて、朝顔と同じ育て方をしたのでは
枯れずに育つか怪しいものです。
人間の幼児は、パン種よりも、植物よりも、ロボットよりも
複雑です。
「人間の幼児がいったいどういうものなのか」「どのように発達するのか」
「順番を間違えたらいけないことはないか」
をよく理解した上で、
その自然に忠実に育てることが大切ではないでしょうか。
といっても、私は、
「幼児は遊ぶのが仕事なんだから、
幼児に文字や計算を教えるなんてとんでもない。
幼児に学習は必要ない」
とは考えていません。
幼児は学ぶことが好きだし、
実際、いろいろやってみることを通して、
記憶の仕方や考え方や学ぶ態度を身につけていくと
思っています。
ただ、ある程度大きくなった子や、大人とは、
学び方がずいぶんちがうと
感じています。
うまくいえないのですが、まず、
「現実世界についての学習を
五感を使って全力でしている」
とでも言ったらいいでしょうか。
幼児は、どんなワークの知識を学ぶより先に、
「リアルな現実の世界」を正確に把握しようとします。
そのためにモンテッソーリが「吸収する心」と呼んだ
貪欲なほどに世界を知ろうとする欲求を持っています。
そのあらわれは、
黙々と一対一対応に物を並べていったり、
同じことをしつこいほど繰り返して、そこから得るフィードバックから何かを学びとろうとする
2、3歳児の姿に見ることができます。
私が気をつけなくてはならないと思っているのは、
まだ現実の世界について学び終えていない子に、
外から大きな子向けの学び方を押しつけて
幼児の本能的な学びへの欲求を弱めたり
学び方を混乱させたりしてしまうことです。
次回に続きます。