虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

学習の習慣付けやワークについて、賛否両論飛び交っていますが… 2

2011-06-18 07:59:58 | 教育論 読者の方からのQ&A

学習の習慣付けやワークについて、賛否両論飛び交っていますが… 1
の続きです。


私が、学習の習慣付けを、あまり幼い頃からしない方がいいと考える理由を説明しますね。

一番の理由は、幼児期は自分の内部にある力、
外から得る情報に頼らず自分の知っていることで考える力、
自分の言葉で表現し、
自分の内側にあるものを限界まで引き出して物事にどっぷり関わる態度を身につける時期だと
幼児の成長していく姿を見ながら感じているからです。


子どもは科学者と同じやり方で学習する 1

子どもは科学者と同じやり方で学習する 2
の記事でも書いたのですが、幼児は大人とは異なる幼児特有の学習の仕方で
学んでいきます。

それは外から見るとでたらめに見えることをしていたとしても……
たとえば、前回紹介した2歳の★くんが、「楽器の弦にサイコロを放り投げてみたらどうなるだろう?」と試してみるような
ことだったとしても、「こうすれば、こうなる」という結果をインプットして、たくさんよく似た実験を繰り返し、
情報を集めて、統計を出して、正しい世界の因果マップを作る作業をしているといえます。

ここで、大人が一つの解答を与えて、
子どもがそれを鵜呑みにして学んでいく場合、確かに効率的だし、学習時間が短縮できます。

けれども、
肝心の幼児が脳を使いながら脳の機能を作り上げていく仕事が
おろそかになってしまうのではないでしょうか。


変なたとえなのですが、もし私たちが
まだ今の時代の科学の力で作ることができないような

「人間の子どものように自分で働きかけながら脳の中に因果マップを作って
創造的に自分で自分を作り上げていく人工知能を持ったロボット」

を開発したとしたら、
どうでしょう。


それは、自分でいろいろやってみて、学び方そのものを見つけだしたり、

自分で世界に働きかけて、そうした自分をメタな視点から眺めなおして

自分の内面から意欲や達成感、自立心といったものまで引き出していくことができる

最先端技術を駆使して作られた特別なロボットだとします。


でも、それを手にした人が、ロボット同士を、
「世界クイズ選手権」で競わそうとか、
「より素早く迷路を脱出する競技」で競わそうと考えて、

ロボットが世界に自分で働きかける期間に、

従来のパソコンにでもするように、外から教え込むことだけに反応するような

接し方を繰り返してしまったら、

どうなるでしょう。

優れたロボットですから、そうした方法は方法で
学習して身につけるでしょう。

ロボットが自分でやってみて、自分自身の機能を進歩させていくのを待つなんて、
非効率すぎるように見えるし、
従来の外から情報をインプットしていってその通りに動くロボットと
同じ方法で対応した方が、一時期は能力が上がっているように感じるかもしれないですから。

その結果、
宝の持ち腐れ……といったらよいのか、
この現在の科学的な技術では創り出すことができない
すばらしい機能を備えたロボットは、
どこにでもあるような旧式の機能のロボットやパソコンと同じ仕事しかできなくなるかもしれません。

今の例は、
ちょっと極端で、変なたとえですが、
「ハードの部分を作っている時期」と
「ソフトウェアを増やす時期」をいっしょくたにして

早く始めれば始めるほど、先に進めると考えるのは、
人間というのをあまりに単純に捉えすぎているように感じます。

パンのようなものでも、
イースト菌を膨らましている最中に、パン種をオーブンに放り込めば、
うまく作れないですよね。

植物にしても、南国の植物を購入してきて、朝顔と同じ育て方をしたのでは
枯れずに育つか怪しいものです。

人間の幼児は、パン種よりも、植物よりも、ロボットよりも
複雑です。

「人間の幼児がいったいどういうものなのか」「どのように発達するのか」
「順番を間違えたらいけないことはないか」
をよく理解した上で、
その自然に忠実に育てることが大切ではないでしょうか。


といっても、私は、
「幼児は遊ぶのが仕事なんだから、
幼児に文字や計算を教えるなんてとんでもない。
幼児に学習は必要ない」
とは考えていません。

幼児は学ぶことが好きだし、
実際、いろいろやってみることを通して、
記憶の仕方や考え方や学ぶ態度を身につけていくと
思っています。

ただ、ある程度大きくなった子や、大人とは、
学び方がずいぶんちがうと
感じています。

うまくいえないのですが、まず、
「現実世界についての学習を
五感を使って全力でしている」
とでも言ったらいいでしょうか。

幼児は、どんなワークの知識を学ぶより先に、

「リアルな現実の世界」を正確に把握しようとします。

そのためにモンテッソーリが「吸収する心」と呼んだ
貪欲なほどに世界を知ろうとする欲求を持っています。

そのあらわれは、
黙々と一対一対応に物を並べていったり、
同じことをしつこいほど繰り返して、そこから得るフィードバックから何かを学びとろうとする
2、3歳児の姿に見ることができます。

私が気をつけなくてはならないと思っているのは、
まだ現実の世界について学び終えていない子に、
外から大きな子向けの学び方を押しつけて

幼児の本能的な学びへの欲求を弱めたり
学び方を混乱させたりしてしまうことです。


次回に続きます。





割り込み(レッスン情報) By事務K

2011-06-18 03:13:16 | 連絡事項
再度登場~

お久しぶりで御座います。

さてさて、日帰りレッスンのご応募締め切りも差し迫って来ておりますね…
あの件数を纏めるのに何日かかるんだろう(´`;)

などと思ってはいるものの、楽しんでもおります。
事務仕事は嫌いじゃないですし、乱雑な状況が綺麗な形に
整理されていく感じが堪らないです(笑)

日帰りレッスンの準備も始めるのですが、
来週からですね…お泊りイベント第1弾☆

ユースホステル並びにレッスン参加者様にお願いが御座います。
私の連絡不足なのですが、持ち物の中に『エプロン』を
入れて頂きたいのです。

時折、レッスンの様子が写真にて紹介されておりますが
その際に服を汚すような場合が無いとは言えないのです。

今回はお泊りということも御座いますから、お持ちであればエプロンを…
無ければ汚れても良い洋服を持参若しくは着て来て頂きたいのです。


以上がご連絡です。
以下、事務Kの独り言です。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

最近、このお仕事のお手伝いもさることながら、
沢山の方に会う事が増えて参りました。

忘れたいかん事も日常生活の中で沢山入ってくるように
なりました。

まぁ、別に紙の日記に書けば良いんですけどね…
ブログ開設しましたm(_ _)m

こちらと連携が取る形になったらベストですね~
さぁ、どうしていくかなぁ…と

真夜中、そろそろ思考が停止してきましたので
この辺でさよ~な~ら~(-∀-)ゞ

2歳児のめちゃくちゃさと いたずらを どう受け止める? 2

2011-06-17 21:30:46 | 幼児教育の基本

ドールハウスで遊びたがったかと思うと、「いっぱい、いっぱい」と言って
ハムスターをわんさかつっこみ始めました。
2歳代の子の遊びは、まだこんな風にでたらめですが、
全くでたらめというわけではありません。

「いっぱい」「たくさん」「おおい~」「たかいたかい」といった言葉を使いながら、
量を体感したり、
「多い」と「少ない」などの対になる言葉を理解したりすることへの熱心さが、
こうした遊びの楽しさにつながっているのです。

いっしょに「いっぱい、いっぱいね」と言って遊んであげると、
「すごくいっぱい」「少し」「ひとつだけ」などの違いを学んでいきます。

ひとりひとりの人形を椅子に座らせていったり、ひとりにひとつ帽子をかぶせたり、
ひとりひとりに切符を配ったりするのをとても喜びます。




2歳の子は、見立てて遊んだり、
物の作り方を学びながら遊ぶのも喜びます。
簡単なものとはいえ、社会の仕組みにも
関心を寄せ始めます。

写真のように簡単なレジを作ったり、
レシートが出てくる部分を作ったりすると、
想像力を働かせて遊びながら、
自分にも作れそうな物の作り方について学びます。

2歳代の子に作ってあげるおもちゃは、
「偶然、ブロックをはめていくと、それらしいものができちゃった」ということが
起こるような作品がいいと思っています。
こうした工夫は、子どもに自信と作る楽しみを与えてくれます。






学習の習慣付けやワークについて、賛否両論飛び交っていますが… 1

2011-06-17 14:47:22 | 教育論 読者の方からのQ&A

学習の習慣付けについての過去記事に、
次のようなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日、学習塾的なところの見学に行ってきました。PISAや新しい学習要綱の話など、よく説明していただきましたが、結局は、毎日の学習習慣が大切、そして習慣というのは、それをしないと違和感を感じる歯磨きのようなものというお話でした。

そこで、ふと疑問がわいたのが、学習習慣って、本当に必要なのかなぁということです。プリントしないと気持ちが悪いという状況が子供にとって自然なことなのかどうか。。。

大学で教えている夫は、「昔、ちゃんと手を動かして計算をしていた子たちと、今の子たちとでは、違う!やっぱりゆとり教育には問題がある!ドリルなどは必要だ」と言います。

「手を動かすことが大事」というのは、自分でも実感として分かります。分かったようなつもりでいても、いくつか問題を解くと、あれ?と思うことがあって、そこで発見するものも多いからです。たくさん解くのが面倒だから、効率のよい方法や飽きない方法を考えてみたりとか、違う発見もあります。

でも、それと、プリント学習を習慣としてやって積み上げていくこととは違う気がして。。

そうは言っても、何もやらなければ、手を動かすこともないわけで。。。プリント学習やドリルなんて、子供たちは、宿題だったり、毎日のノルマが決まっていなければやらないような気がするんです。

「しょうがないなー、やるしかないかー、どうせやるなら面白くやろう」みたいな楽しみ方、昔はしていた気がするんですが。。。今、自分の子に家庭学習させようとすると、そういうたくましさ(?)がない気がして。。

なんだかうまく言えませんが、そういう観点、ほかで探してもなかなかなくて、なおみ先生にならわかっていただけるような気がして、書かせていただいてしまいました。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

上のコメントをいただいた過去記事は↓です。


早期教育や、幼児期に「毎日の学習の習慣づけをする」ことや、
「ワークをさせる」ことについて賛否両論がありますよね。

「幼児期から机に座る習慣を~」
「毎日ワークをさせて、学ぶ意欲のある子に~」
「はじめは内発的動機で学習して欲しいので、学習を義務にさせたくない」
などいろんな意見を見聞きすると、それぞれに一理ある訳で、
最終的に、
「それなら、自分の子はそれぞれの親が正しいと思ったことすればいいんじゃない?」と、いうちょっとひっかかるまとめ方で、
議論が終わってしまうことも多々あります。

私の中では、もやもや~っと言葉にしずらいものが残っていて、
わが子たちや知人とは何度となくこの話題をぶりかえしています。

すると息子が、こんなことを言いました。
「小学校の算数って、
易しくしようと思って感覚的な説明だけで終わらせているから、
わからなくなったとき、その根拠になっているものに戻れないから、
かえって難しいんだよね。
それって、『青空学園数学科』っていうホームページの解説で取り上げられていた話なんだけどさ。

幼児用ワークにしても、感覚的な訓練が多いんで、
それを学習と思い込んでしまうところに問題があるんじゃないかな?
根本に戻ればどの問題にも応用できるという基本をつかみかねてしまうから。」


「青空学園数学科」のHPって、これまでも
しょっちゅう息子の話題には出ていて、「~の問題、面白いから解いてみ~。」と言われていたのですが、忙しいのを理由に軽くスルーしていたんです。
息子の話に興味を惹かれて、読んでみると、確かに面白い。
(数学の問題は私には難しい~)

息子が話題にしていた部分を簡単にまとめさせていただくと……
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学校の「算数」も、
中学・高校~専門的な現代の数学も,数学として高い統一性がいるとのこと。「初等数学」は、人間の土台。
現代日本の問題は,初等数学の意義と内容が定まっていないこと。
根拠を示すべきところを感覚的な説明に置きかえ,そうすることがわかりやすくすることだと思いちがいをしている。
それでは,わからないときにたちかえる土台がなくなり,考える力が育たず、ますます分数や関数のわからない生徒を増やしている.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうそう!
と頷くことしきり……。
私が幼児用ワークを学習習慣にしている子に感じる問題は、

この「わからないときたちかえる土台」がないまま
感覚的な説明だけで満足して、先へ先へと進んでしまうことにあるんだな……
と気づきました。

この例は感覚的訓練の話とはずれるのですが、

子どもが磁石で遊んでいるとき、
私が「紙も磁石に引っ付くよ」と言ったとすると、
子どもは、自分で紙を引っ付けてみて、
「うそ!つかないよ」と言います。

でもワークだけで「○○は磁石につきます」と習ってしまうと、
その内容にかかわらず「そうか~」と納得することでしょう。

正誤を確かめたり、いろいろ試したりする
根っこの部分に触れないまま、ただ「与えられる覚える」を繰り返すと、
平気で思考停止したまま学んでいく
習慣がついてしまいますよね。

本来、「どうして?」「なぜ?」と問いだすとしつこいのが幼児なのですが、
とてもあっさりと大人の言うままに納得してしまう子が増えています。

世の中、情報が多いので、

知識をどんどん増やすことには熱心で、

ひとつひとつの知識の根本を理解して、応用できるようにすることは、
おろそかになりがちですよね。

この知識の根となる部分って、幼児期の体験の中で身についてくると感じています。
分ける、比べる、減らす、増やす、並べる、数える、見えない数を推理するなど。

子どもって、年齢が上るにつれて、それまでと同じことをしていても論理的に考えながらするようになってきます。
先日も、新1年生になる男の子が、
ポケモンのチップとサイコロを2回振って戦うゲームをしているときに、
1回目のサイコロの目を見て、
「次にぼくが最高の数の6が出て、☆ちゃんが1だったとしても、ぼくの数の方が少ない(チップの数も加算します)から負けだ」
と、
言い出しました。
これまで、そうした考え方を教えたことがないのですが、
数の操作の根本がわかっていると、子どもは自ら考えを発展させていくのですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


<学習の習慣付けについて>

「学習の習慣付けが必要かどうか」というと、
イメージの世界でだけ考えると、「必要に決まっている」と感じる方が多いことでしょう。
学習に基礎が大事なのは当たり前の事実。

でも現実の子どもたちと接していると、
そう簡単に○×つけられる問題ではないことがわかります。

大阪にお住まいの親御さんは習い事が好きな方が多くて、
ずいぶん前から、
多量のプリントをこなさせて学習習慣を身につけさせる教室が大盛況なのですが、
そのおかげで大阪の子の成績が劇的に伸びたなんて話は
聞いたことがないのです。
また、進学塾に学習習慣をつけるために
小学校の低学年や中学年から行かせると、
高学年になって入ってきた子にぬかされるという話もよく聞きます。
学習習慣をつけるつもりが、早い時期の「燃え尽き」の原因になることが
多いからのようです。

虹色教室で、幼いころから学習の習慣付けをしている子と接すると、
「やったことがある問題はするけど、
簡単なものでもやったことがないものは
考えてみようともしない」
「やれといわれたことはするけど、自発性や意欲が
年相応に育っていない」
という問題を抱えていることがよくあります。

私は、学習の習慣付けは、あまり幼い頃からしない方が
いいと考えています。

小学生には、学習習慣が大事になってくるでしょうが、
子どもの責任感や義務感や自発性をつぶしてしまわないように
子どもの個性やキャパシティーに合わせて

何をどれくらいするのが適切なのか、いつするのか、
子どもとよく話あって決める必要があると思っています。


次回に続きます。


2歳児のめちゃくちゃさと いたずらを どう受け止める? 1

2011-06-17 12:35:48 | 幼児教育の基本

2歳児って、「それはダメよ」と注意しなくてはならない悪さをたくさんするもの。

どこからどこまで許されて、何がダメなのか学んでいる時期ですから、
ダメなものは「ダメ」と教えていかなくてはいけませんが、

同時に、「それを試してみたかった気持ち」
「自分で考えたんだよという思い」「芽生えつつある知恵」をしっかり受け止めてあげることも
大事だと感じています。


2歳7カ月の★くんのレッスンで、
★くんは、イージーチターというハープの一種が気に入って、
自分で棚から出してきました。

最初は指示通り弦をはじいていましたが、
少しすると、サイコロを取ってきて、イージーチターの弦の上に落しました。

私は、「ダメよ。それは大事な楽器だから、サイコロを落としてはダメ」と言ってから、
「サイコロを落とすとポーンと跳ねるか試してみたかったの?」とたずねました。
★くんは、こっくりして、「ポンポン、はねるのしたい」と言いました。

「★くん、楽器にサイコロを落とすのはダメだけど、
サイコロを持ってきて、いいこと考えたんだね。いいこと思いついたね。」と言うと、
うれしそうでした。


それで、小さなトランポリンを取りだして、サイコロを落として遊ぶことにしました。
サイコロがトランポリンをはねてコロンと転がるたびに、「5!」「3!」と
数字を読んであげていると、
★くんは楽しくてたまらない様子で何十回も繰り返しました。
でたらめですが、自分でも、「4!」「5!」とサイコロの目を読んでいるふりをします。

しまいに、トランポリンの上にそっとサイコロを乗せて、自分の出したい目に調節するように
なってきました。
★くんは、2歳半ばで、数や量の多少、サイズの大小に
興味を持ち始める時期です。

でも、★くんがこのサイコロ遊びにここまで熱心に関わっていたのは、
この時期の子がサイコロを好むからというより、
自分で思いついた「ダメ」と言われることを、
別の形で受け止めてもらって、「自分の思いつき」というものを大事にしてもらえたからでも
あります。

「ダメ」のひとことで終わったり、
大人が良いと思うものを無理やり押し付けられたのでは、
こうした強い好奇心は生まれにくいです。



イージーチターの弦を乱暴に扱うので、
ここでも、「大事な楽器よ。バンバンたたいたら、壊れちゃうわ。それに、指が痛くなるわよ。」と注意して、
その一方で、
「はじくと音が出て面白いね。音が出るのが楽しいのね。
自分で、ポロンポロン音がでる楽器を作ってみる?」とたずねました。
★くんは納得して、楽器を作りたがりました。
紙コップに輪ゴムをかけただけの楽器です。


こんな風に書くと
対応次第で、2歳児はみんな聞き分けが良いように見えますが、
そう簡単ではありません。
子どもの気質も発達の段階も千差万別ですから、
その都度、臨機応変に対応していくことが大事なのです。

また、どの子にも「ダメ」と注意すればいいわけではありません。
「ダメ」という言葉を使うと
火に油を注ぐような騒ぎになっちゃう子もいますから。


★くんにしても、これまで相当なやんちゃさんで、
ようやく前回のレッスンあたりから、大人と交渉しながら、
ダメなことは何で、どんなことなら許されるのか
理解できるようになったばかりなのです。


次回に続きます。


『想像の自由 と 現実の不自由』  ピタゴラ装置の話 2

2011-06-16 18:43:04 | 日々思うこと 雑感
今日は義母の退院日。病院までダンナといっしょにお迎えに行って、介護タクシーに乗って義母宅まで送り届けてきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回の話の続きです。

我が家で起こった小さな事件についても話しますね。
夕方の小学生のレッスン中、
教室のガラス戸に何かがぶつかった大きな音が響きました。

少しすると、ガラッと戸が開いて、3、40代の男性が顔をのぞかせて、
「すいません、キャッチボールしていました」と、さらっと言ったかと思うと、
男性は引っ込みました。

次に小学校中学年くらいの男の子が、含み笑いをしているような表情で顔を出し、
「すいませんでしたぁ~キャッチボールしててあたりましたぁ~」と明るく軽い口調で言ったかと思うと、
男の子も引っ込んで、そのまま先に戻り始めた男性を追いかけるように帰っていきました。

ちょうど、生徒の親御さんたちがお迎えにみえている最中で、
「かなりの衝撃音でしたけど、ガラスは大丈夫ですか?」と心配しておられました。

教室のガラス戸は強化ガラスなので、傷もひびも残りませんでしたし、
きちんと謝ってくださったわけだし、
男の子にしても、バツの悪さや戸惑いから、
含み笑いをしているような表情になっていたのかもしれませんから、
悪く取る必要はないのかも……。

でも、私の心の中には、レンタルショップで見かけた光景同様
何かもやもやと
引っかかるものが残りました。
「もっと、ていねいに謝るべきだ」と腹を立てていたのとは
ちょっとちがいます。

男の子が、ガラスが割れそうになったことに、びっくりしたり、シュンとしたり、
こちらの返答をうかがったりすることもなく、
まるでマニュアルを遂行するかのように
「とりあえず謝ればそれでよし」という様子で、
「すいませんでしたぁ~キャッチボールしててあたりましたぁ~」と軽く言い放って去っていったことに、
父親らしい人の気持ちの入っていない物言い以上に
引っかかるものを感じていたのです。

何が、引っかかっているのんだろう?
と、自分でもよくわかりませんでした。

私までが、現実からかい離して、どんな感情を感じて、どう考えたらよいのか
わからなくなってしまったような奇妙な感覚にとらわれていたのです。

それは以前、

バーチャル世界のような現実の世界

バーチャル世界のような現実の世界 2


の記事に書いた
「現実感の乏しさ」というか、
「出来事が感情の表面だけをかすっていくこと」への違和感に近いものかもしれません。



ピタゴラ装置の制作者たちは、ビー玉ひとつ自由にできない「現実の不自由」と格闘し、
とことん向き合って、
最終的に見る人々に、想像した通り、想像する以上に
自由にらくらくと現実が展開していく世界を、見る人の享受してもらうことに
成功しました。

おかげで、ピタゴラスイッチの放送やDVDを見る大人も子どもも、
めんどくささも、困惑も、混乱も、できるだろうかという不安と戦うこともなく、
手間も、時間もかけずに、
連鎖反応が次々引き起こされていく胸が躍るような映像を楽しむことができます。

それで気分がスカッとしたり、スキッとしたり、
わかったような気持ちになったりできます。

私の心に引っかかっていたこと、もやもやと
くすぶっていたものの正体は、
もしかして……


わざわざ不自由と格闘しなくてはならない「現実」って必要なの?

飽き飽きしたり物足りないことはあっても、
「想像の自由」は人を傷つけないし、苦しませないし、困らせないのだから、
それだけでいいんじゃないの?
何が悪いの?

そんな疑問を、つきつけられているように
感じていることなのかもしれません。

なぜ、そんな風に感じるのか、わかりにくいですよね。

河合隼雄氏が、子育てについて次のように語っておられました。

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どんな楽しいことでも、それが深いものであればあるだけ、苦しみによって
裏打ちされているのである。
苦しまずに楽しみを得ようよする人は、ものを
すべてタダで得ようとするようなものです。
作家の遠藤周作氏は、小説を書くというのは「くるたのしい」仕事ですと言われた。
苦しみと楽しみがあるところに、その味の深さがある。
幼児教育も本気にやるかぎり、「くるたのしい」のではなかろうか。

       (『子どもと学校』  河合隼雄  岩波新書)
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「くるたのしい」は、不自由な現実の世界にしかないもので、
日々の現実を自分の感情でしっかり感じ取って、
リアルな子どもの姿をきちんと受け止めないと味わえないものだと思います。

「子どもと過ごすとき、手持ちぶたさの空白時間があると嫌だから、
保険のためにDVDを準備しておこう」とか、

「揉め事や嫌だから、さっさと謝って逃げるが勝ち」とか、

「子どもをけんかさせたくないから、
遊びを制限する、習い事の時間を増やす」とか、

「自由研究で悩みたくないから、できあがっているキットを買ってくる」とか、

「子どもに、できるだけ苦労させずに、効率的に知識が身に着くように配慮する」とか、

「くるたのしい」事態を避けて、
何でもうまくいってて、コントロールできていて、「楽しい」「楽ちん」だけが
持続するようにしようと思えばできてしまう世の中です。

好んで苦労するよう勧めているわけではないのですが、
効率的に享受できる楽を求めるあまり、子どもたちからリアルな現実感覚を
奪い取ってしまってはいけないと感じています。

子どもたちが、

「現実って、みっともなくて、めんどうで、
時間の無駄が多くて、面白くなかったり、期待はずれだったり、
その日に完結しなかったりする。

やったけど、うまくいかなかったり、
うまくいくまでに、途方もなく時間と手間がかかったりする。

誰も先の保障をしてくれないし、褒めてももらえないかもしれない。
それでも、どっぷりつかってみて、自分で面白いって感じる感受性を作っていかなきゃ
ならないものだ。
でも、だから面白い!だからわくわくする。だからうまくいったとき感動する!」

と身を持って体感するのを邪魔しちゃいけない、と思っているのです。

それにはまず親が、子育ての「くるたのしい」現実を
じっくり味わってみなくちゃならない
のかもしれません。

現実って実際そういう不自由なものだから、
だからこそこんなに魅力的で、心から感動できることが
いっぱいあるのですから。



『想像の自由 と 現実の不自由』  ピタゴラ装置の話 1

2011-06-15 19:37:27 | 日々思うこと 雑感

小学2年生の子らのグループレッスンで。
『ピタゴラ装置②』の本にあった「放り出しカー」を作りました。

といっても、本にある材料とはほど遠い
ありあわせの材料で作るもんですから、思う通りに動くはずもなく、
失敗の連続で、位置を付け替えたり、
積み木の数を変えたり、もたもたもたもた……試行錯誤したあげく、
何とか、それっぽい動きが実現しました。
「やったー!」とピースサインをする子どもたち。



車から出たでっぱりが、シーソーの上の荷物を押して落とすと、
シーソーがでっぱりといっしょに台を斜めに押し上げて、
車の上の荷物を回転させて落とします。


本の図解にあったイメージでは、
「これは簡単にできそう!」だったのに、現実は厳しかったのです。

うまく積み木が落とせて、シーソーが上がっても、
力が弱くてでっぱりを押し上げることができないのです。
シーソーの材料の問題か、シーソーの長さの問題か、傾きを大きくすればいいのか、車の側を改良する必要があるのか……

うまくいくのかどうかすらわからない……やりなおしの作業の連続にめげず、
子どもたちは
がんばって作り続けていました。





『ピタゴラ装置』DVDブック ②  小学館

の最終ページに、
慶應義塾大学の佐藤雅彦教授の
<ビー玉は、ちっともうまく転がってくれない   想像の自由、現実の不自由>という文が
ありました。

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ピタゴラ装置が今や多少知られるようになったせいか、
最近webや雑誌で、「ピタゴラ装置とはゴールドバーグマシンの一種で云々」
というような解説風の文章をたまに見かけることがあります。

そのたびに、私は小さな違和感を覚えずにはいられません。
誰もが、そんなことを知る以前に、あのような連鎖する装置に近いものを子供の頃に
夢想したり、それが高じて、消しゴムや本など手近なものを
駆使して稚拙ながらも連鎖反応を試したりしたことがあったと思います。
その時の面白さに向かう気持ちには、濁りも余計な知識もありません。
ただただ、純粋に連鎖する動きを作って試してみたいだけです。

その生き生きとした所為に比べて、
それをゴールドバーグマシンの一種、と名前を持ち出し、あたかもそれに対して
理解がが済んでいるようなふるまいは、何かとてもつまらないことに思えて
しょうがありません。
(略)
それは誰もが持っている『言語化されていない面白さを素直に感じる能力』を
自ら放棄することにもなり、
世の中の文脈に依存した生き方に繋がってしまうと
感じるからです。

          (『ピタゴラ装置』DVDブック ②  小学館 より)

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あの映像からは微塵も感じられないのですが、
ピタゴラ装置制作チームは、
「ビー玉ひとつでさえ、思うように坂をのぼってくれない」という現実の不自由さを
ひしひしと味わったようです。

佐藤教授の言葉を借りると、
「そんな現実を乗り越え、勢いよく、不自由さをものともせず、物が無心につぎつぎ困難を
乗り越えていく想像を凌駕する力にあふれた映像」を生み出したのです。



この文を読みながら、私は、先日レンタルショップで見た気になる光景と、
我が家で起こった小さな事件について思い出していました。
話が脱線するのですが、ちょっとこの話を挟ませてくださいね。

レンタルビデオショップで見た光景というのは、次のようなものでした。
若いお母さんらしき方が、DVDの棚にかがみこんで、
「どれにするの?これは?」と何度かたずねながら、DVDに手を伸ばす横で、
幼稚園の年長さんくらいの女の子が、立ったままよそ見をしつつ、
「それで、いいんじゃないの?」と気のない返事を返していました。
お母さんの手にあったのは、テレビアニメのDVD。

女の子は、ちらっと一瞬、DVDの表の絵を見てから、「じゃあ、それにしたらぁ?」と
無関心なまま。
若いお母さんらしき人は、慣れた様子で、ビデオを借りる手続きを済ませて、
店を後にしました。

テレビで見れるアニメをレンタルショップで借りるのはいいとして、
子どもの側に「それが見たい!」「借りたい!」という
心の動きが少しも感じ取れなかったことや、そうした子どもの様子が
何の違和感もなく、母親らしき人に伝わっていること……その
ふわふわと浮遊するような移動の様子が、
どこでもごく当たり前に見かける親子の姿なだけに、
何となく心に引っかかっていました。



ひっぱりますが、次回に続きます。







4歳1カ月の子のレッスンから……考えるのが好きな子に寄り添う

2011-06-15 12:16:17 | 連絡事項
4歳1カ月の★くんは、言葉数は少なめですが、
考えることが好きな子です。
教室の科学の実験道具がしまってある箱を開けると、
ひとつを手にして遊び出すと、「こうだったらどうだろう?」「こうなったらどうなるの?」と
長い時間、夢中になって遊んでいます。

どんな遊びを準備してあげたらよいかは、
子どもと物の関わり方を見ると、ヒントが見つかります。

★くんの場合、
↓の写真のようなカレンダーを見たがって、平面から立体に変化するのを
何度もためして喜んだり、デザインとカレンダーの関係に興味を持ったりしていました。

(ここでは春夏秋冬で4つの家の中が
その季節の月の上に配置されていました。
100円グッズです。


★くんは、『イメージ キャプチャー』という金属の棒で立体を生み出す科学おもちゃや、
『MIRAGE』という3Dを浮かび上がらせる科学おもちゃにも、熱心に関わっていました。

そこで、
平面→立体
を体感して遊ぶために、折り紙遊びに誘いました。

易しい折り紙見本から、ロケットを選んで作ることに。
★くんが、1つ作ったところで、
私がサイズの違う折り紙でロケットを折りはじめると、
★くんも、「ぼくもいろんな大きさの折り紙で折りたい」と言って、
大小さまざまなロケットを作り始めました。

1センチごとにサイズの異なる折り紙がセットになったものが
100円ショップで手に入ります。

サイズの異なる折り紙で折ると、できあがりの作品は、もとのものに比べて
縮図や拡大図になります。
あたり前といえば、あたり前なのですが、
子どもはとても不思議がって喜びます。

ヨットを作った後で、「水に浮かべたいけど、無理だから」と言って、
★くん工夫して
青いポリひもで川を作りました。
船を動かしたかったけれど、動きません。
そこで、左右につけた水風船を重りにして、
ひっぱるひもをつけて動かすことに……。





「折った形が開くと立体になる」見本を作ってあげました。


風船に入った空気の重さを比べるてんびんも作りました。

★くんと、物作りをしていると、
自分で思いついたことを、試す時に一番うれしそうでした。
そこで、『飛行機・ロケット・船』の図鑑と
『大図解21世紀子ども百科』をいっしょに見ながら、作りたいと思うものを選んでもらうことにしました。

★くんが選んだのは、「ジェットエンジン」の内部の様子を描いた図。
どんな風に作ったらいいと思うかたずねると、
「プロペラがまわって、こんな風になって、こんな風で……」と一生懸命説明していました。

そこで、ペットボトルと、アイスの棒で
「ジェットエンジン」もどき? を作りました。

とてもよく回ります。ニコニコしながら、30回数えながらプロペラを回していました。

帰り際、★くんは、風船に長いひもをつけて、手に持って帰るといってききませんでした。
風船を放したとき、道路に転がると危ないから、袋に入れて帰ってもらいたかったのですが……。
どうしても、手で持っていたいと言い張る★くん。
そういえば、「これ、空を飛ぶかな?走ったら雲のところまで行くかな?」って
つうぶやきながら作っていたのでした。

お外で、それを飛ばすのを楽しみにしていたようなのです。
お母さんと、公園に行くまで風船とひもを手から離さない約束をして、真剣な表情で帰って行きました。


2歳児、3歳児と科学に親しむコツ

2011-06-15 08:23:17 | 理科 科学クラブ

夏の科学クラブの応募をしたところ、
2歳児、3歳児さんをお持ちの親御さんからの応募もあったため、
こうした幼い子たちとお家で科学に親しむコツを紹介することにしました。

2、3歳の子というのは、
身の回りの世界を素のまま……というか、そのまま、あるがままで感動したり、不思議に感じたりできるときです。


お外に出る時、
「太陽さん、いるかな? どこにいるかな? ポチのお家にいるのかな?
道路にいるかな? お空かな?」と子どもにたずねながら、
 「あっ、いたー!」と空を指さすと、
「太陽さんのお家は空にあるの?」と、太陽が空にあるのにはじめて気づいたような表情で
問い返してきたりします。

昼にお散歩に行くときに、「今は昼かな? 夜かな? どっちかな? 見に行こうか?」とたずねると、
真剣な表情で、こっくりするのも、この年代の子たち。

とにかくまじめに真剣に世界を眺めています。

「影が追いかけてくるよ。逃げよう。逃げよう」と、影を指さしながら逃げると、
ゲラゲラ笑いだすはずです。
「誰が地面を黒く塗ったの?」とたずねると、影を触りながら、
一生懸命考えます。

何でも、かんでも、どんなものにも、
興味しんしんに吸い寄せられるように接する時期なんです。




2歳児、3歳児とする実験は、次のようなものがいいと思っています。


■簡単で時間の経過や因果関係の理解に役立つもの

■冷たい 温かい すべすべ ざらざら 甘い 辛い など五感に訴えるもの

■自然を観察するとき、疑問を持ちながらしっかり眺める習慣をつけるためのもの

■物の性質の理解に役立つ実験

たとえば、


冷凍庫から、氷を一個取り出して、小皿に入れて置いておきます。
氷が解けていく様子は、
2、3歳の子たちに、驚きと喜びをもたらすはずです。


袋の中に「空気をつかまえちゃうよ」と言って
空気を閉じ込めます。
袋を押して、空気が出てくるだけで、子どもはさまざまなことを学びます。

セロファンを犬の形に切り抜いて
お散歩に行くと、
影の自分が、色がついたワンちゃんを連れてお散歩する様子が見ることができます。


水に、砂糖を少しずつ混ぜて、味の変化を調べてみる。

蟻の巣探し

風のある日に風車を持って出かける

紙のお人形を雨を集めたお風呂に入れてみる

など、楽しい実験はいろいろあります。
正しい答えを教えるのでなくて、
疑問を持つ喜びや自分の言葉で理由を考える楽しみを
子どもといっしょに共有します。

すると、何をするときも、ていねいに眺めて、時系列で捉えるようになってきます。
因果関係についてもしっかり理解するようになってきます。





夏休みの科学クラブ  日帰りレッスンの募集について

2011-06-14 13:55:02 | 連絡事項


夏休みの科学クラブの日帰りレッスン生の募集です。

1グループ4人くらいまで。参加を希望する方は、
コメント欄に希望の日時とお子さんの年齢を書いて、お申込みください。
(6月18日の夕方までで募集を締め切らせていただきます。)


7月20日(水)10時~12時 幼児

7月21日(木)10時~12時 幼児

7月22日(金)10時~12時 小学生以上



7月28日(木)10時~12時 幼児
 
7月29日(金)10時~12時 小学生以上

7月30日(土)10時~12時 幼児
 

7月31日(日)10時~12時 幼児


8月2日  (火)10時~12時 年齢自由