虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

1歳児の遊び方から見えてくる課題    (1歳1ヶ月★くんのレッスンから)

2011-06-14 12:42:09 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達
今日中に夏の日帰りレッスンの募集記事をアップしますね。


今日は1歳1カ月の★くんのレッスンでした。

★くんは、好奇心が強くて、機敏で利発な赤ちゃんです。
木製の積み木より、デュプロブロックのようなカラフルなおもちゃを好み、
動きがある、因果関係がはっきり目でみてわかるおもちゃや遊びに
強い関心を示していました。

一度失敗すると、次はミスしない方法でしようとする慎重で
記憶力が良い一面と、
大胆でチャレンジャーな一面がありました。

まだ幼いのではっきりしないけれど、好みや遊び方や興味の移り方から、
外向的直観の思考寄りの子ではないかと感じました。

やりたいことを自分で見つけ出して、やってみて、うまくいくと満面の笑みを浮かべて
笑います。
毎日、外遊びをたっぷりしていて、お家のなかではたっぷり探索活動をしているそうで、
そのおかげか、虹色教室のさまざまな道具にしても、
「こうすればこうなるんじゃないか」「こんな風に使えるんじゃないか」
「先生は、この道具をこんな風に使っているな」ということが、
よくわかっているようでした。

「上の穴から動物の形の板を入れて、
扉を開けて取り出す」
というおもちゃにしても、一度やってみせると、
たちまち同じように真似て、動物の形の板を穴に入れようとし、
「扉を開けるとさっきのが出てくるんでしょ?」とでも言いたげな様子で、扉を指さして、
こちらの表情をうかがっていました。

カギを入れて回す知育玩具や、レジ、ショッピングカートといった
おもちゃで熱心に遊んでいました。

★くんの遊び方から、今の★くんに必要なちょうどよい課題がいろいろ見えてきました。

★くんは、「つまんで、穴に入れる」という作業が好きなのですが、
横に長い口(ポストの投函口のような形)に入れるのは難しいようでした。
が、試行錯誤して、何とかしようとがんばっていました。

ですから、「つまんで入れる」課題をいろいろ用意してあげると、
集中して遊ぶだろうと思われました。

サイズや形を変えたり、たくさん用意する、など工夫すると
手と目の協応作業が上手になってくるはずです。

また、★くんは、
「ドアを開ける」「いないないばぁをする」など、
いったん見えなくなって、再び見つけるという推理する力を刺激する遊びを
喜んでいました。
カーテン、ハンカチ、箱……など、さまざまな素材で、
そうした遊びをすると、推理力が高まることでしょう。

★くんは、今、組んであるブロックを壊すのが楽しいようです。
塊をバラバラにしていく遊びを何度もすると、
指先にこめる力加減が洗練されてくるはずです。

ショッピングカートのおもちゃのような
大きなものを、腕で引いたり、方向転換させたりして、
操作するのも、今の一番のブームの模様。

身体全体と腕の力を存分に使う遊びがたくさんできるような
フォローが必要だと感じました。お家でしたら、
段ボール箱におもちゃを詰めて、押すのもいいですね。

何でも集中してしっかり見る時期なので、
お散歩しながら、水たまり、虫、葉っぱ、花、動物、小石などを、
じっくり観察させてあげることも大事です。因果関係に気付きはじめている時期ですから、
「ねこちゃん、トコトコトコトコ、あっちに行ったね。あっ、いないね。
ねこちゃん、いないね」とか、
「葉っぱ、落ちたよ。ひらひらひらひら、あっ、地面に落ちたね」とか、
指さしして、観察しながら、こうすればこうなる~を言葉にすると、
よく考えるようになります。

何でも教え過ぎず、
「どうなるのかな?」「どうしてかな?」という問いを共有していると、
自然と自分の言葉で考えるようになってきます。

「ありさん、てくてく歩いてるね。どこに行くのかな?」とか、
「お水をごくごく飲んだね。お水がなくなっちゃったね。どうしてかな? 不思議だねぇ」
といったおしゃべりを楽しんでいると、
上手におしゃべりができるようになってくると、自分なりの考えを聞かせてくれるので
面白いですよ。





算数が得意になる幼児の暮らし 1

2011-06-13 19:47:06 | 算数
(過去記事から)

幼児期、毎日のくらしのちょっとした工夫で、

算数大好き♪
算数が得意♪

という子になるコツを、いくつか紹介しますね。

算数が得意になるには、
「交換」に対するイメージが
とっても大事です。

中学生の関数の学習や方程式になっても、

ある点を別の言い方であらわしていく
ある数を別の言い方で言い換えていく

という交換のイメージがつかめているかが大事なんです。
もちろん、小学1年生の学習でも、小学校受験でも、
交換のイメージがきちっとつかめているかは、
重要課題です。

小学校受験の場合、きりんマーク1つ = 赤い丸2つ
         くまマーク1つ =赤い丸3つ

きりんマーク2つでは、赤い丸はいくつか
くまマーク3つでは赤い丸いくつか

といった問題を解く力が必要です。
小学生のくりあがりくりさがりでは、
1円10枚と10円ひとつを交換できることが
わかる力が必要。
もちろん高学年になっても、算数の難問は、
イメージを交換し続けていくことで解けていきます。

そんな大切な交換のイメージ……幼児期にたっぷり経験させてあげたいですね。

☆切符を買う

☆ガチャポンをする

☆自動販売機でジュースを買う

などは、普通の買い物より、交換がわかりやすい体験です。

また、コインやシールをいくつかためさせて、
何かと交換することを、生活の中で、ちょこちょこ増やすといいかもしれません。
大人の世界のクーポン感覚のものより、
遊び心がある楽しいものがいいです。

おりこうにしていると、宅配便が届いて、
3個ハンコを貯めたら、水遊びさせてあげるとか……

宅配便は、もちろんそこら辺にある空き箱です。

子どもは夢の世界に生きていますから、
あんまりリアルすぎる設定ではなく、
心が暖かくなるようなアイデアの中で、想像したり計算したりする
力が育ってきます。

子どもが開いている
ジュースやさんでジュースを3杯頼んで、
入れてもらったらキラキラした大きなコイン(折り紙製の巨大コイン)と交換というのもいいですね。

幼児教材等の大人の満足を想定したものは、
子どもの想像力を奪うことも多いと思います。

幼児は明るくて優しくて何でもできてしまう
不思議な世界に生きているので、
そうした世界に大人の方が入っていく必要があるのです。
そうすれば
たちまち算数も国語も理科も社会も、
子どもが自由に扱えるおもちゃになっていきます。

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次は、「順序」の感性を育てる方法です。

小学1年生の学習で、「前から○番目」「後ろから○番目」という概念を学習することを知っている方は多いと思います。
幼児用ワークなどで、それさえマスターさせておけば、
順序の問題は十分と考えてしまいがちです。

しかし、実際には、かけっこをしたとき、追い越し追い越されしたとき、
どのような順番になるか

階段で、あと何段のぼると、前の子と同じ段になるにか、

0から9までの数字を並び替えて、最も大きな数字を作る

など、順序にまつわる問題は何年生になっても続きます。

ですから、幼児期から、「並ぶ」とか「順序」の概念に
触れて楽しく遊んで、そうしたセンスを磨いておくことは大事です。

幼児が喜ぶ順序を体感する遊びは、

★ミニカーや人形を並べる

★運動会ごっこをして遊ぶ

★積み木を階段状に積んで人形を置いていく

などです。

子どもと遊ぶ時、お勉強色が強いと、考えずに
「はいはい」と丸覚えする癖がつきます。

感性を磨くには、ただ楽しくそうした経験を積めれば十分なんです。

病院ごっこで、待合室のお客さんを順番に呼ぶのも
楽しいし、

イスやざぶとんを並べて、バスごっこをするのも楽しいです。

ごっこ遊びに、人形も仲間に入れて、並んだり、順番を意識する遊びを取り入れるのです。

外出時に、並ぶことがあるときは、
できるだけそうした機会を楽しんで、
「まだかな?まだかな?」と子どもと、顔を見合わせて
「並ぶ」や「順序」にフォーカスして時間を過してみることも大事です。


はじめてアルゴカードで遊ぶときの、簡単ルール

2011-06-13 16:58:47 | 算数
アルゴカードは白と黒の2色のカードを使って遊びますが、
はじめて遊ぶときは、黒一色で遊んでいます。

<はじめて遊ぶ子もできる簡単ルール>


4枚ずつカードを配ります。

右から小さい数順に裏返して並べます。

子どもはどちらが小さい数だったのか混乱するので、
小さい数の方にチップを置いて目印にしています。


カードは1~11までの数が1枚ずつしかないことを説明します。

順番に、
真ん中に置いている余ったカードの山から1枚とって、
それを見て、自分のカードも見て、相手のカードを当てます。



当てるとき、真ん中からとったカードを、当てたいカードの手前に置いて
数を言います。



当たると、もう一度、別のカードを当てることができます。
もう一枚当てずに、裏返したまま自分のカードの列に、めくったカードをもどすこともできます。

このあたりのルールは、アルゴの正式な遊び方の図を見ないと、
言葉だけではわかりにくいかもしれませんね。

もし、まちがった数字を言ってしまったら、山からとったカードを
写真のように表にして自分のカードの列にもどします。

表になっているカードは当てるときのヒントになります。

幼児とはじめて遊ぶ場合、
「カードの数を1~6までにする」
「ルールの数を減らす」など
子どもの理解のレベルに合わせて調節してくださいね。

推理力がつきますよ。

恐竜の模型作り

2011-06-13 16:31:57 | 幼児教育の基本

小1の★くんと、恐竜の模型作りをしました。
はりがねと段ボールで芯を作って、
ねんど(今回は木粉ねんどを使いましたが、石工ねんどがいいと思います)を
少しずつつけていきます。

模型の作り方は、恐竜学ノートという造形作家の荒木一成氏の本を参考にしました。








できあがり♪
お家で乾かしてから色を塗るそうです。

もやもやした憂鬱な気分 と 生きる力  3

2011-06-13 07:49:54 | 日々思うこと 雑感
今日の記事は、私の心の記録みたいなもので、読みづらい部分もあるので、忙しい方はスルーしてくださいね。
今日中に、レッスン記事か、少し軽い記事をもう一記事アップする予定です。


ブログで記事を書いていると、
ちょっとしたジレンマに陥るときがあります。

言葉って難しいです。

伝えたいことが、伝えたい人々にちょうどいい程度に伝わるなんてことは
まれで、ひとつ書けば、そこに新たな疑問や誤解が生まれ、
それを解決すれば、またそこにくわしい説明の必要な問題が生じます。

たとえば、子どもが自由に動けなくなるほど
干渉しすぎてしまう方に会うことがたびたびあって、
それに対する気がかりを言葉にすると、
それをしっかり受け止めてくれる方というのは、
「もうちょっと干渉したり、厳しくしてもいいかも」という
子育てが甘めの方だったり……。

そこで、きちんと叱るべきときは叱ることの必要性を言葉にすると、
それが心に響く方は、
「もうちょっと大目に見る場面が多くてもいいかな」と感じるしつけが厳しい方だったり……。

それでも「終わりよければすべてよし」じゃないですけど、

親子だけで密着したカプセルに入ってしまわず、

ああでもない、こうでもない……と目の前の子どもを見ながら、
外の意見も適度に取り入れて、
自分の頭と手を使って試行錯誤しながら子育てしている方の子育ては、

最終的には、どんな子育てマニュアルより「わが子仕様のベストの方法なんだな」と感じます。


その過程で心が揺れたり、失敗したり、大きな壁にぶつかったりして、

「子育てって、マニュアルも正しい解答もないないんだ、
でも解くことを放棄することもできないんだ」

って事実に足元をすくわれそうになっても、

それでも何とか態勢をとりなおして、
自分らしい楽な姿勢で歩いていけるようになったら、結果オーライなんでしょう。



そんなことを考えたのは、先日、読んでいた本の影響があります。


『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』 檜垣立哉  NHK出版

という一般人向けの易しい哲学書です。

何となくパラパラと読み進むうちに、

ドゥルーズの「解けない問い」に対するポジティブな捉え方に共感して、

ここのところもやもやとくすぶっていた気持ちがすっきり晴れて
勇気がわいてきました。

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ドゥルーズは徹底してポジティブに解けない問いに立ち向かう。

解けないことに直面するこの時代において、ドゥルーズは、現象学のように、
失われた基盤を回復させることはしない。そしてデリダのように、
現在の不可能性をバネにして、到りえない彼方を語ることもしない。

ドゥールズにおいて未決定性とは、新たなものの産出を語るための、
ポジティブなテーマである。
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……ドゥールズは完全に生命系である。

あくまでも唯物的で、彼方の真理も想定せず、無限の流れに内在しながら多様な接合をとげつづける
生命のあり方が、そこでのモデルをなしている。

ドゥルーズは、この世界の解けなさを、未決定的なポテンシャリティー(潜在力)であると
捉えるが、
それは、いつも新たなものの産出をあらわにするためである。

            (『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』 檜垣立哉  NHK出版)
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私が、ドゥルーズを読んだのは、
子どもの頃から「創造的進化」とか「自己組織化」の話題が大好きで、
そうした関連本を集めているからです。

が、今回は全く別の意味で、強く心に響いてくるものがありました。

この著書の内容からかけ離れているのですが、

子育てや教育について、
関われば関わるほど、新たな
ややこしい問題が立ち現われてくる現状に直面している今、


このドゥルーズのポジティブな捉え方に、
ふっと救われる心地がしたのです。

「人間を相手にしていると、子育てにしても、教育関係の仕事にしても、
次から次へと解くことができないような問題が
生じてくる。

ある一部分に注目すれば、そこから無数の新しい疑問が湧いてくるし、
ひとつの問題を解決すれば、それは次の数えきれないような別の問題につながっている。

でも、そうした解けない状態はそれ自体が、
潜在しているものの大きさや深さを表してもいて、
だからこそ、いつもそこから新しいものが生まれてくるとも言えるだな」

と妙に納得したのです。


私自身が、うまくいかない状態にぶつかるのも、
そこでいったんもやもやとくすぶった気持ちを抱えるのも、
あまり嫌な気がしないのは、

ドゥルーズと同様に解けない問いに向かうときに、
「問題とは解かれるものではなく、創造されるべきもの」と捉えていたからなんだなと気づきました。


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一般的には、問題とは解かれるべきものだろう。
そうした発想は、問題の設定が、真偽という枠組みに深くかかわっていることを
示している。
しかしドゥルーズは、問題が真偽という枠組みにかかわるのは、
社会的・教育的な偏見にすぎないという。

問題を与える教師がいて、つまりは真偽とは何かが
明確にされうる場面があって、そこで問題が与えられるという構図が、
この発想では前提とされている。

だが、こうした構図は、この世界のリアルさを考えるならば、ほとんど戯画的なもの
ではないか。そこで問題の真偽を握っている特権的な人物は誰もいない。

だから論じられるべきは、真偽の枠にとらわれて、正解を見出すことが要求されるような問題についてではない。
むしろ逆に、問題を提起することが、つまり、真偽がそれに従属するような問題を生み出すことが
ここで考えられるべき事柄なのである。

              (『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』 檜垣立哉  NHK出版)

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ドゥルーズは歴史を生きることについて、
「ひとつの正解が設定されることはありえなくて、
解かれ方はさまざまで、
さまざまな解かれ方があることを踏まえて模索し続けること」と説明しています。

それって、今、私が関わっていること全て……
子育てや教育や自分の生き方にも
大いに言えることだなと感じました。

またドゥルーズは生命の本質について次のように説明しています。
「生命の本質とは、できあがった器官=眼にあるのではない。むしろ眼という問題を設定し、
状況に応じて解答を与え、
なおかつ問題を発しつづけていく、その力にこそあるのである」

ドゥルーズの語る生命の本質は、子どもの姿そのものともいえますね。
自分で解くべき問題を発しつづける存在、提示しつづける存在。

親や身近な大人たちも、
子どもとの関わりのなかで次々と問題にぶつかりながら、

子どもも親自身も周囲も全てを成長させるような創造的な展開に巻き込まれて
いるのかな……?

とポジティブな気持ちで、
日々のごたごたを眺めなおしました。



現代っ子の「ささやかな不思議との出会い」

2011-06-12 16:25:52 | 理科 科学クラブ
今日は科学クラブの子どもたちと
大阪駅に化石を見つけに行ってきました。



残念ながら、さんごの化石は淡い色なので写真にうまく撮れなかったのですが、
階段の横一面に広がるさんごの化石に子どもたちは大感激していました。

写真は何の化石かわかりますか?

帰りに、「化石って、誰が埋めたの?」と★くん。
すると、他の子たちも、化石という名前は知っているし、どんなものか見たこともあるけれど、
どうも人工的に宝探しのイベントのように埋められたものと
思っていたようでした。
こちらがちょっとびっくりしてしまいました。

「どうして、あんな風になるの?」と地層にも興味しんしんだった子どもたち。
教室に帰ってから、断層の模型を見たり、
砂や土に触れながらいろんなことを考えたりするときも、
とても熱心でした。

本物の石に触れながら、
「どっちがつるつる?」「どうしてすべすべした丸い石になるんだろう?」
と問いかけると、いろんな意見が出ていました。
実物に触れて考えるとき、
子どもによって、「つるつるしている」「ざらざらしている」「表面がきめこまやかで、でこぼこしたところがない」
「角ばっていて、ガタガタしている」という違いがほとんど感じられなくて、
どれも同じように「つるつるしてる」と感じる子もいます。
こうした感受性は、実際に自分で見て、触れて、それを言葉にする体験を積まないと、
なかなか育たないようです。
理科の本に載っている図なら、どちらが堆積岩でどちらが花崗岩か見分けることができても、
実物だとどちらも同じに見えていたりするのです。

科学クラブの子が帰った後で、ダンナが、「大阪駅に行ったんなら、新しくできた大阪ステーションシティーとかも
寄ってきた?」とたずねてきました。
「行ってない。時間が足りなかったのもあるけど、そういう目新しく刺激的なものを見てしまうと、
たちまち子どもの知的なものへの感受性が弱くなるから、行かなくてよかったわ。

化石だけを見に出かけたから、子ども同士、帰りにはその話題で持ち切りだったのよ。
化石って、いったい何なのか……長い時間の経過についても、それがある場所についても、
好奇心が膨らんでいたのよ。」

そう答えた後で、
現代っ子の「ささやかな不思議との出会い」を
守ってあげるのは難しいな~、と感じました。
(過剰にデコレーションされた刺激的な楽しいものがあふれていますから)


あっという間工作  2(からくりハウス)

2011-06-11 19:32:52 | 工作 ワークショップ

子どもって、合体ロボやからくりハウスが好きですよね。

「閉じたら小さくなって開くと大きくなる」というのは、

子どもにはたまらなく魅力的な変化のようです。

子どもにこうした「からくり」のある工作を教えるとき、

ティッシュの空き箱が便利です。

なぜって、縦と横の比率が、だいたい1対2なので、

気持ちのいい「カッチリはまった~!」という状態が作りやすいのです。

厚紙なのにはさみで簡単に切れるところもステキです♪

 

写真のように、一部がつながったままの状態で、残りをざっくり切ってしまうと、

小さくなったり大きくなったりするしかけが作れます。

屋根やカーブになっているフェンスを取りつけると、

小さくなったり大きくなったりするお家が作れますよ。

 

















子どもの個性を感じる瞬間 2

2011-06-11 12:27:13 | 子どもの個性と学習タイプ


小学1年生の★くんと妹の4歳の○ちゃんのレッスン。
★くんは積み木でお城を作ることや、水彩絵の具で絵を描くのが大好きな内向的思考の感覚寄りの男の子です。
今回は、水彩マジックで描いた模様をにじませる遊びで、
「さすが」という色の組み合わせで美しい作品を作っていました。

★くんは、1年生になってから、4月、5月と、ぼんやりしていることが多くなって
ちょっと元気がありませんでした。それまで大好きだった遊びをやりたがらなくなり、
学習の課題も、いやいや解いていました。
親御さんには、「★くんは自立したしっかりした性質だけれど、それだけに自分から甘えていくことが少ないので、
親御さん側から積極的にスキンシップを取ったり、
★くんに対する関心を示してあげてください」とお願いしていました。

今回、1か月ぶりに会った★くんは、明るくて積極的で、
何にでも熱心に取り組むようになっていました。

ばねの力でボールを跳ね上げて、
バスケットボール用のゴールに入れるおもちゃを自分で考えて
作りました。ボールがとまった地点の得点を書くのに熱心でした。

これまで★くんは、こうした動きのあるゲームを作りたがったことは
ありませんでした。
いつも「仕上がりの見た目が美しい建築物を作る」といった
物作りをしたがっていたのです。
でも、何となくぼんやりとして、何をするのにも消極的だった時期を経て、
「あれっ?」と思うような
物事への取り組み方の変化がいろいろ見られたのです。


妹の○ちゃんと私がぬいぐるみ用のお洋服やスリッパを作っているのに
★くんも、興味を示して、
服作りにも参加していました。
★くんは、色や素材や袖の穴などに気にかけながら、
楽しそうに作っていました。




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★くんの算数タイム。
数玉そろばんを使って、「2ずつ増えていくとどうなる?」「3ずつ増えていくとどうなる?」
「8個お菓子がありました。お母さんからいくつかもらったら15個になりました。いくつもらったのでしょう?」といった
問いにきちんと答えることができていました。

★くんは勉強をとても楽しんでいるようで、
もっといろいろな問題を解きたがりました。

そこで、
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10この りんごを ゆきなさんとえりかさんとひかりさんの
3人んで わけます。
ゆきなさんは えりかさんより1こ おおく、
ひかりさんより2こ すくなくなるようにします。
どのように わければ よいですか。

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という問題を出して、どのように解いていくのか
様子を見ていました。
すると、「これ借りていい?」と数玉そろばんを手に取ると、
「ああでもない、こうでもない」と長い時間、問いと格闘してから、
きちんと正解を出しました。

■問題文を正しく把握しているところ

■すぐに投げ出さずにじっくり問題に向き合っているところ

■解き方がわからなくても、自分なりに具体物を使って工夫しているところ

が、とてもすばらしいと思いました。

早期教育の話題で、「これはしたらダメ」「これはした方がいい」と意見が分かれて、
情報が飛び交っていると、
何をさせたらよくて、何をさせたらいけないのか、
混乱してしまう方もいらっしゃると思います。

私は、これを早く教えたらダメ、やらせたらダメ……というより、
何かをさせたり、子どものすることを評価することによって、

「子どもが自分が今していることにしっかりコミットメントできない状態になるのはまずい」

と感じています。

何かしている最中に、過去の記憶(知識)を探ることに忙しかったり、
未来の結果(評価)を気にしていたりして、
今、自分の頭を使ってじっくり物事に取り組めなくなっているとすると、
問題があると感じるのです。

「それならどうすればいいのか」というと、

「こうすればいい」「これをしたらいい」という表面的な簡単なことではない
のかもしれません。
子どもの自分自身を成長させていく力を信じて、
過干渉でも放任でもなく、
愛情と手間をかけて子どもと関わっていくことが大切なのではないでしょうか。



子どもは科学者と同じやり方で学習する 3

2011-06-11 08:42:00 | 連絡事項

前回の記事に、次のようなコメントをいただきました。
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Research Finds Firstborns Gain the Higher I.Q.

で検索してみてください。
12歳以下では、後に生まれた子のほうがIQが高いそうですが、その後逆転するそうです。
ノーベル賞受賞者も第一子が多いということです。親が子をかまうのも害があるだけという単純なものではなさそうです。
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私が子どもだった頃を振り返っても、中学くらいになると、
クラスで成績が上位の子は長男、長女の子の確率が高かった気がします。
第一子は、親の期待も大きいし、その期待に応えなくてはならないという義務感が強いし、
まじめで慎重な性質に育ちがちですよね。

第一子のIQが後になるほど高くなるのには、

抽象的な概念を学び出す時期には、義務感が強かったり慎重でまじめという性質が有利に働くことや、
第二子で極端に勉強しない子がいて、第二子のIQの平均値を下げる可能性が高いことや、
一般的な子育てで、第一子と第二子に対する関わり方が
極端にちがいすぎるなどさまざまな理由が考えられると思います。


私自身も、長女の私は中学に入ってから成績が良かったのですが、
次女の妹は、親のシャドウを引き受ける形で
反抗を繰り返して、全く勉強していませんでした。
近所に住んでいる方も
同じように長男はまじめに勉強して、次男は親に反抗して
全く勉強せず……というお家がめずらしくなかったように思います。

統計を見なくても、「そのパターン、あるある……」と感じた方は
けっこういらっしゃるのではないでしょうか。

統計といえば、『引きこもり』の80%が長男・長女だというのを目にしたことがあります。
その原因が、必ずしも「かまいすぎ」にあるとは限りませんが、
親の第一子に対する対応は、IQを高める一方で、
ストレスに弱くさせているのかもしれません。


第一子と第二子のそうした問題と、避ける手立てについては、またの機会に記事にしますね。

前回の記事で紹介したのは、
虹色教室で、
子育てについていろいろ学んでいる親御さんが、
子どもとの適度な距離の取り方や、適切な支援の仕方を身に付けた場合に、
それが子どもの知力を育てるのにどう役だったかという話で、
一般的な第一子と第二子の知力の話とは、少し異なります。

私は、「12歳以下では、後に生まれた子のほうがIQが高いそうですが、その後逆転するそうです。
ノーベル賞受賞者も第一子が多い」といった統計は、
いつの時代の、どの地区で、一般的にどのような子育てがなされていたときのものかを
ていねいに検証していかないと、
そのまま現在の早期教育の情報が入り乱れている場に持ち込むのは危険だと考えています。

幼児が教育市場の消費者となっている現在は、
ノーベル賞受賞者が幼年時代を過ごした時期の
子育て観とかなりちがうはずですから。

また、「親が子をかまう」という言葉も、
人によって捉え方が180度ちがうので、
その内容を具体的に言葉にしないと、それぞれの人が表面的に自分に都合が良いように解釈して
終わってしまいそうです。

「親が子をかまう」とは、親が子にやらせたいと思うものを
矢継ぎ早に与えて、教え込んだり、プリントをさせたり、何か上手にできるようになるように
努力することだと捉えている方もいます。
「親が子をかまう」とは、無意識に、子どもの一挙一動に、指示を与えてしまう
ことと捉えている方もいます。

子どもは、本来、親にかまってもらいながらでないと
育たないものですから、
「親がかまうことが必ずしも害ではない」ことは
当然といえば当然です。

でも、現在、子どもの人間としての育ちをゆがめるほど、
そのかまい方が過剰になったり、誤った過干渉になったり
しているので、
注意が必要だと感じているのです。

たとえば、植物に肥料や栄養剤を与えることはいいことですよね。
でも、植物が「生きていること」を忘れて、
過剰に無自覚に、肥料や栄養剤をたくさん与えるとどうなるか、
知っておく必要があるのではないでしょうか。

子どもも生命があるものなので、
子どもの自然な発達について、
理解した上で、「かまう」という概念に
限度や境界線を設ける必要があると考えています。


子どもは科学者と同じやり方で学習する 2

2011-06-10 19:37:30 | 幼児教育の基本


虹色教室のレッスンについてのお問い合わせをいただいています。
今のところ、ずいぶん先まで予約で埋まっていますので、新規のレッスンはお受けしていません。
夏休みの科学クラブへの参加は、新規の方もOKです。1週間以内に募集する予定です。

子どもは科学者と同じやり方で学習する1の続きです。

子どもの学習と発達に関する研究の第一人者
であるアリソン・ゴプニックの著書『哲学する赤ちゃん』から、
乳幼児の学び方について、最近になってわかってきたことを紹介します。
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発達心理学では、早くから乳幼児の驚異的な学習能力に注目し、
乳幼児と科学者の学習方法は同じだという研究者もいたそうです。

この数年間で、科学者や赤ちゃんが世界を知る仕組み、
少なくともある種の学習の仕組みが解明されてきました。

子どもは脳の中に因果マップを描き、
その知識を使って世界を想像し、
現実を変えようとします。

乳幼児でもこのように世界の仕組みを正しく学習できるのですから、
人間には生まれつきこの因果学習のメカニズムが備わっていると考えられます。

因果マップを数学的に説明した科学哲学やコンピューター科学の研究者たちは、
理想的な条件のもとで科学者が行っているような
因果学習の仕組みを解明しはじめています。

これを応用した現実世界を積極的に学習するコンピューター・プログラムの開発も
始まっています。
そのベースとなるのは、論理と確率です。

論理とは完璧な答えを導くと思いがちですが、
科学の現場でも、ふだんの生活の中でも、間違いが含まれていない答えは
めったに見つかりません。
わたしたちは少々不確実なことでも信用し、あまり厳密でない知識でも受け入れます。

これは、ある種の確率論にしたがって物事を判断しているからだそうです。

何事も確実にこうといえることはなく、わたしたちはただ、
あることは他のことより正しい可能性が高いことしかわかりません。
世界の成り立ちについて新たな証拠が得られるたびに、
この可能性の体系は更新されます。
ありえないと思ったことも、有力な証拠が一つでも見つかれば、
それが正しかった(あるいは現時点で最善の説明)ということになります。

学習は長くゆっくりしたプロセスで、見当違いやどんでん返しの繰り返しであり、
限りなく真実に迫ってくための厳密に数学的な方法なのです。

この数学的な方法と因果マップが組み合わされると、
協力な学習装置ができます。

「因果グラフィカルモデル」といわれているそうです。

因果マップは、次にどのようなことが起こりやすいか示して、
予測を立てるのに使えます。
因果マップより予測を立て、
その予測を実際に得られた証拠と付き合わされることで、
どれが正しい可能性が高いか統計的に判定します。

乳幼児というのは、優秀な科学者やNASAのコンピューターと大差ない方法で
統計処理をし、
実験をし、
他人の実験を参考にして世界の因果構造を学習していることが、
さまざまな研究結果からわかってきたそうです。

研究成果や具体的な赤ちゃんの学ぶ様子については
次の機会に記事にしますね。
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虹色教室通信では、赤ちゃんの自由な探索活動の大切さについて
繰り返し書いてきています。
でも実際に、赤ちゃんと親御さんに教室に来ていただくと、
赤ちゃんが何かしようとするたびに、
「あれしてごらん」「これしてごらん」と干渉したり、
「このおもちゃは、こうして使うんだよ」「それはちがうよ。こうしなさい」と、
四六時中、口をはさんで
赤ちゃんの学習の邪魔をしている方も少なくありません。

面白いなと感じているのは、上のお子さんが赤ちゃんの時は、しょっちゅう干渉していた親御さんが、
二人目のお子さんには、
自分で試して、間違いも含む非常にたくさんのインプットが
できるようにゆったり接するように
なっている場合です。


2歳にならない子が、おもちゃの仕組みをきちんと言葉で説明してみせたり、
自分で予測を立ててからおもちゃに働きかけてみたりと、
びっくりするほど賢いのです。
親御さんたちも、子どもが自然に学習するのを邪魔せず、
適度に支援することが
こんなにも子どもの能力を伸ばすことになるのかと、
驚かれます。

幼児が、世界の因果構造に関するたくさんのデーターを集め(いたずらしてまわり)
それをもとに統計を出して学習していくとすると、

本やプリントで知識をインプットしていくことが
いかに危険かわかります。
非常に少ない情報を、統計を使わず、そのまま盲目的に信じていくよう
しつけられることになるのですから。

これから赤ちゃんを育てる親御さんには、ぜひ次の3冊の本を読んで
最新の乳幼児の認知や発達についての研究結果を頭に入れておいていただきたいと
思っています。
どれも400ページほどの厚めの本とはいえ、とてもわかりやすい言葉で書かれた読みやすい本ばかりです。




■『子どもの「遊び」は魔法の授業』 キャッシーハーシュ=パセック(他)著  アスペクト

■『哲学する赤ちゃん』 アリソン・ゴプニック著   亜紀書房

■『よみがえれ思考力』 ジェーン・ハーリー著   大修館書店