虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

゛できる前にする゛ ゛知ることなく知る゛ってどんなこと? 1

2011-06-06 12:24:12 | 教育論 読者の方からのQ&A

子どもというのは、歩けるようになる前に、歩く練習をはじめるし、
会話ができるようになる前に、声を発し、交互に非言語のやりとりをし、大人の口真似をはじめるなど、
会話の練習をはじめます。

『アフォーダンスの心理学』には、次のような記述があります。

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子どもがおぼつかないながらもある行為を開始する……危なっかしい足どりで歩いたり、
本を顔の前に持ってバブバブ言ったり、
ボールからとんでもなく離れたところで
バットを振ったりする……と、
それは養育者によってその意味を゛充たし゛はじめよという
合図として受け取られる。 
              (『アフォーダンスの心理学』エドワード・S・リード  新曜社より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもが、今はまだできない何かをやりはじめるとき、
身近な大人がそのサインを正確に受け取って、
子どもと環境の間にある落差を調節してあげると、
新しい技能の習得を促進する特別な場が生まれます。

子どもが公園内などの縁石(路肩にしかれるコンクリート)の上を歩きたがるとき、

「子どもの身体はまだ、バランスを取りながらそれを渡っていけるほど
身体能力も視力も発達していない」

「縁石はときどき途切れていて危険」など、
子どものやりたがることと、できることの間には落差があるはずです。


でも、もし大人が手をつないでバランスを取ってあげたり、転んだ時、助け起こしてあげたり、
縁石が途切れるとき、注意をうながしてあげれば、
子どもは何度もそれに取くみ、
しまいには、自分ひとりでバランスを取ってそれを渡っていくようになるでしょう。

(道路の縁石は危険ですから、安全な場所で子どもにフォローしてあげてください)


『アフォーダンスの心理学』では、

「この認識の集団的ブートストラッピングの力は過小評価されるべきでない」
と告げています。

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2歳児がおもちゃの聴診器のイヤホンを自分のこめかみに当て、
ぬいぐるみのクマを診察しているところなどを
見ると大人はわけしり顔で微笑む。
だが<充たされざる意味>を抱えながら
活動にたずさわる子どもの傾向性は
文化史の一翼を担うほどの力をもつのだ。

           (『アフォーダンスの心理学』より)

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今日は、1歳7カ月の★ちゃん、2歳6カ月の●ちゃん、2歳8カ月の○ちゃんの
レッスンでした。
幼稚園がお休みだったので、★ちゃんのお姉ちゃんの☆ちゃんも
レッスンにいっしょに参加してもらいました。

★ちゃんも、●ちゃんも、○ちゃんも、
それぞれが個性的な自分の気質にあった
方法で、まだ正確にはできないおぼつかない態度で何かをはじめ、
「その訓練を見守りつつフォローする場を作ってちょうだい!」というサインを
親御さんに送っていました。

★ちゃんは、人と人の間で交わされるコミュニケーションに敏感で、
お友だちや大人のすることはすぐにまねてみて、
まだ意味がよくわからないうちから人の輪に割り込んで積極的に
「わかった風のこと」をします。

お姉ちゃんたちがじゃんけんをしていたら、「じゃんけんぽん」とタイミングだけ合わせて
手を出してみたり、
お母さんがお姉ちゃんのお世話をするのをまねてみたり。

今日も、お姉ちゃんの☆ちゃんが、「工作がしたい」というので、
準備をしようとすると、
★ちゃんが椅子を抱えて、「★ちゃんの」と言い、
もうひとつ椅子を取りにいって、「☆ちゃんの」と言って、自分と☆ちゃんの椅子をちゃっかり並べて、
準備万端という顔をしていました。

それから、私が☆ちゃんにマジックと紙を準備すると、
★ちゃんが、マジックを一本ずつ取り出しては「あい、どーぞ」と☆ちゃんに手渡していました。

★ちゃんはまだ1歳7カ月ですから、
意味がわかっていてお姉ちゃんの手助けをしているというより、
意味もわからず形だけ「わかっている風」のことをしながら、
その行為をしながら、周囲のフィードバックを受けて、自分のしていることの
意味を理解していっているのです。
「ああ、こうすれば、お姉ちゃんが座るときに助かるのか」
「ああ、こうすれば、自分の渡したマジックでお姉ちゃんが絵を描いて、
次の色を渡すと、今度はそれで絵を描くのか……!」と、後から
最初に自分のしていたことの意味を充たしているのです。

●ちゃんは自分で最初から最後までやりとげて、それを完璧にできるようになるまで
繰り返したいと思うがんばりやさん。
お母さんに出す「おぼつかない状態で始める」サインというのは、
見えやすい技能である場合がほとんどです。
お手伝いが大好きで、皿洗いも手順通りにやりたがるそうです。

虹色教室でも、できるようになるのに練習の必要な課題を見つけては、
お母さんにそれを見守ってもらいたがります。
練習中は、●ちゃん自身の集中力もすごいのですが、
「お母さん、見てて!」というお母さんに求める集中力も強いです。

●ちゃんは、完璧に自分で仕上げないと嫌なようで、
何かに集中しはじめると、お母さんと自分だけの閉ざされた世界を
作りたがります。
まだ2歳代ですから、そんなときまで、「お友だちと……」と気にかけずに、
お母さんとふたりの絆をしっかり育むのがいいんじゃないかと
思っています。
いろいろできるようになって自信がついたところで、
今度は自分からお友だちを求めて積極的に働きかけていくはずです。

○ちゃんは、周囲をよく観察して、自分の内面の世界を広げていくことを
好む子です。
意味から切り離された「部分」だけのもので遊ぶことを
極端に嫌がります。
今日も、○ちゃんのお母さんがドールハウスの階段だけ見せると、
ずっとおだやかに機嫌よく遊んでいたのに、
かんしゃくを起こして、「これはお家になきゃダメ」と半べそをかいていました。

そこで、ドールハウスを用意して、ぬいぐるみを選ばせると、
自分でストーリーを作って遊びはじめました。

○ちゃんは、とてもおませでしっかりしている一方で、
マイペースで自分の世界から出たがらないところがあります。
大人が「これしたら?」「あれしたら?」と勧めると拒否して、
前にしたことがある遊びを繰り返したがるので、
表面的には、「おぼつかないながらもある行為をはじめている」ように見えないかもしれません。

でも、○ちゃんの視線の先や、
時折、自分の空想遊びに取り入れる新しい要素に着目していると、
年上の☆ちゃんの行動や大人の行動をていねいに観察していて、
それを自分のスペースで再現している姿がありました。

○ちゃんの「お母さん!私はこんなことを始めたい!手伝って!」というサインは、
○ちゃんが、身の周りの世界で働いている人や祖父母、動物などを
観察して、その世界観を自分のごっこ遊びのなかで再現しながら
意味を探っていこうとするのに、
よりそってほしいというものなのでしょう。

○ちゃんは、お気にいりの黒猫のぬいぐるみを、
ドールハウスの窓から何度も顔だけ外に出させては、
お外を観察させて、
またお家に引きこんでレモンをたべさせる……という遊び繰り返していました。

きっと○ちゃん自身も、自分が黒猫ちゃんにさせていたように、
強い好奇心と洞察力のある観察眼で
お外の観察を繰り返しては
お母さんのもとにもどって、いつもの安心できるペースで遊べるように
してほしいと望んでいるのでしょう。


「本物の卵が割りたい」という子どもたちと。↑



事務Kよりご連絡

2011-06-06 01:09:56 | 連絡事項
おこんばんはm(_ _)m

暑いですね…クーラーか扇風機無しでは上手く
寝付けない今日この頃。

不健康体です…そんな中バリバリと
スピードアップ致しまして、
なんと!!

ユースホステルのご連絡が
8月分まで仕上がりました~
ガッツだぜぃ(´ω`)ゞ

皆さま…メールのチェックを
お願いいたしますね。

9月5日の方は、此方の予約等の事情により
もう少し先になります。

何回もミスって皆さまにキチンと
1回でご連絡出来ずスミマセン。

打ち合わせしてるんですけどね…
メール打って送ってから

『あれはどうするんだろう?』
と疑問が後から出てきて確認が後回しに…orz

次回は打ち合わせ事項のメモでも
作ってから慎重に送ります(^^;)

ここまで来ましたからね…
どれ位のご応募あるか分かりませんが、
日帰りレッスンの方も視野に入れつつ
ラストスパートでっす!!o(`∀´)o

あ・・・これはまだ募集じゃないので
もう少し日程調整とかさせて頂いてから
先生に発表して頂きます。

これを機に皆様にお願いがあります。
ご参加頂く方の発表の際、連絡先を…
とお願いしておりましたが、出来ればで結構です。

【参加人数】⇒ 人(構成…母&子供)
【保護者本名】⇒
【お子様の年齢と性別】⇒ 歳(女or男)
【電話番号】
【メールアドレス】

ここまでして頂ければ、先に名簿が
完成いたしますので皆様により早く
ご連絡することが可能になります。

これを読んで頂いて、尚且つ
ご協力頂けましたら有難いです。


もう流石に寝ないといけない時間に
なりましたので、本日はこの辺で…


お休みなさいませ…
多くの方に幸あれ(´З`)~☆

モンテッソーリ、ニキーチン、フレネ、シュタイナー、フレーベル と 「工作」 4

2011-06-05 13:50:18 | 幼児教育の基本
おススメのシュタイナー教育の本

『赤ちゃんからのシュタイナー教育』 ラマヒ・ボールドウィン  学陽書房

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シュタイナー教育は哲学者であり神秘思想家であるシュタイナーの
宗教観というか神秘的な思想がベースにあるため、「どうも宗教ぽくて苦手」と感じる方があるかもしれません。

私自身も、シュタイナーの幼児教育に共感するものの
シュタイナーの人智学をそのまま信じているのかというと、そうではありません。




シュタイナーもモンテッソーリも
子どもの発達について深い理解に達していました。
このふたりのメソッドはとても似ているともいえるし、正反対ともいえます。

私は幼児には、シュタイナーとモンテッソーリのアプローチのどちらも非常に大切だと考えていて、
シュタイナー教育の世界観を幼児の暮らしのベースにして、モンテッソーリの考え方をところどころに
取り入れるのが、ベストかな~?と考えています。

ただ、シュタイナーの小学校に通うべきかどうかは、
良いのか悪いのか私には判断できません。
小学生向けのシュタイナーの教育法は、もう少し現代の社会の動きを取り入れた方が
いいようにも思っています。



シュタイナーもモンテッソーリも、
どちらも子どもが感覚器官を通して、環境から直接学び、
さまざまなことを 模倣を通して身につけると考えていました。


けれども、子どもとおもちゃ(物、教具)との関わり方については
正反対ともいえる主張をしています。

モンテッソーリは、幼い子は、一度にひとつのことを教えて、
次の段階に移るまでにそれが完全にできるようにすれば
学びやすいことに気づきました。
それで、モンテッソーリの教具には、それぞれひとつの正しい扱い方があります。

一方、シュタイナーは、ひとつの素朴なおもちゃから
子どもが自分の想像力を使って何通りにも遊びを広げていくことを
大切しました。

どちらの教育法も、楽しい活動の中で、集中力が養われます。
「どっちがお得?」「どっちが能力が身につく?」という比べ方をすると、
たくさん作業をこなし、巧緻性や認知の力がアップしていくのが目で見て確かめられる
モンテッソーリの教育法の方が、断然、良いものに映るかもしれません。

でも、幼児というのが、
゛できる前にする゛
゛知ることなく知る゛という傾向を持っていて、
<充たされざる意味>と言うべき早熟な知覚が認識発達をリードしているとすると
モンテッソーリの教育法だけでは足りない、シュタイナーの考え方も取り入れる必要がある
と私は考えています。

それらがきちんと機能するような配慮が必要ですから。

もちろん、モンテッソーリのメソッドもそうした意味で重要なのですが、
それとは別に、子どもは世界や社会とつながっていて、
それを取り入れて創造的に消化して、
自由にアウトプットする空間や時間がたっぷり必要だと思っていて、
それを最適な状態で可能にするのが、シュタイナー教育だからです。


子どもの心にやすらぎをもたらし、
まるで子どもを誘うような親しみを感じさせる遊び空間というのが
どういうものなのか、
シュタイナーはとてもよく知っていました。

曲線がたくさんあって、隠れ家があり、遊ぶところがあって、自然で素朴な質感があり、
守られ抱きしめられているように感じる空間を
子どもに用意しました。

そうした子どもが安心して子どもでいられる場では、
子どもは想像力を使って、とても創造的な遊び方をします。

感覚を通して世界をとりこんで、それを遊びや制作活動でアウトプットできるように
していると、
子どもの内部のプログラムは、発達不全を起こしたり、ゆがみを生じたりすることなく
きちんと実行されていきます。


次にできそうなことを、まだできる前に始め、
まだ知らないことまるで知っているように学び始めます。

幼児は世界をそのまま経験する幼児流の方法を持って生まれてくるのですから、
大人が世界から切り離して加工して、
意味を伴わない知的な課題に変えて与えるのは、
(モンテッソーリの教具はそれとは別です。子どもにとって、とても意味があります)
そうした特別な時期が終わる頃、つまり就学する時期まで控えた方がいいのかもしれません。

『赤ちゃんからのシュタイナー教育』から参考になりそうな箇所をいくつか引用します。

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■ 8歳までの子どもには、子どもを怒ったり説得しようとしないで、模倣の原則が大切であることを
心にとめてください。子どもにある行動を教えたいときには、
子どもの前で、あるいは子どもといっしょに、それをする、というのが一番いい方法です。

(略)
ちょっと空想とユーモアがあれば、子どもにさせたいことをさせるのにずいぶん役立ちます。
たとえば、片づけのときに、トラックの運転手に車庫まで運転してくれと頼むことができますし、
カーボーイに馬小屋まで乗って行ってくれと頼むこともできます。
子どもの空想を中断させるのではなく、それに参加することです。
(略)
子どもが行動が伴わず言葉によってのみ示されるような「権威」に対して
一貫して反応できるようになるのは、小学生時代になってからです。
未就園児の場合、何度も何度も行動をただし、
正しい行動をしてみせなければなりません。
かれらの記憶力は成熟していないのです。
時間がたつにつれてゆっくりとした改善は見られますが゛……。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■ 子ども時代は成長が行われ、からだのリズムの変化が激しい時ですが、
リズムのある生活は、そういう
子ども時代に対して、ちょうど子宮のような、安定した環境を与えてくれます。
そういう生活を送ることができる子どもは、
自分の世界に自信を持てます。
いつ次のことがおこるのかわからない、という不確かさを心配しないですむのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■ 教師はすべてに気がつき、完全に今の瞬間に存在し、ほかのことについては考えないのです。
ただそこに子どもたちと共に居るのです。
幼い子どもと共に居るということは、しばしば「すること」というより
「在ること」の方に近いことなのです。

すべてを単純にすることは難しいことです。私たちは子どもに刺激をあたえ、
いろいろなものを用意しなければ、
と思いがちですが、
もっと難しい仕事は、
子どもが自分で居ることができて、大人の導きと保護のもとで世界を経験し、
成長し、試せるような空間を与えるということです。

「子どもの周りには、幸せな表情、幸せな在り方をした人が居ることが必要です。
そして何よりも、本当の無条件の愛が子どもには必要なのです」

        (『赤ちゃんからのシュタイナー教育』 ラマヒ・ボールドウィン  学陽書房より)


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モンテッソーリ、ニキーチン、フレネ、シュタイナー、フレーベル と 「工作」 3

2011-06-05 08:16:05 | 幼児教育の基本
モンテッソーリ、ニキーチン、フレネ、シュタイナー、フレーベル と 「工作」 1

モンテッソーリ、ニキーチン、フレネ、シュタイナー、フレーベル と 「工作」 2


の続きです。

現実の子どもについて知れば知るほど、
シュタイナー教育の幼児向けのプログラムのすばらしさや大切さを実感するようになりました。

一方で、どうすばらしいと感じているのか、どこが大切だと思っているのかを
伝えようとすると、なかなか難しいのです。


シュタイナーは、アプローチこそ異なるものの
モンテッソーリの子どもの捉え方ととても近いものがあります。

シュタイナーもモンテッソーリも
「子ども特有の本能的な学び方」に精通していて、
子どもは頭で学ぶのではなくて、「感覚器官を通して直接、学ぶ」と考えていました。


子どもの発達は、大人とは異なる
とても不思議な知覚によって導かれています。

天才?超能力?とも思える幼児の持っている驚異的な能力は、
進化の過程で、親に世話をしてもらっている期間に、効率的に発達するために獲得してきたものなのでしょう。

でも、流行の幼児教育では「赤ちゃんは天才」と宣伝しつつ、かえって幼児の本来の天才的な力が使えなく
なるような環境を作りがちです。

それを思うと、
本質的な子どもの秘密をどこまでも探求し続けた
シュタイナーやモンテッソーリの知恵から学ぶものはとても大きいです。

『アフォーダンスの心理学』に次のような一文があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヒトは組織された価値と意味の体系の網の目に巻き込まれながら発達するおかげで、
認識発達に絶大な効果を発揮する二つの傾向性を見せる。

第一に、ベルンシュテインも注目したように、人はあることを
゛できる前にする ゛。

子どもはまだ満足にできない活動にも取り組むことがある。これには、自分の行為が
悲惨なことにならないように誰かが見ていてくれるだろうという安心感が
少なくとも一役買っている。

ヒトは何度も転んではじめて歩けるようになるが、
転倒の危険性は(たいてい)養育者がやわらげてくれるものである。
多くの場合、養育者はその時点での子どものパフォーマンスとその技能の満足できるレベルとのあいだに
どんな差異があれ、それを供給するような「促進行為場」を仕立てあげてしまう。
このため、子どもはしばしば、ある活動が向かうアフォーダンスの実現のための自律的能力を現実にもつ
前からその行為の学習を開始するのである。
こうした最初のあがき自体がその技能の獲得を援助する養育者のふるまいを呼び起こす
一つの出来事である。

第二の(略)ヒトの傾向性は、環境パターンに意味があることを経験から学習するということである。
だが、この場合も、ある特定の状況の個別的な意味の理解にはるかに先立ち、環境に意味があることについての
一般的な過程が形成されることが多い。

子どもは本や文章からなんらかの方法で言語情報を抽出できるようになるずっと前から、それらを言語的意味の源泉として認識しているのである。

この早熟な ゛知ることなく知る ゛ことは、子どもが自分自身を文章や課題のような
意味の体系に参入させるうえで非常に重要である。

ここでも知覚の発達が全体のベースをつくっているように見える。
一つのパターンが現前している……意味ある何かが進行している……ということの知覚こそが

ほとんどの場合、そうした状況内に見出される記号的あるいは社会化された意味を確かめようとするいかなる試みにも
先立って起こるのである。
この<充たされざる意味>と言うべき早熟な知覚は認識発達をリードする主要な一因であろう。

                『アフォーダンスの心理学』エドワード・S・リード  新曜社
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上の文章を引用したのは、
この文の中の言葉を借りてシュタイナーの教育を説明すると、

シュタイナー教育とは、さりげなく<充たされざる意味>を提供し、
子どもにとって安心して

゛できる前にする ゛
゛知ることなく知る ゛行為を

始めることができ、
それを促進する空間と時間のリズムを作りだすことなんだろうな、

という印象を持っているからなのです。

モンテッソーリもおそらく、
この子どもの内部から自発的に始まる学習のサイクルが

始まりやすく、促進しやすい空間と大人の介入の仕方を
探求しているメソッドなのだろうと思います。

「何を言いたいんだかさっぱりわからなかった」という方もいらっしゃるでしょうが、シュタイナー教育について、
次回に続きを書きますね。




子どものけんかを見守る 5

2011-06-04 14:07:39 | 幼児教育の基本
「子どものけんかを見守る」って、言葉にするのは簡単だけど、
いざ実行する段になると、
どうしたらいいのか頭が真っ白になってしまうものですよね。
年齢や内容や程度によって、本当に難しいものです。

子どものけんかに対する親の対応には、次のふたつが必要です。

■ その瞬間の対応

■ 長期的なトレーニング

たとえば、お友だちにズルをされてゲームに負けた★くんが、
「ぼくはダメだ」と自分を責めて泣いた話でしたら、

★くんの感情を認めて、共感し、なぐさめるといった対応と同時に、

次のようなスキルが身につくように長期的に手助けしていく必要があります。

「うまくいかないときに、すごく悲しい気持ちに落ち込んでしまわないためのスキル」

「嫌なことをされたら、相手に言葉で伝えるスキル」

「自分が不利な立場されそうになったら、その場をうまく切り抜けるスキル」

などです。


エリザベス・クリアリーの『親と子どもの感情BOOK』(築地書館)には、
子どものトラブルの対応法に次のような例が載っていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ティモシーは自分の感情や他人の感情に敏感な神経質な子どもです。
ある日、彼はうかない様子で帰ってきました。
「親友のエリックがキャッチボールをしてくれない」と説明しました。

ティモシーがとても悲しそうだったので、母親も悲しくなりました。
彼は不幸になかなか対応できず、自分に向けられたのではないことまで
受け止めます。

彼には、こんなにがっかりしないためのスキルと、からかいの的にならずに
その場をきりぬけるスキルが必要です。

母親は、まず感情を認めてなぐさめました。
「ほんとうに悲しそうね。私も親友がいっしょに遊んでくれなかったら悲しいわ。
抱きしめてほしい?それともいっしょにクッキーを作りたい?」
ティモシーの顔はずいぶん明るくなって「両方」と言いました。

母親は、友だちとのトラブルが頻繁になっていることから、
何か手を打たねばならないと思いました。

そこで、次のようなリストを作りました。

■どう感じるか
(傷ついた・取り残された・怒った)

■問題はなにか
(エリックは今遊びたくない・エリックはティモシーを支配したい)

■感情に向き合う方法
(エリックに自分の感情を話す・泣く・深呼吸をする・ポケットのなかの「魔法の石」をこする・自分の感情を絵に描く
自分が穏やかさに包まれていると想像する・家に帰ってロッキングチェアに座ってからだを揺らす)

■状況に向き合う方法
(「OK,キャッチボールしたくなったら、電話して」と言う  「OK,じゃあまたね」と言う
エリックに「何して遊びたい?」と聞く 今いっしょにキャッチボールする相手を探す ほかの子と遊ぶ時間を長くする)

母親は、エリックはたぶんティモシーをがっかりさせようとしたんだと思いました。
それで冷静を保って、平気な顔でエリックに応えるように教えることにしました。
心を静める方法は学校でもできる、深呼吸、魔法の石、穏やかさに包まれていると想像する、です。

その後、母親はぬいぐるみを使って、簡単な劇をしながら、エリックの相手をするプロセスを学ばせました。ほとんど毎日やって、数週間かかりましたが、最後にはうまくいったそうです。

                         (『親と子どもの感情BOOK』より)

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次回に続きます。

もやもやした憂鬱な気分 と 生きる力 

2011-06-04 08:54:14 | 日々思うこと 雑感
このごろ、嫌な天気が続きますね。

5月には「これって5月病かな?」と感じるような何となくぼんやりした不調が心に生じがちですよね。

6月になると、それに続いて梅雨のせいで身体の不調まで加わわって、
何もなくても憂鬱でどんよりした気分になりがちです。

私も定期的にこの憂鬱でどんよりした気分に陥るときがあります。

といっても、この「どんより鬱々とした気分」に浸ること自体、それほど嫌いじゃありません。

「どんより鬱々とした気分」に陥ったとき、
私がまずするのは、
もやもやの気分のもとを静かに眺めてみて、その理由だと思っていたものや、ぐるぐる同じ場所を回っていた考えや、
期待や願望や罪悪感や習慣的に執着していた物事を
手放していくことです。


心からできるだけノイズを減らして、
クリーンでスッキリした状態に近付けていくと、
それまで気付かなかった「どんより鬱々とした気分」のもとが見えてきます。


たいがいが「Aをしても、Bをしても、Cをしても、問題が起こる。どれもしなかったとしても問題が起こる」という状況に巻き込まれていたり、

他の人が悩むべきことを私が勝手に引き受けて悩んでいたりします。


また、ダブルバインドという矛盾するふたつのメッセージを受けやすい状況になっていたり、

何らかの理由で、私の言動が相手をダブルバインドの状況に陥らせていたりするのも、

鬱々した気持ちの背後に見えてくるもののひとつです。

ダブルバインドというのは、最初に「これこれしてはダメ」という否定的なメッセージが出され、
次にそれと矛盾する否定的なメッセージが出されて、
その矛盾する事態から逃げ出してはならないという3つめのメッセージがあるという状況です。

「Aをしちゃダメ、Aをしないのもダメ、この状況から逃げるのもダメ」という

かつてグレゴリー・ベイトソンが
その状況に置かれた人は統合失調症に似た症状を示すと指摘した状況です。
(統合失調症の原因はまだ不明な点が多いので、ダブルバインドと直接、関連つけることはできないです)



「何らかの理由で、私の言動が相手をダブルバインドの状況に陥らせている」というのは、
発達障害のある子を育てている親御さんとの間で生じることがあります。

なぜそんなまずい状況に陥るのかというと、
その背後には、公立小も私立小も発達障害児への支援の体制が
ひとりひとりの子の最善を考えられるところまで整っていないということがあります。

何が必要なのか、何が正しいのかといったごくごく基本的なことさえ、
現場で対応が練られていなかったり、
解決法が共有されていなかったりするのです。

そこで、発達障害をもっている子たちは、その子なりに精一杯がんばっていても、
しょっちゅう困ったことにぶつかるか、
問題を先送りして悪化させてしまいます。

親御さんにしても、私に解決法を相談したり、本やネットで解決法を探ったとしても、
「学校での問題は学校の協力なしには解決しない」
という無力感につながる答えにしか
たどりつけないことが多いのです。

そうした支援が整っていない場というのは、
問題を見えにくくするために、
「子どもが悪い」とか「親が悪い」とか「先生が悪い」とかといった
悪者探しや、

「クラスの他の生徒に迷惑をかける場合、特別支援教室に入れざる得なくなる」といった
見えない圧力があるものです。

そうした表立った問題はなくても、
「お客さん」状態で授業を受けるうちに、だんだん勉強が手に負えなくなって
困る子も出てきます。

小学校での発達障害の子への支援をどう整えるのか、
特別支援級での支援だけでなく
普通級で学んでいる発達障害のある子たちへの対応を
いろんな人が意見を出し合って本気で考えていく必要があるんだろうな、と思います。

そうでなければ、「子どもの心に配慮する」「子どもの自己肯定感を高める」という
当たり前とも思われるメッセージが、
親御さんにとってダブルバインドの状況を作りだし、

「Aをしちゃダメ、Aをしないのもダメ、この状況から逃げるのもダメ」

という心をかき乱すメッセージとなってしまうことがあるのです。

この問題は簡単に書ききれません。またの機会にくわしく書きますね。

話がずいぶんそれましたが、
最初に私は「どんより鬱々した気分」に陥るのがそれほど嫌いではない……
と書いたのは、
だいたいこういう「もやもや~」とした不愉快な気分は、
自分の本当の気持ちや直視してこなかった現実の抱えている問題に
向き合うきっかけをくれることが多々あるからです。

こういう気分とうまく付き合えるようになってきたことが、
私にとって、何十年もかけて身についてきた「生きる力」のひとつだなと感じています。

「生きる力」さえあれば、うまくいかなそうなことも、やってみる力が湧いてくるし、
実際結果がうまくいかなくても、それはそれ、と立ち直りが早いです。


勝負師の世界で無敗伝説を築いた桜井章一氏が、次のようなことをおっしゃっていて、「なるほど」と納得したことがあります。

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才能を磨かない。「生きる」という才能があれば十分だ。
人の才能や能力いうのは、相対的なものだ。
そんなものより私はもっと人の根っ子にある大きな才能のほうが大事だと思う。
それは何かというと「生きる」という才能だ。
生きとし生けるものはみな生命に恵まれて、生命を連続させることで今を生きている。
私はそれこそが人が持つ
普遍的な才能だと思う。
世間で最も評価される才能や能力にばかり関心がいくと、「生きる」という才能は
いつの間にか忘れられてしまう。
そんな才能や能力と違って、人が生命を連続させて、「今ここにある」という才能は
普遍的な強さを持つすごいものだと思う。

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そういえば、うちのダンナやうちの子たち、欠点もたくさんあるし、
しょっちゅううまくいかないことにぶつかっているけど、「生きる力」は
強いです。
娘にしても、ものすごく大きな挫折を経験しても、
「こんな気分のときは、友だちと思い切りしゃべらないとスッキリしないわ」といって家を飛び出して行ったり、
「部屋の徹底掃除でもすれば、あきらめがつくわ」といって動きまわっていたかと思うと、
さっぱりした様子で「それなら、ゼロからやりなおせばいいわ」という結論に行きついています。
「生きる力」の方が強くて、うずくまりそうになる気持ちを押し切ってしまうようです。

ダンナも息子も超人的に「生きる力」が強いので、きっと無人島に流されても、
なんとか楽しくいきていくはず……。

世間で評価される才能や能力だけが注目を浴びがちだけど、
こうした地味な「とにかく生きていく」という力も大事なんだなと再確認しました。





3~6歳の子と数の遊び  と 物の形 2

2011-06-03 21:23:56 | 教育論 読者の方からのQ&A
シュタイナー教育の記事は近いうちに書きますね。


10のくぼみがあるだけで、10個のものを入れたくなります。
10個より少ない数を入れたときは、
「足りない」という感じがします。
「あといくつで10?」とたずねると、
「わかった!」という時期もきやすいです。

10個のくぼみに、思わず入れてみたくなるものというのがあって、
「どうしてもやりたい」
「いくつも10のトレイを作りたい」
と思う素材や形があるんです。
ぷにぷにした素材や木製の玉とか、赤いイチゴのおもちゃとか、
キラキラした宝石のような大きなビーズとか。くぼみにぴったり合う
デコレーションボールとか。





玉そろばんも子どもの感性に響く
木製のシンプルで美しくて、
見たとたん玉を移動させたくてたまらなくなるものを使っています。

先週、グループレッスンの年中さんたちは、この60玉そろばんで
ちょっとだけお勉強しました。

12たす1は?
13たす1は?

22たす2は?
35たす2は?

といった質問に元気よく正しい答えをいえました。
でも、

60引く1は?

と、60から数をひとつ少なくしてたずねると、

63!
65!

と、ちんぷんかんぷんな答え。
まだ正確には数がわかっていないのです。
教え込むのでなくて、さまざまな遊びの場面や日常の一コマで
数に親しめるよう工夫していきます。
そうしてゆっくりゆっくり確実に
数に関する理解が進むように手助けしていきます。

探索行動 と 読書 

2011-06-03 18:05:48 | 日々思うこと 雑感
今日は1歳半の☆ちゃんのレッスンでした。

はじめて触れるおもちゃでも、たちまち自分で使い方を察して、
お母さんを振り返ってにっこり笑ってから、自分でパチパチと手を打っていました。
ひとつの遊びに集中して取り組む姿や
「上の穴から物を入れたら、下の扉を開けて取り出せばいいんじゃないかな?」とわかる推理力や
表情の豊かさに驚きました。
「しっかりしていますね。お家で何かされているんですか?」とたずねると、
「この子は放任気味です。
とにかく1歳くらいから、猛烈に探索活動はしています」というお話でした。

ハイハイで動き回って、家中を探索している子って、
何度も何度もいたずらをしては、その結果どうなるかを体験していますから、
とても利発な子が多いです。
☆ちゃんは目で物を追うのが上手で、体の動きもとてもしなやかでした。

☆ちゃんのお母さんは「放任気味」とおっしゃっていましたが、
☆ちゃんにとってわかりやすくて楽しい気持ちを盛り上げるような
声のかけ方をしていました。

探索行動をたっぷりさせて、赤ちゃんの自分でいろんな場所に行って、見て、聞いて、触れて、
確かめたいという気持ちを十分に満たしてあげることは大切だなと感じました。


↓日記代わりのどうでもいい記録なので、忙しい方は読み飛ばしてくださいね。
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今日の午後は教室が休みだったので、梅田のジュンク堂に行って本を買ってきました。
『アフォーダンスの心理学』 エドワード・S・リード  新曜社 です。

帰宅後、さっそく3時間くらいかけて半分くらいまで読みました。この本で、意外な事実を知りました。

というのは、ダーウィンが心理学の実験研究をしていたことで、
「行動と意識を動物が生きることと一体にとらえ、それらも生きた世界の他のあらゆる面と同じように
変異と選択という進化のパターンにしたがう」と考えていたという点。

10代の頃、「ダーウィンの進化論は単純すぎて、現実の複雑すぎる生き物の進化についてちゃんと説明できていない」と
思いこんで、もう少し納得のいく理論はないのかな……といろんな本を読み漁っていた記憶があるのですが、
今日の読書で、ダーウィンはミミズの穴ほり行動のささいな一面ですら見誤らない的確さで、
考えを練っていたことがよくわかりました。

自分が無知だと、そのレベルで理解するから、
立派な理論を浅い考えで批判的に見ていたんですね。

「アフォーダンス」という言葉についても、本当の意味で理解するまでには遠い道のりなのかも
しれないのですけど……
今のマイブームなので、好奇心にまかせて、いろいろ本を読んでみる予定です。



紙のぬいぐるみ の 作り方  と 算数の文章題

2011-06-03 13:05:59 | 工作 ワークショップ

紙のぬいぐるみの作り方を紹介します。

絵を描いて、もう一枚紙を重ねて、絵を切ります。
綿(ティッシュペーパー)を入れる場所をのこして、セロテープで二枚の紙を貼りあわせます。




これは綿を入れるところを残してセロテープで貼りあわせたキティーちゃん。


1年生の子の作品です。


ティッシュペーパーを適量詰めて、セロテープで開いている口を貼り終えたら
できあがり♪


工作をよくする子って、手を使う作業を嫌がりません。
算数の学習の後で、自発的に算数の文章題をいろいろ作っていました。

絵が上手かとか作るものが立派か
といったことを気にせず物作りを楽しんでいると、
能動的に物事に関わる姿勢が身についてきます。

作文や物語作りや上のような算数の文章題作りも
自分から進んでするようになる子がいます。

3~6歳の子と数の遊び  と 物の形

2011-06-03 12:30:11 | 算数

子どもたちと算数の遊びをしていると、
ある形や物が、子どもたちの数への好奇心をかきたてる様子をよく目にします。

写真は中身が空になっている卵です。
これを見ると、中に丸い物を入れる子がいます。
この日は、プランツボール(植物栽培用高分子吸水球)をたくさん入れて、
振ってみては中身がいくつか当てさせる遊びをしていました。

この卵のようにふたがあって中身が見えない容器と、
同じくらいの形のものがたくさんあると、
中に詰めて、「いくつ?」と推理するのを喜びます。


写真は『ロリット』という4人用のオセロのようなおもちゃです。
くぼみとか、マスがあるゲームは、
同じ色でくぼみやマスを埋めていって見た目で数の多い少ないを判断したり、
ゲーム後に、かけ算で数を求める習慣につながります。
こうしたマスを使ったゲームは、
マスにコマを置いた状態で
数を言い当てるようにしていると、
面積を学ぶとき理解しやすくなります。


りんごを収穫するゲームをしています。

ゲームの中にりんごを収穫するというストーリーが入っているのが
面白いです。
お家にあるままご用の食べ物で同じ種類のものがたくさんある場合、
サイコロを使って、このゲームと似たルールで、
「お買いものゲーム」「いちご狩りゲーム」などができます。

どちらもサイコロを振って、出た目の数だけ、
自分のかごに入れて遊びます。