虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

吸水性の物質、クリスタルボールやマジックボール、猫のトイレ砂などで注意すること

2011-08-10 17:51:09 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
パソコンの調子が少し悪いようです。いったん記事をアップした時はなかった文字(3~5字)が
後で見ると、記事の冒頭部分に加わっているときがあります。
見苦しくてすいません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



吸水性の物質は虹色教室でも科学遊びに使っているものです。

最近では夏祭りの屋台でこの「クリスタルボールすくい」も
よく見かけるようになりました。

ネットのニュースでこの吸水性の物質を食べて、腸内がつまった状態になっている2歳児が
(虐待による餓死が直接の原因のようですが)亡くなった事件を目にしました。

吸水性の物質は、ペットのトイレにも使われています。
砂などを口にするのと異なり、水を含むと大きくなるという点で
非常に危険です。

幼い子が口に入れないように、くれぐれもご注意ください。

「スライム」も乳幼児が口に入れると危険なのではないかと気にしています。

教室でよく遊ぶし、科学館などで開催している夏の理科教室などで体験する機会も多いでしょうが、
持ちかえったものの扱いや下の弟くん、妹さんが口に入れることがないように
注意をお願いします。


発達障害の子の高学年からの変化 4

2011-08-10 14:36:01 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
「うちの子は反抗ばかりして言うことを聞かず、こんなにもだめで、
あんなにもできなくて、やる気がゼロで……」と、とんでもなく困ったちゃんだという
軽度発達障害の小学校高学年の子や中学生と会うことがあります。

私はこの年齢で虹色教室に、
親についてやってきた時点で、
親御さんが思っているよりも
素直で従順な一面があるんじゃないかなと感じています。

というのも、うちの娘も息子も、
素直で優しい気質の育てやすい子たちではあるけれど、
高学年とか中学生ともなると、
親の私が「○○にいっしょに行くわよ」と言ったところで、
「やめとく」とスパッと言ったきり、
それぞれの仲の良い友だちのもとへ
出かけて戻ってきませんでしたから。
子どもはこうも大きくなってくると、親の思い通りに動いてはくれないものです。


それが親の誘いにしぶしぶでもついてきて、
親にあれこれ自分のふがいない点を並べたてるのを
ムスッとしながら聞いていて、
時折、ちょっとイライラした様子で
「そんなことないよ」「やってるよ」と言い返す姿を見ると、
「ああ、この子はまじめで素直な子で、
ちゃんとやらなきゃという気持ちでがんじがらめになっているんだな」と感じる時があります。


親御さんが、ほとほと困った子だと気を揉むのは、
ADHD傾向のある非常に軽度の自閉症スペクトラムの子の場合がよくあります。

「ちょっと年齢からすると幼いかな?」という理由で、たびたび人と揉めたり、
後先を考えないで軽率な遊びをして事件になったりするので、
親御さんにするといつもヒヤヒヤしていて気が休まるときがないのです。

親御さんの感じ方からすると、

「常に問題を起こし、常にやる気がなく、常にミスをし、常にするべきことを怠け、
常に親に反抗しているように見える」場合も、

実際に、ひとつひとつの問題を整理して分析していくと、
「そうでもない」「けっこうがんばっている」「けなげなほど努力はしている」「本人なりのベスト」で
あることが多いです。

どうして親御さんの見え方と子どもの現実との間に
そんなに大きな溝ができるのかというと、
「テレビの報道番組の罪」というか、
子どもならしょっちゅうあるような兄弟げんかレベルの友だちとの揉め事も
即座にイメージの世界で過去の犯罪事件と結び付けてしまうような飛躍が
言葉の端々に見え隠れしています。

親御さんだけがそんなオーバーな捉え方をするというのではなく、
子どもをめぐる大人たちが、
(世間全体がといっても過言ではないくらい)
成長過程の子どもの小さな失敗を
そのまんまワイドショーで取り上げる事件のように捉えて、
時には報道番組から仕入れた妄想を交えて噂話をするので、
事実や現実の子どもの姿が見えなくなっているのです。

親御さんはそうした世間の声におびえて、
過剰に子どもに干渉してしまいがちなのです。

発達障害のある子は悪気なく「うっかりやっちゃった」ということをたびたび起こします。
人との関わり方が稚拙で誤解を受けることもよくあります。
でも、そのほとんどは、正確に事実を確認すれば、
取るに足らないような
ささいなことばかりです。

現実を正確に捉えて、
失敗すれば、間違っている点を修正させ、
できるレベルの課題設定を手伝っていると、
高学年頃になると、それまでにはできなかったことができるようになってきている事実に
たくさん気づくかもしれません。

でも、子どもがどんどん悪くなっていると感じている親御さんのなかには、
そうした成長を確認したとたん、
「それではダメなんです」「そんなことでは無理なんです」と、
いきなりすべてを否定しはじめる方がいます。

よくお話をうかがうと、
その子のペースで課題を見つけてこなしていくのでは、
とても高校受験には間にあわないからだそうです。

受験となると、あれも必要で、これも必要で、
すべてをオールマイティーにこなせてはじめて目的を達成できるわけですから、
どんなにがんばったところで、
この子にできるわけがないと言うのです。

それほど独断的に言いきってしまうときには、親御さんの頭の中が
いろんな心配ごとやら、先に受験をした他人の噂話や、
子どもに対するイライラや、何から手をつけたらよいかわからないやらで
ごちゃごちゃになっているのかもしれません。

子どものことで、いろんなことを一度に考えて混乱をきたすのはよくありませんよね。

もともと課題を設定して努力することが苦手な発達障害の子が
親御さんの思考の混乱に巻き込まれて
何から手をつけたらよいのかわからなくなります~。

発達障害の子にとって「オールマイティーにできるようになること」ほど
難しいことはありません。

勉強はがんばれても、提出物の出し遅れやケアレスミスはどうしても防げないという
子もいます。

最初に「オールマイティーであること」が目標に掲げられてしまうと、
発達障害のある子は、何をやっても無駄だからと、
がんばることをあきらめてしまうかもしれません。


まず「できること」と「できそうなこと」とじっくり関わるようにすると、
高学年の時期の脳の変化や身体の成長が、
子どもの能力(学力だけでなく、さまざまな面での生きていく力)の伸びを助けてくれる
はずですよ。






発達障害の子の高学年からの変化 3

2011-08-10 06:29:50 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
前々回の記事で、発達障害の子たちが高学年になったとき、

「急速に物分かりがよくなり、論理的に考えることができるようになり、
発達障害だったことが全くわからなくなるほど大人びてくる子と、

外から見たところ幼さが目立ち、大人とはほとんど口をきかず、極端に成績が落ちてくる子の
2タイプに分かれるように思います。
一部には、精神的には大人びてきて、責任感や人を思いやる気持ちは芽生えてくるのに、
学力の面では、全くついていけなくなる子もいます。」

と書きました。

「できるようになる」ケースと「さらにできなくなる」ケースを分けるのは何なのでしょう?

個々の個性や能力といえばそれまでなのですが、
その時までの環境や周囲の接し方も大きく関わっているように感じています。

教室に通ってきていた生徒だけではなく、
知人の子どもさんや児童館等で会った子で発達障害があると思われる子たちの
高学年以降の変化について思い返してみると、
高学年頃からそれまで以上にできなくなる子には、
共通点があるのです。

多動や衝動性といった知力とは別の面で学習が停滞していた子たちも
高学年頃には脳の変化や身体の成長とともに多動や衝動性がおさまってきます。

でも、そうして脳の働き方からくる困り感が減る時期に、
今度は精神的なダメージが原因で、勉強ができなくなる子がいるのです。

この精神的なダメージというのは、
その子の持って生まれたハンディーというより、
悪い環境や悪い接し方の結果生じる二次障害です。

学校でいじめや差別に会うとか、
親が叱り過ぎるとかいうわかりやすいダメージはもちろん
もっと微妙でわかりにくいダメージもあります。

発達障害のある子は外から見ると、人の心の弱さを
体現しているように見えるときがあります。

すぐに飽きて放り出す。「がんばろう」と決意しても、すぐに怠ける。
ていねいに見直さず、ミスが多い。
ちょっとしたことで怒りだす。忘れる。基本的なしつけが身についていない……などです。

人というのはそうした人のダメな一面を見ると、
相手を一段下に見た上からの態度で接したり、
そうしたまなざしで眺めてもいいと思っているところがあります。

発達障害のある子たちというのは、怠け心に負けて、すぐに飽きたり怠けたりしているのではなくて、
脳の機能の一部が未発達なため、ちゃんとしようと思っていても
そのようにできない時期があるのです。
ミスが多かったり、忘れっぽかったりするのも、物事を適当に扱ういい加減さが原因なのではなくて、
努力をしてもすぐには直せないような困り感との戦いの末、そうした結果が生じているのです。

ですから「この子は甘えたで怠けもので、適当な性格だ」と決めつけるような
態度で接し、視線を投げかけつづけると、
最初はそうでなくても、その通りの子に育っていくように思います。

発達障害があるということは、
ハンディーを持っている側からすると、
みんなが手で文字を書いているときに、
ひとりだけ「足の指を使って書きなさい」と強要されているようなものなのです。

ひとりだけそんな無茶な努力を強いられても、
子どもはがんばります。
他の子はらくらくと作業をしていて、自分だけやってもやってもうまくいかなくても
周囲の大人が求めればそれにチャレンジし続けます。

でも、自分だけ他の子より大変な思いをしているのに、
「字が汚い」とか「がんばりが足りない」とか「この子はこういうダメな子だ」と言われたり、
笑われたり、
その出来不出来が人間としてのあり様を表しているかのように説明されたのでは
自己肯定感や意欲が薄れていくのをとめることはできません。

発達障害のある子に対して、
母親は愛情と不安と世間体を気にする気持ちから、
いくつになっても幼児にするような構い方を続ける場合があります。

もちろん、いくつになっても適切な支援を必要としている子はいるのです。
でもそれは人としての尊厳も
人としての羞恥心も認めず、
年齢相応の境界線を設けずに子どもの内面世界に侵入してもいいということでは
ないはずです。
また、「できない人間に対しては、乱暴な対応をしてもいい」という
極端な信念も危険です。
見た目をよくするために心を壊してもいいわけではないからです。

支援する部分と信じて本人の成長に任せる部分のバランスを取りながら、
大切に扱っていくと、
発達のアンバランスな部分が整ってくる時期には
自分の力を100パーセント出しきってがんばるようになってくると
思います。

次回に続きます。




発達障害の子の高学年からの変化 2

2011-08-09 18:02:26 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
「ADHDが小学校5年生頃の時期に突然周りが見えるようになり、物事の理解がその時期を期に急速に進む」 
というYANBARU先生の言葉。

私も小学校5、6年生ごろに急速に理解力が良くなった覚えがあります。

といって未診断なので「たぶんADDかLDがありそう……」と自分で考えているだけなんですが……。
私には幼いころからずっと、
ワーキングメモリーの働きの悪さや
聴覚に関わる聞こえにくいというハンディーとは別の
聴覚認知の障害(雑多な音のなかから自分に必要だと思われる音が拾えなかったり、
聞きながら書く作業をするようなときは
ほとんど音が聞き取れなくなります)や
身体の扱いが極端に不器用なところがありました。

以前も書いたことがあるのですが、
小学校6年生ごろ、本屋で私立中の5年分の試験問題がセットになっているものを
見つけて、興味本位で購入したことがあります。

その後、親に隠れてこそこそと(うるさく構われて、100マス計算をさせられたくなかったので)
片っ端からいろんな中学の受験問題を解きまくりました。
国語と算数と理科が主で、社会には手をつけていませんでしたが……。

「世の中にはこんな面白い勉強があるのか……」と驚きと感動で胸がいっぱいになった記憶があります。
公式なんて知りませんから自己流で解くのですが、
答えあわせをすると国語は漢字以外はよくできていたし、算数は時間はかかりましたが
だいたいできていました。

それまで、小学校では(当時、流行していたため)繰り返し100マス計算をやらされていたのですが、
何度やってもいっこうにタイムは縮まらないし、ミスは減らないしで、
学習意欲はさがっていく一方でした。
親の勧めでそろばんにも通っていましたが、こちらも級はいっこうに上がらないし、計算力はつかないし、
少しもやる気がありませんでした。

発達障害ゆえか、ぼんやりした夢見心地な子どもだったので、
そうした自分の「できなさ」を気にすることもなく
授業中も自分の考え事を追いながらのんびり過ごしていました。

そんな風に高学年くらいまで、寝てるんだか起きているんだかわからないような様子で
ポケーッと過ごしていたのですが、
ちょうど先に書いた入試問題を解くのに熱中していたあたりから、
突然、周りが見えるようになり、因果関係や物事の背後にある意味が深いところまで
わかるようになったように思います。

国語の授業で、宮沢賢治の作品を習ったことがあるのですが、
他の子がもじもじしてクラス中が静まり返っているようなときも、
先生の質問がどれも易しく思えて、
手を挙げて発言すると
先生からとても感心されて、褒めてもらった記憶があります。

そのように高学年ごろを境に、急速にいろんなことがわかるようになった覚えがあるものの、
それ以前の自分が、外から見るとぼんやりしているから、
高学年後の自分より劣っているのかというとそうでもなく、
それまではそれまでの独特な感性があって、
アウトプットこそできていないものの、
自分らしさを作っていく上でとても大切だったようにも感じています。

聴覚認知が難あり……とはいえ、裏を返すと敏感で、非常に細かい音の聞き分けまでできるところがあって、
小学校に上がる前からクラシックのピアノの演奏を聞くのが大好きでした。
視覚の認知はもともと良かったので、
物の質感や微細な色の違いにも敏感で、いまだに赤ちゃん時代に見たベビーブックの付録のお人形に使われていた
薄紙の色合いや質感をはっきりと目に浮かべることが
できるほどです。

小学校高学年くらいまでのぼんやりしていた時期は
色でも音でも、まるで自分自身の内面に直に浸透してきて、
濃度の濃い状態で刷り込まれるような感覚があったのです。
そのためか、幼児の頃からクラシック音楽とか名画などを、親が勧めたわけでもないけど
吸い寄せられるように好むところがありました。

それが、頭で考えるのが上手になりだして、言葉を扱うことが得意になってくると、
そうした独特の感性は薄れていきました。

次回に続きます。

ゆっくりさんのための 繰り下がりのある引き算

2011-08-09 13:52:23 | 算数


10のくぼみのある製氷皿を使って
繰り下がりのある引き算を学習中。

13-4=

の問題を考えます。

レッスンに来ていた発達に気がかりなところのある1年生たち。

「10匹のハムスターがお家にいてね、3匹はお外にいるの。13よ!」と説明すると、

算数が苦手で2+3も怪しいのだけれど、想像力が豊かでおしゃべりな◎ちゃんが
こう言いました。

「えっ、なら、この3匹はお外で寝るの?
だとすると、雨がザーザー降ってきて、冷たい風が吹いてきて、お家に入りたいよ、お腹がすいたよーって
なってもお外で寝るのね。
そうして、泥棒をしないとご飯がなくて、しまいに死んでしまう子もいるんでしょ」

「そうね。そうかもしれないわ。
13をよく見ていてね。
10のお家に今から屋根をつけるから」
と説明し、

10の上に箱をかぶせてから、見えない状態で4を取り除き、「4を引くわよ。さあ、残りはいくつ?」
とたずねました。


レッスンに来ていた子たちは、繰り下がりのある引き算は初めてですが、
何度か練習するうちにきちんと解けるようになっていました。

見えない部分をイメージするのが難しいうちは、
箱をかぶせないで、
練習します。


ゆっくりさんのための繰り上がりの足し算

2011-08-09 13:38:21 | 算数
前回の続きは今晩にでも書きますね。



画用紙に8の手を描いて、8+○の計算訓練をしています。


8+8の計算を学習中。


「5と5で10」「3と2で……」と目で確かめながら
「16」と答えが出せるように練習します。

指を使って覚えるといっても、指を折りながら数えさせるのはやめて、
数の組み合わせのパターンとして覚えるように指導します。

すらすら解けるようになったら、
画用紙か本人の手を想像する形で
練習します。

6,7,9も手を描くと、繰り上がりのある足し算で
できるものが増えてきます。


発達障害の子の高学年からの変化 

2011-08-09 09:15:03 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

夕べ、沖縄で精神・神経科に勤務しておられるYANBRU先生のブログを見ていたら、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 発達障害の臨床を経験している人であれば、
「ADHDが小学校5年生頃の時期に突然周りが見えるようになり、物事の理解がその時期を期に急速に進む」 
という現象を目にしたことはおありだろう。

 私はこの現象を、私自身の遠い体験からも、
「それまでバラバラだったさまざまな知覚や認識が
突然説明可能な形でまとまって見えてくる」と理解している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という一文が目にとまりました。

YANBRU先生のブログは、YANBRU先生ご自身がADHDの当事者ということで、
勤務先での発達障害の臨床の経験と
ご自身の体験をもとに、洞察力に富んだ理解しやすい記事を提供してくださっています。


私自身も高学年頃に同様の知的な面と精神的な面の急激な変化を体験しているので
それについて書かせていただこうと思います。

また教室で出会う発達障害の子たちの高学年になったときの変化についても。

先に教室で出会う発達障害のある子たちについて言うと、

急速に物分かりがよくなり、論理的に考えることができるようになり、
発達障害だったことが全くわからなくなるほど大人びてくる子と、

外から見たところ幼さが目立ち、大人とはほとんど口をきかず、極端に成績が落ちてくる子の
2タイプに分かれるように思います。

一部には、精神的には大人びてきて、責任感や人を思いやる気持ちは芽生えてくるのに、
学力の面では、全くついていけなくなる子もいます。


「ADHDが小学校5年生頃の時期に突然周りが見えるようになり、物事の理解がその時期を期に急速に進む」 
というYANBARU先生の言葉。

私も小学校5、6年生ごろに急速に理解力が良くなった覚えがあります。

といって未診断なので「たぶんADDかLDがありそう……」と自分で考えているだけなんですが……。
私には幼いころからずっと、
ワーキングメモリーの働きの悪さや
聴覚に関わる聞こえにくいというハンディーとは別の
聴覚認知の障害(雑多な音のなかから自分に必要だと思われる音が拾えなかったり、
聞きながら書く作業をするようなときは
ほとんど音が聞き取れなくなります)や
身体の扱いが極端に不器用なところがありました。

以前も書いたことがあるのですが、
小学校6年生ごろ、本屋で私立中の5年分の試験問題がセットになっているものを
見つけて、興味本位で購入したことがあります。

その後、親に隠れてこそこそと(うるさく構われて、100マス計算をさせられたくなかったので)
片っ端からいろんな中学の受験問題を解きまくりました。
国語と算数と理科が主で、社会には手をつけていませんでしたが……。

「世の中にはこんな面白い勉強があるのか……」と驚きと感動で胸がいっぱいになった記憶があります。
公式なんて知りませんから自己流で解くのですが、
答えあわせをすると国語は漢字以外はよくできていたし、算数は時間はかかりましたが
だいたいできていました。

それまで、小学校では(当時、流行していたため)繰り返し100マス計算をやらされていたのですが、
何度やってもいっこうにタイムは縮まらないし、ミスは減らないしで、
学習意欲はさがっていく一方でした。
親の勧めでそろばんにも通っていましたが、こちらも級はいっこうに上がらないし、計算力はつかないし、
少しもやる気がありませんでした。

発達障害ゆえか、ぼんやりした夢見心地な子どもだったので、
そうした自分の「できなさ」を気にすることもなく
授業中も自分の考え事を追いながらのんびり過ごしていました。

そんな風に高学年くらいまで、寝てるんだか起きているんだかわからないような様子で
ポケーッと過ごしていたのですが、
ちょうど先に書いた入試問題を解くのに熱中していたあたりから、
突然、周りが見えるようになり、因果関係や物事の背後にある意味が深いところまで
わかるようになったように思います。

国語の授業で、宮沢賢治の作品を習ったことがあるのですが、
他の子がもじもじしてクラス中が静まり返っているようなときも、
先生の質問がどれも易しく思えて、
手を挙げて発言すると
先生からとても感心されて、褒めてもらった記憶があります。

そのように高学年ごろを境に、急速にいろんなことがわかるようになった覚えがあるものの、
それ以前の自分が、外から見るとぼんやりしているから、
高学年後の自分より劣っているのかというとそうでもなく、
それまではそれまでの独特な感性があって、
アウトプットこそできていないものの、
自分らしさを作っていく上でとても大切だったようにも感じています。

聴覚認知が難あり……とはいえ、裏を返すと敏感で、非常に細かい音の聞き分けまでできるところがあって、
小学校に上がる前からクラシックのピアノの演奏を聞くのが大好きでした。
視覚の認知はもともと良かったので、
物の質感や微細な色の違いにも敏感で、いまだに赤ちゃん時代に見たベビーブックの付録のお人形に使われていた
薄紙の色合いや質感をはっきりと目に浮かべることが
できるほどです。

小学校高学年くらいまでのぼんやりしていた時期は
色でも音でも、まるで自分自身の内面に直に浸透してきて、
濃度の濃い状態で刷り込まれるような感覚があったのです。
そのためか、幼児の頃からクラシック音楽とか名画などを、親が勧めたわけでもないけど
吸い寄せられるように好むところがありました。

それが、頭で考えるのが上手になりだして、言葉を扱うことが得意になってくると、

そうした独特の感性は薄れていきました。

 

先に、「急速に物分かりがよくなり、論理的に考えることができるようになり、

発達障害だったことが全くわからなくなるほど大人びてくる子と、

外から見たところ幼さが目立ち、大人とはほとんど口をきかず、極端に成績が落ちてくる子の
2タイプに分かれるように思います。
一部には、精神的には大人びてきて、責任感や人を思いやる気持ちは芽生えてくるのに、
学力の面では、全くついていけなくなる子もいます。」

と書きました。

「できるようになる」ケースと「さらにできなくなる」ケースを分けるのは何なのでしょう?

個々の個性や能力といえばそれまでなのですが、
その時までの環境や周囲の接し方も大きく関わっているように感じています。

教室に通ってきていた生徒だけではなく、
知人の子どもさんや児童館等で会った子で発達障害があると思われる子たちの
高学年以降の変化について思い返してみると、
高学年頃からそれまで以上にできなくなる子には、
共通点があるのです。

多動や衝動性といった知力とは別の面で学習が停滞していた子たちも
高学年頃には脳の変化や身体の成長とともに多動や衝動性がおさまってきます。

でも、そうして脳の働き方からくる困り感が減る時期に、
今度は精神的なダメージが原因で、勉強ができなくなる子がいるのです。

この精神的なダメージというのは、
その子の持って生まれたハンディーというより、
悪い環境や悪い接し方の結果生じる二次障害です。

学校でいじめや差別に会うとか、
親が叱り過ぎるとかいうわかりやすいダメージはもちろん
もっと微妙でわかりにくいダメージもあります。

発達障害のある子は外から見ると、人の心の弱さを
体現しているように見えるときがあります。

すぐに飽きて放り出す。「がんばろう」と決意しても、すぐに怠ける。
ていねいに見直さず、ミスが多い。
ちょっとしたことで怒りだす。忘れる。基本的なしつけが身についていない……などです。

人というのはそうした人のダメな一面を見ると、
相手を一段下に見た上からの態度で接したり、
そうしたまなざしで眺めてもいいと思っているところがあります。

発達障害のある子たちというのは、怠け心に負けて、すぐに飽きたり怠けたりしているのではなくて、
脳の機能の一部が未発達なため、ちゃんとしようと思っていても
そのようにできない時期があるのです。
ミスが多かったり、忘れっぽかったりするのも、物事を適当に扱ういい加減さが原因なのではなくて、
努力をしてもすぐには直せないような困り感との戦いの末、そうした結果が生じているのです。

ですから「この子は甘えたで怠けもので、適当な性格だ」と決めつけるような
態度で接し、視線を投げかけつづけると、
最初はそうでなくても、その通りの子に育っていくように思います。

発達障害があるということは、
ハンディーを持っている側からすると、
みんなが手で文字を書いているときに、
ひとりだけ「足の指を使って書きなさい」と強要されているようなものなのです。

ひとりだけそんな無茶な努力を強いられても、
子どもはがんばります。
他の子はらくらくと作業をしていて、自分だけやってもやってもうまくいかなくても
周囲の大人が求めればそれにチャレンジし続けます。

でも、自分だけ他の子より大変な思いをしているのに、
「字が汚い」とか「がんばりが足りない」とか「この子はこういうダメな子だ」と言われたり、
笑われたり、
その出来不出来が人間としてのあり様を表しているかのように説明されたのでは
自己肯定感や意欲が薄れていくのをとめることはできません。

発達障害のある子に対して、
母親は愛情と不安と世間体を気にする気持ちから、
いくつになっても幼児にするような構い方を続ける場合があります。

もちろん、いくつになっても適切な支援を必要としている子はいるのです。
でもそれは人としての尊厳も
人としての羞恥心も認めず、
年齢相応の境界線を設けずに子どもの内面世界に侵入してもいいということでは
ないはずです。
また、「できない人間に対しては、乱暴な対応をしてもいい」という
極端な信念も危険です。
見た目をよくするために心を壊してもいいわけではないからです。

支援する部分と信じて本人の成長に任せる部分のバランスを取りながら、
大切に扱っていくと、
発達のアンバランスな部分が整ってくる時期には
自分の力を100パーセント出しきってがんばるようになってくると
思います。


教育する上での危機管理能力 と 予見する力 2

2011-08-08 13:28:05 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子



発達が気がかりな子たちのユースホステルでのレッスンに
小学4年生の◆ちゃんという女の子が参加していました。

人と関わることが上手で、年下の子たちの面倒見がよく、物作りが大好きで積極的な子です。
知的なゆっくりさんとは聞いていましたが、
自分の頭で判断してさまざまなことに取り組む様子や
感情豊かで流暢におしゃべりする外見からは、
ハンディーキャップがあるようには少しも見えない子です。

ただ いったんペーパー上の学習に入ったとたん
◆ちゃんの極端に苦手な部分が浮かび上がってきました。

たとえば、円の半径なども、「これが円の半径」ときちんと理解していても、
円がふたつ重なっている図から、半径の部分を見つけだすことができません。
25-7のような計算も、「9?」「じゃぁ、16?」といった
どういう筋道で考えだしたのかわからない答えを連発します。


◆ちゃんのお母さんによると、
幼稚園の年長のとき、
5までの数の認識が怪しかったそうなのです。でも、そのときは、
「学校に入れば簡単な計算から習うのだからついていけるはず」と軽く捉えていて、
気にもしていなかったそうなのです。

それで、いざ小学校に就学してみると、あれもこれもできなくて、
ほとほと困り果ててしまったそうなのです。

レッスン中、私は◆ちゃんに、
「250円持っていました。
120円を使うと、残ったお金はおくらでしょう?」という問題を出しました。
すると◆ちゃんは「えっ、90円? ちがう100円かな?」と
適当な答えを繰り返しました。
そこで、私がホワイトボードに10円玉の絵を25個描いて、
120円分消すように告げました。
すると、きちんと作業して、「130円」と正しい答えが言えました。

その姿から、10円を1としてでなく、
10の塊として捉えて考えられることや、
自分がするべきことを把握して、ちゃんとできることがわかりました。

一方、どんな小さな数も1から順番に数えるなど
数の概念の基盤のもろさもうかがえました。

◆ちゃんはもともと数の概念の理解に何らかのハンディーキャップがあったのでしょう。
でも、それだけではなく
幼児期にそうした数の概念の弱さに気付かれず、
数の概念のインプット量が極端に少なかったことも、
現在の困難を大きくしているように感じました。

幼児期にワークで数字だけを操作する計算はする必要はありませんが、
物を数えたり、分けたり、合わせてみたり、もともとあった量を推理してみたり、
七並べなどの簡単なトランプ遊びをすることは大切だと感じています。

そうした数の概念の基盤がないままに、
いくらゆっくりと計算方法を習っても、覚えては忘れ覚えては忘れして、
定着しなくなるからです。

◆ちゃんに算数を教えるとき、

① できないところだけでなく、できることに注目すること

② 将来、生活上で困りそうなことを繰り返し教えること

③ 根本的なハンディーキャップをつきとめること

が大切だと思いました。

「できないところだけでなく、できることに注目する」というのは、◆ちゃんでしたら、
◆ちゃんは人と関わることが上手なので、相手から求められている大枠の部分の理解力は
優れていていたので、そこに着目して教え方を工夫するのです。

ある面、物分かりがいいのです。
それこそ、目に見える形で、扱う対象を書いてあげたり、表を用意すると、
それに助けてもらう形なら、けっこう難しい問題も解けていました。

これから つまずいたとき、本人がどのような行動を取ればよいのか,
どんなタイミングで誰に助けを求めたらいいのかを
教えるヒントももらえます。


「将来、生活上で困りそうなことを繰り返し教える」というのは、
◆ちゃんのように
外からハンディーのわからない子は、将来、「できて当然」ということを次々と突き付けられて
生活していくことになるはずなので、
そのための準備をしておくということです、

ごく少ない金額のおつりの計算や、わからない時の対応の仕方、
「あと30分後に会いましょう」といった約束を果たせる力、
切符の買い方など、できないと困りそうなことは、
助けの求め方も含めて何度も練習していく必要があると思います。

「根本的なハンディーキャップをつきとめること」について、
◆ちゃんに教えていて感じたのは、
「5つまでの数の操作も、頭の中でイメージすることができない」ということです。

目に見える形に書きだしたものも、1から数えていました。

こうした問題は、他の面でも見られるのか、どのくらいの問題があるのか、
訓練でなおらないのか、
ていねいに対応していく必要を感じました。
モンテッソーリの数関連の教具のようなものを手作りして
使うのもいいかもしれません。


子どものハンディーキャップは、気にかけながらも、
見て見ぬふりをしている間に
どんどん時間が過ぎて、
学習面で、取り返しがつかないほど危うい土台を作ってしまうことになりかねません。

「あれっ?」と感じたら、ていねいに観察する必要があります。

幼児期に、極端に数の概念が怪しい子は要注意です。
耳からの記憶やイメージする力が
弱すぎるように感じるときも注意がいります。

といっても、根本的なハンディーキャップは、早期発見と
訓練でなおるのかというと、
そう簡単にはいかないはずです。

本人の困り感を減らす支援をしつつ
訓練してもなおらないからといって深刻に思い悩む必要もないと感じています。

人間、他人よりできない部分があると、それによって発達する部分もあるということを
私自身、身を持って体験しているからです。

私は診断こそ受けていませんがADDなのか、LDなのか、
子どもの頃から、発達のでこぼこが大きく
他の子のようにできないことがいろいろあって、
それなりに大変でした。

大人になって気付いたことですが、問題のほとんどは聴覚に関わることでした。
耳が聞こえにくいわけではないのですが、
聴覚に関することで、同時にふたつのことを処理することができず、
何かしているときには、耳が聞こえなくなるし、
騒がしい場所で必要な音を拾うことができないのです。

また、耳で記憶したことは、どんなに確実に覚えていると思ったものも、
しょっちゅうど忘れして恥ずかしい思いもしました。

ただ、メロディーの耳コピーは得意だったり、とても繊細な音の違いを聞き分けだりできたため、
ピアノの先生からは情感を込めて表現力豊かに弾くことができると褒められてもいて、
周囲の人も私自身も聴覚のハンディーがあるとは
思ってもいませんでした。

それで、子ども時代の学校生活は、かなり大変でした。
でも、そのおかげで良いこともありました。

というのも、聴覚に関わることに困難があるので、もともと得意な視覚の能力に
いっそう磨きをかけることとなったのです。
耳からの記憶に不安がある分、言葉を目からイ
ンプットすることがとにかく好きで
いつの間にか、本をいくら読んでも苦にならなくなっていました。
また、耳で聞いたことを記憶にとどめる困難が原因なのか、
ある時期まで思ったことを言葉で表現することもすごく苦手だったものの、
一方で文章の意味理解は、おませなほどに得意でした。
ですから、聞く話すに多少の困難はあったものの、
小学生時代から大人向けの本であっても、正確に意味を理解していたように思います。

私のもうひとつのハンディーは不器用で、
物を手にしていても、気が散るとたちまち落としてしまったり、
家庭科の授業でする手芸などの作業は目立って苦手でした。
よくぶつかり、よく転び、よくものをこぼしていました。

一方で、幼児期から絵を描いたり工作したり楽器を奏でたりするのは得意だったで、
周囲の人も私自身も不器用なのか器用なのかさっぱりわからずじまいでした。

それにしても、そうした不器用さはいくら注意をされても、
性格はまじめなのにも関わらずなおりませんでした。
家庭科や体育だけで私に関わっていた先生方は、私があまりにできないので、
ちょっと知恵が遅れているのかと思っていたようで、
他の子から「○さんは、~が得意よ」と聞いて、びっくりした様子で、
「えっ、○さんにも得意なことなんてあるの?」と言ったことがあるくらいです。
(それくらい、恐ろしくできなかったのか……と納得)

今から振り返ると、適切なアドバイスがあれば修正できたはずなのに、
ハンディーの内容をていねいに見極めないままあれこれ言われるので、
よけいにできなくなっていたな~と感じています。

それ以外にも時間の感覚に鈍さや、たくさんの刺激がある場所では、その全てに反応してしまって
近くにあるものも見えなくなる、
順序立てて物事を処理することが苦手などにも困り感を抱えていました。


たとえささいなハンディーキャップであっても、
集団行動をするときには、できないで困ることや叱られることが
たくさん生じてきます。

たとえば、聴覚に問題があると、悪気はなくても、
言われたことのふたつにひとつは必ずといっていいほど
忘れてしまうのです。
そこで、叱られ続けると、自己肯定感が下がって、
何事も投げやりになってきます。
ハンディーキャップとはずれたアドバイスをたくさんされると、
今度は他の人のアドバイスにきちんと従わないからという理由で人間関係が悪化します。

そのように誤解に基づく辛い経験はたくさんするものの、
ハンディーキャップそのものがそれほど悪いものかというと、
私はそうとも感じていないのです。

というのも、聴覚の何らかの問題ゆえに
聞く話すでいまだに少しは困ることもあるのですが、
そのおかげなのか、読むことと書くことは毎日していても
苦にならないのです。
おそらくハンディーを補う形で、視覚に関わる力はハンディーがない人以上に
発達しているように思います。
おかげで、細部にいたるまで視覚的なイメージを頭に思い浮かべることが得意になって、
数学を解くときや絵を描いたり物を作ったり、仕事であったことを振り返ったりするとき
映画を見るように記憶を再現できて便利です。



子どもに「ハンディーキャップがあるのかな?」と感じるとき、
ついそうでなければいいのに……という思いが勝って、
そのまま見過ごしてしまいがちです。

でも、本当にハンディーキャップがある場合、どんなささいなものでも、
それが原因に次なる困難が生まれ、
2次障害につながりやすいです。
四六時中、自分のハンディーキャップとつきあいながら
行動しなくてはならない子どもは、かなり困っているはずです。

問題をていねいに見つめて、先の困難を予見して
きちんと対応しておく必要があるように思います。
簡単になおせないことは、他の方法でそれができるように手立てを考えてあげ、
叱られ過ぎたり、自己肯定感が下がらないような配慮も必要です。

そうしてていねいに対応しておけば、
あとはそれを悲観して悩まなくても、
子どもなりにそれを補う機能を発達させて、
自分らしくいきいきと生きていくのではないでしょうか。

自閉症スペクトラムの子と人間関係  だんだん親しくなっていく 2

2011-08-07 22:25:12 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
このレッスンの少し前、別の場所で勉強や物作りをしていたときに、
それまでは参加しようとしなかった☆くんが、
私が別の子に作ってあげたエレベーターの作り方の見本に興味をしめしました。
その子が3階までのエレベーターを作っているのを見て、
「5階のエレベーター、作る」と言うと、いっしょに工作に参加しはじめました。
エレベーターの階の数字を貼りつけ、漢字を書いて看板?も作っていました。




その後、正面と側面にホワイトボードがあるココプラザの会議室に移ってから、
前回の記事に書いたような経過があったのでした。

☆くんが、部屋の4面に東西南北の漢字を書いていく様子を見て、
私はふと、レッスンで使おうと100円ショップで「オイルコンパス」(方位磁石の一種)を買ってきたことを
思い出しました。
それを☆くんに渡すと、☆くんはそれまで見たことがないほど顔を輝かせて
喜びました。北を示す赤く塗られた針の先が動く様子を、
目を皿のようにして覗き込んでいました。

☆くんにとって、方角はよほど大事なことなんだなと感じたので、思い切って、
「☆くん、そのオイルコンパス、あげるよ」と言いました。
すると、☆くんはよほどうれしかったのか、
「面白かったねぇ」「レッスン、終わりたくない」「帰りたくない」「ずっと、するよー」と
この時間がずっと続けばいいのに……と感じている様子で
お母さんに訴えていました。

☆くんだけが「オイルコンパス」をもらう様子を見て
近くにいた子たちは何も言いませんでした。

これが一般的な小学生たちのグループなら、「オイルコンパス」など少しも興味がなくても、
「えー、☆くんだけ?」「じゃ、私にも何かちょうだい」「ひいきひいき」と
騒いで、☆くんを不安に陥れていたかもしれません。

発達に問題のないしっかりした子たちは、
人と人との関係の微妙な駆け引きを学んでいる最中ということもあって、
相手の弱みを見つけると
そこにつけこんで得しようとするような
エゴイスティックで冷淡な一面も持ちあわせているのです。

でも、発達にでこぼこのある子たちは、自分が欲しくないものなら、他の子がそれをもらっていてもあっさり
している場合が多いです。

それと、他の子の弱さに対してとても寛容で、お友だちが何かができなかったり、
頭が切り替えられずにパニックに陥っているようなときに繊細な優しさを示す子が多いのです。



(↑年上の子たちは自分のきょうだいでなくても、年下の子らを対等に扱って優しく接していたので、
お兄ちゃんお姉ちゃんといっしょに参加していた定型発達の下の子たちは、
ゆっくり自分のペースで相手をしてもらってそれはうれしそうでした。

成長がいい一般的な子たちも、気持ちは優しい子はけっこういるのですが、人が集まる場では、
同年代の場の決定権を握っている子らに合わせようとしたり、
早くその場に適応して自分の価値を誇示していくことに忙しいので、
弱い立場の子からは距離を取ろうとしがちなのです。

それか、「お世話役」として、あれこれ手助けしてあげるものの、対等に扱っているかというと??の場合も多いのです。
大人のハンディーを持った子に対する「かわいそうだから、手伝ってあげて」といった発言は
注意が必要だと思います。)


話を☆くんに戻して……「オイルコンパス」を手にした☆くんは、
この時間が終わってほしくない、ここで過ごすのが楽しくてたまらない……ということを、お母さんに言いつつ、
それまでより積極的に振舞うようになりました。

でも、それが行き過ぎて、ちょっとしたハプニングが起きました。
○くんの作品に触りたがって、○くんに「壊さないで!」と強い口調で注意されたようなのです。
○くんがムッとして、泣きだしそうになると、
☆くんの方が、周囲がびっくりするほどの激しさで号泣しはじめました。

☆くんは、感情の表出が未分化で、ショックな出来事にぶつかると、
自分の感情をどう表現したらよいかわからなくて
パニックに陥るのです。

他の子らは☆くんの様子を心配そうに眺めていました。そして、☆くんのパニックがおさまると、
他の子らと☆くんの(☆くんの心の中での)距離は
いっそう縮まったようでした。

ユースホステルから出て、子どもたちが駆けだして追いかけっこをするときには、
その輪の中に、☆くんがずっと含まれていたのです。
目でその様子を追っていると、
☆くんは揉めてばかりいた○くんをひたすら追いかけていて、
(おそらく気に入っているのでしょう)そこで仲良しは成立しないものの、
他の気のいい子が☆くんに声をかけて遊びが続いていました。

学校などでも、こうした追いかけっこで仲良く過ごせるシーンは見られるのでしょう。

でも、それだけだと、
仲間意識を持つことで、勉強面や精神的な面で、
「がんばろう、もっとお兄ちゃん(お姉ちゃん)になろう」という
気持ちにつながらないかもしれません。

そこは、身近な大人のその子個人だけでなく、
子ども集団そのものや関係のあり方を良い方向に育てていこうとする配慮が必要だと
思います。
揉め事が起こった時に、叱ったり、大人が解決してしまったりするだけでなく、
その背後にある心の動きや関係性の育ちを見て、適切に接していく必要があると
感じているのです。

自閉症スペクトラムの子が「みんなと同じ活動ができない」としても、
その「できない」には、さまざまな段階があります。

興味さえないのか、
揉める程度なら、関わる意志があるのか、
お友だちにいきなり近づくのは難しくても、お友だちの持ち物やすることへの関心は高まっているのか、
みんなのしていることを、自分ひとりの場面ではしようとしているのか、
拒絶していたのが拒絶しないことも増えているか、
誰かひとりの子に近づくことがよくあるか、
など、ほんの些細な変化も見逃さず、そこに潜む次へのステップアップの課題を見つけだすことが
大切だと感じています。



↑ボランティアのお姉さんに、2階建ての建物を補強するのを手伝ってもらっています。



↑子ども同士で席に着いて食事がしたかったようです。