虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

かけざんの九九のカセット

2012-02-15 14:42:07 | 算数

子どもたちと九九のカセットを作っています。

学習には写真のような小さなカセットレコーダーがとても重宝します。

何度も聞きたくなる教材作りのコツは、

途中で大笑いしたくなるようなひとことや、

子どもたちの笑い声を入れることです。

また子ども主体で作るのも大切です。

 

写真は、カセットに合わせて、3の段ですから3個ずつ

デコレーションボールを動かしているところです。


京大の現代文 と 東大の現代文 2

2012-02-14 14:48:37 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

京大の現代文の過去問を解き終えて、

東大の現代文の過去問を解き始めた時、

記述する文の短さと取り上げられている書かれている内容のわかりやすさに

ちょっと拍子抜けした感じがありました。

 

最初、息子は、「東大の現代文の方が減点の対象になる小さなミスが許されないところがあるんじゃないかな。

完璧を求められるのは大変だよね。

短い文字数で簡潔に必要なことをまとめるいい練習になるよ。

好き嫌いで言うと、断然、京大で取り上げられている

文章の方が好きだけど、テストで解答するとなると

東大の問題の方が論理的なルールにのっとって書かれている文章が多いから

ありがたいな」と言っていました。

 

が、数日間、勉強を続けて、東大の過去問の問題集を半分くらい解き終えたところで、

ちょっと疲れたような表情で、

「どうしてこんな常識的で簡単な内容を、わざわざ堅苦しい言葉を使って書くんだろうって

文章がけっこうあるな。

独創性や奇抜さよりも、あたり前のわかりきったことを一般市民にいかに正確に誤解なく

伝えるかということを重要視している文章が多いな。

東大を出て官僚を目指す人が主流なら、むしろそうであるべきなんだろうけど」とぼやいていました。

 

それから、こうも続けました。

 

息子 「別に悪いわけじゃないよ。感動する文章もけっこうある。

でも何だか物足りなくて、無味乾燥で、読んでいるうちに疲れてくるのは、

東大の入試問題では、

どの著者も自分が理解していることしかかかないというか、

すでに正しいとされていることを、外から眺めてより完璧な言葉で表現しようとしている文章が

よく使われているからかな。設問や答えに求められているものも含めてさ。

 

その点、京大の入試問題は、立ち位置が内側にあって、

働いたり、作品を作ったりしながら、まだ自分自身も理解していない未知の事柄を言葉にしよう

言葉にしようという自らの精進が目的にあるような文章がけっこうあったよね。

つまり、東大の文章の背後にある目的は、社会構造を構築していく存在を作ることにあるような

印象を受けるよ。

 

なら京大の現代文はどうなのかというと、

最終的に目標としているのは、自らの完成であって、

あいまいな知識に対する解決法を探っているのではなく、思考し続けることに対する

飽くなき探求心のようなものを感じるな」

 

母 「そう、お母さんも、京大の赤本を解いている間は

読んだ後もワクワクして、自分の今している仕事の内容につなげてみたりして

本当に楽しかったの。でも東大の赤本になってから、

トレーニングという感覚がぬぐえないわ。

東大の現代文と京大の現代文でどこがどうちがうのかしら?」

 

息子 「ひとことで表すなら、東大は大人。京大は子どもなのかな。

受験する時点で、東大は、そろそろ大人になりなさい、自分の自分勝手な意見を

言う時期は終わりましたよ、とモラトリアムの終了をつきつけてくるような

問題の選び方や問いの立て方をしているからね。

学問について語っている文章も少ないしね。

京大の場合、文章の著者も入試問題を作っている人自身も、受験生に向けて

ともにがんばって成長しようというエールのように感じられることが

何度もあったよ。

ほら、ローマに旅立つ息子に向けた手紙にしても(野上弥生子『ローマに旅立つ息子に』)にしても、

森鴎外の『混沌』にしても、それを読むことで

これから本気で学問の道を目指していこうという気持ちを煽られるような文章だよね。

 

それに『文字禍』の話にしても、寺田寅彦のお化けの話にしても

京大が本格的に学問に取り組んでいるわりに

反知識人のような考え方をしている文章をたくさん取り上げているのも面白いな。

お母さんもぼくもどちらかといえば、反知識人派じゃん。

児童文学のくまのプーさんに出てくるフクロウを苦手としているというかさ。

あまりにも知識を持ち過ぎて、体系的にしか考えられなくなっているような人は

どうかと思うからね」

 

母 「確かに。お母さんは体系的な知識にがんじがらめになって

考えるのはきらいよ。確かな土台に足をつけている必要はあるでしょうけど、

考えていくときは自由でありたいわ」

 

息子 「自由? 京大の問題は設問の仕方や答えの文字数からして、そこに

ささやかな自由を認めて個人の個性が入り込む隙を作っている

ように見えて好きだな。

問題文自体も読む側の感受性が答えに滲みでてくるような

メタなストーリーが多いしね。

それとぼくが東大の入試問題を解くうちに何だか寂しい気持ちになって疲れてきたのは、

といって東大入試の全問にあたったわけじゃないから言う資格ないのかもしれないけど、

数学に国語は必要ない、数学は数学、国語は国語で専門的に学んでいくべき、

と告げられているような気分になるからなんだよ。

京大の問題は、文系、理系の枠を超えて、数学を学びたい人が言葉を

使ってそれを深めていくことを激励しているようなところがあるし、その逆もある。

京大には、理系でも哲学のような文系の教科も取ることができる

システムがあるらしいんだけど、

いろんな分野の学問を連携させて、統合していこうという考えがあるのかな?」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 


 京大の現代文 と 東大の現代文 1

2012-02-13 19:16:29 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

余計なひとことを言って失敗。

 

冷蔵庫の扉に息子が「数学の問題を3問解いたらはがす」

というルールで貼っていた

付箋がかなり減っているのを見て、

「やっぱり目標を目に見える形にしていると、進みがわかっていいわね。

物理や化学もしておいたら?」とたずねました。

 

 

すると息子から、

「それくらい(数学用の付箋)ならいいんだけど、

あれもこれもと可視化して、進歩状況を確認しはじめると、

見えるものにだけ気を取られて、数値化しにくいものがなおざりになってしまうからね。」

という答えが返ってきました。

 

 

そういえば、同じようなこと

(目に見える数値化できるものにフォーカスしはじめると、子どもの姿が見えなくなるといったこと)を

教室の乳幼児の親御さんたちに伝えておきながら、

自分が言われてるんだからしょうがありません。

 

息子 「そもそも学校でする勉強がたいていうまくいかない理由は

進歩状況を数値化することに囚われているからなんじゃないかな。

 

数値を追ううちに、

本当に理解しているのかどうかよりも、どこまで進んだか、何問解いたかってことが

目的に取って変わられてしまうから……。

 

何度も失敗してみて実感したことだけど、

可視化した進行状況ほどあてにならないものはないんだ。

 

数学を勉強する時にしても、進行状況ばかり気にしていると、

今日は微分のところを○○問解いて、次の分野に進めそうだ、と量をこなしたことで

その単元を理解したような錯覚に陥るんだよ。

 でも、実際には、すべての問題はひとつの問題であって、

ひとつの問題の本質を正しく理解したら、どの問題も解けるという面があるんだ。

 

もちろん、問題慣れする必要もあるし、いろいろな問題の傾向を体系的に捉えておくことだって

大事さ。

でも、1問すら完全に理解していないのに

大量に問題にあたるのは本末転倒だよ。

本当にかしこくなって数学の問題をきちんと解こうと思ったら、

問題に恵まれ過ぎているから

理解できなくなることもあるという情報過多から起こる弊害に

注意してなきゃならない。

つまりより少ない問題数で、より多くの問題が解けるだけの

本質的なものを汲み取ろうとする鋭さが必要だからね」

 

母 「そうね。しなくていいものまで可視化して数値で表すことの弊害は、

お母さんが関わっている幼児教育の世界で

嫌というほどわかっているのに……

受験日がこれほど迫ってくると、

とりあえず一通りは目を通せたのかと気になってしまうのよ。

特に夏から冬にかけて立てつづけに風邪をこじらせたり、胃を壊したりして

予定が大きく狂ってたでしょ。

傍から見ていると、苦手分野にかかりっきりで得意分野が放りっぱなしになっているように

みえて心配していたのよ」

 

息子 「確かに、時間は足りないけどさ……。でもベストはつくすつもりだよ。

チャート式の問題集とかを使って、一通りの問題をこなしていくと、

確かに数学を解くための『道具』は手に入るし、

何はともあれそうした基本的な通るべき道は避けるわけにいかないけどね。

 

でもだからといって、全ての問題を解き終えたからといって、頭がよくなったわけじゃない。

単に数学に役立つ電卓とかコンパスといった解くための『道具』を

手にしたことにすぎないんだ。公式や技能という形でね。

 

そうした道具を手に入れると、メガネをかけるのと同じで、

それまでかすんでいたものが遠くまで見えるようになる。

そうしてよく見えるようになった目で、見て、感じて、実際、やってみて確かめていったときに、

かしこくなってくるよ。

 

つい最近も、

『円』自体の性質を数学的な特徴から見ていくのではなくて、

そうしたものを超えて、素直に『円』そのものとして見ることができた時、

はじめて解ける、という

いくら公式を覚えても本当にかしこくなったわけじゃないってことを

そのものズバリで教えてくれるような

問題に出会ったよ。

体調崩して、受験までのカウントダウンで頭がいっぱいになってしまった時は、

とにかく量をこなすことにあせっててさ。

でも試験の結果を見直してみると、

難しい問題でも青空学園数学科(息子がよく読んでいるホームページ)

で1問でもじっくり取り組んだものはどんなに変形されていても解けているし、

センター数学のような易しいものでも、

問題集の問題だけこなしてわかったと錯覚していた分野は

こんな問題で?と言うような易しい問題でつまずくこともあるんだ。

 

2週間ほどしか勉強していないとはいえ、手書きで地図を描いて、かなり踏み込んだところまで

勉強したセンター地理は満点だったしね。

 

だから先へ先へと量をこなす浮ついた学び方はやめて、

今自分の目の前にある課題と全身全霊で向き合うという方向に切り替えたんだ。

そこで可視化するものは、勉強の進行にリズムをつける程度にとどめているってわけ」

 

母 「自分のやり方を見つけたなら、それが一番よ。余計な口出しをして悪かったわね。

晩の国語の勉強にしても、試験のための勉強というより、1日、1日、自分の生き方や考え方や感じ方が

浮き彫りになって見えてくるような、つかめてくるような……塗り絵のような受験勉強ではなく、

一枚の自分の絵を仕上げるような勉強になっているものね」

 

センター試験の後から、わたしは夕食後の数時間、

息子が現代文の過去問を解くのに付き合うようになりました。

付き合うといっても教えるほどの能力があるわけでもなく、

ただ解答を添削するときに、ひとりよりふたりの方が答え合わせの際に、

重要事項が漏れていないかチェックしやすいからという理由で、しはじめたことです。

 

息子は高校で受けていた国語の授業で学んでいた

『しかし』や『ところで』を三角や四角で囲って、近くにある文を抜き出すといった

言葉を記号のように扱う学習法が性に合わなくて、センターが終わるまで

現代文はほとんど手つかずのまま来ていました。

でもさすがに二次試験は勘で解くわけにもいかないので、

二次までは毎晩、一定時間を現代文にあてることにしたのです。

 

テキストは、京大の赤本を使い、毎日二問ずつ解いていてきました。

先日、それを全て解き終わったので、東大の現代文を買ってきて解いていってます。

 

息子の勉強に付き合うのは、中学入試の時、たまに進み具合を聞くために

見ていた時以来。その時も、息子は塾に行かずに自分でマイペースに勉強していましたが、

大学受験を迎える今も、塾や予備校には通わず自己流にのんびり勉強しています。

「予備校や塾に通ってる友だちと結果を比べたら、

勉強時間は友だちの4分の1とか8分の1って量ではあるけど、

成績は一番伸びていたよ。量より質を重視するのはやっぱり大事だって実感したよ。

体調が悪いまま勉強できなかった時期はもうダメかと思ったけどさ」と漏らしていました。

 

現代文の勉強をはじめて数日後、わたしも息子もとにかく取り上げられている文章の内容に感動して、

答え合わせが済んでもその話題で議論し始めて、

翌日になってもずっと話し続けているということがよくありました。

設問への答えは、最初のうちは、大事なキーワードや押さえておくべき内容を書きそびれていたりしたものの、

数日すると、息子はコツを呑み込めたようで

重要事項を短い言葉のなかに収めることが上手になってきました。

わたしはというと、文で書かれていることはわかるけど、設問に字数内で答えるとなると

蛇足が多く、あまり上達していない状態です。


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 15

2012-02-13 13:19:49 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

丸い玉は高いところから低いところに向かってころがります。

どんなに転がりやすい玉も、周囲をその高さより高い壁で覆ってしまうと

転がりません。

こうした特徴は人の心や行動でも

言えることです。

 

周囲の人が流暢に外国語を話すなかで、片言の英語力でしゃべる場合、

相当の勇気がいるでしょう。

 

それほど買いたくないものを

店員さんにしつこく勧められたら、買いたい気が失せるでしょう。

 

自分の意欲や勇気や衝動は変わらなくても、

相手がこちらに求めているハードルを下げたとたん、

心がそそられてやりたくなることは多々あります。

 

発達障がいのある子の場合、

周囲に自分よりできない子や

自分よりわがままを言う子や

自分よりぐずぐず用事をする子や

自分より怠ける子や

自分より何でも尻込みしてやらないような子が

ひとりもいない、という子がけっこういます。

 

いつでもどこでも周囲から注意されるだけの立場しか経験したことがないために

困ったちゃんモードになっている時の自分をメタな視点で

眺めたことがなく、

そのせいで余計にメタな視点を手に入れにくくなるということが起こりがちです。

 

そんな風にダメな子の立場にいつも立たされている子と

バランスをとろうと思ったら、

その子よりできないことがたくさんあって、年がら年中、「絵は描けないから描きたくない」

「お歌は知らないから歌いたくない」「ダンスは難しいから踊りたくない」とお人形に演じさせてみるといいかもしれません。

 

ぐずぐずだらだらして、くつしたを履いている最中にテレビを見て忘れてしまったり、

ご飯を食べている最中にいねむりしてしまう人形もいいですね。

 

そんな風に、自分が誰よりダメなんじゃなくて

自分よりダメだなという存在を目にすると、「そんな風にしちゃダメだよ」と一言言いたくなりますし、

 

そのお人形から「★くんはすごいなぁ。やっぱり人間だからなぁ。

~なんてすごいなぁ」とびっくりされると、

それまでは「赤ちゃんのままでいい、お兄ちゃんになんかなりたくない」と言い張っていた子が

ちょっとがんばってみようという意欲を見せることはよくあるのです。

 

わたしはそういう時に、

子どもが笑いだしたくなるようなユーモアを盛り込んで

子どもに働きかけるようにしています。

 

子どもが「上手に字が書けないから書かない!」と言い張る時には、

子どものお気にいりのぬいぐるみに「鉛筆が重い~重くて持てない~

重すぎる~だから書かないよ。うんしょ、うんしょ~ダメ~できない」と言わせるのです。

 

子どもと同じように「字が書けない」と言わせるのでなく「鉛筆が重い~」と言わせると、

お人形の立ち位置は子どもより低くなるはずです。

おそらく子どもは、「ぼくは鉛筆は重くない。

ちゃんと持てるよ、ほら」と自信を持って言うことでしょう。

そのようにとっかかりの気持ちが前向きだと、

できることが急に増えるのが広汎性発達障がいの子でもあります。

 

 

話は変わりますが……

恥ずかしがり屋でひとり遊びが好きな子に、本人が人と関わりたいと思う気持ち以上に、

親御さんが「人と上手にかかわってほしい」と期待すると、

バランスが悪いので、かえって子どもが引っ込み思案になってしまうという話を書きました。

 

ハンディーキャップのせいで、社会性の発達がゆっくりしている子どもたちにも

同じことが言えます。

 

以前、『自閉症のDIR治療プログラム』という著書から次のような文を引用させていただいたことがあります。

 

 

周囲と関わりをもち意味のあるコミュニケーションを学び始めたばかりの時期は、集団活動は

一日の10パーセントを超えてはなりません。

集団では、我慢すること、許すこと、指示にしたがうこと、目的を達成することなどを経験

できます。しかしそれは二次的で、この段階では小集団での1対1の関わりが何よりも

重要です。関わりが続くようになり、想像力豊かに考えられるようになって初めて、

他の子どもの活動も経験してよい段階に進むのです。

もちろん、いずれも保護者や大人たちによって進行される必要があります。

( 『自閉症のDIR治療プログラム』S.グリーンスパン

 S.ウィーダー 著 広瀬宏之訳 創元社 p269より)

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日本でこの決まりを厳守することは難しいかもしれません。

でも気持ちが急くからとか、周囲に勧められたからという理由だけで、

子どもの現在の状態に対して、

目に見えて負担がかかるようなことをさせない方がいいと思っています。

そうした意味で、先に引用させていただいた文章を頭のとどめておいていただくと

うれしいと感じてます。


アラマタ大事典  アラマタ人物伝

2012-02-12 17:21:18 | 教材作り

算数クラブの小学2年生の女の子が「今はまっているから……次は緑の表紙のも買ってもらうの」と言いながら、

『アラマタ大事典』と『アラマタ人物伝』を

お家から持ってきてくれました。

『アラマタ大事典』は教室にも置いている

子どもが夢中になるような事典です。

 

「他の子らにも事典を読む面白さを教えてあげたいから、

一番面白いと思う記事を選んでちょうだい」と言うと、

 

ゾンビ  大塩平八郎  野口英世

 

の3つのテーマを選んでくれました。

 

↓注目ポイントを蛍光ペンでなぞって

宣伝用の掲示物作り。

 

さっそく後から来た年中さんたちが

見ていました。

わたしが簡単に説明してあげると、「こわいー!」「ぼくはこわくない!ゾンビも菌も!」「キャーこわい」と

年中さんたちは大騒ぎでした。

 

 

図鑑や事典を購入してお家に置いておくのも

子どもの興味が広げるきっかけになるかもしれませんが、

できれば、友だちから友だちへ、年上の子から年下の子へと

遊びや学びが伝承されていくような

子ども同士の関係が作られていくようにサポートしたいです。

 

わたしが小学校の頃は、学校がそうした役目も担っていたのです。

でも、最近は大人がそうした関係を育てる大切さを感じていなかったり、

休み時間ですら大人の決めた外遊びを強要されていたりして、

学校とは人と人の絆をバラバラに切断していくところのような印象すら

あります。

とても残念ですね。

 


工場のベルトコンベアー   年中さんたちのレッスン   

2012-02-12 16:39:48 | レゴ デュプロ ブロック

ブロック用のテーブルにテーブルクロスを切って作った長い帯を巻いて

ベルトコンベアーを作りました。

工場の製品のボトルがスムーズに流れるように枠を作って

一部に屋根も作りました。

 

このボトル、1本に10個のあずきが入っていて、全部で100本あります。

1000の数を学ぶために作った

教室の自慢のおもちゃです。

 


工作用の布選び

2012-02-11 15:56:23 | 工作 ワークショップ

 

「布でお人形の服を作りたい」という子がよくいます。

こうした布を使った手芸もどきの活動に便利なのが、

チェック柄の薄手の(ちょっと透けるかな?という薄さの)布です。

 

どんな風に便利かというと、子ども用のはさみで簡単に切れますし、

チェック柄のおかげで、物差しを使わなくても

簡単に長方形を切り取ることができるからです。

 

幼い子用の洋服も帽子も、人形に巻いてみてちょっとあまりが出るくらいの大きさを

長方形に切ると、

後は巻いて輪ゴムでとめるか、布の端を結べば

服やぼうしの完成です。

子ども本人が着るドレスも同じ要領で

作ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こびと図鑑  ねんどがないのにねんど遊びをしたい時に……

2012-02-11 15:39:56 | 工作 ワークショップ

前回の続きは明日にでも書きますね。

 

『こびと図鑑』が大好きという小1の●くんと

こびととジオラマを作りました。

ねんどでこびとを作りたかったのですが

ねんどのストックが切れていたので、セロハンテープで代用することにしました。

 

セロテープをある程度の長さまで伸ばして切って丸めると、

写真のようなテープのおだんごができます。

セロテープを丸める作業は、ねんどの感触が苦手な子も楽しめるかもしれません。

だんごふたつをテープでとめて、さらに手にするセロテープを

写真のように貼ってから、ねじります。

同様に足をつけるとできあがりです。

写真は『ヤドダシカムリ』という海や岩場に住むこびとなので、

頭に貝殻を貼り付けています。

油性マジックで色をつけます。

 

セロテープでこうした人形を作ると、細い手なども

ちぎれたり折れたりしないという利点があります。

●くんはぜひこびとをつかまえてみたいのだとか。

作った作品を喜んで抱えて帰っていきました。

 


広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性発達障がいの疑いを指摘されたら 14

2012-02-11 09:33:07 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

これまでお話してきた「バランスをとる」という方法は、

わたしがこれまで子どもと接するときに自然に行ってきたことで、

シンプルな方法ながら

いつも期待した以上の良い結果を得てきた方法でもあります。

親御さんがこれを自然に実践できるようになると、どんなに発達に困難を抱えた子でも

成長が加速されていくことを信じています。

 

「子どもから発せられるものと、大人が発するものの量をそろえる」過程は記事にも

してきたのですが、

表現の仕方があいまいだったためか、きちんと伝わっていない感じがしていました。

 

同じ内容を「バランスをとる」という言葉で説明したところ、

「腑に落ちた」とおっしゃる方がたくさんいらっしゃったので

過去記事をもう一度この言葉を使って説明しなおしてみることにしました。

 

わたしは何ヶ月かに1度、神奈川に住んでいる自閉症のトムくんという男の子のもとに通っています。

トムくんとわたしの出会いから何度目かのレッスンの様子を

自閉症のとトムくん と 新しい成長の兆し 1

の記事の終わりにリンクしています。

その最初の

(鎌倉で……)知力、能力、意欲を引き出すってどうするの?

のなかで、ブランコをはじめたトムくんとわたしのやりとりを書いています。

 

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yoshikoさん宅で、学校から帰宅したトムくんは
天井から吊ってあるブランコで遊び始めました。
私はブランコにぶつかるような位置にすわっていて、
トムくんがブランコを前にこぎだすたびに、「こわいこわい」と言いながらうしろにさがり、また前に出ては、ブランコがきたら「こわいこわい」とさがってみせました。
すると、あらぬ方向をみていたトムくんの目が、ブランコが揺れている
最中は私をしっかり見ています。
次に、こぎだしてきたトムくんのつま先を手の平でトンッと受け止めると、
次には、手をめがけて、足を当ててやろうという意志が表情に浮かびました。
そこで、こちらも積極的に、ブランコが後ろにさがるときに、
「まてまて」と足先を手でたたくふりをして追いかけて、ブランコがこちらにきそうになると、サーッと後ろにさがって「こわいこわい」とオーバーにしてみました。
この遊びがとても気にいった様子のトムくんの表情には、
私の次の行動を期待したり、期待通りで面白いという笑顔が浮かびました。
それでふざけっこをやめたとたんに、自分から手をつき出して私の両手をにぎり、
「もっと遊ぼうよ」という目で見上げました。

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この数分間のブランコ遊びの後で、

人を人として意識して見ているように見えないほど

人に対する無関心さが目立っていたトムくんが、わたしに対して積極的な関心を寄せるようになりました。

 

このように書くと、ブランコをしている時に、

「待て待てと追いかけてあげるといいんだな」「向こうがこぎ出した時に

こわいこわいと逃げたらいいんだな」と表面的な何をしていたかの事実だけを

受け取られてしまうかもしれません。

でもそうした目に見える形を真似てもおそらく

対人交流が困難な子の気持ちを惹きつけるのは難しいかもしれません。

 

それなら、何をどう気をつけて遊べばいいのか

というと、ここでも重要なカギを握っていたのが

「バランスをとる」ということなのです。

 

トムくんと会ったばかりの頃、わたしはたびたび

自分が完全に「物」になったかのように振舞っていました。

身体の力を抜いていっさい何もしないだけでなく

心のなかからも全ての雑念を排除するのです。

 

 

トムくんとわたしの間には

透き通るような静かな時間が流れていくのを味わっていました。

 

わざわざ心のなかの雑念まで消し去っていた理由は、

ただ黙って「物」になったような演技をするのでは、

かえって緊張感や人の感情や考えが外に向かって放出されることにもなりかねないからです。

人が考えていることや感じていることは

表情や手足の筋力の張り方や微細な身体の動きなどで

自分で思っている以上に伝わっているものです。

 

どうして「物」のように振舞う必要があったのかといえば、

トムくんの「人への無関心さ」は、「人に対する過剰な敏感さ」と表裏一体であることが

直観的に感じとれたからなのです。

そうしたトムくんの敏感な感性と自分の関わり方のバランスをとろうと思ったら、

まずリラックスして自然でありながら何もせずに何も考えない状態を

保つことが大事だったのです。

時折、人としての意志を失って

物のように力が抜けるわたしの腕を

引っぱってみたり、自分の思うように扱ってみたりしながら、

トムくんのなかで次第にこちらに向ける関心が高まっているのがわかりました。

ブランコで遊ぶ時も、トムくんがねらいを定める思いの強さより、少し控えていながら

次の遊びを誘うほどの強さで返していましたし、

相互のやりとりがお互いのワクワクする気持ちを刺激して、トムくんの「楽しい」という

感情が高ぶるにつれて、わたしもそれより少し控えつつ大胆に振舞い、

トムくんが次に起こることを期待するような表情を何度も浮かべるようになったところで、

期待を裏切って、意外性にちょっと驚くような体験を加えたのです。

 

次回に続きます。