虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

(真似したい気持ち)  言葉が遅い 目が合わない……成長に気がかりなところのある子のレッスン 2

2012-05-21 14:11:10 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

途中で、「★くん、工作しようか?」と誘うと、★くんは玄関に向かって歩いて行って

靴をはき始めました。

テーマのある遊びに不安があったようです。

お母さんに説得されながらテーブルに戻ってきた★くんは、

色画用紙帳から赤を選び、クーピーペンシルを手にしました。

わたしもクーピーを手にして「ずんずんずんずん」と言いながら線を描いていくと、

★くんも向かい側からわたしの方に線を描き始めました。

「★が直線を描いたのははじめてです」とお母さんは喜んでおられました。

 

★くんとわたしは向かい合って座って、自分の方から相手に向かって

線をどんどん描いていきました。

誰に言われるともなく「いっせいのーで」と★くんがつぶやきました。

線を描き始める合図のようです。

 

何本も線を描いて遊んだ後で、わたしは赤い画用紙のはじっこに

はさみでいくつか切り込みを入れました。

「★くんもはさみで切ってみる?」とたずねると、★くんはそれには答えずに、

わたしが切り込みを入れた部分の紙をピリピリやぶりだしました。

★くんのお母さんは、「はさみをしてみようか?先生がはさみで切ろうかって言ってるよ」と

声をかけていましたが、そうした誘いかけには無頓着な★くん。

 

わたしが★くんの真似をして切り込みからピリピリ紙をやぶって、

その後で、わたしが破った細い紙をクーピーでクルクル巻いてみせると、

巻きがった紙からクーピーを抜こうとしたり、

自分でも紙を巻いていく作業を真似しはじめました。

 

その瞬間から、わたしに対してどちらかというと無関心を決め込んでいた★くんが、

わたしがしてみせたことを、しばらくすると思いだしたように真似してアウトプットしてみせる

ということを繰り返すようになりました。

★くんは誘われる方向に注意を向けるのも、打てば響くように人の模倣をすることも

まだできません。

 

しかし、模倣したいという意欲そのものは、

観察してからアウトプットするまでかなりの時間差はあるものの、

かなり高まっているようでした。

それ以後の関わりでは、わたしがしてみせたことで★くんの興味を引いたものは、

しばらくしてから全て真似していかなくては気が済まないほどでした。

 

 


(真似したい気持ち)  言葉が遅い 目が合わない……成長に気がかりなところのある子のレッスン 1

2012-05-21 12:45:45 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

言葉が遅い、目が合わない……成長に気がかりなところのある子のレッスン 

続き 2

続き 3

 

今日は、上のリンク先でレッスンの様子を記録させていただいている★くんが教室に来てくれました。

★くんは相変わらず目が合いにくくコミュニケーションをとることに困難を抱えているものの、

物に突進していって奪うように関わる癖や、遊びの最中にひんぱんに起こしていたパニックがなくなって

落ち着いて遊びに取り組めるようになっていました。

 

レッスンの半ばくらいまで、★くんはほとんどわたしの方を見ようとはしませんでした。

教室に到着した時も、お母さんが何度かあいさつをうながすと、誰もいない方向を向いて

少し頭を下げて、「こ……んにちは」とあいさつしました。

お母さんに対しても、まるでそこに誰も存在していないかのように振舞っていました。

 

最初のうちは、おもちゃを広げると同時に気が散って、

次のおもちゃを探索しにいくような遊び方でしたが、

★くんがこだわるいたずらを

おもちゃ遊びに取り入れるようにすると、

しばらく提案された遊びを楽しむようになってきました。

こだわっていた「いたずら」のひとつは、おもちゃや家具の隙間を見つけては、

何かを突っ込もうとする癖です。

また教室にあった工作用のスポンジに積み木を押しつけて

うろうろしていたので、

正方形や長方形の木の枠とスポンジを用意してあげると、

枠に詰め込む作業に熱中していました。

また、輪ゴムでたばねてあるカードゲームのゴムをはずして

バラバラにすることを繰り返していたので、

木の枠に輪ゴムをかけてあげると

とても気に入って自分でも遊んでいました。

 

輪ゴムは★くんの今のマイブームみたいです。

レンガ積み木を数個輪ゴムでたばねると、それにも熱中。

 

前回まで、★くんはドールハウスの

窓やドアを開けたり閉めたりすることにこだわっていました。

が、今回は、ドアを開けて、そこにスポンジなどを次々突っ込むことと、

階段の部分を手にしている丸い玉や積み木などを「トントントントン」と上らせることが

楽しいようでした。

 

階段に関心があるのならと、レンガ積み木で階段を作ってあげると、

自分でも積み木を重ねて作ろうとしたり、

何度もゴムをかけた積み木を上らせようとしたりして遊んでいました。

 

次回に続きます。

 


3歳児のためのIQを高める遊び♪

2012-05-20 21:39:57 | 3、4歳児

カードは何でもかまいません。
100円ショップのカードやお持ちのトランプなど何でもOKです。

カードを並べてお店屋さんを開いてもらいます。

じゃんけんの絵のついたウルトラマンカードで、
「ちょきで、こわい顔の怪獣のカードをちょうだい」(こわいかどうかは、本人の判断です

など、2つの指示を聞いて、商品を選んでもらいます。
また、「グーのカードを3枚ちょうだい」といった注文も、
グーのカードを見つけるだけではだめだし、
適当なカードを3枚選ぶのもだめなので、
3歳児の頭をフル回転させてくれる問題です。真剣に選んでくれます。
3歳くらいの子は、
適度な複雑をとても喜びます。
知能を使うことがとても楽しいんですね。

カルタで、「赤い色の食べ物のカードをくださいな。」(苺とトマトなど)
といった注文を出すのもいいです。

カードではなく、ままごとのレストランの注文で、
「お茶ではない、飲み物をください」といったものもいいですね。

子どもがちょうど面白いと感じる複雑さを
見つけてあげてくださいね。


学力に気がかりなところのある子たちのレッスン 1

2012-05-20 13:14:01 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

 

今日は学習面で気がかりなところのある小学2年生の子たちのレッスンでした。

工作タイムには、ランドセルやおしゃれグッズなどを作っていました。

肩にかけるひもを赤い布テープで作ると、

それだけでランドセルっぽくなります。

 

今日のレッスンは、「時計」の「○時間後」「○時間30分後」についてと、

お金を使った計算、1㎝は何㎜にあたるか単位を変換する練習でした。

 

このグループの子の困り感はひとりひとり異なります。

●ちゃんは知力そのものよりも、相手の話を集中して聞くことに困難を抱えています。

一見、気が散りやすかったり、落ち着きがなかったりするのが原因で

話を聞いていないように見える子で、そうした注意を受けがちです。

 

でも実際には、注意深く聞いていて、正しく正解したいと思っているような時でも、

「7時の1時間30分後は何時何分でしょう? 今、何時間何分後について聞いたかわかる?」

といったように、問いを復唱させるだけの質問に、「……10分後?」と

いったどこから飛んできたのかわからないような答えが返ってくるのです。

どうも(学校の)先生の話を(わざと)聞いていなかったから、何を問われたのかわからなくなるのではなく、

先生の話をちゃんと聞いていても、何を問われたのか問い自体がわからなくなることが

たびたび起こっているようなのです。

「ぞうときりんと犬」と聞いて、聞かれたことを覚えておいて「ぞうときりんと犬」と復唱する

ような能力に問題がありそうなのです。

数字など特に記憶しにくいものがあるのかもしれません。

 

「前を見なさい。ちゃんと聞きなさい」という素行の注意だけで終わらせていると、

困り感が膨らみそうです。

 

耳の聞こえは正常のようですから、

聴覚に関わるワーキングメモリーに問題があるのかもしれません。

 

学校ではプリントのように目で見てする学習では大きなつまずきはないようですが、

体育のように指示を耳で聞いて動く授業は

できないことが目立っているそうです。

 

●ちゃんは物事を理解する力や考える力は

かなりしっかりしています。

けれども、こうした聴覚の情報処理の問題だけでなく

見え方についても、工作や学習の場面で「あれっ?」と感じることがたびたびありました。

先月、それを親御さんにお伝えしたところ、

病院でていねいな検査をしてメガネを新調することになり、その後、学習意欲が急に高まったそうなのです。

病院にはそれまでも定期的に目の検査に通っていたそうですが、

今回のように積極的に働きかけないことには、

問題に気づいて改善してもらえることはなかったそうなのです。

「病院に通っているから大丈夫」と過信せずに、メガネをかけている子も

ちゃんと度が合っているか、視覚の情報処理に問題を抱えていないか気を配っておく必要がありますね。

 

「いくら?」とお金を見て金額を言います。

言えるようになったら、「860円持っていて、100円使ったらいくらになるでしょう?」と

いった問題にチャレンジ。

 手作り物差しを作って、㎝と㎜の単位の変換も学びました。

 

考える力に弱さが感じられる子たちに教える時は、

問いのなかに、本人の関心時を含めると

集中力が増したり、間違いを修正する力がついてきます。

 

たとえば、「7時から2時間たつと何時になるでしょう?」といった問題に、

「えっ、2時?5時かな?」なんて適当な返答を返す子らに、

何度も同様の問題を訓練したところで、

なぜ間違えたのか、なぜ正しい答えはそのようになったのか考えないために、

次に「3時から2時間たつと何時になるでしょう?」の問いを出すと

「わかった!9時」と答えが返ってくることがあるのです。

 

そこで、「○ちゃんの妹のAちゃんがね、日曜日の朝に7時からプリキュアのDvDを見始めてね、

2時間も見てたのよ!

何時になったと思う?」

というように、子どもたちが実感できる問い方でたずねると、

「5時?」なんて妙な答えを言ってから、

「それは、ないない。7から8,9で、9時?」と言いなおしています。

 

お金の計算にしても、何を買ったのか、どこで買ったのか、

子どもたちが関心を持つような内容にすると、

考えずに口先だけで数字を答えていた子も

しっかり考えるようになります。

 

学習に困難を抱える子たちが勉強を喜んでするようになるには、

もうひとつコツがあります。

自分がわからない時に、他の子が「わかるわかる」「はいはい!」と手を挙げて

答えを言うと、「自分はできない子」「ダメな子」と落ち込んで

やる気を失う場合があります。

 

そこで、子どもがわからない時に、他の子に答えさせる時は、

「★ちゃんに、そうっとないしょ話で教えてあげて」と言うようにしているのです。

すると、答えがわからないでとまどっている子の耳元にお友だちが口を近づけて

こしょこしょと答えをささやくことになります。

ないしょ話はやっているもの同士、お互いの親密さを体感できる子どもにとって

心が満たされる遊びです。

自分だけが置いてけぼりになったような不安感を

感じずにいれるためか、そうして教えてもらった側の子も

次の問題からは積極的に答えるようになります。

 

大人の目から見ると、勉強の出来不出来で子どもが悩んでいるように見えることも、

子どもにすれば、友だちからの疎外感や孤独感の方が

がんばる気持ちを放棄してしまう理由になる場合がけっこうあるのです。

 

 

 

 

 


自己肯定感は褒めると上がる? 1

2012-05-20 07:06:33 | 自己肯定感を育む

ブログで自己肯定感の話を書くと、

「(自己肯定感を上げるには)もっと褒めるといいんでしょうか?」

という質問をいただくことが多々あります。

そのたびに、「褒める」というのとはちょっとちがうなぁ……と思いつつも

ひとことで、「これこれこういうことしたら上がるものですよ」とアドバイスできるものでもなく、

もやもやした思いをくすぶらせることがあります。

 

そこで、わたしが考える「自己肯定感」が上がると思われる接し方と、

「自己肯定感」が下がると思われる接し方について、言葉にして整理しておきたくなりました。

 

特に、子どもの自己肯定感を上げようと思って褒めているのに、「褒める」行為自体が、

子どもの自己肯定感を下げているように見えるケースについて

言語化できるといいな、と思っています。

 

3歳になりたての子らというのは、

「こういうことがしたいんだ。自分でやってやるんだ!」と

自分の動きを自分でコントロールしたい気持ちが持続しはじめるものの、

「何をどんな風にしたいのか」ということは後回しというか、

本人にするとどうでもいいことだったりします。

 

周囲にすると、一生懸命しているところ、口出しするのも何だけど、

「ちょっと紙の使い方もったいないんじゃない?」「新聞紙使って工作してごらん」なんて

あれこれ口出ししたくなる時です。

 

大人からちょっとあれこれ言われても、

それまで自分や自分のすることに自信が育ってきている子は、

大人のアドバイスもそこそこ聞きいれつつ、「大丈夫だよ。もうこれで、こうちゃく出来上がりだよ。」と

自分のしてきたことを否定しないでいいような切り返しで決着するものです。

お姉ちゃんから手厳しい追及を受けてもへっちゃらで、

ぼくが作っていたのは「○○!」と、おそらく、できあがってものを見て

後付けでひらめいた名前を自信満々に言います。

 

子どもの自己肯定感というのは、自分で自由にできる余白というか、

実際に動く場面でも、想像の世界においても、自分で動いて失敗してもOKという

可動領域がしっかり確保されているかどうかに

大きく関わっているように思うのです。

 

大人が子どもの領域へしょっちゅう侵入していたり、

逆に「子ども」という存在を特別視したりお客様扱いしたりして祭り上げて、

子どもの周りに地に足をつけている大人が存在しなくなったりすることも、

子どもが確かな自分を感じられなくなる、

つまり自分に自信を持てなくなる原因のひとつとなるのではないでしょうか。

 

大人のアドバイスに過剰反応し過ぎて激しいかんしゃくに発展してしまう子も、

即座に大人の指示に従って、「自分のそれまでしていたこともこれからしようとしていたこと」も帳消しにしてしまう子も、

「ママして~」とすること自体放棄してしまう子も、

ちょっとしたことをきっかけに自信や自分への信頼感が揺らぎやすい子なのかもしれません。

 

子どもはそうした揺らぎのなかで成長していきますから、

こういう反応をするから、自己肯定感が低いとか高いとか、気にかける必要はないのでしょう。

でも、

大人の関わり方の加減次第で、

日常の行為のひとつひとつが、

子どもを勇気づけ、自己肯定感を高めていくきっかけになることも事実だと思っています。

 

それは子どものすることなすことを「褒める」というのとは、異なります。

幼い子たちのすることは、たいていでたらめでめちゃくちゃですから、

大人が「褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思っていると、

心にないような嘘をつくことになるか、

子どもが一番自信満々でやった部分は無視して、

大人が言葉でコントロールしてそれなりの形にした部分だけ、「すごい、すごい」と褒めることに

なりかねません。

 

つまり、「自己肯定感を上げるために褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思って褒めているうちに、

褒め言葉が、大人の期待通りに子どもを動かすための

見えないニンジンになってしまうことが非常に多いのです。

 

「子どもの自己肯定感を高めるため」という名目で、子どもに何かできるようにさせようとあせっている時、

実は、周囲の人の評価を大人である自分が欲していて、

「もっと褒めてもらいたい」「もっと認めてもらいたい」という飢餓感が

その動機に取って変わらないか、

自分の心を見はっておくことが大切です。

 

次回に続きます。


遊びの提案    (博物館ごっこ)

2012-05-19 15:13:38 | 初めてお越しの方
4歳の★くんと博物館ごっこをしました。
「これはいるよ」と★くんが、博物館にありそうなものを
教室の中から探してきてくれました。
それから、ひとつひとつ説明してくれます。
「これは、古い車。昔の人が乗っていたんだよ」「これは地球儀。ほら、日本がある」「それから、これは土の中に虫が住んでいるところだよ」

子どもの目に博物館はこんな風に映っているんだなぁと面白かったです。

 金環日食の実験  (理解の伴わない知識を持っていることの問題点)  2

2012-05-19 10:18:51 | 理科 科学クラブ

金環日食の実験  (理解の伴わない知識を持っていることの問題点) 1

の続きです。

 

                      <月食>をおもちゃで再現



地球緑 太陽赤 月

月食とは、月が地球のかげに入って、見えなくなる現象です。
 
 
 
<日食>
 
                           


日食は、太陽が月にかくされて見えなくなる
現象です。
 
 

前回の記事で、理解の伴わない知識を持っていることの問題点について書きました。

間違った知識を覚えてしまうから悪い、と言いたいわけではないのです。

それなら正確に覚えているか抜き打ちテストをして

正しい知識をインプットしなおしていけばいいのか、というと

そうは思いません。

 

科学というのが、ウンチクを覚えて自慢するためにあるような

クイズ大会で高得点を取るためにあるようなイメージで

子どもに定着してしまうことを恐れているのです。

 

 金環日食についても、大人が子どもを巻き込んで

いっしょに金環日食を楽しむことで、「これをきっかけに宇宙への関心を持ってほしいな」と

考えるのは悪いことではないでしょうが、

あまりにマスコミ主導で、流行として科学に触れることで、

子どもにすると「あっ、それ知ってる!」「えっ知らないの?」と自慢するウンチクのひとつが

増えるだけで終わってしまうんじゃないかなとも危惧しています。

 

次に紹介するのは、虹色教室にザリガニのザリ子ちゃんや やどかり(名無し)たちがいた頃の話です。

これを読んでいただくと伝わるかもしれないのですが、

図鑑や大人に教わった知識で「知ってる!知ってる!」と頭でっかちにしてしまわなければ、

子どもはザリガニややどかりからも、「あっ、大発見!」「どうしてだろう?」「こうしたらこうなったよ」「なぜ?」

「わたしはこうだと思う。この原因はこうじゃない?」「生き物って面白いなぁ。もっともっと生態について知りたい」

と考えるのです。

身近な大人がそうした子どもの科学への興味をちょっとサポートすると、

実験の仕方、実験データーのまとめ方、仮説の立て方、調べ方なども

ひとつひとつ身につけていくのです。

 

教室のザリガニ、「ザリ子ちゃん」という名前で、みんなの人気者です。
今日は、みんなでていねいに観察したり、
簡単な実験をしたりしました。

「ザリ子ちゃんの足とカニの足はどこがちがうでしょう?」と質問すると、
たちまち、「あ、小さい足の先にもハサミがついている」という発見がありました。
よく見ると、はさみの先にのこぎりみたいに、ギザギザがついているのも面白いです。
また、しっぽの外にはうっすら毛のようなものが生えています。
見ると、いろんなところに毛のようなものが生えているのです。

よく観察していると、
顔に2つ穴があいています。
「鼻かな?」と言っていたら、「おしっこするところ」と言ってふざけていた子がいました。
みんなゲラゲラ笑っていたのですが、
後から図鑑で調べると、本当におしっこする穴でした。
顔にあるんですよ。

顔の近くに小さな足があって面白いです。

かわいそうだけど、ちょっとだけ実験。
ひとり一箇所ずつ、触ったらどうなるか気になる場所をきめて、
予測をたててから、ストローの先で触りました。

右の触覚を触ると、反対の触覚が大きく動いて、
うしろずさりします。

背中は鈍感で変化なし。

しっぽに触れると軽くジャンプします。

触れる場所によって、カニのように横歩きするときがあります。

最後に足の動かし方について観察しました。
交互にたくさんの足を動かすのか?
バラバラか?
伸縮させながら斜めにも動くのか?
後ろに動くときの足の運びは?
驚いて後ろに向かってしっぽを丸めてジャンプするときの足の動きは?

今日もとても楽しい時間が過せました。友だち同士、別れをおしみながら
帰って行きました。

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虹色教室に陸やどかり(地上で生活するやどかりです)が来て以来、
たちまち No.1の人気者になりました。

なかなか目的を持った作品を作ろうとしない子も、
やどかりハウス作りや、やどかりの公園作りには大喜びで取り組みます。

たった380円のペットですが、
その頭の良さと、動きの面白さ、生態の不思議に
どの子も目を丸くして驚きます。

やどかりの数倍の高さの囲いを作って閉じ込めると、
仲間のやどかりの背中に乗った後で、貝殻からできる限り身体を出して
グーンと伸びをして、爪を塀に引っかけて登るのです。

また、一度、そこは登れなかったと学習すると、他を探索しはじめ、
次のチャレンジ時には、その記憶を活用して
逃げ出そうとします。

見ている間中、子どもたちは大フィーバー!!
「スゴイ!スゴイ!」
「そうだ!迷路を作ってみたらどうだろう?」
とアイデアが次々浮かびます。

きちんとデーターを取って、生態について
もっとくわしく調べてみたいです。

やどかりは手の平に乗せると、貝からにゅっと出てきて
とても可愛らしいのですが、
手の平の熱で
低温やけどしてしまうそうです。
ヤドカリを飼う方は、気をつけてくださいね。

すごく面白いのはセンサー付きのロボットみたいに、
少し離れた場所で手をかざすだけで、
方向を変えたり、貝のなかにもぐりこんだりすることです。

男の子はもちろん女の子たちにもとっても人気です♪

陸やどかりはとてもおだやかな性質で、子どもたちが遊んでいても
ほとんど危険がない生き物です。
でも、子どもたちが次から次へと触るので、ストレスになっていたんでしょうね。

昨日、小学生の☆ちゃんの手の平を
はさみで挟んで放さなくなりました。
洗濯バサミで小さくつままれたような痛さです。
引っ張っても、頑として放さないので、ドライヤーの熱を吹きかけて
無理矢理放させました。
やどかりは熱に弱いので、熱風からもすぐ逃げ出そうとするのです。

事件が一件落着すると、
小学生の☆ちゃんのお友だちたち○ちゃん、●ちゃんと、
やどかりのハサミでつままれていた本人(☆ちゃん)が、
今回の事件を教室の他の子たちに知らせるべく新聞の速報を出したい
と言い出しました。

『やどかり新聞』

お友だちの○ちゃんが大張り切りで記事を執筆する中、
「手のひらのこの赤くなってるとこの写真を、ここの部分に載せて~」と、
もうすっかり痛さを忘れて、それより一大スクープの被害者として注目をあびることにルンルンになっている☆ちゃんが、キャーキャー言いながら記事を書いていました。
新聞には、消毒薬の広告も載っています。

自分たちのやりたいことをしているとき、
それも自分のこれまで培ってきた能力をしっかり使って面白いことをしているときって、
子どもたちは何て楽しそうにいきいきしているんでしょう!!

この後、算数の問題を解いているとき、
とても驚くことがありました。
教室では、その子にちょうど良い易しい問題もしますが、
その子にとって難しいこれまで解いたことがない新しい概念がたくさん入った難問も解かせています。

まったく手も足も出ない状況で、
何から取り掛かればよいか、
何を糸口に解いていけばいいか探りながら、
それまでの経験を総動員して頭をひねりまくる機会を作っているのです。
教室に幼児から来ている子たちは
そうした問題にとても強くて、
先日もまだ習ったことのない面積に関わる難しい問題をすぐに解いてしまって
驚いたくらいなのですが、
小学生から学習をスタートさせた子たちは
理解力が高いのに頭が固くて、
教えた問題は解けても、見たことのない問題は何をしたら良いのかわからなくなったり、
トンチンカンな考え方をしたりするのです。

それが、
この新聞作りの後で、算数の問題を解いたところ、
難問となると、すぐに「わからん~解き方教えて~」と頼り気味だった○ちゃんが、
初めて見る問題を次々発展させて解いていきました。
えっ?
と驚いたものの、そういえば、このごろ○ちゃんは自分らしさや

個性がはっきり外に溢れてきていて、自発的に行動する姿が多くなってきていたことに思い当たりました。
もともと理解力の高い頭の良い子ですから、
自発性や自分への自信が強まってきたので、
難しい問題も自分で考えればできることがわかってきたのかもしれません。


「教え方」で思考停止に陥るケース と 「教え方」が思考力を向上させるケース の違い 2

2012-05-19 07:40:55 | 教育論 読者の方からのQ&A

「教え方」で思考停止に陥るケース と 「教え方」が思考力を向上させるケース の違い 1

の続きです。

前回、紹介した『まなびを学ぶ』という著書に、

子どもが「意図」理解をどんな時に「放棄」するのか説明されていました。

 

つまり、どんな時に、「考えないで」まねるのか、ということです。

 

前回、1歳2ヶ月を過ぎる頃から、他者の「意図性」に対する感受性が高まり、

「何を得ようとしているのか」

「なぜその行為をするのか」という行為の目的や理解にもとづいた模倣がはじまることを

書きました。

 

ちょっと驚いたのは、その頃から、まねる行為そのものが関心時になることもあるそうなのです。

 

実験から人はマニュアルのような「教示的指示」が示されると、対象物の道具的機能特性を

自由に活用するという思考を停止させて、

いわば、「この道具はこのことのために、こう使うもの」

というように、機能的固着を生み出すことがわかっています。

 

ウィッテンらは、チンパンジーがすぐに「自分で」やり方を工夫して

問題解決できることを、

人間は「教示」されてしまうと、明らかにそれが無意味であることが、

「考えればすぐにわかる」はずのことでも、

「盲目的模倣」をしてしまうことを実験で示しました。

 

「意味を考えない」模倣、「(とりあえず)言われた通りのことをする」という

模倣は、特定のグループた社会に「仲間入り」したり、特定の共同体の成員性を獲得するための

必須の条件でもあります。

 

『まなびを学ぶ』には、次のように書かれています。

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日常生活で「意味がわかる」ということは、わかるべきことが、それまでに獲得している自分の知識範囲内で

解釈可能だということであろう。

「ああ、そういうことなんだ」と「わかる」とき、

私たちは自分の過去の経験に照らして、そういえば「似たようなことが」がかつてあった、とか、

自分のこれまでの知識の枠の中にきちんと「納まる」ということであろう。

 

しかし、そうだとしたら、「意味がわからないこと」はすべて拒否してしまうとしたら、ものごとの意味が

新しく発見されるとか、いままで考えもしなかったことがわかってくるというような、

これまでの自分の知識や経験を「超えた」ことは永遠にわからないままになってしまう。

つまり、私たちは、「ほんとうのこと」というのは、すぐにわかるとはかぎらないということを、

どこかで受け入れていかなければならないはずである。

 

このことは、意味理解を安易に放棄して、「わからないことはわからないままでいい」ということではないだろう。

「わかっていく」ということは、簡単なことではないということを受け入れた上で、もっと

本当のこと、もっと深い意味、もっと多様な意味を、

「よくわからないまま」探求し続けるということも、重要なことであろう。

あるいは、私たちが安易に「わかっている」と思っていることを、もういちど、

「ほんとうは、わかっていないのかもしれない」という疑いの目で見つめて、

「わかりなおそう」とすることも、必要なことであろう。

                 『まなびを学ぶ』  (苅宿俊文 佐伯 胖  高木光太郎  編 

               東京大学出版会  の内容 を短く要約して書いています   ) 

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話が脱線して悪いのですが゛……。

 

現代を蝕む 自己コミュニケーション障害(ディスチミア)と 感情制御の障害(アレキサイミア) 7

現代を蝕む 自己コミュニケーション障害(ディスチミア)と 感情制御の障害(アレキサイミア) 8

の記事で、(この記事の続きは近いうちに書きますね)

わたしが子ども時代に当時の大人たちの姿に違和感を覚えていたことを書きました。

その違和感というのは、要は

その時代の大人たちが声高に唱えたり、信じたりしていたことのどれにも、

「根拠」という過去の経験と照らせるような地盤がすっぽりと抜けているようなところが

あったことなんだろうと思います。

 

うちの母はもちろん、近所の大人たちも、

「テレビでこう言ってた」とか「ご近所の誰かがこういってた」というだけで

その考えの是非について自分の内面を通さずに、

「信じるふりをして騒いでるうちにそうとしか思えなくなってきた」とでも言ったらよいような

心理状態で情報に感染していく特徴を持っていました。

 

子どものわたしがやや批判的に不信感を抱きながら

そうした世界を眺めていた理由には、

幼児の頃から夢中になっていた北欧などの海外の児童文学の影響があります。

 

わたしはずいぶん幼い頃から、

エンデやファージョンやリンドグレーンやマリア・グリーペやカニグスバーグやネストリンガーといった

児童文学の著者が世界を眺めるのをなぞるように世界を見つめていたし、

児童文学の著者たちが繰り広げる思考の筋道に自分の考えを重ねるようになっていました。

 

読書好きが高じて、その著者の目や思考を通して、自分の生きている世界と

関わっているようなところがあったのです。

 

ですから周囲の大人たちが考えたくないがために、どこかでにわかに仕入れてきた考えを声高に

力説する姿に

表面的な嘘っぽさや考えにルーツや根のなさ

を感じていたのです。

 

考えてみれば、うちの母たちの世代というのは、

戦争の影響で、自分が思考の根拠のようなものを、

過去の経験と照らし合わせることを避けている親に育てられたはずですから、

それも仕方がないのかもしれません。

 

常に考えをリセットして、思考停止状態で新しい情報を自分の頭にセットすることに

問題を感じていない人々が多かったですから。

 

わたしが住んでいたような新興住宅地では、

テレビで報道されることや、本に書かれていることを、

無批判に信じ込むことをよしとするような時代の空気がありました。

そうした親たちに育てられた今、成長期の子を育てているような世代は

かつてほど報道や活字を鵜呑みにするような

ことはほとんどないのでしょう。

でもその一方で多すぎる情報のなかで、新しい形の思考停止状態が蔓延しているような

気もしています。

 

 

話が脱線しすぎて、子どもの学習の話から逸れてしまいました。

次回は元に戻して続きを書きますね。


(虹色教室で)2歳代で身につけてもらいたいと考えていること 1

2012-05-18 12:57:32 | 教育論 読者の方からのQ&A

今日は2歳9カ月の★くんと☆くんのレッスンでした。

虹色教室では、ベビーレッスンに通ってもらっている子らに、

2歳の間に「こういうことができるようになってほしいな」と思っている課題がいくつかあります。

★くんも☆くんも、どの課題もしっかりこなせるようになって

すっかりお兄ちゃん。

★くん、☆くんのお母さんも、子どもたちの成長ぶりに思わず目を細めていました。

 

それではわたしが2歳代で身につけてもらいたいと考えている課題はどのようなものか

紹介しますね。

 

① まずひとつめは、「○○で遊びたい」「こういうことがしたい」と自分で言えることです。

 

これは「何がしたいか自分で言いなさい」「決めなさい」と問い詰めるような接し方をしていても、

言えるようにはなりません。

また、大人が「こんなことしてごらん」「こうしてごらん」と指示して

子どもを動かしてばかりいても身につきません。

 

「こんなことがしたいな」という子どもの思いに実現の有無はとにかく

しっかり耳を傾けてあげて、

幼い子の発言もひとりの人間の意見としてきちんと取りあげてあげていると

自信を持って、「~したい」「~で遊びたい」と言えるようになります。

 

飽き飽きするような受動的な遊びではなく、自分から働きかけて

全身を使って遊びこむことができるような魅力的な遊びの体験も大事です。

 

それまで楽しかった遊びのレパートリーが少なければ、「~こういうことがしたいよ!」という

言葉は生まれてきませんから。

 

外向的な子も内向的な子も、自分の思いを自由にどんどん表現して、

それをしっかり受け止めてもらったという体験の蓄積から、

「あんなことも、こんなこともしてみたい」という意欲が生じてくるものです。

 

 子どもはやりたいことのレパートリーがたくさんあると幸福そのもので、

自信に充ち溢れてきます。

 

 

② ふたつ目の課題は「ぼくにやらせて!」「自分でする~」という言葉がさまざまな場面で出てくるかです。

 

上手にできるかとか、正しくできるかなんて気にもとめずに、

「自分がしたことは全てすばらしい!」という自信満々な態度がこの時期に身に着くと、

後々、他の子や大人の方法からよりすばらしくする方法を学びとろうとする姿勢につながります。

 

子どもをコントロールしないで自由にやらせつつ、

危険がないように見守りつつ、

同時にその時期に子どもが

非常に敏感になっている発達の課題に気づいて、ひとつの技能を洗練させていく過程を

ていねいにサポートしてあげます。

つまり、「自由」にさせつつ、しっかり「サポート」するのです。

 

③ もの作りに親しんで、買わなくても作ればおもちゃが手に入るというイメージを持っているかも大事にしています。

 

3歳の後半くらいになると、お店で目にするもの目にするもの買ってもらいたがるようになる子がいるのですが、

幼い頃からモノを作って遊ぶイメージに慣れていると、

「買いたい、買いたい」と衝動が高まる時に、「作ればいいか」と納得したり、

お友だちと物の取り合いになった時に、「作るからいいよ」と創造的に解決できるようになったりします。

④ お友だちに作り方を教えてあげる、相談しあって同じものを作ることができなど、

友だちとの関わり方のイメージの豊かさも大事にしています。

 

お友だちに対して「作り方を教える」ということができると、

自分の能力に対する自信を高めつつ、お友だちと仲良くするのが上手になってきます。

作り方を教えるといってもそんなたいしたものではなく、

今日来ていた★くんでしたら、「駅の作り方を教えてあげる」と言って、

ブロックの塊をボードに置くだけの作品を披露して、

心から満足そうでした。

教わった☆くんも、★くんのすることに興味が高まって、ふたりで

消防車を作りたいだの、トーマスの○○を作りたいだの、パトカー作ればいいだの、

救急車を作るだの言って盛り上がっていました。

④「○○だからかな?」と原因について考える、「こうすればいいんじゃない?」と自分のアイデアが言えること。

 

⑤好きな遊びには、夢中になって遊びこむことができること。

 

⑥見立てたり想像力を使うことを楽しめること。

 

 

3歳の子が、ここで取りあげている2歳代で身につけてもらいたい能力が身についていないからといって

それほど気にすることはありません。

でも、身近にいる大人の言動や態度は

微調整した方がいいかもしれません。

 

たとえば、夢中になって遊びこむことができない原因は、

子どもの側にあるのではなくて、

たいてい環境や大人の関わり方にあるからです。

 

「ぼくにやらせて!」「自分でする~」という言葉が出てきにくい子にしても、

原因は子どもにあるのではなく、

大人のさせたいように「ここがちがう」「こうしてああして」と必要以上に口出しているからだったり、

子どもがやりたがるときに、つきあってあげることが少ないからだったり

するからです。

 

次回に続きます。


子どものなかの自律性や自立性は、待ってあげるからこそ育つ

2012-05-18 12:53:54 | 教育論 読者の方からのQ&A
仲の良い……とても信頼できる友だちや知人、数名から、相田みつをの本を
いただいたことが何度かあります。
口を揃えて言うのは、「大衆的だと思って敬遠していたけれど、とてもよかったの」という言葉。
私も、読むたび、年々、
その良さが、心に響くようになった気がします。

一番好きな著書は、

相田みつを 書 
佐々木 正美 著 

の『育てたように子は育つ』

この本には、子育ての実話が相田みつをの書といっしょに載っていて、
とても考えさせられるものです。

ささいな親の注意にカッとして、母親のろっ骨を折ってしまったり、窓を割ったりする若者に共通しているのは、
小さい頃「素直ないい子」なのだそうです。
「やらなければならないこと」を優先する習慣がついて、
本当にやりたいことをやる能力を失ってしまったのです。

それに大きな悔いと不満を感じ、混乱し、人生をやり直そうとしているかのような行為。
両親は自発性や創造性が育つよう、干渉し過ぎないやり方で根気よく
やりなおさなくてはならないそうです。

相田みつを の 待つ という美しい書に、
佐々木氏が次のような話をそえています。

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子どもに限らず草花でも農作物でも、何でも育てることが上手な人は、
待つことが上手な人だと思う。待っていることに喜びや楽しみを感じていられる人である。
日常で、最善をつくしているという実感があれば、待つことの楽しみは最大になるであろう。結果を問わない気持ちができていれば、待つことは安らぎでもある。

子どもを育てるとき、努力と結果を問題にするならば、先の結果より、努力の「今」に共感してやりたい。
休息の「現在」であれば、その現在を静かに見守ってあげたい。

休息が終わって活動を再開するのを、いつまでも待ってやりたい。
はた目には待ってやったことが無駄だったように見えても、かけがえのない親子のような関係の者にとっては、苦楽を分かち合ったものにしかわからない
存在の重みの感動が必ず残る。
だからじっと待ってやりたい。

子どものなかの自律性や自立性は、待ってやるからこそ育つ。

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わが子も、教室の子も、とてもすばらしい成果を目の当たりにするとき
というのは、他のようにできなくても
のんびりゆっくり待ってあげた結果だな~と思います。

好きなことばかりして、苦手なことから逃げてばかりいる
すぐお友だちに手が出る
かんしゃくを起す
よく泣く
何をするのも遅い
よく忘れる 

子どもが大人の期待通りに動いてくれないときに、
しつけたり、子どもに正しい見本を見せたりして最善はつくす

でもできるできないは、時を待つ~

とのんびりゆっくり構えていたら、どの子もすばらしい才能をあらわし
はじめます。
特に、他の子の何倍も時間がかかって、それを待っていてあげた子は
本当にすばらしい力を発揮し始めるんですよ~。

わが子にしても、「この子のこういうところすばらしいな~」と感激する
部分は、教えた結果でなく、「待った」結果、身についたことばかりなのです。

「小さい頃にきちんとしつけないと、わがままな子に育つ」と言って
おどす人は多いと思います。
でも、小さい頃に親の言いなりでいい子をしていても、
思春期になれば、ほとんどの子は生意気で軽はずみな行動が多くなってきますよね。
でも、待ってあげる という親の姿勢は、
子どもの心に深く届いて、義務ではなく自分の本心から生じる
優しさを生むように思います。

かつて勉強を見ていた近所の子に、
大きくなって久しぶりに会うとき、
小中学生の頃は
好き放題言うので、私もずいぶん勝手を聞いてあげたものだけど、
本当に優しくしっかりした子に育って、
自分で考え、ばりばり仕事しながらがんばっている姿を見て
うれしくなるのですよ~。