工作と物語を作るのが大好きな新1年生のAちゃん。
前回のレッスンの時に、映画館を作って帰りました。前回のレッスンは、
簡単映写機 と 映画館で記事にしています。
その後、お家に帰ってから映画館を完成させ、
フィルム3本分の絵を描いて、お友だちの前で、(映画館にはシルバニアの人形たちが……)
自分が作った物語の映画を上映したそうです。
工作と物語を作るのが大好きな新1年生のAちゃん。
前回のレッスンの時に、映画館を作って帰りました。前回のレッスンは、
その後、お家に帰ってから映画館を完成させ、
フィルム3本分の絵を描いて、お友だちの前で、(映画館にはシルバニアの人形たちが……)
自分が作った物語の映画を上映したそうです。
ひらがなカードを使って文字遊びをすると楽しいです。
文字が書ける子でしたら子どもが書いたひらがなを適当なサイズに切ったものや、
親がその場で子どもに求められる文字だけを書いてあげたカード(全ての文字がそろわなくてもOK)でも十分です。
上の写真は、まんなかの文字が「い」になる
言葉を作って遊んでいたところです。
あたまの文字が「あ」になる言葉作りや
前から読んでも後ろから読んでも同じになる言葉作りなどで遊びます。
言葉作りで本格的に遊びたいなら、
ワードバスケットというカードゲームがお勧めです。
。
2歳児さんにどのようにしつけて
教えていけばいいのか、具体的な方法でしたね。
2歳児さん同士が揉めだした時、
遠くから「お友だちのおもちゃを取っちゃだめよ。返しなさい。」
「叩いちゃだめ」といくら大きな声で注意してもあまり意味がありません。
大きな声にびっくりして、どちらかの子が揉め事の場から撤退したとしても、
その後、揉めごとを繰り返すたびに、前よりも衝動的で乱暴なものになっていきがちです。
なぜなら、「大人が大きな声で注意するより先に、早いとこ、
自分の思い通りにしてしまおう」
「大人の言うのを無視さえすれば、何をしたっていい」
(叱られても怖いと思わない強ささえ身につけたら何をしてもいい)
と判断するようになる子が多いからです。
それならどうすればいいのかというと、2歳児が揉めだしたら
揉めている現場に駆けつけて、相手を叩きかけていたり、
物を投げようとしたりしていたら、
振り上げている手に大人の手を添えたり、背後から軽く抱っこしたりして、
暴力が振るえない状態にした上で、「○○のおもちゃが欲しかったの?」
「○○は★くんのなの?取っちゃだめなの?」など、今の状態や気持ちを言葉で
確認することです。
この時、罰でも与えるように不必要に強く拘束するのはいけません。
次にお友だちの悪さを見つけた時に
お母さんがしたのと同じ方法で、乱暴に成敗するようになります。
とにかく一拍置いて、現状を正しく捉えて、自分の感情を言葉で理解しなおすことが、
最初の課題なのです。
「こうしなさい」「ああしなさい」と叱りつけて指示を与えるのではなく、
一呼吸置いて、自分でどうすべきか判断する間を与えます。
★くんの場合、トラブルの際にお母さんが★くんに求める行動が、
★くんの年齢にそぐわない高すぎるものだったため、
「~~したかったの」「貸したくないの」「ぼくもおもちゃで遊びたいの」
といった年齢相応の主張や懇願する姿がほとんどないことが気になりました。
そのため大人が見張っていて注意をうながしている場面では、
あっさりしすぎるほどに相手に譲って引いてしまうわりに、
大人の目があまりない場面では、躊躇せずに
暴力に訴えて相手からものを取りあげる姿がありました。
つまり、「もっと年齢が上のお兄ちゃんのような我慢」をするか、
「思うがまま好き放題に無茶苦茶」をするか
両極端な態度の間にある行動が未体験のままなのです。
以前、『学習に気がかりなところのある子のレッスン』という記事で、
衝動性を抑えることに困難を持っている小1の●ちゃんのレッスンでの出来事を
紹介したことがあります。
やんちゃなタイプの2歳児さんは、ハンディー等はなくても、
この●ちゃんと同じように衝動を抑えることが難しいです。
また衝動的に自己中心的に振舞う時に
「そんなことをしてはだめ」「こうしなさい」と注意するだけではなく、
今日はいつもより落ち着いているなという時は、取り立てて良いことをしたわけでは
なくても、褒めてあげたり、勇気づけてあげることが大事だと思っています。
「ちゃんとできている自分」を意識させて、我慢することの価値に気づかせたり、
「お兄ちゃんお姉ちゃんになりたい」という気持ちを育くむのです。
またおりこうすぎる時は、それを当たり前として、こちらの子どもへの要求水準を上げ
るのはよくありません。
「えらくはりきっているものの、
そろそろがんばりの限界が来ているんじゃないかな」と判断して、
その後でわがままを言いだしたら、
「がんばったから、疲れたね。ちょっと泣いておこうね」と
溜まったストレスを発散できるようにしたり、まだする!とはりきっていても、
「がんばったね、もうおしまいしようか」とたずねたり、そっと手伝ってあげたり
するといいかもしれません。
これは揉め事においても同じで、
本人にすると「譲りすぎているな」「おりこうすぎだな」
「今日はずいぶん聞き分けがいいな」と感じたら、
「このおもちゃは★くんの大事!だから貸したくないんだよね」
といった本音を引き出して、相手の子に、
「ごめんね、★くん、さっきからどうぞっていっぱいしたから、
今度は貸したくないんだって」とお願いしてあげるくらいの
対応を挟むのもいいかもしれません。
そのように本人がいい子になろうとがんばっているときも、
ちゃんと本人の本音を拾い、心を大切に扱ってあげると、
少しずつ、自分のできる範囲で我慢することや衝動性を抑えることを学んでいきます。
参考になるかわかりませんが、
先に紹介した『学習に気がかりなところのある子のレッスン』の記事を
紹介しますね。
子どもの衝動性を抑えるためにどのように接したらいいのか関心がある方は
読んでくださいね。
(記事に登場している●ちゃんは現在、小学2年生になって
落ち着いた態度でさまざまな課題に取り組めるようになっています。)
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学習面で気がかりなところがある子たちのレッスンでの出来事です。
病院で広汎性発達障がいの疑いを指摘されている小学1年生の●ちゃん。
多動があって衝動性が激しいので、
前回までのレッスンでは、他の子らが工作をしたり、ゲームをしたりしている間も、
幼児向けのショッピングカートを引っぱりまわしたり、あちこちのものをひっくり返したり、
大きな声で騒ぎまくったりしていました。
勉強面では、頭の回転はいい子なのに、
問題文を落ち着いて読むことができないために、
実力を発揮できずにいました。
気が長くていつも温和な●ちゃんのお母さんも
四六時中、めまぐるしく動き回っては、かんしゃくを爆発させてわめきちらす●ちゃんの世話に
ほとほと疲れ果てておられるようでした。
それが今回 教室に来た●ちゃんは
いつもより落ち着いた表情をしていました。
グループのみんなで『お買いものゲーム』をした後で、
それぞれの子が教室でやりたいことを口々に言いあいました。
「工作したい~」と「わたしも工作~」とお友だちの★ちゃん、☆ちゃん。
でも●ちゃんは、「工作なんかいやだ~おもしろくないよ。そんなの」と言っていました。
「●ちゃんは何がしたいの?自分がしたいことを考えればいいのよ。
★ちゃんも☆ちゃんも、●ちゃんも自分たちと同じように工作しないとダメだよなんて言わないでしょ?」
とわたしが言うと、「ごっこ遊びがしたい」と答えた●ちゃんは、
「ね~お店ごっこしようよ」と★ちゃんたちに声をかけていました。
でも、★ちゃんは、「わたしは本が作りたいの。たくさん図鑑を作りたいから、
先生、色画用紙と切ってもいい本を用意して」
ときっぱり言い切り、
☆ちゃんは、「本の作り方ならわたし知ってるから。折る方法教えてあげる。
わたしも画用紙をちょうだい」と言って、
工作をはじめました。
普段の●ちゃんなら、みんなと同じことをするのは嫌だけれど、
自分だけみんなと違うことをするのも嫌だと言って、
大騒ぎしたりおもちゃをどんどん散らかしたりして、他の子らの注意を引きつけようと
していたはずです。
でも今日の●ちゃんは、ちょっと静かに考え込んでいて、
「じゃあ、わたしはお雛様作るわ」と言いました。
「●ちゃん、今日はとても落ち着いてるね。ワーワー騒ぎたくなった時も
ぐっと抑えて我慢できていたね。すごいすごい」と褒めると、
照れたように笑っていました。
「どんなお雛様にしたいの?」とたずねると、
「大きくいやつ。それから、お内裏様は、お雛様よりもっと
大きのよ、だって男だから」と言いました。
●ちゃんはわたしが提案したお雛様の作り方が
とても気に入っていました。髪の毛をつけた後で、「散髪!」と言いながら
髪を切りそろえたり、「パーマ」と言いながらえんぴつで髪の部分をくるくると
巻くのを楽しんでいました。
これまでひとつのことにじっくり取り組むのが難しかった●ちゃんですが、
お雛様を作り終えるとお内裏様も作りました。
その上、☆ちゃんが「わたしも●ちゃんみたいにお雛様が作りたい」と言いだすと、
「わたしももう一回、お雛様とお内裏様を作る!」と言いました。
それから「さっき作ったお雛様とお内裏様は、
おばあちゃんとおじいちゃんになったことにするの。
今度作るやつは、その子どもの子どものお雛様とお内裏様ってことにするのよ。
着物の作り方、もうわかってるから、教えてあげよっか?」
と☆ちゃんに話しかけていました。
わたしは●ちゃんはえらくはりきっているものの、
そろそろがんばりの限界が来ているのではないかとも思っていました。
ですから、「●ちゃん、すごいね。今日はがんばっているね。ちょっとやってみて、もう飽きた、ポイッとか
しないもんね。もう一回お雛様作りたいの?すごいな~。
だったら、そのもう一回作るよ~って元気パワーを、カセットに吹き込んでよ。
教室にね、いやだいやだ、工作するのもめんどくさい~勉強するのもめんどくさい~
歩くのも遊ぶのも寝るのもめんどくさい~って子がいるのよ、いっぱい。
そういう子らが、カセットを聞いたら、元気が出て、がんばってやってみようかなって思えるような
言葉を吹きこんでほしいのよ」と言いました。
これには●ちゃん大乗り気。「そんなにめんどくさくって、あれもこれもやりたくない人って何人くらいいるの?
どうせ男の子でしょ!」と言ってゲラゲラ笑いながら、カセットに
お友だちといっしょに「元気まんまん~がんばるぞ~勉強も工作もがんばるぞ~!」
と吹きこんでいました。
それから、「先生、わたしの作ったお雛様とお内裏様を家に持って帰ってもいい?」とたずね、
「いいわよ、もちろん」と答えると、
また少しすると、「先生、わたしの作ったお雛様とお内裏様を家に持って帰ってもいい?」「本当の本当に持って帰っていいの?」と念を押していました。
わたしはこれまで
よほどの理由がない限り(大型段ボール作品など)
作った工作を持って帰ってはいけないと言ったことが一度もないので、面白いことをたずねるなぁと思いながら、
その度に、「いいわよ。もちろん、●ちゃんが作ったすばらし作品じゃない!」と答えていました。
が、五度目か六度目に、「先生、わたしの作ったお雛様とお内裏様を家に持って帰ってもいい?」とたずねた
●ちゃんが、「だって、わたしいつも工作をちゃんと作らなかったから、
一度も作品を持って帰ったことがないんだもん。はじめて、自分の工作を持って帰るんだもん」と
大事そうにかばんに入れたお雛様を撫でながら言い足したのを聞いて、
●ちゃんが自分が最後まで工作に取り組めたことを心底誇らしく感じていたことがわかりました。
工作後、算数の学習テーマは、水のかさと線分図でした。
『う』は『い』のいくつぶんですか
という問題。
●ちゃんは、終始、落ち着いていて集中して問題に取り組んでいました。
折り紙を折って確かめる教具を作るときも
がんばっていました。
お友だちに余った折り紙を渡す際にふざけて投げそうになりましたが、
「●ちゃん、今日、がんばってたよね」と小声で言うと、おふざけをやめて
静かに作業に戻っていました。
線分を描いて、□を当てる問題も
きちんと正解し、自分でも新たに問題を作っていました。
帰り際に、●ちゃんのまじめなレッスン態度を●ちゃんのお母さんに伝えると、
前回のレッスンで「もう少し生活体験を」と伝えたわたしの言葉を受けて、
毎日お料理に挑戦していたそうです。
●ちゃんのお母さんは毎日毎日、お料理の手伝いをするうちに、
●ちゃんの多動が次第におさまって、集中して物事に取りくめるようになってきているのを
実感していたそうです。
この1ヶ月、叱る回数も激減していたそうです。
少し前から、「基礎的な発見」というカテゴリーを作って、
教室で子どもたちが遊ぶなかで自然に潜む法則性や数学的な法則性に気づいたり、
新たな思考方法を試したり、
観測から得た知識を蓄積していったりする姿を記録していくようにしています。
きっかけのひとつは、 相談 「子どもとする工作が発展しません」 3
に、こんなコメント(非公開にしています)をいただいたことです。
-----------------------------------
私は子供たちの遊びを発展させるアイデアも技術もないけれど、
子供の遊びの中に自然科学の法則が潜んでいると感じることがあります。
子供は自分にあった発展を発見するのが上手ということですが、一見“?”
な遊びの中にも私が気付かないおもしろい発展に繋がるのではないかとも
感じることもあります。A(息子)の一見無駄だと感じる遊びの繰り返しも、
自然科学の法則の気付きに繋がるだろうなと感じることもあります。
ですから、その能動的な遊びを可能な限り続けさせてあげるには
どうしたらよいかなと工夫することが、私にもできる発展の手助けだと思っています。
それが私なりの子供たちの遊びの保障かなと思っています。
-----------------------------
わたしも教室内での子どもの遊びのなかに自然科学の法則を探究する姿を
感じることがよくあります。
また数学的な法則への気づきや新しい思考パターンの構築を
目指しているように見えることもあります。
そうした子どもの気づきを洗練させていく手助けをしたり、より多くの子たちと共有し、
知恵として蓄積していくことができるように教室でしている工夫を
メモしていくために、「基礎的な発見」というカテゴリーを作ることにました。
カテゴリーを作ったもうひとつのきっかけは、先日の息子の言葉です。
「大学に入って、高校時代まで無駄な遠回りだって言われながら、
何でそうなるのか考えながら勉強してきたことが、本当に役に立っているよ。
無駄って思われてきたことしか、役立ってないくらいだよ。
お母さんはいつも、何でそうなるのかが目で見てわかるようにって教室であれこれ
やってるけど、それを利用して何かを創り出せるくらい知識を理解するのには
すごくいいんじゃないかな。
周りには、その道のプロと認められる資格をいくつも取っていたり、
試験の点が抜群によかったりするやつがいるけど、
その知識を使ってクリエイティブな活動をする段になると、
知識が現実にどういう風に使えるのかつながらないみたいなんだ。
それに関する深い話もしにくい。
プログラミングをしていると、数学は実際ものすごく使えるのを実感するな。
理解して扱えば、さまざまなものを創り出すことができるよ。」
これを聞いて、たとえささやかなものでも、
教室内での気づきや発見を言葉にして残しておこうと思くことにしました。
----------------------------------------
「引っかける」ことは、幼い子にもわかりやすい操作です。
手や足を引っかけて物をひっくり返したり、落としたりすることは日常茶飯事でしょうから。
写真のようにてこにしている板の一方の上方に
ひっかけるための紙を仕掛けておくと、面白い動きが生まれます。
板が上がると、板にひっかかった紙が倒れて、
スーパーボールが転がりだすのです。
同様の折った紙を使ってピタゴラ装置を作る3年生たち。
玉が転がって紙コップのエレベーターに入ると、
もう一方の紙コップエレベーターが上昇し、
先のしかけの紙に引っかかって、ビー玉が始動します。
子どもたちは引っかかりやすいように紙コップの一方だけにひもを取りつけたり、
紙コップが急な速度で上がらないように(速度が速いと紙にひっかからないようです)
小さい重りを入れる工夫をしていました。
「光を通すか通さないか」
いろいろと試してみると面白いですね。
上の写真は、トイレットペーパーの芯で信号作り。
信号の光る部分を切る時は、いったんトイレットペーパーの芯を平たく手でつぶして
平面にすると、簡単に作れます。
懐中電灯を使って遊ぶ時は、子どもが懐中電灯の光を直接見ないように
注意深く見守る必要があります。
ミニカー遊びが楽しくなります。
この記事にこんなコメントをいただいたので、再アップすることにします。
記事中のポケモンを「民主主義モード」でという話題は、
の記事の内容です。
---------------------------
うまく感想をまとめることは出来ませんが、この記事をよんで、今私が読み進めている本、また今の私や子供の状態、つい最近感じた子供の集団の世界とそれを取り巻く大人の世界が、この記事を骨格にして一本につながりそうです。ありがとうございます。(この記事は以前も読んだことがありそのときもなるほどと感じましたが、今のほうが深く読めます。たまたま読んだのだけれども、なんとぴったり現状に当てはまるのでしょう。偶然もアンテナを張り巡らせると必然になってくるのでしょうか。だからよくアクセスされている?)
-------------------------------------------
なぜかよくアクセスされている過去記事です。
わたしは娘とも息子ともよくしゃべります。
娘とのおしゃべりは、人間関係のことが主なので
相手方のプライバシーの問題もあって記事にできないのが残念ですが、
たくさん話をすることで、娘の生きている世界、世界を眺める視線、葛藤、心の軌跡が
手に取るように伝わってきます。
息子とわたしは、お互い直観のアンテナに引っかかったものを言葉にするのが
好きなので、ちょっと気になるものがあると何にでも首を突っ込んで、
食事の間中、しゃべり通していることがあります(行儀が悪いことこの上ないのですが、
わたしは片手にペンを持って、メモを取りながらしゃべっています)。
娘との会話も息子との会話も、冗談混じりに思いついたことをポンポン言い合っている
だけなんですが、その背景には常に、
「今、この時代を、この社会で、どう生きるのか」というテーマが透けているように
感じます。
おそらく若いふたりには「これからどう生きていくか、社会とどう関わっていくか」が、
わたしにとっては、「中年期の課題を充実したものにしたい」が、
常に旬の話題だからなんでしょうね。
夕食時のこと。
わたしが、「ごくたまにだけど、最近の子ども向けのアニメって
どんなストーリー展開をしているのかなっと思って見ることがあるんだけど、
どうも腑に落ちない……というか、
やたら明るくて安全な世界が描かれているのに、
ちょっと気持ちが暗くなるものが多いのよね。ドラえもんも今風になってたわ。
お母さんの子どもの頃のアニメは、子ども向けとは思えないドロドロしたストーリー
設定や残酷なシーンもあったけど、子どもの心の真実には忠実だった気がするのよ。
その点、最近のアニメは、
大勢でするポケモンを民主主義モードに固定してゴールまで行っちゃおうって方法に
何だか似てるのよ。
大多数の子の思いを体現しようとしているのに、
たったひとりの子の心の真実も、ちゃんと生きさせてあげないって感じがするのよね。
すべて見たわけじゃないから、どのアニメもそうなのかわからないけど」と言うと、
息子が、「何か言えるほど見たわけじゃないけど……」と前置きしてから、
「この間、いくつか見て、同じようなことを感じたよ。
昔のアニメの主人公は、悪いことをするとき、それが社会的に見て悪いことでも、
その子自身にとったら悪くない……というか、つまり、
自分が正しいと信じているものや自分の中の善を真剣に追いかけてるようなところが
あったよね。外に向かって嘘をついている場合も、自分には正直だった。
でも、この頃のアニメは、本人が明らかにそれが悪いことだとわかった上で、
ちょっとくらいいいよねっと
周囲に妥協して許してもらおうと甘えながら、悪いことをしているって感じだったな。
笑いの取り方も、誰かがミスしたときやお決まりのルール違反をしてしまったときで、
それを子どもが面白いと感じているのか、
面白いと感じさせられているのかわかんないな。
だいたい、子どもがストーリーのどこにワクワクするのかといえば、予定調和が崩れて、
これをしたらダメなんじゃないかな、こんなことしてもいいのかな、
と思うようなことに手を染めざるえないような状況になってさ。
それをきっかけに自由や冒険やスリルを味わったり、
罪悪感や起こしたことの責任を取るために苦しんだりしたあとで、
その子としての心の解決にまで行きつくことじゃないかな?」
わたし 「心の解決? そうそう。子ども自身が自分で納得しないと、面白くない
わよね。外の圧力に納得させられるんじゃなくて、自分でする体験で納得したいはず。
それが、アニメの主人公に自分を重ねてするような想像上の体験にしたって」
息子 「どこまでも予定調和でいくストーリー展開を見ていて、イラッとするのは、
最終的に解決さえあれば、議論を放棄してもいい、ってスタイルが当たり前になって
いるからかな?自分の内面での議論も含めてだけど。
その思考に至るまで、主人公が、いったん間違った考えを抱いたとして、
なぜ間違ったのか、その問題と自分なりに折り合いをつけていくプロセスがなくて、
主人公が一般論や偏見に言いくるめられるようにして、
結果オーライになっているところがいい気がしないんだ」
わたし 「子ども向けの短い素朴なアニメにしろ、童話にしろ、
きちんと子どもの心の現実に添ってるものは、子どもが主人公に自分を重ねるうちに、
自分だけの答えを見つけられるように作られているわ。
そう言えば、押入れの中にお母さんがずっと大事にしている本があったはず……。
ちょっと待ってて。」
わたしはそう言って2階から、『おそうじをおぼえたがらないリスのゲルランゲ』
という童話を探し出してくると、
最初の数ページと最後のページを読むように勧めました。
「最後のページのゲルランゲの言葉と行動の変化は、
★(息子)の言う子どもの心の解決をきちんと描いているわよね」と言いながら……。
ゲルランゲの話は、わたしが五つか六つの頃に、繰り返し読んでいた童話です。
こんな話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
むかしブナの木に11ぴきのリスのきょうだいがおばあさんリスといっしょに
すんでいました。
いちばん小さな子リスはゲルランゲ。すこしなまけもので、
たいへんごうじょうでしたが、とても元気で、ひょうきんで、すばしこく、おまけに、
かわいい、ぬけめのない顔つきをしていましたから、だれでも、すきにならずには
いられませんでした。
子リスたちは、夕ごはんの後のおさらのかたづけとそうじをするのがきまりでしたが、
ゲルランゲはおさらをかたづけることは気もちよくしたけれど、
おそうじがすきではありませんでした。
ある日、どうしてもおそうじをおぼえたくなかったゲルランデは、ブナの木のいえを
出ていきます。「ぼく、ごはんなんかいらない。野宿したっていい。オオカミにたべられ
たっていい。でも、ぼく、おそうじはおぼえたくないんや」とへりくつをいいながら。
そうして、ゲルランゲはオオカミにたべられそうになったり、キツネやアナグマにあって
こわい目にあったり、フクロウにちえをもらったりしたあとで、
ようやくブナの木に帰ってきます
<ゲルランデがブナの木にもどってきた場面です>
子リスたちは、おとうとがかえってきたので、とてもうれしくなって、十ぴきみんなで
ゲルランゲのまわりをとびまわりました。
「わかっただろ、ゲルランゲ?」と、にいさんたちは、いいました。
「意地っぱりだと、こういうことになるんだよ」
「だけど、ぼくがどうなったっていうの?」ゲルランゲは、木の枝のはしっこで、
ぶらんぶらんしながらこたえました。
「オオカミは、ぼくをたべなかった。ぼく、ごはんにもありついたし、
野宿もしなかった。ぼく、ひとりぼっちでおどりもしなかったし、それにおそうじを
おぼえてもこなかったよ」
けれども、ゲルランゲは、しんは、気だてのよい子リスでしたし、
おばあさんをよろこばせたいともおもいましたので、この冒険のあと、ともかく、
おそうじをおぼえました。
『おそうじを おぼえたがらない リスのゲルランゲ』
J・ロッシュ=マゾン作/山口智子訳 福音館書店
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ゲルランゲがおそうじを覚えた理由は、
大人の言うとおりの恐ろしい体験をして懲りたからではありません。
また、次にも大人の言うことを聞かなかったために怖い目に合うのを
恐れたからでもありません。
自分の考えは子どもっぽくて間違っていて、大人の言うことが正しいんだと
悟ったからでも、自分の言動や性格について反省したからでもありません。
恐ろしい体験をして、言うことを聞かないゲルランゲが優等生のゲルランゲに変わった
わけでもありません。
それなら理由は何かというと、
ゲルランゲは、冒険と体験を通して、ゲルランゲという個性のまんま
成長したからなのでしょう。
強情っ張りのゲルランゲは強情っ張りの性格のまんま、
おそうじごときで意地を張らなくてもいいほど、
そして家族の深い愛情を理解するほど大人になったのでしょうし、
「おばあさんを喜ばせたい」という素直な感情が
ゲルランゲの心の変容の後押しをしたのでしょう。
そうしたゲルランゲの姿は、教室で見る子どもたちの姿と重なります。
子どもが本当の意味で成長するのは、その子の悪いところも含めて
しっかりとその子自身の個性で生きたあとだし、
それは待つことと見守ることを含めた愛情という土壌でだけ
成り立つことなのです。
子どもの心は大人が与えたがる道徳教育とは別の筋道を通って
人としての資質を身につけていきますから。
息子は、ゲルランゲの童話を読んでから、面白そうに笑ってこんなことを言いました。
息子 「ゲルランゲは作家っていうすでに大人になっている人とは別の
ひとつの人格を持った子どもとして活躍しているね。
少し話が逸れるけど、
小説が作家の妄想であったとしても、キャラも妄想であっちゃいけない、
空想の世界で作家は主人公になっちゃいけない、って意見をどこかで読んだことが
あるんだ。人間って、100%自分がイメージできるものは、不思議と面白いと
思わないもんだよね。
物語のリアリティーは、作者がやりたいことをやるっていう願望充足とは別に
自動的に作りあげられていくところがあるよね。
物語自体の持つ意志のようなものがさ。それに添っているかどうかが、
子どもの心に忠実かどうかに対になっているように思うよ。」
わたし 「物語自体が自動的に展開していくって話……同じようなことを、
ゲド戦記の作家のそんな言葉を目にしたことがあるわ。」
息子 「へぇ、そうなんだ。ぼくは、物語は、実験に近いような面があると思うんだ。
試してみてはじめて、何かを見つけたり、何かが生まれたり、
次の展開につながったりするような部分があるってことだけど。
お母さんが教室の子たちとティッシュ箱でする工作にしても、
一番初めに、自分の思いを完璧にイメージできてしまったら、
作る意味が半減するんじゃない?
なぜ作るのかといえば、そこにある実験的な要素のおかげで、
偶然、新しいものを発見することができるからだよね。
設計図を描くのにしても、
イメージしたものをわざわざ描く理由は、ただ頭の中にあるものを
紙に写しだすためだけじゃなくて、描くうちにイメージした時点では気づいて
いなかったものを発見するからだし、
描くうちに、自分の見え方そのものが変わっていくからじゃない?
子ども向けのアニメを作る上で、そうした偶発的に作る過程で起こることを
大事にしないで、
最初に設定したテーマの中で、作り手の主張したいもののために
キャラクターたちを都合よく動かしてしまったら、
子どもの心から遠いものになるんじゃないかな?」
前回の記事で紹介した2歳5ヶ月の★くんのお母さんにダメ出しをした
というお話を書きました。
といって誰が見ても何の問題もないようなお母さんです。
叱りすぎることもなく、甘すぎてしつけを忘れることもなく、子どもを拒絶しているわけでもなく
保護しすぎるわけでもありません。
でもどうしてわたしが気の毒なほどダメ出しをしたのかというと、
「その言葉かけはタイミングが悪すぎる」と感じるシーンが
頻繁にあったからなのです。
★くんはお腹が空きだすと、何を話しかけても聞く耳持たなくなる食いしん坊な一面がある
ようでしたが、他の場面では比較的、聞き分けがよくて物分りのいい子でもありました。
確かに同年代の子同士で力と力のぶつけあえば、
気迫だけで勝っちゃうような体格のがっちりした子です。
でも衝動性がそれほど激しくないので、大人が怪我のないように仲裁に入る隙が十分ありましたし、
気持ちを受け止めて、面白そうな提案をすると、「はいっ」といいお返事で
あきらめることもできていました。
そこで★くんのお母さんにどんなダメ出しをしたのかというと、
次のような子どもへの接し方の習慣についてです。
★くんのお母さんは、
★くんが機嫌よく落ち着いて遊んでいて、
聞き分けも物分りもいい時に限って、見守っていいようなささいなことにも口出しをして
後々、ダダをこねたり、乱暴をしたりする行為に発展しないように
くどくどと脅すように言い聞かせる癖がありました。
ところがいったん★くんが駄々をこねて
聞き分けがなくなったとたん、★くんがそれ以上大騒ぎしないように気を使ってか、
まるでご機嫌でもうかがうようように
接していました。
夫婦の会話では、相手が落ち着いて自分の話に耳を傾けてくれている
タイミングで、
「こんなことはしないでよ」「あんなこともしないでよ」
とまだ起こってもいない先の安全を確保するために
厳しく相手に釘をさしておくのも有効な場合がありますよね。
でも2歳児相手だと、
聞き分けがいい物分りがいい時に、グズグズと未来について脅されたら
大人の話を真剣に聞こうとしなくなるのが
オチなのです。
おりこうにしていると、
不快な接し方をされて、
かんしゃくを爆発させると機嫌を取るように大事に扱われる経験値が蓄積してくると、
当然のように聞き分けがいい物分りがいい態度が減って、
わがまま放題の暴君のような振る舞いを増やしていきます。
★くんのお母さんにすると「ちょっと勝ち気な2歳の男の子」というのは、
自分自身とはあまりにかけ離れた
異質な異邦人なのかもしれません。
そのため、★くんが穏やかに機嫌よく遊んでいる間にも、
以前、ダダをごねだしたり、友だちのおもちゃを取りあげたりした出来事がフラッシュバックしてきて、
「今日はちゃんとしてね」「今日はいい子のままでいてね」「ああいうことやこういうことはしないでね」と
念押ししておきたくなるのかもしれません。
そのように★くんのお母さんが、★くんがまだ何もしていない時に釘をさすように
あれこれ確認することが多いためか、
★くんは2歳児にすると素直すぎるほど「ハイッ」といい返事を返すことが
よくあります。
ただこうした念押しも回数が多いと、
「お母さんの言うことに何でもハイッと返事さえしておけばいいや」という態度が身について、
言葉に気持ちが伴わなくなってきます。
幼い子たちは、自分の目で見ているものや、身体で体験していることや、感情で味わっていることに
関して、大人に言葉を重ねてもらうことで、
自分の行動の仕方や世界の捉え方を調整していきます。
でも、まだ先を予測したり、起こっていないことをイメージしたり、言葉だけで
物事を理解する力は未発達ですから、
心配性のお母さんの過剰な言葉かけは、
幼い子に言葉を軽視させ、他人の話をきちんと聞こうとしない態度を育てます。
また★くんのお母さんは、★くんが取りあげていたおもちゃをお友だちに譲ることができたり、
悪さをしかけて、すんでのところで我慢できたような場面で、
いつまでもくどくどと、何がどう悪かったのか、次はどうすればいいのか
説明し続けていました。
これも繰り返しになりますが、もう出来事が終わって、体験は過去のものとなって、
高ぶっていた感情は薄れて、頭を次に切り替えて何かしようか……という時に
くどくどと目の前にない過去のことを説明されても、
よくわからない言葉の羅列がうるさくうっとうしいだけなのです。
2歳の子は現実のその瞬間、瞬間に生きていますから、
過去や未来のことを言葉でくどいほど説明されても
聞いていないだけでなく、次から聞かないでおこうという態度を
身につけがちなのです。
それなら、2歳児さんにどのようにしつけて
教えていけばいいのでしょう。
教室では常に「直に手で触れずにものを動かす方法」が考えられています。
新1年生のAくんと年長のBくんが使ったアイデアは、
同じ極同士の磁石の反発する力を使うというもの。
ブロックの車に輪ゴムで強力磁石を取りつけたものに
ストローに輪ゴムでつけた磁石を近づけています。
ゆっくりですが、車は進んでいきました。
気をよくしたAくんが、車に別の車を連結させたところ、
車は動かず、磁石同士がピタッとひっつきました。
車が動かないので、磁石を近づけすぎて、同じ極同士を近づけるつもりが、
N極とS極がひっついてしまったようです。
磁石で遊ぶ時は、お子さんが磁石をパソコンやテレビに近づけないよう
注意深く見守ってください。
2歳半ばの子と親御さんのかかわりが、
ちぐはぐにボタンを掛け違えたような状態になっているために
子ども自体はしっかりした発達のいい子なのに
困ったちゃんぶりが次第に激しくなっている子を見かけます。
2歳代といえば、第一次反抗期の真っ最中ですから、かんしゃくを起こしたり、
泣いたり、「いや!いや!」と何にでも反対したりするのが普通です。
それでも子どもと親の関わりのあり方が
その都度その都度、その子の個性や発達に即したもので
親のおとな心がしっかりと発揮されている状態でしたら、
子どもはわがままを言ったり、かんしゃくを起こしたり、
お友だちとぶつかりあう体験を重ねるにつれて
次第にその子なり経験値が上がって賢くなっていくのです。
といっても2歳児さんですから、
衝動的にお友だちに手が出ていた子が、
すんでのところで一拍置いて、「我慢、我慢」と沿えられた大人の手に身を預けて
ちょこっと我慢したり、物を取り合うにしても、場合によって譲ったり、
代替案で満足したりできるようになる程度ですが。
先に、
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2歳半ばの子と親御さんのかかわりが、
ちぐはぐにボタンを掛け違えたような状態になっているために
子ども自体はしっかりした発達のいい子なのに
困ったちゃんぶりが次第に激しくなっている子を見かけます。
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といったことを書きました。
「子どもと親御さんのかかわりが、
ちぐはぐにボタンを掛け違えたような状態になっている」っていったいどういうこと?
と気になった方がいらっしゃるでしょうね。
具体的な例を挙げると、
「ここではそっと見守ってあげるといい」という時に、
うるさいくらいダメ出しをしたり、
「褒めながら正しい態度が取れるように誘導すべき」という時に、
脅すような口調で注意したり、
「これはきちんと厳しく注意すべき」という時に、
「~してくれないかなぁ?」といったおうかがいを立てるような対応をしたり、
「これ以上愚図るようなら、クールダウンするように仕向ける」という時に、
機嫌を取りながらお小言を続けたりするといったことです。
「1人目ちゃんの2歳児を育てている」という方が陥りやすい
悪循環だな、と感じています。
たいてい大人相手なら良好な関係を築く力のある常識的できちんとした親御さんです。
2歳児さんは手強いですよね。
ただ、だからといって「それなら専門家にしつけてもらおう」と親子関係が
ちぐはぐなままで、集団の保育施設に預けるのはよりいっそう関係がこじれるか、
心と心が疎遠になるだけなのでお勧めできません。
親子の関わりがうまく噛み合っていないと、
子ども自体は機嫌がよくて、周囲と調和して遊ぶ力があっても、
親御さんが声をかけるたびにだんだん子どもが暴君のように振舞うようになって
しまいには手がつけられなくなっていくことがよくあります。
またこのまま育っていくと、3,4歳になると
「親の言うことはまったく聞かなくなりそうだな」と危惧されるケースも
多々あります。
2歳5ヶ月の★くん。
体格のいいしっかりさん。
遊びに夢中の時も、声をかけると、さっと振り向き、
問われたことに即した答えを言います。
「~作ってみる?」「~してみる?」といったチャレンジをうながす誘いかけには
お友だちと揉めている最中でも、目を輝かせて「ハイッ」とお返事します。
この★くんへの親御さんの声のかけ方のひとつひとつが気になったので、
グループレッスン中、気の毒なほど何度もダメ出しをする結果となりました。
それでも「どこがどうまずいのか、どのように接したらいいのか一から
全て教えていただきたい」と熱心におっしゃる勉強熱心な方で、
「レッスン中に大人同士でおしゃべりばかりしていると、
子どもが落ち着かなくなりますから後から記事にして伝えますね」とお約束し、
今、記事を書いているところです。
★くんのお母さんは良識的な落ち着いた方です。
ちょっぴりやんちゃでお母さんを叩き始めることもある★くんに
大らかに優しく接している愛情深い方でもあります。
ただ2歳児さんであり、男の子であり、自立心が強くて
きかん気な性質の★くんと、
言葉でこんこんと言い聞かせてしつけようとするお母さんの関わりが
うまく噛み合っていないのです。
★くんのペースに飲み込まれて、良いように操作されているようでもあります。
頭の回転が速いこと、自立心に富んでいて、チャレンジャーな気質は、
悪い使い方をすれば、周囲を振り回して自分の思うままに操作するのが上手くなり、
怖いもの知らずなので、叱られても同じことを繰り返し、
大人の指示を無視することにもつながりがちです。
★くんにしても2歳児ながらに
「ここでしつこく騒いだら、お母さんは折れて自分のわがままが通るだろう」
「お友だちを叩いてもいいもん、お母さんに怒られたって怖くないもん」
「お母さんが話しかけてても知らんふりしておこう」
という処世術をすでに身につけつつあるようでした。
★くんへの具体的な対応は次の記事で続きを書かせていただくことにして、
先に★くんのような強い気質の子に対する関わり方を書いた
過去記事を紹介させてくださいね。
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の紙コップのエレベーターと、
てこで新小3の男の子たちと小1の妹ちゃんが遊んでいました。
「まずは重くしなくては……」と詰め込むだけ詰め込んだビー玉類。
これを落下させて、てこの先に置いた人形にジャンプをさせるつもりです。
でも、重さを調整するだけでは、思うように跳ねないのです。
そこで、てこに引っかけている輪ゴムをずらして、
支点の位置を変えることにしました。
こうした「位置をずらす」という作業は、ただ跳び上がる力が変化するだけでなく
新しい変化を生んでくれます。
カピパラのぬいぐるみを置く場所をずらして
お尻がてこの先にちょっと乗っているだけ……という状態にすると、
ビー玉の入ったコップエレベーターを落としたとたん、
くるくると回転しながら跳んでいくことがわかりました。
てこの支点用に紙箱の端をこんな風にカットしたものを使っています。
「回転しながら、トラの手で作った輪の中に入るように」と挑戦する子ら。
今度はトラの手でキャッチするつもり。
キャッチ成功。
しまいに自分たちの手でキャッチして遊んでいました。
Aくんが、カピパラがあまり跳びはねないようにする方法を見つけました。