台風のような低気圧のせいで朝から冷たい雨が降っていた。夕べはカレーライスだったので、そうした場合の通例だが、今朝もカレーである(ただしライスではなくてトーストで食べる)。私も子供もカレーは好きなので、二食連続は少しも苦ではない。
「カレーの市民」の喜び
今日は講義要項を作成しようかと考えていたのだが、いまひとつ気分がのらないので明日以降(たぶん明後日)に持ち越す。気分がのらない原因は講義要項の字数制限にある。1科目あたり1000字以内(冊子半ページ分、66字×16行、見出し行を含めて22行)とあるのだが、Web入力の参照画面が1行54字に設定されているので、やりにくいったらありゃしない。どうして66字に設定されていないのか、理解に苦しむ。Web入力をしながら、全体の分量が66字×22行に収まっていることをどうやって確認しろというのだろう(ワードで1行66字で下書きしたものをカット&ペーストでWeb画面に貼り付けることにしようか)。
夕方、散歩に出る。「こんな雨の降る寒い日に散歩に行くの?」と妻が呆れ顔で言った。そうです。行くのです。雨が降ろうが槍が降ろうが行くのです。習慣としての散歩とはそういうものなのです。カントや永井荷風や植草甚一らもそうであった(はずです)。ところが、しっかり厚着をして外に出ると、雨は止んでおり、寒さもそれほどではない。低気圧が過ぎ去って、そこに暖かな大気が流れ込んでいるのではないか。いささか拍子抜けである。出がけに郵便受けをのぞいたら、私宛の年賀状が3通届いていたので、部屋に戻って返信用の絵葉書を3枚バッグに入れてから、家を出た。
栄松堂でランドル・コリンズ『脱常識の社会学』(岩波書店、1992年)を購入。実はこの本はもっていて、研究室の書架に置いてあるのだが、どうしても今日明日に読み返したいので(来年度の演習のテキスト候補の1つなのである)、自宅用として購入することにしたのである。3000円也。こういうのは無駄な出費とは思わない。必要経費である。シャノアールで今日届いた年賀状の返信(寒中見舞い)を書く。
亥の年だが闘牛の絵(ピカソ作)
夜、いただいた年賀状の整理をしていて気づいたのだが、昨日届いた3枚が見あたらない。どうも返信と一緒にポストに入れてしまったような気がする。しかしいずれも消印のない年賀状であったから、また私のところに配達されてくると思う。前にもそういうことがあった。大丈夫、大丈夫。
「カレーの市民」の喜び
今日は講義要項を作成しようかと考えていたのだが、いまひとつ気分がのらないので明日以降(たぶん明後日)に持ち越す。気分がのらない原因は講義要項の字数制限にある。1科目あたり1000字以内(冊子半ページ分、66字×16行、見出し行を含めて22行)とあるのだが、Web入力の参照画面が1行54字に設定されているので、やりにくいったらありゃしない。どうして66字に設定されていないのか、理解に苦しむ。Web入力をしながら、全体の分量が66字×22行に収まっていることをどうやって確認しろというのだろう(ワードで1行66字で下書きしたものをカット&ペーストでWeb画面に貼り付けることにしようか)。
夕方、散歩に出る。「こんな雨の降る寒い日に散歩に行くの?」と妻が呆れ顔で言った。そうです。行くのです。雨が降ろうが槍が降ろうが行くのです。習慣としての散歩とはそういうものなのです。カントや永井荷風や植草甚一らもそうであった(はずです)。ところが、しっかり厚着をして外に出ると、雨は止んでおり、寒さもそれほどではない。低気圧が過ぎ去って、そこに暖かな大気が流れ込んでいるのではないか。いささか拍子抜けである。出がけに郵便受けをのぞいたら、私宛の年賀状が3通届いていたので、部屋に戻って返信用の絵葉書を3枚バッグに入れてから、家を出た。
栄松堂でランドル・コリンズ『脱常識の社会学』(岩波書店、1992年)を購入。実はこの本はもっていて、研究室の書架に置いてあるのだが、どうしても今日明日に読み返したいので(来年度の演習のテキスト候補の1つなのである)、自宅用として購入することにしたのである。3000円也。こういうのは無駄な出費とは思わない。必要経費である。シャノアールで今日届いた年賀状の返信(寒中見舞い)を書く。
亥の年だが闘牛の絵(ピカソ作)
夜、いただいた年賀状の整理をしていて気づいたのだが、昨日届いた3枚が見あたらない。どうも返信と一緒にポストに入れてしまったような気がする。しかしいずれも消印のない年賀状であったから、また私のところに配達されてくると思う。前にもそういうことがあった。大丈夫、大丈夫。