午後から大学へ。今日の授業は4限の大学院の演習のみ。これも来週が最終回。授業の後、フェニックスでここ数日の日誌を付ける。日誌(と私が読んでいるもの)は、モールスキンのラージサイズのダイアリー(1日1頁タイプ)で、内容は普通の(伝統的な)感覚でいう日記あるいは備忘録に近い。「フィールドノート」と比較して次のような特徴がある。
1)登場人物や団体はすべて実名である。
2)授業や会議の記録。
3)郵便やメールの受信と送信の記録。
4)人から頼まれたことや、人に頼んだことの記録。
5)贈答の記録。
6)映画館や美術館の入場券の半券が張ってあったりする。
7)他者への批判的言及(悪口ともいう)がたまにある。
8)文章は推敲されていない(いきなりペン書き)。
9)何も書かない日もある。
10)もちろん非公開である。
すなわち、より実務的であると同時によりプライベートである。「フィールドノート」と日誌とは似て非なるものである。表向きと内向きとか、タテマエとホンネとか、そうした相互補完的な関係にあるものでもない。それぞれは独立に存在するものであり、両方なくてはならないというものではなく、もちろん両方ともなくても生活に大きな支障は生じない。表現する欲求と記録する欲求(あるいは必要)が、私の場合、たまたまそうした形態をとっているだけである。
1)登場人物や団体はすべて実名である。
2)授業や会議の記録。
3)郵便やメールの受信と送信の記録。
4)人から頼まれたことや、人に頼んだことの記録。
5)贈答の記録。
6)映画館や美術館の入場券の半券が張ってあったりする。
7)他者への批判的言及(悪口ともいう)がたまにある。
8)文章は推敲されていない(いきなりペン書き)。
9)何も書かない日もある。
10)もちろん非公開である。
すなわち、より実務的であると同時によりプライベートである。「フィールドノート」と日誌とは似て非なるものである。表向きと内向きとか、タテマエとホンネとか、そうした相互補完的な関係にあるものでもない。それぞれは独立に存在するものであり、両方なくてはならないというものではなく、もちろん両方ともなくても生活に大きな支障は生じない。表現する欲求と記録する欲求(あるいは必要)が、私の場合、たまたまそうした形態をとっているだけである。