フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月29日(月) 晴れ

2007-01-30 03:02:51 | Weblog
  修士論文の口述試験(面接)。今年度、社会学専攻で修士論文を提出した院生は3名。例年に比べると少ない。私はその中の1人のT君の副査である。開始前、面接場所の社会学専修室で、もう一人の副査である長田先生を待ちながら、主査の和田先生と雑談していたら、「大久保さんはもう40になったの?」と聞かれた。一瞬、何を聞かれているのかわからなかったが、どうも年齢のことを聞かれているらしい。もし私が女性であれば、これを一種のリップサービスと理解し、「まぁ、和田先生ったら、ご冗談ばっかり…」とでも応じるべきところであるが、それはない。私は和田先生の意図をはかりかねつつ答えた。「先生、私、すでに50を越えておりますが」「えっ、そうなの」「はい、文学部で教えるようになったのが40歳のときで、それから12年が経ってます」「へぇ~、そうだったの」和田先生の表情や口調にはわざとらしいところはまったく感じられない。私が思うに、この錯誤の理由は、第一に、先輩-後輩関係という意識の強い職場において後輩は先輩から「永遠の若手」として認識されやすいこと、第二に、自身の加齢を認めたくないという深層心理が自分の周囲の人間の加齢への無関心を生むこと、第三に、私の言動(身体ではなく)が一般的な50代の男性と比較して若々しい(「青臭い」ともいう)こと、などであろう。そんなやりとりがあってから、長田先生がやってきて、3人が揃ったところでT君の面接が始まった。漫才にボケとツッコミという役割分担があるように、主査+副査2人というトリオにもあうんの呼吸で役割分担のようなものが形成される。今回は3人の中の「若手」である私がビシビシと問題点を指摘する役を演じることになった。でも、なかなかいい論文でした。論旨が明晰だったから、問題点もはっきりと指摘できたわけで、これが何を言っているのかわからない論文だと、何を質問してよいやらわからなくて困るのです。
  生協文学部店で、吉本敏洋『グーグル八分とは何か』(九天社)を購入。先日のNHKスペシャルがグーグルの光と闇を取り上げていたが、本書はその闇の領域にかかわる話だ。「ほづみ」で塩ラーメンと半チャーハンを食べてから帰る。夜、卒論を読む。