子供部屋の前の廊下に娘が出したゴミの山があり、その山の中にふうちゃんがいた。ふうちゃんと名付けられたそのぬいぐるみは、私が結婚前の妻にプレゼントしたもので、妻(当時はまだ妻ではなかったが)はそれを気に入っており、私と電話しているときなど、次の週末は仕事で会えないのだと私が言うと、「ふ~ん、いいもん」とか言いながら、足下のふうちゃんを「エイッ」と蹴っ飛ばしていた。つまりふうちゃんを私に見立てていたわけである。ふうちゃんはやがて妻から娘へと継承された。そのふうちゃんがゴミとして出されようとしているのである。
ふうちゃん
私はふうちゃんを持って家族のいる居間に行き、「君はこのふうちゃんの来歴を知っているのか」と娘に尋ねた。娘が「知らない」と答えたので、「このぬいぐるみはお父さんがお母さんと結婚する前に・・・」と縷々説明を始めたところ、傍らでそれを聞いていた妻が「えっ、そうだっけ?」と言った。な、なんですと! 私には娘がふうちゃんをゴミとして出そうとしていることもショックであったが、それ以上に、妻がふうちゃんの来歴を忘れてしまっていることがショックであった。しかし、妻を責めることはできない。授業と研究と学内行政の仕事に追われて、家庭を顧みなかった私がいけないのだ。帰りなんいざ。田園まさに荒れなんとす。私はふうちゃんをそっと抱き上げた。そのとき、ふうちゃんの脇腹に付いているタグに気づいた。タグにはふうちゃんの制作年とおぼしき数字が印刷されていた。1984。あれっ? 私たち夫婦の結婚は1983年である。つまり私が結婚前の妻にふうちゃんをプレゼントすることはありえないのだ。
しかし、結婚前の妻にこれと似たぬいぐるみをプレゼントしたことは確かだ。それは間違いない。私は記憶の闇の中をしばし探索した。そうだ、サイだ。サイのぬいぐるみだ。大きさはこのふうちゃんと同じくらいで、すっとぼけた表情の、もこもことした、サイのぬいぐるみだ。私は妻に確認した。「そういえば薄いオレンジ色のもこもこしたぬいぐるみがあったような…」と妻は答えたが、その記憶はすこぶる曖昧で、それが私にプレゼントされたものであるということまでは覚えていないという。私はさらに記憶の闇の中を探索した。そういえば、数年前、妻の実家の妻の部屋の箪笥の上でそれを見たような気がする。しかし、妻はそこにそんなものはなかったはずだと言う。あのサイのぬいぐるみはどこへ行ってしまったのか。そして、ふうちゃんの真の来歴は? 謎は深まるばかりだ。
こんなんです
ふうちゃん
私はふうちゃんを持って家族のいる居間に行き、「君はこのふうちゃんの来歴を知っているのか」と娘に尋ねた。娘が「知らない」と答えたので、「このぬいぐるみはお父さんがお母さんと結婚する前に・・・」と縷々説明を始めたところ、傍らでそれを聞いていた妻が「えっ、そうだっけ?」と言った。な、なんですと! 私には娘がふうちゃんをゴミとして出そうとしていることもショックであったが、それ以上に、妻がふうちゃんの来歴を忘れてしまっていることがショックであった。しかし、妻を責めることはできない。授業と研究と学内行政の仕事に追われて、家庭を顧みなかった私がいけないのだ。帰りなんいざ。田園まさに荒れなんとす。私はふうちゃんをそっと抱き上げた。そのとき、ふうちゃんの脇腹に付いているタグに気づいた。タグにはふうちゃんの制作年とおぼしき数字が印刷されていた。1984。あれっ? 私たち夫婦の結婚は1983年である。つまり私が結婚前の妻にふうちゃんをプレゼントすることはありえないのだ。
しかし、結婚前の妻にこれと似たぬいぐるみをプレゼントしたことは確かだ。それは間違いない。私は記憶の闇の中をしばし探索した。そうだ、サイだ。サイのぬいぐるみだ。大きさはこのふうちゃんと同じくらいで、すっとぼけた表情の、もこもことした、サイのぬいぐるみだ。私は妻に確認した。「そういえば薄いオレンジ色のもこもこしたぬいぐるみがあったような…」と妻は答えたが、その記憶はすこぶる曖昧で、それが私にプレゼントされたものであるということまでは覚えていないという。私はさらに記憶の闇の中を探索した。そういえば、数年前、妻の実家の妻の部屋の箪笥の上でそれを見たような気がする。しかし、妻はそこにそんなものはなかったはずだと言う。あのサイのぬいぐるみはどこへ行ってしまったのか。そして、ふうちゃんの真の来歴は? 謎は深まるばかりだ。
こんなんです