King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

もはや変な人たち入りの

2014年05月14日 10時35分57秒 | 日々のこと
もう何年も前になるのですが、夏場のスキートレーニングというのを
考えて、インラインスケートをやったり、それが発展してランニングを
したりしました。

そもそも、夏場に代替トレーニングをするということで車のついた板で
滑ったり、キャタピラーだったり器具も特別のものを用意するという
ものもやりました。

ですが、最近は人工芝を敷き詰めて板はそれ用にエッジを幅広くした
ものを用意するというのが増えているようです。

私も一度やりましたが、春のスキーより板をつかまれたようになり
転倒しそうになりかなりの危険度の高いスポーツに感じました。

しかし、慣れると冬のスキーと同じようなターンができるようになり、
滑走感覚もカービングターンと同じようにずれないターンの練習に
なるので効果があるのかと思わせます。

今では、所詮代替トレーニングはスキーのできない欲求不満を
晴らすだけのことに過ぎないと思いますが、現実に今やスキーを
する人が絶滅危惧種扱いの変人のような扱いになりつつあるのを
今シーズンは感じ、世の中との乖離を感じていました。

以前は大衆の冬のレジャーの代表であり、国民の最大の楽しみの
ようにさえ思われていて、ゲレンデに行きさえすれば恋が芽生え
楽しい世界が待っていると思っていたのははるか夢の世界のことの
ようです。

そして、ゲレンデだけでは飽き足らず、山スキーがブームになっていると
報じられて、連休にはそういった人が誤って谷に落ちて死亡するという
ニュースも多く聞くようになりました。

かつてはゲレンデ外に出た若者や韓国のグループが救助を安易に
求めてその費用が払えなくなっているとかその発展系として山に行った人が
そのまま帰らないとかスキーを巡る報道は実際そんな無法者や変人と
変わらない扱いになったと感じたのです。

とあるHPでそのスキーをやり続ける人とやめてしまう人の違いを解説
しているものがあり、一通り読んでみましたが、それがパラレルを
習得するかどうかであるとなっていました。

つまり、パラレルを習得してどんな斜面でも安全に降りてこれる技術
を身につければ楽しく生涯の友とできるスポーツであるが、その前に
挫折してしまうと楽しくないと二度とゲレンデに訪れようとしないと
いうのです。

一面正しいようですが、私自身25歳から38歳までの間は一度もスキーを
していないので、やはり別の原因で人はスキーをやめてしまうような
気がします。

いずれにしろみんながみんな同じ方向を見る必要もないのを強く
感じます。

というのは、市議会報告に着ぐるみ予算を計上というのを見つけた
からです。

どこでもやっていることをいまさらやる必要などないだろうに、なぜ
秩父は秩父の良さを秩父なりに表現するという発想がでてこないので
しょうか。
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なんだかごっちゃ

2014年05月14日 09時49分29秒 | 日々のこと
先日気になった俳優。関山耕司がどうやら私が思っていたのは
塩見三省だったようなどちらか区別がつかないのです。

飢餓海峡に出ていたのは関山耕二だったらしいのですが、
最近そういえば映画に出てこないと思ったのは悪人の塩見三省
のようなのです。

そもそも気になったのは蟹江敬三が死んだというニュースから
そういえば的にあの人はと思って思い出したらどうやら区別が
つかなくなっているようで、とはいえ私が印象に残っているのは
塩見三省の方らしく、それも近所に似た人がいたことからです。

その似た人が似ているのが藤沢周で、作品の舞台を巡る旅番組に
よく出て来ていて、それで次々とこの系統の顔の人の記憶が
つながってはごっちゃになり意識のはざまに浮かぶのです。

私との接点はご近所でたまにうちに来る人だけなのが、実は
テレビで旅番組にも出ている作家であり、芥川賞受賞者であり、
俳優であり刑事役や悪役なんかでよく出る脇役であるとなって
しまっています。

実際うちの近所には俳優をしている人がいて、たまにテレビで
見かけたりすることなので、特別なことではないのです。

テレビの中の人は実は近所の人というのも。

人の思い込みというのは実に勝手で時にそれにとらわれて
しまうかのような危うさもあります。

とそんな心の平衡を保つため私もちょっとリフレッシュの外出を
しなくてはならない時期に来たような気がしてきました。
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