言語都市を読み終えました。
SFの役割と存在意義というのは長らく文明批評であった
訳です。
しかし、より深く読書体験としての世界観の拡大と虚構構造
とした場合、現実の科学ではできないことを飛び越えたところで
話が展開することで成り立つことをテーマとしてしまいます。
それが成立するには、これはSFだからという押し付けや空想
科学というジャンル付けが特に必要とするという手助け的な
ものであってはならないと思います。
つまり、文学としてその評価をSFだからと貶めていたりさせ
ないためにも余計な線引きもいらないほどのプロットと不要な説明
をしないものが望まれるのです。
この言語都市は読んだ人が自分なりのアプローチを語ったり
プロットの素晴らしさを言い募りますが、すんなり腑に落ちない部分が
多ければそれは作品の瑕疵であり、文字が現実的な視覚に転嫁
出来ないものが多ければすんなりと読書体験としても楽しくも
ないのです。
例えばファンウイングとギフトウイングとかサンゴのような眼と
いうのはエイリアンとしては映画『第九地区』の昆虫型の外見
で、二人一組というのもまがまがしさが増すだけです。
その上建物が生きていて血を流すとか死んだらじゃあ建物は
崩壊すんだろうかとかそもそも有機物なのか建物はと全然
歯が立たない部分も多いのです。
直喩と暗喩という訳し方も言語と文明とかのかかわりも未消化で
解決を嘘を語るということで世界を救うというのも全く安易な結末で
ちょっと情けないほどの肩透かしです。
時間をかけて読んだ割にがっかりな本でした。