King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ブッテンブローク家の人々とゲームオブスローンの夏

2019年08月09日 10時09分24秒 | 珈琲

よく大河ドラマといいますが、長い物語というのは昔からあり、夏休みにこの長い物語を

読むようにという教師のアドブァイスはあったのです。

 

その中でも、中年以上の教師の言う若いうちの体力というのは貴重でそれは勉強にも発揮され

長い小説など読めるのは若い時だけだという助言です。これについては今自分もその教師以上の

年齢になり、どういう気持ちで彼らがそういうことを言ったかはわかるのですが、正しいかと

いえばそれははっきりと間違いだと解ります。

 

若い時にこそできないことは確かにあるでしょう。

 

しかし、それは人それぞれの個性であり、誰も立ち入ることができないことでもあるのです。

 

若い時にしかできないとか、若い時にそんなことしたらもったいないとか大きなおせっかいなのです。

 

まず齢とるとできないということも齢をとってからではみっともないからなのか能力的にだめなのか

ということですがそれも人それぞれでありそれを一概に決めつけられないという事です。

 

別に齢とってから世紀の恋に落ちて結婚してもいいし、若い時の勢いで結婚する人もいるでしょう。

 

私自身は若い時の勢いでできた事というのはいくつかあるものの、それがのちにできないかというと

そうでもないと最近は感じています。

 

つまり若い時でしかできないことも確かにあるものの今ではできないのかというとそうでもないと

確信できることです。

 

それを鈍らせるのは周りの干渉だったり余計な人付き合いのためだったりします。自分らしく生きて

こそだと気が付くとそんな余計な雑音も気にならなくなります。

 

今回いつもの夏と違い長い小説を読み出して最初そのための対策を考え家系図とか相関図をネットで

拾って100分で名著的に整理してから読もうとしました。しかし、実際に読んでみてそれは必要もない

ことであり、こういう小説の特長として語り手の視点と物語の主人公というのが一定のようでいて実は

章ごとに違っていて当然読者はそれにより感情移入して物語を辿っていくのでブッテンブローク家の人々の

場合は最初コンズルの長女の出戻りの物語であり、その娘の視点がスタートでこの家系の持つ特性や

副題の家族の没落を体験することになります。

 

だからといってあの時こうすればという対処法を提出するための読書ではなくあくまでその没落を追体験

し味わうことに尽きるのです。

同じく、こちらは仕方なくではあるのですが、『ゲームオブスローンズ』もみはじめ王の手であるエダ―ド・スターク

の物語でその主体としてとらえたストーリーとなっています。しかし、実際にはアリア、ティリオン・ラニスター、

ジョン・スノー、デナーリス・ターガリエンの視点で物語は進みます。各家の存続とか行末とか壮大な物語ですが、

このカメラの移動と各家の関係と各カメラの物語を追っていくことで自然と歴史も性格も理解できるのです。

 

最初から解説番組風の相関図などを頭にしてもこの大河ドラマは面白くなく、やはり各カメラの追うストーリーを

味わってこそ醍醐味がでてくるのです。時にあの話はどこから出てきたことなのかというようなこともあるのですが、

細かいことは気にしないで時には目をつぶるのも拾わぬ伏線も多々あるので良しとします。

 

それにまとめサイトとかあらすじサイトなど見てもよく調べたなあというところよりそれ違うだろうというところ

の方が多く、余計な誤った理解にはいる危険もあります。

 

そして私の今までの読書経験では大河小説でもそれはあくまで一部という事です。歴史ものなどではすごく長いもの

はたくさんありますが、折角全巻取り揃えて楽しみに読み継いでも結局未完などということがよくあり、裏切られたのか

読者放置の姿勢に頭に来たりした経験も多々あります。しかし、それはよくあことであり、豊臣秀吉ものなどでも

天下統一以降を書いたものは少なく、朝鮮出兵や中国征服まで考えていたことなどはテーマとされることはありません。

 

そんな長い物語を読んでみるのも夏の過ごし方としてよいかもしれません。

 

そのお供に飲む珈琲は読書疲れを癒すというよりこれも読書の一部です。

 

 

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