たまたま見た日本代表のバスケットの試合がいつの間にこうも世界に対抗できる
レベルになったのかと隔世の感覚とそれでも何かぎくしゃくとした合わせ切れていない
物も感じる不思議な試合でした。見たのはアルゼンチン、ドイツ、昨日のチュニジアと
タイプの違うチームでした。
中でも圧巻は世界五位のアルゼンチンに対しても力負けしていない高さとスピードでも
同じレベルで戦えるようになったんだという驚きです。ただ、ニュースなどでは互角の戦いと
報じていましたが、即メダルに近づいたと思うのはあさはかで、スリーポイントの確率とか
フリースローの精度などまだ差があり、本来ならついて行く場面で放されるのはベーシックな
部分での能力差とか本来準備すべき底力が足りない感じなのです。
ついて行けるレベルの選手は確かにいるのですが、すべてではないというもどかしさもあり、
これは国際大会などを経てもっとレベルを上げていける部分かなという感じもします。
というのは数年前には思いもしなかった、世界に挑戦しようという選手が増えた事です。
竹内兄弟が出てきたときなど世界に挑戦しないというもどかしい状況を感じたりしましたが、
今の選手はプロリーグが統一され活躍の場が昔と違い格段に広がったのでしょう。早くから
海外留学したりより高いレベルでの挑戦を果たす選手が出てきたことがこの結果なのでしょう。
週末は色々な方が見えて試飲タイムもエアコンを効かせてホットを飲み色々な話題を交わすと
いう本来の時間が戻った感じです。
この夏の振り返りをすると昨年は中学生の走る群れにあいさつされ刺激を受けたのが、今年は
それがないことに気が付き訝る中、色々な変化を聞くようになり、中でも感じたのは祭りの
多さだったように思います。亀の子石のスペースには何度かイベントがあり、納涼会とか
フードフェスなどという催し名が付いていてもどれも大規模の飲み会のようにしか見えず、
そういう集まりがあちこちであり、そもそも町内会の納涼会というのは子供のためにやる
イベントだったものがいつの間にか大人の飲み会にとってかわられたというように見受けられ
その席数の数は年々規模を増し、テントや照明に鳴り物など派手になっている感じを受けます。
秩父では夏祭りは各所にあり、花火があちこちで聞こえたりしますが、その上各町内会の
納涼大会までやるというどんだけ飲み会が好きなんだいということです。
そしてその夜のイベントがどれも人出でにぎわっているかというとそうでもなく、何のために
という感じの寂しそうなイベントもいくつかありました。それらはみんな私が夜走って通りかかり
実際に目にした光景なので、その変化は空気感とともに確かに感じた事です。
つまりはちぐはぐで空疎、私のように酒を飲まない人間には余計出歩く当てもない夏の夜と
いうことになり、夏の楽しみは色々とあり、秩父の魅力を色々と感じつつも、なくなる店や
寂しいイベントの様子などを見かけると大丈夫かという気持ちが沸き上がるのでした。
そんな秩父の現象とは裏腹に私自身は物の見方とか新たな発見とか知見とかその都度
人間の成長というか人が生き果たすこととはという意義なども考えてみたりして常にそんな
自身の成長と残すべきことなどを毎日飲む珈琲で測り、感情として感じたり、心の大きさで
感じたり、日々考えてそれには常に珈琲というバックグラウンドがあるのでした。
今のように激しく雨があったり、体温並みに気温が上がってもほっとする時にはやはり
熱いホット珈琲で時間を過ごさないといけません。季節のブレンドもそんな思いからいつも
ブレンドされています。この夏のブレンドは『百夏』です。