人がどう思うかなどというのは規制のしようがない。しかしそれを公の場で本人に面と向かって言うことが問題なのである。またその言ってはいけないということの限度ラインはその時代によっても違うのである。おそらくこのヤジの内容もセクハラなどと言う言葉のない時代には日常茶飯事的に言われていただろう。現代ではかなり発言に気を付けなければいけなくなっているのである。しかしながら奇妙なことに、一般的にどうやら議会ではヤジをすること自体は認められているようである。そして言っていいヤジと言ってはいけないヤジがあることにも違和感を覚える。「人が発言や質問をしているときはじっくり聞いて、発言が終わってから応答をする」ということは小学生の学級会でもあたりまえのことである。それが国会を含めた議会の場で、何故、人の発言の最中に、それを揶揄するようなヤジが認められているのか不思議である。ヤジというものは最初からあってはならないというのが「よい子の手本」となるべき議会のあり方であろう。その根幹が論調にならないで、ただ「あのヤジは品位がない。差別的だ」と言っているコメンテイターの意見には片腹痛いのである。<o:p></o:p>