彼の仕事ぶりはエキセントリックで憧れはしたが、とてもまねできなかった。患者がICUから退室するまでは、たとえそれが数日に渡ろうとも、片時も患者のそばから離れなかった。そして、わずか30分でも目を離した隙に患者は死ぬんだと、自分は彼によく怒られた。でも彼と同じようにはできなかったのである。まるで梁山泊のような病院での「合宿生活」が数か月以上続いたが、毎日患者の横に泊まり込んだのである。毎日彼には怒鳴られたが、仕事以外では人間的に魅力があったので好きであった。聞けば、大昔、学生紛争当時かなりの活動家だったらしい。よく酒を飲みにつれて行ってもらった。彼の唯一の外出である。へべれけになっても病院にもどって集中治療室の患者の横でまたずっとモニターを見続けるのである。彼が自分の上司であったのは半年間であったが、この半年はものすごく衝撃的な経験であった。以後、上司が変わった。彼は自身の研修のため退職しどちらかの病院に移っていった。しばらくは彼の現況を知らなかったが数年後、風のうわさであったが、大腸がんのために亡くなったときいた。まだ50歳になっていなかったと思う。今の時代に、「仕事が多忙」とか「激務で」などとTVで言われることがある。なんだかいつもそれを聞いているとちゃんちゃら可笑しいのである。