なんだか15~20年前ごろより「感動、ありがとう」などという変な言葉が出現してきた。その時から、なんで日本人はそんなにみんな揃って感動したがっているのかな?と不思議に思っていた。
この言葉が出現して久しいが、最近では、応援してくれる人に対して感謝を公言し、そして応援する人がその頑張る姿を見て「感動した」と、両者がまるで予定調和のようにお互いの感動状態を確認しあって大団円になっている感じである。
まあでも悪い話ではないのでここまでひねくれて考える必要もないのであるが、どうもなんだか「不自然さ」が否めないのである。
でも何だかこの手を取り合ったような流れが気持ち悪いのである。もともと42.195kmは人に何かを伝えるツールではない。マラソン走るのは感動話を作るためにやるんじゃないだろうと言いたくなる。何かを伝えたいために走るということは一見motivation としては立派そうだが本末転倒であろう。
自分が好きで走り、その走りを見て勝手に観客が感動するのは自然である。でも感動させたり何かを伝えたりするために走るというのは逆であり不自然だと思う。