先日広島で自分の調理したフグにあたって亡くなったというニュースがあった。毎年数人は死ぬようだ。数十年前には歌舞伎の坂東三津五郎がフグにあたって死んでいる。昔はフグにあたったら首から下を土に埋めておくと治るといわれていた。でもこの病態を知っていれば素人の応急手当で死ぬことはない。フグ毒は呼吸筋が麻痺して息ができなくて死ぬ。だから人工呼吸を続けていれば死なない。実際、極論的ではあるが病院でも呼吸器につなげておいて、あとは肝臓や腎臓が勝手に毒素を代謝・排泄してくれるのをじっと待てばよい。自分も救命センター勤務時代に、一度はフグ中毒患者診たくてずっと手ぐすね引いて待っていた(笑)。結局、小型のクサフグを自分で調理して食べた人を一人だけ受け持ったが、残念ながら?手足が痺れただけで人工呼吸器の出馬にはいたらなかった。数日の経過観察入院だけで彼はよくなりやがったワイ(爆)。
一般人の誤解についてもう一つ。よく健康食品などで「体液の酸性化はよくないのでアルカリ性にしましょう。この食品は体液をアルカリ性にして・・・」なんて宣伝している。これまた明らかな大嘘をよくまあ平気でながしているなあと思う。もともと人間の体液はPH7.35-7.45の軽いアルカリ性に調節されている(中性が7.0)。確かにこの範囲を逸脱すると危機的状況であるといえる。しかし人間の身体はそうならないように呼吸や腎臓の働きで二重にも三重にも調節機構が働いておりリアルタイムに稼働している。ちょっと肉を食いすぎたので酸性になった・・なんてことはありえない。また某健康食品ですぐにアルカリ側に傾くなんてこともありえない。そんなヤワな生き物だったら進化論的に万物霊長のヒエラルキーの頂点に生き残れるわけはない。
昨日に引き続き一般人の誤解・誤用についてであるが「複雑骨折」なる傷病名がある。テレビ報道などで、時々この病名は骨がバラバラ、粉々になっているときによく使われる。でも本当は複雑骨折イコール開放骨折であり、骨折端がバラバラになっていることとは無関係である。つまりバラバラになっていても皮膚が損傷されていなければ複雑骨折ではない。また皮膚にわずかでもキズがあってそこのトンネルからヒビ程度でも骨折したところまでつながっていれば複雑骨折(開放骨折)ということになる。骨折端がバラバラになっている骨折は粉砕骨折というのが正しい。また複雑骨折も最近では開放骨折と呼ばれることがほとんであり、この病名はもう古臭い。
それにしても昨日は「ツッコミ」の投稿があったので、この手の内容はスキがあるとヤバイかも。でも明日もかこ~っと(笑)。
今年の箱根駅伝では途中棄権のチームが相次いだ。テレビでは「おーっと、またもや脱水症状で!・・・」なんて言っている。ありゃ嘘でしょう。人間が脱水でふらふらになって立ち上がれないとするなら約1000ml~1500mlの水分喪失がないとおこらない。駅伝は区間20km程度であり時間としては1時間くらいであろうか。こんな短時間でこんなにも水分が失われわけはないし、また強烈な炎天下でもない。もし脱水だとしたらスタート前にかなりの意図的な水分制限をして「干からびた状態」で出場させているに違いない。でもそれは健康管理上問題がある。確かに体脂肪率をぎりぎりまでそぎ落としているのでいかにも干からびて見える印象もあるかもしれないが、でも脱水が関係する循環血液量は血管内のボリュームなので外見とは無関係である。とにかく何であの症状を勝手に「脱水」にしたのかは不明だ。
このIT時代に「年賀状」というのもまさにアナログで不思議な位置づけになってきました。年賀状の本来の位置づけは、もし個人のマイルストーンの確認作業であるなら、この賀状を送ることで「自分は生きていますよ」と、疎遠になった知己に自分の生存を報告することなのかもしれません。とすると、頻回に逢っている人には年賀状は出す必要はないと考えられます。
でも「今年も仕事上で宜しくお願いしますね」という便宜供与を目的としたビジネスレターも沢山舞い込みます。これについては自分では納得できません。ある意味では年賀状の目的外使用と言えます。今後は少しずつ本来の道に戻すべきでしょう。あれっ・・・・いかん、そーいえば、自分もその目的外使用がほとんどでしたっ!(爆)。
今年も正月にモチで窒息される人が沢山いた。この手の窒息による救命は「現場に居合わせた人」が処置をしないと絶対助からない。そんなことは大昔から業界内では当たり前なのに、ここの部分の普及啓発活動は遅れている。なぜ普及が進まないのかと推測であるが、①正月のモチは縁起物なので、これはこれで御めでたいという感覚が国民の根底にあるのか? ②窒息しやすいのは高齢者なのでここでなまじ助かってもあとが植物状態になれば、労力も治療費もかかるので医療経済的に助からないほうがいいと行政関係者は考えているからか? ③窒息予防のために高齢者にはモチを細かく切って出すと「人を差別扱いするのか」と怒り出す平等論者がいるためか? なんだかよくわからん、ん? 本当は知っているかも?
明けましておめでとうございます。・・・と、いつも年始には挨拶しますが、いまだに何がおめでたいのか不思議です。このような慣習、風習も、つきつめて調べればそれなりの謂れや理由があるのでしょうが、自分は新年の「おめでたい」理由を知りません。例えば昔、乳幼児死亡の多かった時代では子供を沢山作ることで一家の労働の担い手を確保しました。そこでその子供達が育ってくれた(生存してくれた)ことをお祝いするためのマイルストーンとして七五三があります。このことから類推すると新年がおめでたい理由は、きっと生きて新年を迎えることができたということだけでおめでたいのでしょう。健康が一番です。今年も地域の健康管理の担い手になれますよう精進いたします。