六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

勉学ノート  H・アーレントの『思索日記』から

2012-02-16 00:29:21 | 現代思想
          

 エロスと哲学は一体をなしている。いずれも「世界」から逃走し、非政治的、反政治的だからである。恋する男が恋人と共に日常的な仕事の世界から逃走して愛の対話を交わすことができるように、哲学者は自分自身と共に逃走して、思索の対話を行うことができる。(H・アーレント『思索日記 Ⅱ 』より)  

 上記は決して肯定的に語られているわけではない。そこでは人間の複数性による「世界」が、そして、その営みである本質的な意味においての「政治」が失われてしまっている。(六)
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【読書の窓】『丸山真男の時代』おぼえがき

2011-10-22 02:33:28 | 現代思想
 本書とよく似た書名の『丸山眞男とその時代 』(福田 歓一 2000年 岩波ブックレット)という本があるがそれとは違う。
 こちらの方は『丸山真男の時代』(竹内 洋 2005年 中公新書)である。
 この書名の差は微妙であるが、後者は丸山真男という現象を通じて見た「時代」の方にウエイトがかかっているといっていいかも知れない。

 正直言って、私は丸山真男とあまりちゃんと向かい合ったことはない。いわゆる「丸山世代」というのは私よりもさらに年長の人々といってよい。そんな私でももちろん、彼が雑誌『世界』などを舞台としたいわゆる戦後知識人であり、岩波文化人であることは知っていてそれらの論文を読んだことはある。

 さてこの書であるが、丸山真男の思想を手っ取り早く吸収しようとするむきにはいささか当てが外れるであろう。既に少し触れたように、この書は丸山真男という現象、出来事がなんであったかを解き明かすことにウエイトをおいているからである。
 ちなみに著者はその対象である丸山と政治学やその思想を追求する分野で共通するものはなく、社会学者である。しかし、そのことによってこの書は、丸山という鏡に映し出された事象をその「表裏」から考察し、もって丸山を逆照射し、従来の丸山像を越えたそれを紡ぎだす。
 そして同時に、丸山に代表されるいわゆる知識人の功罪を、とりわけその後期にいたっての凋落を明らかにする。

            

 先に鏡の表裏と書いたが、その表面が戦後のオピニオン・リーダーの丸山だとしたら、裏面は若き学徒の時代(戦前)に吹き荒れた蓑田胸喜らによるファナスティックな帝大追放=インテリ追放の運動への、トラウマのようなものに捉われた丸山ともいえる。
 実際のところ、皇国史観などにもとるとして蓑田らの運動により、大学を追放された研究者はかなりの数にのぼる。

 それが途絶えた、敗戦の日八月一五日をもって、丸山に日本の「革命」といわしめた要因であったとも思われる。実際のところ、この日を境に日本の言論界は様々なタブーから解き放たれたのであり、知識人が大衆に語りかける自由を得たのであった。

 もう一つの鏡の表裏は、そうして解放された丸山ら知識人の活動の高揚と凋落の歴史である。
 そうした知識人たちは、例えばいわゆる六〇年安保で大きな力を発揮する。六〇年安保の高揚は、日本共産党の一元支配を離脱した全学連の街頭闘争と丸山たち知識人の連携によってもたらされたといっても過言ではない。

 しかし、六〇年安保以降のいわゆる高度成長期においては、丸山たち知識人の提言を受け止める層がもはや劇的に変化していた。
 運動そのものは武装闘争も含めて先鋭化する一方、かたや経済成長の成果を消費者として謳歌する「ノンポリ」という膨大な大衆を生み出しつつあった。
 そこではもはや知識人の出幕はなかったといってよい。
 丸山は当時の先鋭化した学生によって吊し上げに遭い、研究室を襲撃されたりもしている。

 ただし、例外的に鶴見俊輔などのべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が無党派層の受け皿として機能したことは特記すべきであろう。ただしこれとて、呼びかけ人の知識人による説得への呼応いう一面的な運動ではなかったように思う。

 この間の事情をこの書は社会学者らしく実証的に明らかにする。この書に挿入された多くの統計やグラフは、事態がどのようであったかの状況を具体的に示し、また、知識人の自負にもかかわらず事態がそれを裏切りつつあった過程をも示す。
 それらを含めてこの書が、丸山という鏡に写った表裏の事情を指し示しているという所以である。

       

 ところで、丸山の残したものはこれでもって途切れてしまったのであろうか。そうは思わない。
 別の書『自由について 七つの問答』(鶴見俊輔などの丸山真男への聞きがたり 2005年 編集グループSURE)でも丸山が強調するように、いわゆるプロの政治家(出家した僧)に対して、それぞれがほかに仕事を持ちながらパートで政治に参加する「在家仏教的政治参加」がものをいう時代は興味深い。

 それは丸山流ではベ平連の継承なのだろうが、それらはネット社会を経由することにより、そうした範疇をも超えてジャスミン革命であったり、一高校生の呼びかけに呼応する脱=原発デモであったりするかたちで実現しつつある。
 既存の政党や労働組合が「動員」をかけるのではない、「在家」の市民たちがそれぞれの課題に呼応して集まる、そして、そうした政治行動が事態を変える、それは丸山の夢であったのかも知れない。

付言すれば本書の中身は結構濃い。丸山をめぐる戦前戦後の歴史描写はそれ自身がとても面白い。
 

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【老化防止対策】ある若いひととの対話

2011-08-18 03:12:00 | 現代思想
 以下はタイトルに記したとおり、ネットで知り合った若い方とのやり取りの過程で、私が書いたものを抜き書き的に書き出したものです。
 この方の了承を受けていませんので、前後は省略させて頂きます。
 こういうやりとりは私にとってもとても勉強になり、刺激をうけるものです。

        

 <以下本文>おっしゃるようにR・ローティはプラグマティストの系統に属しますが、なぜ私がそれを援用するかというと、「プラグマティストには正義や真理の基準がない」というそれへの批判自身が持っているある種の危険性を感じるからです。

 ご存知のように、20世紀は革命と戦争の歴史であり、その中で多くの人命が奪われ、多くの悲惨があらわになりました。その最たるものがナチズムやスターリニズムなどの全体主義であり、戦前の日本もまたそれへの傾斜をもっていました。

 そうした立場を思想的に総括すると、その背後には、「世界には唯一の正義、唯一の真理があり、それは我が方にある」という信念があり、さらには、「そうした正義や真理を実現するためには、自他共に生命を厭わず」、つまりそのためには人を殺してもいいし、自分が死してもいいという論理に行き着きます。
 あらゆる戦争、あらゆる独裁や抑圧はこうした論理のうちで行われました。

 こうした、「世界には唯一の真理や正義があり」その必然性のうちに世界は動いているという立場を、哲学的には一般に「形而上学」といいます。
 こうした形而上学への批判は20世紀後半から様々な形で展開されてきて、いわゆるポストモダンと言われる思潮はその流れにあるといえます。その意味では、ローティのプラグマティズムもそうした反=形而上学、ポストモダンのひとつの流れといえます。

 ローティの場合は、「残酷さと苦痛の減少」をひとつの起点にし、「われわれ」と「かれら」という差異の境界を曖昧にし、緩やかな連帯を生み出してゆくというのがその戦略のようです。
 そしてそれが、 《「照応(correspondence)」の明滅する空間的対話 》という〇〇さんのおしゃる語彙に私が反応しコメントさせていただいた理由です。

 ローティを絶対視しているわけではありません。ほかにその分野に切り込んだ人として、ハンナ・アーレントというひとにも興味をもっています。

 なお、「世界には唯一の真理、唯一の正義があり、それは我が方にある。したがってその実現のためには、自他ともに生死を厭わず」という思考の幾分カリカチュライズされたものとして、「連合赤軍事件」や「オウム真理教」をあげることが出来るかも知れません。


 

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東浩紀氏の民族派への転向???

2011-03-20 04:39:49 | 現代思想
 以下は、NYタイムズへの東浩紀氏の寄稿です。
 いってることは至極まっとうですが、やはり、国家や民族の問題でのナイーヴさ、底の浅さが露呈しているのではないでしょうか。

  http://blog.livedoor.jp/magnolia1977/archives/52018307.html

 私もこの状況の中で人々が助け合い、忍耐をしている状況を大いに評価しますが、それを日本民族や日本国家の固有性に還元するのはいかかがなものかと思います。とりわけ次のようにいわれてしまうとやはり引いてしまうところがあるのです。

 「有害なシニシズムの中で麻痺していた、自分の中の公共精神や愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。」

 公共精神はいざ知らず、愛国的な自分の発見とはいささか危ういのではないだろうかと思ってしまうのです。
 私はゆえあって氏の書いたものをざっと観たことがありますが、いささかの危惧を感じたのがいまわかるような気がします。1980年代以降のポストモダン世代は、国家や共同体との相克を経験してはいないのです。

 だからそれへの違和感をもった経歴を単なる「シニシズム」で片付けて、何かの契機で日本人万歳、日本国万歳に容易に「転向」しうるのです。

 繰り返しますが、私はこの事態への人々の冷静な対応を敬意をもってみています。もちろんそこには、買い占めといった不協和音などもあるのですが、全体としては感服せざるをえない状況にあると思います。

 ただしこれを、日本国家、日本民族の固有性のようなものに還元する氏の論調には危ういものを感じざるを得ないのです。ましてやそれが、「愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。」などといわれてしまうとなおさらです。
 こうした「転回」を遂げた氏の論調が今後どのようなものになるかを見守りたいと思います。

    (デリダ読みがどしてああなるかなぁ?単なるコンストラクションではないの?)

 

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目指せ極楽! 閻魔との論争に勝利するために!

2010-09-28 02:44:37 | 現代思想
 秋晴れの一日、といっても夕方から雨に降られたのですが、若い人たちとの哲学の勉強会に出かけました。テキストは、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』です。

     
 
 老い先短い身がいまさら勉強してどうするんだ、何ら世のため人のためにならないだろうというご指摘はよく分かります。
 しかし、私には私の事情があるのです。

 もし私があの世とやらに旅立つとしたら、その経費は心配ありません。なにせ、三途の川の渡し賃が私のハンドル・ネーム=六文錢だからです。
 問題はその後の閻魔との論争です。
 私の生前の行いからしたら、確実に地獄行きです。
 でも、ここで閻魔との論争に勝利したら・・・、そこに私は光明を見いだすのです。

     
           会場に向かう途中で見かけた曼珠沙華

 ですから勉強します。
 閻魔のレトリックにひるまないレトリックを獲得するために。
 「語り得ぬものについては、人は沈黙せねばならない」
 と、閻魔に言ってやったらどうでしょう。
 あ、これはダメですね。
 閻魔が、「俺は人ではない」と言ったらもうアウトですものね。

     
            ホラ、ちゃんと勉強しているでしょう

 勉強会はまさにここを巡って論争になりました。
 ヴィトゲンシュタインはその言語批判により、語りうるものとして論理的言語や科学的命題を限定しましたが、それらは沈黙すべきものを内側から限定づけたに過ぎず、本当に重要なものは明晰に語りうることがらにではなく、沈黙をしなければならないことの方にあるとしたのでした(フイッカーへの手紙)。
 ここが『論考』の押さえどころでしょうが、ここは難しいですね。

     
                 休憩時間です
 
 まあその詳細はともかく、そうした問題を例えば現役の院生などとともに語り合うことには楽しいものがあります。
 「生涯勉強」という言葉があります。
 私はこの言葉が余り好きではありません。
 何か、勉強をしてスキルを身につけないとダメだぞと言う強迫観念めいた響きがあるからです。

     
             会場の窓から ここはどこでしょう

 私も生涯、勉強をしたいとは思っています。
 しかし、何かのスキルを身につけて、世渡りを上手くこなそうとは思っていません。
 ホラ、最初に述べたでしょう。
 閻魔との対峙に備えているのです。
 閻魔に勝利して、「酒はうまいし、ねえちゃんはきれい」という桃源郷へ行くことを目指してです。

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嗚呼、鳴いて呼ぶ柳ヶ瀬探訪記

2010-08-09 03:31:20 | 現代思想
 久しぶりに柳ヶ瀬に出ました。
 8月8日は、柳ヶ瀬商店街が企画した「岐阜ど真ん中夏祭り」の最終日ですから、何かがあるのかと思ったらさしたることはありません。
 いわゆる柳ヶ瀬本通りに、数店の出店があるのみなのです。

       

       

 そこでトマトを格安で売っていたオッサンに話を聞きました。
 「夏祭り最終日だそうですが、まだ何かあるのですか」
 「なんにもないさ。見てみろ、この本通りを解放したのに、出ている店はほんの数軒、これじゃあ、柳ヶ瀬はおしまいだよ。やる気がないんだもんな、みんな。俺んとこも柳ヶ瀬で何十年も八百屋をやって来たがもう考えるよ」と痛烈なことば。
 こうした問答があったからかどうか、それまで、5個300円だったトマトが、10個で300円でもってけになりました。

    

 関の刃物やさんが店を出していました。
 こんな街頭で出しているのに、お客は高いというのだそうです。なぜしょうか?
 関へ納入されただけの外国産のものが、関の刃物でまかり通っているというのです。しかも大メーカーがそれを行っているのだといいます。
 うちはほんとうに関で作ったものを売っているのだとご主人。
 そのご主人が気炎を上げている間、奥さんが立ち寄る客に刃物の特性やその手入れを事細かに説明しているのが印象的でした。
    
   
 親子三人で、肉料理の店を宣伝しているほほえましい屋台がありました。
 しかし、昼間っからこうしたキャンペーンをするということはかなり苦戦している証拠だとおもいます。何とか応援してやりたいものです。
 肉料理は、年齢からして若干敬遠気味なのですが、同伴してくれる人(女性が望ましいがこのさい男も許容します。ただし割り勘ですぞ)がいれば行ってやりたい感じがしました。
 この店の成否は、なにがしかこの子の生来をも左右すると思うからです。

    

 柳ヶ瀬にも一箇所、華やかな箇所がありました。昔の古~い映画館が、大衆演劇のメッカとして復活したのです。どれくらい古いかというと、私が亡父に連れられてここで映画を見たのが60年前なのです。
 もちろんそのときとは造りは変わったいますが、名前は一緒です。

 私が通りかかった折、ちょうど開演前で、一座の若い衆がデモンストレーションをしていました。撮影にはもちろん了解をとったのですが、「自然で結構ですから」といったら、「その自然が難しいんだよなぁ」というのが彼らの返事。
 なるほど、彼らは見られる商売、人の視線のなかで自然にいることは出来ないのでしょうね。
 でも快く撮らせてくれました。

    


 最後の看板の写真、真ん中の白い着物の役者さん、私の若い頃にうり二つだと思うのは私だけでしょうか?
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「プラトニック納豆腐」普及協会から(レシピ付き)

2010-01-07 01:29:01 | 現代思想
   写真は本文と関係ありません。

 「納豆」と「豆腐」は意味するところが逆だとず~っと思っています。
 どうしてかというと、豆を納めるのは「とうふ」の方であり、豆を腐らすのは「なっとう」の方だと思うからです。
 
 一度、国語審議会に掛け合ってみようかと思うのですが、おそらく相手にされないでしょう。
 そこで、わが家だけでもその名称を逆転させてみようかとも思うのですが、「私的言語はあり得ない」のだそうですから、無駄な抵抗に終わりそうです。

    

            わが家の年越しの紅葉・1 南天

 でもこのままでは腹の虫が治まらないので、それを解消する方法を考えてみました。
 ようするに、この両者を混ぜ合わせてしまって、どちらが納豆でどちらが豆腐かを分からなくしてしまおうというわけです。
 それが意外とうまく行って美味いのです。

 ここまで読んで、納豆と豆腐を混ぜて食べるだけだろう?そんなことならとっくにしているわいと思ったあなた、あなたはいささか早計です。
 その理由は最後まで読んでいただければ分かります。
 以下がそのレシピです。とくにその後半にご注意下さい。

 
            わが家の年越しの紅葉・2 雪柳
              白い小さな花が咲く木


1)少し深みのある鉢に、納豆の小パックを一個分入れる。
  この納豆は小粒のものが好ましい。
2)そこへ、ネギの小口切りやカイワレ、時期によってはミョウガ、木の芽、などなど、香りのするものをお好みによって適度に加える。
3)カラシ、ワサビなどの香辛料もお好みで加える。
4)納豆だけではやや多めかなと思われる醤油を加え、上記をよく混ぜ合わせる。
5)さらに豆腐半丁分ぐらいを1センチ角のさいの目に切りそれを加える。
  この場合、豆腐は少し水切りをした方がいいが、必須条件ではない。
6)それらをひたすら混ぜ合わせる。豆腐が崩れるのはいっこうに構わない。
7)ここまでなら、な~んだで終わるのだが、ここからが肝要。
  がっついてそれをすぐに食べてはいけない。
  最低、一五分から三〇分ほど、そのまま寝かす
8)するとアーラ不思議、納豆プラス豆腐といった単純な加算では得られないクリーミーで不思議なな食感に変るのだ。
9)鉢からじかに食してもいいが、撹拌した跡などが残り視覚的にあまりよくないので、盛り付けにこだわるむきは、大きめの鉢かボウルで作り、改めて別の器に盛り付けるとよい。
10)これを総括するに、実態とは異なる命名をされた両者が、その恩讐を乗り越えてひとつになろうとする意志の力が働くのかと思われる。いってみれば、ふたつに分割された男女が、相手を求めて合体するというプラトン流の愛の力に似たものの作用といっていい。
 敢えて、「プラトニック納豆腐」と名付ける所以。

    
          わが家の年越しの紅葉・3 木通(あけび)

 たかが納豆と豆腐を食すのに、つまらん屁理屈をと思われそうですが、まあ、つまるところ、理屈はともかく美味いのです。
 
 「寝かす」のがポイントです。「寝る子は育つ」のですから。


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雲は「うん」とある・・・言葉の分節作用を巡って

2009-09-12 04:12:46 | 現代思想
 秋の気配を示すもののひとつに雲のありさまがあります。
 ついこの間まで空を支配していた入道雲(積乱雲というのだそうです)の影が薄くなったかと思ったら、うろこ雲やいわし雲、ひつじ雲などが空を彩っています。
 
 ところで、これらの雲の分類というか区分けがよく分からないのです。
 うろこ雲やいわし雲は、いわゆる高積雲といわれ、文字通り高いところで形成されるというので、秋のことを別名「天高く」というのも頷けます。
 私の居住する地域では聞いたことがないのですが、さば雲という言い方もあるそうで、やはりいわし雲がやや大きくなったのを示すようです。

 イワシやサバがあるならハマチやカツオがあってもと思い検索したのですが、それらはありませんでした。ところが、一方、さんま雲というのがヒットし、それを記述したものがあるのです。映像も添付されていますが、それはやはり、うろこ雲やいわし雲が大きくなったもののようです。

 

 これら魚類の名を付けられたものはどうやら高積雲らしいのですが、ひつじ雲になると微妙で高積雲の下の巻積雲に分類されたりします。他に、まだら雲は巻積雲、むら雲は層積雲とありました。

 しかしここで思うのは、今まで述べてきた雲はほとんど連続したものの様なのですがどこで区切るのでしょう。漠然として連続したものに区切り目を入れ、ここからここまでは何々、ここから何々というのを「分節化」というようですが、雲の名前はまさにそれなのでしょう。

 連続しているものにメスを入れ、ここからは何々、その向こうは何々、というのはとても面白くて、それが人間の言語の発祥だといわれています(by ソシュール)。そうして切り出されてきたものが言語化された私たちの日常だというのです。

 

 虹は七色、というのはほとんど私たちの固定観念です。しかし、実際には、虹はくっきりと七つに区切られてはいません。ですから、世界各地の虹の受容には、最も少ない三色から三〇色以上まであるのです。

 以前私が読んだ本で、アイヌ語では日本語でいう「雪」という言葉がないというのを知り驚いたことがあります。アイヌの人たちは私たちより遙かに雪に接した生活をしているのに・・・と思ったのです。ただしその謎は読み進むうちに解けました。

 私たち温暖な土地に過ごすものは、雨と霰や雹のあいだにあるものが雪です。もちろん雪には形容する言葉もつき、細雪、粉雪、ぼたん雪などといわれますが、いずれも雪という同じものを形容するにとどまります。

 一方、アイヌ語では、日本語の雪にドンピシャリのものはないのですが、その代わり、日本語の雪をあらわす言葉が複数あり、それぞれが別のものなのです。
 さらさらした雪、軽い雪、横なぐりの雪、べたべたした雪、とっても重い雪、その他その他、それらは日本語でいう「雪」という大雑把な言葉では括れないものなのです。

 なぜなのでしょうか。それは多分、アイヌの人たちの生活様式と関連していて、どの雪の時は狩りに出るかどうか、何の狩りに出るか、あるいは出ないか、どう過ごすのかなどなどを決定する要因で、日本語のように大雑把に雪と言い切れなかったのではないでしょうか。

 

 かくして言葉は、過去において切り分けられ(分節化され)たものが私たちに提供され、私たちはそれを当たり前として、それを用い、それにしたがって思考しています。
 私たちの思考がいかに自由であることを謳歌しても、それは過去に分節化された言葉に依拠するものであり、私たちの言語使用は自由とは言い切れないのです。

 その事実を発見し、それを明らかにしながら ,ソシュールは言語のくびきから抜け出る方策を追求し続けました。

 あ、私の叙述は度し難い脱線をきたしていますね。
 問題の発端はこうでした。
 うろこ雲、いわし雲、さば雲、さんま雲、ひつじ雲はどのようにして分類可能かでした。
 皆さんのご教示を待っています。


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デリダのTシャツ

2009-07-13 01:39:40 | 現代思想
     

     若い人たちとの勉強会に出かけた。
     メンバーの一人がデリダのTシャツを着てきた。
     なかなか良いではないか。

     
 
     タッチラインの向こうにはなにもないのだろうか。

     それにしても、勉強のテーマに合わせたTシャツを着てきくる
     なんて、なかなか憎いことをする。

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『歎異抄』って何度読んでも面白い!

2009-03-06 04:13:13 | 現代思想
写真は、建物のものを除いては私の家で咲いている桜です。もともと早咲きのものですが、今年は10日ほど早いようです。

  ===============================

 以下は、若い人たちとの勉強会で、私が報告した『歎異抄』のレジュメです。ただし、私の報告自体が諸般の事情により、わずか10日間のやっつけ仕事で、緻密な論証を欠いたものであったことは否めません。
 
<テーマ>
 『歎異抄』の他力思想と現代における主体概念について
                          
 私の報告は、第一部で「歎異抄」そのものに即してそれを読んでみるという試みと、第二部では、それといわゆる「現代思想」の主体概念との比較検討をするものでした。
 その間に、かなりの付会牽強があることは否定しませんが、私にとってはそれが興味の対象でした。

 

第一部の「歎異抄」そのものの読みは煩雑になるので繰り返しませんが、印象に残った点のみ記します。またそれは、唯円が書いたという後半よりもむしろ親鸞からの聴き語りという前半(第一条~第十条)に留めました。

第一条 阿弥陀仏の本願は現世の善悪を超越している 「歎異抄」を貫くテーマ
第二条 聖者たちは自力で成仏できるかも知れないが凡夫はそうはゆかない
第三条 善悪は宿業によるものであり、むしろ悪人の方が成仏できる
第四条 慈悲の直接性の否定 念仏往生を迂回しての慈悲の達成
第五条 死者の鎮魂慰霊は自力の計らい 縁起という繋がりの中で一切の衆生は父母兄弟姉妹 
第六条 師が弟子をして信心させるのは自力の計らい
第七条 どのように善を積もうが無碍の念仏には及ばない
第八条 行をしたり善をしたりではなく、「わが名を称えよ」という阿弥陀仏の第十八の誓願に応答することこそが必要
第九条 煩悩に満ちた迷妄の捨て難さ それ故凡夫は救われる
第十条 弥陀の本願への応答 人間の思慮を絶した行為  信仰

 
 
 このように簡潔に列記すると分かりにくいのですが、ここには徹底した他力思想があります。同時に、現世の善悪を超越した阿弥陀仏の計らいが強調されています。現世の「存在者」たる私とそれを越えた阿弥陀仏の計らいとしての「存在」のような「存在論的差異」をも連想させるものがあるのです。
 とりわけここにおける主体は、自律した存在として善悪、正邪を決断しうるものとしては決して登場せず、むしろそれを主張する者(例えば聖道門)への徹底的な批判、否定として語られます。
 
 自力で何ごとかをなし得るとするものは、徹底した虚妄として批判されるのですが、それは同時に、主体が他者によって常に既に浸食されたものであること(たとえば宿業)への深い認識によって貫かれていると思います。
 そうした主体=自力のはからいを取り去ったところに残るのは阿弥陀仏への帰依です。それは阿弥陀仏のはからい、それによる「現れ」(いわばアレーテイア、隠れなきもの)への帰依でもあります。

    

第二部はそうした読みにより得られたものと、それと類似の近代以降の主体概念との比較検討に当てました。
 以上の読みは、大きな物語の主人公としての人間という「ヒューマニズム」とは相反するものと考えました。従ってそうしたヒューマニズムの完成(=歴史の終焉)としてのヘーゲル以降に焦点を合わせてみました。ヘーゲルのこうした読みには抵抗があるかも知れませんね。

・私の中の他者1
 マルクス 意識=観念が存在を規定するのではなく、その社会的存在が意識を規定する イデオロギー(主体における他者性)論の基礎

・私の中の他者2
 ニーチェ 疎外論批判と現実の重視 ルサンチマン風自力回帰の否定 偶然を自らの必然性として受容する態度 本質からはみ出るものの許容 ディオニソス礼賛

・私の中の他者3
 フロイト 自意識の解体 心的外傷(トラウマ)を介した自己形成 主体形成への他者の干渉 宿業的因縁 オイディプス重視

・私の中の他者4
 ソシュール 言語の恣意性、不確定性の発見 私が言語を話すのではなく言語が私を話す 言語の中にある払拭し難い他者性

・私の中の他者5
 ハイデガー 現存在(Da-sein)という設定に見られる人間主体からの離脱 アンチ・ヒューマニズム 存在者と存在の存在論的差異 現れ=隠れなきことという真理概念(アレーテイア)

・私の中の他者6
 ミッシェル・フーコー 諸制度などの内面化という「生政治」 パノプティコン(一望監視装置)効果による権力の遍在化

 
 
 などなど。
 これらはすべて、伝統的な主体概念、客体に対して竣立する「吾」の揺らぎを示すものです。そしてその吾の「自力」がしばしば幻想であったり、あるいは、「善をなさんとして悪をなす」ことにもなります。
 
 自力のよって立つ基盤である「正義」や「真理」が「ある特定の時代の、特定の場所における、特定の立場による」ものに過ぎないにもかかわらず、ということはそうした正義や真理への確信自体が他者に浸食されたものであるにもかかわらず、それを振りかざすことには常にある種の暴力が付きまといます。
 
 その極致は、「世界には唯一の真理、唯一の正義があり、しかもそれはわが方にある。従ってその実現のためにはあらゆる犠牲が払われねばならない。要するに、自他共に死を厭わず(自分が死んでもいい、人を殺してもいい)」ということになります。
 これがナチズムやスターリニズムの全体主義や、ある種の原理主義の基本的パターンであることは見やすいところです。

 もちろん、「歎異抄」の他力本願からここへ至るのはいささか付会牽強の恐れがあります。
 「歎異抄」は宗教書として、信仰のあり方を語るものであり、従って凡夫の実世界での実践的な面、労働や経済的活動に触れたものではありません。確かに善悪の彼岸が語られていますが、かといって法からの逸脱を勧めているわけでもありません。

 それに対して、私の後半の考察は、近代そのものが歴史上で現実的に経験した事柄を思想的に総括する中から生まれた主体概念の変遷のようなものを示しています。
 従って、ただ「他力」を力説し「自力」のはからいを排除すれば事足りるというものではありません。それはいわば、単なる相対主義に堕することでしょう。
 ですから、ここから先は、そうした主体概念の歴史を参照しつつ、なおかつ、ある種の公共性のうちで立ち上がるべき主体のありようを具体的に考察することが必要だと思います。

 しかし、それらは私の能力を超えるようです。一応、「歎異抄」の徹底した他力思想に触発された主体概念の検討という入り口でペンを置くほかなさそうです。
 最後にこんな安易なまとめをしてみました。

 

*信仰  世界観、人間観での深い洞察に裏付けられつつも、どこかでファイナル・ボキャブラリーを見出す志向があり、その地点での飛躍を余儀なくされる。弥陀の誓願 あるいは神という絶対者の表象。現代では自然や科学もファイナル・ボキャブラリーとして信仰の対象たり得る。

 *思想  ある種の飛躍を含みつつも、その飛躍自体が論理化されることを要請される。これまで現れた偉大な思想とは、従来の思想との飛躍を論理化し得たもの、語りえない箇所を語るための概念を創出したもの。

 従って、思想を標榜するものでもその飛躍を論証し得ないもの(あるいはそれに相当する概念を生産し得ないもの)は信仰の要素を含むものであり、逆に、信仰であってもある程度飛躍の論証を含むものは思想として吟味されねばならない。親鸞のように・・。
   

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