六の母校、県立岐阜商業高校が、甲子園出場を決めました。
思い起こせば、今からちょうど今から半世紀前の1956年、私の母校は、春、夏ともに甲子園で準優勝いたしました。私は、その折り、ちょうど三年生でした。(歳がばれるなぁ。まっ、いいか)
まだ、高校野球が今のようにプロ化されていなくて、出場選手のほとんどが、あれはあそこの八百屋の息子だ、あいつは鉄道官舎に住んでいると氏素性が分かっていました。
現在の有力校は、県外からのスカウトを含めた選手を全寮制で管理するのが多いようで、もはや高校生の部活の範囲をはるかに越えています。
これらは、そこでプレーしている選手の責任でも何でもないのですが、「純真無垢な高校野球」などとナイーヴに手放しで形容されると、やはり抵抗を感じてしまうのです。
<今週の川柳もどき> 06.7.31
出来レースでも顔売るという打算
(総裁選。形だけの討論会)
あの人の影がすっかり薄くなる
あの人は修学旅行多忙です
(ライオン丸、今度はモンゴルへ)
殺戮を見て見ぬふりのえこひいき
(イスラエルの蛮行。無能な国連)
雨降れば流され照れば溺死する
(水の事故急増)
金と性のみ尊いという摂理
(それにしても大学生が引っかかるとは)
発表がなくも実感梅雨の明け