
ご存知、背高泡立草(セイタカアワダチソウ)である。鳥では昨日の拙日記に登場したカラスのごとく、また虫ではゴキブリのごとく、あまり好かれることがない花である。
何故嫌われるのか。
根っこに毒性があり、それにより他の植物を駆逐してドンドン増殖することもその要因であろう。いずれにしても生命力は強い。
戦後、アメリカからやって来た帰化植物である。そのやって来方がすごい。占領軍の飛行機の車にくっついてきたのである。
だからどこでもその繁殖は、飛行場の付近から始まったとされる。岐阜で言えば、各務ヶ原飛行場付近からである。
反米主義的な眼で見れば、アメリカ帝国主義の拡大政策の象徴に見えるらしく、事実そうした主旨のエッセイも読んだことがあるが、その主義主張はともかく、この花自体には何ら関係のないことであり、言いがかりのようなものである。
言いがかりやぬれぎぬといえば、この花、一時、ぜんそくを引き起こす犯人だとされたことがあった。その後、真犯人はブタクサであることが判明したのだが、今なお、疑いの目を向ける向きが多い。
もうひとつの嫌われる理由は、その名前が示すようにそれが巨大であり、2メートルを超える高さの群落を作るからである。
古来、巨大なものは威圧感こそあれ、かわいげがないものとされる。
しかし、渡来以来数十年、日本の環境に順応して変化を遂げたものもある。それほど巨大化せず、ススキなどとの共生を始めたところもあるのである。
かつて、空き地といえばススキであった。セイタカアワダチソウはそのテリトリーを犯し、やがてはススキを殲滅せしめるのではないかと言われたものだ。しかし、それもどうやら杞憂であるようだ。

アキノキリンソウ(泡立ち草)
ところで、「背高」泡立草といわれるぐらいだからそうではない普通の「泡立草」があると考えるのが自然であり、事実、それがあるのである。
こちらは日本古来の山野草で、別名、アキノキリンソウ(秋の麒麟草)という。最近はあまり見かけないが、かつてはその辺の土手や草むらに自生していたり、庭先で栽培されていたりした。
私の母の実家では、祖母が大切に育て、百日草やその他の草花と一緒に、仏壇の供花としていた。
最近は、背高泡立草のあおりを喰らったり、それの小さいものと間違えられて見向きもされないのだろうか。
路傍の草々にもそれなりの歴史があるものである。
<今週の川柳もどき> 06.10.22
おじさんがなだめ二度目は諦める
(北を中国が説得?)
火事場泥のように狙う核武装
(この際という発言)
火事場泥共謀罪を狙ってる
(核実験に騒然とする中)
売るものも捨てられるのある臓器
(名屋では廃棄)
ほのぼのが取り立てでぶるぶるとなる
(レイク、不正取り立て)
薬物とはなんとディープなインパクト
(凱旋門3位取り消し)
三億の夢は偽造で満たされぬ
(宝くじ偽造)
鬼ばかりの世間を渡りきって逝く
(藤岡琢也逝く)