札束をかがり火にする長良川
これは愚作の川柳であるが、それはさておき(本当はそんなに簡単にさておけないのであるが)、一夕、長良川に遊び、ピークを過ぎ去った時期の鵜飼を見る機会があった。
恥ずかしながら、岐阜に住まいしながら鵜飼というものをじっくり見たことがない。今回も、屋形船に陣取ってというのではないのだが、川沿いに作られた遊歩道から、一応、その一部始終を観ることができた。
岐阜の古い町並みを少し歩き、川へ着いた頃にはもうすっかり日は暮れて、対岸にもやい、鵜舟を待つ屋形船ではもう宴たけなわとみえ、人々のさざめく様が川面を渡って聞こえてきた。
それらとは別に、こちらは宴席なしの観覧のみの舟だろうか、それらが続々と集まり始めた。
さていよいよ開始かなと上流を見やると、なにやらかがり火らしい灯りが見えるのだが、いっこうに動こうとはしない。
川では、大型の双胴船にしつらえられた舞台付きの舟が現れ、浴衣姿の女性の手踊りが披露され、酔客のヤンヤの喝采を浴びていた。でも選曲がいまいちで、歌謡曲っぽいものばかりで幾分この場の情緒とはそぐわない。
ところで、私が岐阜に住みながら、なぜじっくりと鵜飼を見たことがないかというと、実は今をさる半世紀前、私の高校生の頃は、見るというより日常茶飯に目撃はしていたのだ。その頃は、今よりも実際の漁に近く、現在のように場所も固定せず、今日は上流、明日は下流といった具合に場所を変えて行っていた。
私は長良川に架かる橋を渡って通学していたので、クラブ活動などで遅くなり橋にさしかかると、下流で鵜飼が行われる日にはいやでも目に付くのであった。自転車を止め、橋の欄干から見下ろすこともあった。
ことほどさように、鵜飼は私にとっては日常の風景だったのである。むしろ、全国からこれを見に来る人たちがいることが不思議なくらいだった。でも、いつ頃だったか、チャップリンが来たときには何となく嬉しい思いがしたものだ。
川へ戻ろう。一通りのプレ・セレモニーが終わった頃、花火が四発揚がった。なぜ四発なのかは分からない。それと前後して、川の両岸の旅館やホテルの照明やネオンが消されたり暗くなったりした。
上流のかがり火が動き始めた。一艘、また一艘と、かなりの間隔をあけながら、六艘の鵜舟が漁をしながら通り過ぎる。舞い上がる篝火の火の粉、鵜を勇気づけるために船頭が船端を叩くダンダンダンという音、ホウホウというかけ声が川面に響き渡る。
やはり、ただで見るところからは詳細は見えない。しかし、鵜匠が操る紐や、その先あたりで鵜がぴょこんと潜るのが見える。鵜匠が船端へ鵜を引き上げるのも見えた。鵜が魚を獲ったかどうかこちらからは分からなかったが、近くの屋形船から拍手がおこったところを見ると、やはり獲ったのであろう。
六艘が下り終わると、そのうちの何艘かがまた上流に戻り、再び演じてみせる。そして最後がいわゆる総がらみという最大の見せ場である。遊覧船が川の両岸に張り付くようにして待機する。
その間を、六艘の鵜舟が舳先を揃え、鵜を操りながら下るのだ。これは圧巻である。川幅一杯に篝火が映える。鵜が躍動する。
そして・・、そう、その後は芭蕉翁に任せよう。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
実はこの日は、昼間、ハーゲン四重奏団のモーツアルト・チクルスのコンサート(岐阜サラマンカホール)に行き、その足で長良川へ向かったのだった。
和洋折衷も良いところだ。でも、どちらも楽しかった。
気が付くと、川面を渡る風が一段と涼しさを増していた。
かくて私の九月は終わった。
*これは9月30日の体験です。写真は岐阜市の観光案内からです。