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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

美登里さん追悼と六の時事川柳

2007-11-04 17:43:21 | よしなしごと
 
 私の友人、名古屋シネマテークの主宰者である倉本氏の連れ合い、美登里さんが亡くなってからほぼ二ヶ月が経つ十一月三日、彼女を偲ぶ会が行われた。
 彼ら夫妻の馴れ初めから知っていて、結婚後もいろいろ付き合いがあった私も招かれ、末席を汚した。
 倉本氏は当然だが、中学二年と小学五年の子息も列席していた。
 美登里さんを偲び、子どもたちにその実像を伝えるとともに、彼女の遺志をつなぐ明日への希望こそ語られるべきだと思った。

 だから、私はスピーチを求められた時、並み居る大人は無視して、ひたすら子どもたちに語った。
 倉本氏と彼女のデートのありさま、結婚、結婚のパーティ、子供の誕生、その命名に秘められた夫妻の子供への愛情、それらを私はいくぶんコミカルに語った。

 正直に言おう。私はコミカルに徹しようと思ったのだが、その途中でこみ上げるものがあった。でもここで崩れては私の戦略は失敗に帰す。だから、私はそこんところを笑顔で乗り切った。
 子どもたちも笑いながら、私の話を聞いてくれた

 悲しいのだ。だけど悲しいと繰り返したところで何が生じるのか。
 子どもたちの母親像に何が加わるというのだ。
 それが善意によるものとはいえ、子どもたちに延々と葬送の言葉を聞かせるのは残酷だと思う。ましてや、それを題材にして自分が感傷に浸るのはどうかと思う。

 だから、私は一貫して笑顔と笑うべきエピソードで通した。
 帰り際に、子どもたちが私に「ありがとう」といってくれた。
 私は、自分の友達にいうかのように「元気でな」といって別れた。

 ちなみに私のスピーチの結びは、「君たちも大きくなったら、お母さんのように笑顔が素敵な女性に巡りり合えたらいいね」というものであった。
 実際のところ、美登里さんは笑顔の素敵な女性であった。
 子を育て、仕事をし、各種の市民運動にも参加していた
 ウニタ書店に勤めている頃、よく訪れた私に、「ね、ね、六さん、最近どんな映画を観た」といった会話を何度もしたことを思い出す。そして、最後にしたのもそんな話だった。

 私は美登里さんをいたずらな感傷のなかに送るのではなく、あの晴れやかな笑顔を脳裏に焼き付けることで送りたい。あんな笑顔を振りまける女性は数少ないと思う。
 それにしても48歳は早すぎる。
 
 帰途、秋の夜寒が身に沁みた。

 
 

 <今週の川柳もどき> 07.11.4

  翼賛がとんでついでに小沢とぶ
   (大連立に色気を見せたと小沢代表辞意

  見返りはいらぬ商社の太っ腹
   (便宜供与はないと土屋証言)

  ODAの信頼も崩落メコン川
   (日本のODAによるベトナムの橋崩落

  旅先でうかつに土産買えぬ国
   (偽装列島)

  また一つ名古屋の元気ドラゴンズ

コメント (2)
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