私には戦死した父と育ててくれた養父の二人の父がいると度々書いてきたが、これは養父の方の話である。もう十数年前に他界したが、生きていればちょうど百歳である。
私が養父から引き継いだというと大げさになるが、貰ったりしたものに若干の植物がある。
そのひとつは結構大きい南天であるが、実家の改築の際、邪魔になるというので貰ってきて私のところへ植えた。細い少しカールしたような葉の珍しい南天で、白い花を付けたり赤い実がなったりはするものの、季節感を感じさせるほど派手ではない。
このカタバミは去年撮したもの
もう一つはカタバミの花だが、養父はそれを「サクラソウ」だといって持ってきた。確かに花の形状も似ているのでずっとそう信じてきたのだが、一度、日記にして自分のページに載せたところ、かなりの人から訂正のコメントを貰ってはじめてそれがカタバミである事を知った。
これはこの時期、まだ早いのだが、もう一ヵ月もしたらあちこちで花を咲かすだろう。
というのは、あまり庭というものを管理していないので、彼らはあちこちに住みやすそうなところを見付けては勝手に増殖しているからだ。
まず二輪、だが次々と続きそう
最後がここに載せた紅梅の鉢である。
二月も終わりだというのに雪に見舞われている昨今だが、それにもめげず、先発隊としてまず二輪ほどが開いた。
冬から春への先駆けとして咲くせいもあって、亡父の遺したもののうちでは、これに一番季節感を覚える。
柳行李ひとつをもって雪深い田舎から材木屋に丁稚奉公に来て、やっと年季明けで自分の店を持った途端に戦争にとられ、敗戦時は満州のハルビンにいたせいで、そのままソ連軍にシベリアへ連れて行かれ、四年間の収容所暮らしと重労働、体がガタガタになって帰ってきてからも商売一筋であった父、材木を外から見ただけで中の木目の模様からどこにどんな節があるかが分かる、それについてはどこの大学教授よりも確かだと自慢していた父、私が15才になったとき「昔でいえば元服だ」といって酒を飲ませようとし母に叱られていた父、そんな父が花や植物を愛でる余裕を持っていた事にホッとしたものを覚える。
梅の花芯はすこしエロティック。そういえば花はエロスの器官だった
酒を飲む以外、父からなにも受け継がなかった不孝者ではあるが、こうして紅梅の前に立つと様々な思いが去来する。
私がいうのもなんだが、父は高等小学校しか出ていなかったが実に利発であった。あの利発さは、なまじっか本を読んだりしたぐらいでは越えられないだろうと思う。
そんな私の感傷をよそに、梅はただ、なぜなぜなしにその花を開き続けようとしている。
私が養父から引き継いだというと大げさになるが、貰ったりしたものに若干の植物がある。
そのひとつは結構大きい南天であるが、実家の改築の際、邪魔になるというので貰ってきて私のところへ植えた。細い少しカールしたような葉の珍しい南天で、白い花を付けたり赤い実がなったりはするものの、季節感を感じさせるほど派手ではない。
このカタバミは去年撮したもの
もう一つはカタバミの花だが、養父はそれを「サクラソウ」だといって持ってきた。確かに花の形状も似ているのでずっとそう信じてきたのだが、一度、日記にして自分のページに載せたところ、かなりの人から訂正のコメントを貰ってはじめてそれがカタバミである事を知った。
これはこの時期、まだ早いのだが、もう一ヵ月もしたらあちこちで花を咲かすだろう。
というのは、あまり庭というものを管理していないので、彼らはあちこちに住みやすそうなところを見付けては勝手に増殖しているからだ。
まず二輪、だが次々と続きそう
最後がここに載せた紅梅の鉢である。
二月も終わりだというのに雪に見舞われている昨今だが、それにもめげず、先発隊としてまず二輪ほどが開いた。
冬から春への先駆けとして咲くせいもあって、亡父の遺したもののうちでは、これに一番季節感を覚える。
柳行李ひとつをもって雪深い田舎から材木屋に丁稚奉公に来て、やっと年季明けで自分の店を持った途端に戦争にとられ、敗戦時は満州のハルビンにいたせいで、そのままソ連軍にシベリアへ連れて行かれ、四年間の収容所暮らしと重労働、体がガタガタになって帰ってきてからも商売一筋であった父、材木を外から見ただけで中の木目の模様からどこにどんな節があるかが分かる、それについてはどこの大学教授よりも確かだと自慢していた父、私が15才になったとき「昔でいえば元服だ」といって酒を飲ませようとし母に叱られていた父、そんな父が花や植物を愛でる余裕を持っていた事にホッとしたものを覚える。
梅の花芯はすこしエロティック。そういえば花はエロスの器官だった
酒を飲む以外、父からなにも受け継がなかった不孝者ではあるが、こうして紅梅の前に立つと様々な思いが去来する。
私がいうのもなんだが、父は高等小学校しか出ていなかったが実に利発であった。あの利発さは、なまじっか本を読んだりしたぐらいでは越えられないだろうと思う。
そんな私の感傷をよそに、梅はただ、なぜなぜなしにその花を開き続けようとしている。