雑然が良いか、整然が良いか」などといきなり訊かれたら、つい、整然が良いと答えてしまうかも知れない。
私がこの問いそのものに疑問を覚えたのは、今から20年ぐらい前のことであった。
当時私は、名古屋は今池という街で居酒屋を経営していたのだが(経営なんて偉そうにいうが、自分自身がはいずり回って働いていた)、その折、この街は、名古屋の副都心とまでいわれた地位から滑り落ちつつあった。

それには様々な要因があるので詳論はしないが、当時、行政が委託したコンサルタントの診断に依れば、「この街は雑然としているから駄目だ」ということであった。
私は、この言葉に反応した。
コンサルタントの所見は間違ってはいない。
しかし、雑然はどうして駄目なのだろう。
そこから私の考現学的街の観察が始まった。
確かにこの街は雑然としている。
「この街は○○である」と一元的に規定できないのだ。
しかし、この雑然の中にはたくさんの魅力あるものがあるではないか。
これらのほとんどを捨象して、何かを基準として整然とさせればこの街は良くなるのだろうか?

私の答えは「否」であったが、それに自信は持てなかった。
折から、この地区を統合した商店街の祭りの企画があり、私はその第一回の実行委員長に選ばれた。
そこで私が企画したコンセプトは、雑然の中味をパンドラの函をぶちまけるように、すべて出し尽くそうということであった。

まずひとつは、この街が戦後闇市から出発したことを踏まえたフリマの再現である。
何ら規制を加えず、あらゆる店の出店を認めた。
その結果、ホコテンに200を越える出店があり、ユニークなものも多かったのだが、反面、事後に所轄官庁からのクレームが続出した。
1)警察から
パトカーの色を塗った車を、一回何百円かで、金属バットで力一杯殴りつけるという出店があったのだが、それに対して所轄署から、こんなものがある以上、警備や交通整理は出来ないというクレーム。
2)消防署から
在日中国人の人たちによる中国獅子舞を行い、街中を練り歩いたのだが、その際鳴らした爆竹は消防法違反であること。
3)保健所から
飲食関係の出店に対する注意は無数。
東南アジア関係の店で、ご飯の上にスパイスの効いたものを乗せる料理について。
保健所「あれは駄目です」
私「でもあれって、カレーと同じでしょう」
保健所「そうです」
私「ではなぜ駄目なのですか」
保健所「カレーの屋台というのはないのです」
そういわれればそうである。カレーの屋台はない。
後から知ったのだが、屋台で売ることが出来る食品は厳密に限定されていて、うどん、蕎麦、ラーメンは良いが、スパゲティは駄目なのである。
これが全国一律かどうかは知らないが名古屋ではそうである。
かくして、祭りの後の何日かは、私は各所轄の官庁に謝ったり言い訳をしたりの日々であった。

今ひとつは、この街は、在日の人たちも多くエスニックな街であるということである。
だから、祭りの期間には、インターナショナルというかトランスナショナルな空間も実現する。
話は逸れたが、雑然をぶちまけようというコンセプトは成功したと思われる。
なぜなら、今日もなお、今池の祭りは地域の表現者たちがパフォーマンスを繰り広げ、闇市さながらのフリマが立ち並ぶ雑然とした、それでいて楽しい祭りだからである。
とりわけ言えることは、結構規模が大きな祭りなのに、イベント会社などの企画や指示を一切受け付けない手作りの祭りだということである。
このコンセプトが生きている以上、私はこの祭りの応援団である。
岐阜に引っ込んでからも、この祭りに姿を見せなかったことはない。
私の息子や娘のような若い人たちが、往時の私と同じ思いで活躍する姿は美しいと思う。

付記すると、「今池ハードコア」というコミュニティがあり、今池祭りには、全国の今池ファンが集まるということである。
東京や横浜からわざわざ来る奴なんて馬鹿に決まってる。
その馬鹿がいとおしい、そんな祭りである。
総じていえば、「雑然がなぜ悪い」、「雑然万歳」なのである。
私がこの問いそのものに疑問を覚えたのは、今から20年ぐらい前のことであった。
当時私は、名古屋は今池という街で居酒屋を経営していたのだが(経営なんて偉そうにいうが、自分自身がはいずり回って働いていた)、その折、この街は、名古屋の副都心とまでいわれた地位から滑り落ちつつあった。

それには様々な要因があるので詳論はしないが、当時、行政が委託したコンサルタントの診断に依れば、「この街は雑然としているから駄目だ」ということであった。
私は、この言葉に反応した。
コンサルタントの所見は間違ってはいない。
しかし、雑然はどうして駄目なのだろう。
そこから私の考現学的街の観察が始まった。
確かにこの街は雑然としている。
「この街は○○である」と一元的に規定できないのだ。
しかし、この雑然の中にはたくさんの魅力あるものがあるではないか。
これらのほとんどを捨象して、何かを基準として整然とさせればこの街は良くなるのだろうか?

私の答えは「否」であったが、それに自信は持てなかった。
折から、この地区を統合した商店街の祭りの企画があり、私はその第一回の実行委員長に選ばれた。
そこで私が企画したコンセプトは、雑然の中味をパンドラの函をぶちまけるように、すべて出し尽くそうということであった。

まずひとつは、この街が戦後闇市から出発したことを踏まえたフリマの再現である。
何ら規制を加えず、あらゆる店の出店を認めた。
その結果、ホコテンに200を越える出店があり、ユニークなものも多かったのだが、反面、事後に所轄官庁からのクレームが続出した。
1)警察から
パトカーの色を塗った車を、一回何百円かで、金属バットで力一杯殴りつけるという出店があったのだが、それに対して所轄署から、こんなものがある以上、警備や交通整理は出来ないというクレーム。
2)消防署から
在日中国人の人たちによる中国獅子舞を行い、街中を練り歩いたのだが、その際鳴らした爆竹は消防法違反であること。
3)保健所から
飲食関係の出店に対する注意は無数。
東南アジア関係の店で、ご飯の上にスパイスの効いたものを乗せる料理について。
保健所「あれは駄目です」
私「でもあれって、カレーと同じでしょう」
保健所「そうです」
私「ではなぜ駄目なのですか」
保健所「カレーの屋台というのはないのです」
そういわれればそうである。カレーの屋台はない。
後から知ったのだが、屋台で売ることが出来る食品は厳密に限定されていて、うどん、蕎麦、ラーメンは良いが、スパゲティは駄目なのである。
これが全国一律かどうかは知らないが名古屋ではそうである。
かくして、祭りの後の何日かは、私は各所轄の官庁に謝ったり言い訳をしたりの日々であった。

今ひとつは、この街は、在日の人たちも多くエスニックな街であるということである。
だから、祭りの期間には、インターナショナルというかトランスナショナルな空間も実現する。
話は逸れたが、雑然をぶちまけようというコンセプトは成功したと思われる。
なぜなら、今日もなお、今池の祭りは地域の表現者たちがパフォーマンスを繰り広げ、闇市さながらのフリマが立ち並ぶ雑然とした、それでいて楽しい祭りだからである。
とりわけ言えることは、結構規模が大きな祭りなのに、イベント会社などの企画や指示を一切受け付けない手作りの祭りだということである。
このコンセプトが生きている以上、私はこの祭りの応援団である。
岐阜に引っ込んでからも、この祭りに姿を見せなかったことはない。
私の息子や娘のような若い人たちが、往時の私と同じ思いで活躍する姿は美しいと思う。

付記すると、「今池ハードコア」というコミュニティがあり、今池祭りには、全国の今池ファンが集まるということである。
東京や横浜からわざわざ来る奴なんて馬鹿に決まってる。
その馬鹿がいとおしい、そんな祭りである。
総じていえば、「雑然がなぜ悪い」、「雑然万歳」なのである。