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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

街のパーツ・その衣装を脱がせる

2008-06-09 02:42:05 | フォトエッセイ
 街はいろんなパーツでできています。
 私たちはそれらを、これは道、これは建物、これは灯りといった具合に識別しながらも、漠然と全体を眺めています。
 そうしたなかで、おそらく私たちは、無意識のうちに私たちの生活に関わる繋がりや有用性のようなものとして、それがそこに、そのようにしてあるのは当然として見てしまっているのではないかと思うのです。

 
 
 しかし、一度それらを、私たちの生活関連から切り離し、オブジェ(そのもののそのもの性)として見ると、新たな発見があるように思います。
 要するに、全体を形作るパーツとしてではなく、それ自身としてみること、あるいは、そのものと他のものとの配置や繋がりを、生活関連や有用性を取り除いてみるということです。

 

 これは一見、難しそうですが、逆に言うと、最近、生活関連の中ではなんだかよくわからないものが街には増えていることからして、そのものをそれとしてしか見ることができない場合もあるわけです。「なんじゃいこれは」といった具合にです。

 

 もっともそんな場合にも、私たちは、「ああ、あれはきっとこの為のものに違いない」と変に納得して無理やり生活関連の図式の中に閉じこめてしまうことが多いのかも知れません。
 私たちがものを見る視野や視点は結構頑固で、見えない関連を勝手に見てしまったり、逆に、そこに見えているものが見えなかったりもします。

 

 それはともかく、街中でものと出会うおもしろさは、それらのものをその生活関連の衣装を脱がせて見ることのようにも思うのです。あれとこれとの調和と不調和、この形のこの質量感、あるいはこの色彩の自己主張、そうしたものがここにあるということ、それは結構新鮮に思えます。

 

 もっともこれは、見慣れた街を面白くする私なりの遊びに過ぎないのかも知れませんが・・。
 それに加えて、急ぎ足ではなく、割とゆっくり街を歩くようになったせいもあります。
 え? お前のように暇人ではない? ごもっともで・・。
 






コメント
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