*写真は本文とは関係ありません。共通点はいずれも私の部屋からのもの。
一枚のみ朝日を受けたもの、その他は夕日を受けたものです。
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人間の記憶というのはどういうスイッチで喚起されるのかがよく分かりません。
なにかを思い出そうとしての記憶の場合には、その思い出そうとする意志がきっかけになるということなのでしょうが(もちろん、それでも思い出せないこともあります)、そうではなくて、何のきっかけもなしにふと記憶の舞台に登場してくることどもに関してです。
しばらくものを細かくして食えと医師にいわれ、そのために引っ張り出してきたミキサーを洗っている時でした。半世紀以上前に流行った歌の歌詞が突然、そのメロディと共に頭に浮かんできたのです。
何だコリャ、と一度は頭から追い出したのですが、何度も何度も繰り返しそれがやってくるのです。
その歌詞は以下のようです。
♪昔さむらいさんは 本気になってチャンバラした
今じゃ芝居で女が チャンチャンバラバラ
男はたまらないよ アッサリなで斬りだよ
二丁拳銃も これじゃ顔負け
ついに根負けして、この記憶を受け入れることにしました。
それどころかいろいろ感じるところがあって、ネットで検索してみました。
ありました。
曲名は「チャンバラ節」
唄:久保幸江
作曲:野村俊夫
作詞:草刈童子
1952(昭和27)年に録音とありました。
歌詞は5番まであり、上に載せたのはその1番ですが、驚いたことに私の記憶は「アッサリ」のところが曖昧だっただけでほとんど合っていたのです。
別にこの歌に特に入れあげていたり、記憶に残る事柄が付随したのでもないのにどうして覚えていたのか、これもまた記憶の謎ですが先に進みます。
曲名は「チャンバラ節」なのですが、これは男性ではなく女性のチャンバラです。
いわゆる「女剣劇」といって、当時、全盛を極め、大江美智子や不二洋子、浅香光代などがそれぞれ座長として一座を率い、男どもを舞台の上でバッタバッタと斬りまくるのを、これまた男どもがやんやの喝采で観るという仕掛けになっていました。
なぜ男どもに人気があたのかというと、その女剣士のかっこ良さもさることながら、剣戟の間に太ももなどがチラリと見えたりするサービスがあったからです。これが「チラリズム」という和製英語?の語源です。
今なら、超ミニやホットパンツの女性が町中を闊歩し、女性の太ももなど溢れかえっているのですが、これはまだ女性が膝から上を晒すことがなかったプレ・ミニスカートの時代のことなのです。
ところでこの歌詞の最後のフレーズ、「二丁拳銃も これじゃ顔負け」に唐突感をもたれる方も多いでしょうね。ところが、私の年代はすんなりと理解できるのです。
ひとつは、このころハリウッド製の西部劇が新旧取り混ぜて日本で公開され、大人気を博していました。
このころの西部劇では、インディアンは開拓者を妨害する悪辣非道な連中として描かれ、白人のガンマンがそれを迎撃し、バンバン撃ち殺すものがほとんどでした。
自分たちの土地や資源を一方的に奪われながら、主客転倒で悪役にされ、バンバン撃ち殺されるインディアンもたまったものではありませんね。
ハリウッドでそれへの反省が芽生えてくるのは60年代になってからです。
といった事情で、女剣劇と西部劇が興行の世界でともに話題になっていたことが伺えます。
もうひとつは、その前年の1951(昭和26)年、西部劇映画のトップスターという触れ込みで、ケニー・ダンカンという俳優が来日し、全国を興行して歩いたのです。
何の興行かというと、彼は拳銃と投げ縄の名人ということで、舞台の上でそれを実演してみせたのでした。
戦後始めて来日したハリウッドスターということと、上に述べた西部劇ブームとが呼応して、その興行成績は上々だったようです。
実は、かくいう私もそれを観ています。当時は映画だけなら二本立て、映画一本の場合は実演が付くといったことがありましたので、きっとそんな折に観たのでしょう。私は中学生でした。
舞台に現れるや、振り向きざまにガンベルトから拳銃を取り出しバンバンと撃って見せる、あるいは二丁拳銃をあやつり交互にバンバンと撃って見せる、それらにそれぞれポーズを付けて決めて見せる、そんな内容でした。
投げ縄も披露されましたが、名人であったかどうかは分かりませんでした。
新聞の娯楽欄には、ケニー・ダンカンがガンベルトから拳銃を抜いて発射するまでは0.3秒しかからないとかいったことがまことしやかに書かれていました。
しかし、帰国してから分かったのですが、彼は一度ジョン・ウエイン主演の映画に出たものの、主演映画など一本もなく、拳銃や投げ縄もそのポーズを決めるのみで、別に名人でも何でもなかったということでした。
しかし、少年の私たちには結構かっこよくて、学校の廊下などで振り向きざま、バンバンなどとやったものです。
長くなりましたが、これもまた「二丁拳銃も これじゃ顔負け」という歌詞が含意しているところなのです。
さて、冒頭に戻りますが、なんでこんななんでもないことを思い出すのでしょう。
最初に私の頭にこの歌詞が浮かんだのはなぜなんでしょう。
その時洗っていたミキサーとなにか繋がるものがあるのでしょうか。
ところで、この長~い文章の内容なのですが、これらは実は、この歌詞とともにほとんど同時に私の脳裏に浮かんだものでした。
したがって、ネットではその正確な年代や固有名詞などを確認したのみです。
記憶という装置のもつ謎はまことに深いようですね。
一枚のみ朝日を受けたもの、その他は夕日を受けたものです。
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人間の記憶というのはどういうスイッチで喚起されるのかがよく分かりません。
なにかを思い出そうとしての記憶の場合には、その思い出そうとする意志がきっかけになるということなのでしょうが(もちろん、それでも思い出せないこともあります)、そうではなくて、何のきっかけもなしにふと記憶の舞台に登場してくることどもに関してです。
しばらくものを細かくして食えと医師にいわれ、そのために引っ張り出してきたミキサーを洗っている時でした。半世紀以上前に流行った歌の歌詞が突然、そのメロディと共に頭に浮かんできたのです。
何だコリャ、と一度は頭から追い出したのですが、何度も何度も繰り返しそれがやってくるのです。
その歌詞は以下のようです。
♪昔さむらいさんは 本気になってチャンバラした
今じゃ芝居で女が チャンチャンバラバラ
男はたまらないよ アッサリなで斬りだよ
二丁拳銃も これじゃ顔負け
ついに根負けして、この記憶を受け入れることにしました。
それどころかいろいろ感じるところがあって、ネットで検索してみました。
ありました。
曲名は「チャンバラ節」
唄:久保幸江
作曲:野村俊夫
作詞:草刈童子
1952(昭和27)年に録音とありました。
歌詞は5番まであり、上に載せたのはその1番ですが、驚いたことに私の記憶は「アッサリ」のところが曖昧だっただけでほとんど合っていたのです。
別にこの歌に特に入れあげていたり、記憶に残る事柄が付随したのでもないのにどうして覚えていたのか、これもまた記憶の謎ですが先に進みます。
曲名は「チャンバラ節」なのですが、これは男性ではなく女性のチャンバラです。
いわゆる「女剣劇」といって、当時、全盛を極め、大江美智子や不二洋子、浅香光代などがそれぞれ座長として一座を率い、男どもを舞台の上でバッタバッタと斬りまくるのを、これまた男どもがやんやの喝采で観るという仕掛けになっていました。
なぜ男どもに人気があたのかというと、その女剣士のかっこ良さもさることながら、剣戟の間に太ももなどがチラリと見えたりするサービスがあったからです。これが「チラリズム」という和製英語?の語源です。
今なら、超ミニやホットパンツの女性が町中を闊歩し、女性の太ももなど溢れかえっているのですが、これはまだ女性が膝から上を晒すことがなかったプレ・ミニスカートの時代のことなのです。
ところでこの歌詞の最後のフレーズ、「二丁拳銃も これじゃ顔負け」に唐突感をもたれる方も多いでしょうね。ところが、私の年代はすんなりと理解できるのです。
ひとつは、このころハリウッド製の西部劇が新旧取り混ぜて日本で公開され、大人気を博していました。
このころの西部劇では、インディアンは開拓者を妨害する悪辣非道な連中として描かれ、白人のガンマンがそれを迎撃し、バンバン撃ち殺すものがほとんどでした。
自分たちの土地や資源を一方的に奪われながら、主客転倒で悪役にされ、バンバン撃ち殺されるインディアンもたまったものではありませんね。
ハリウッドでそれへの反省が芽生えてくるのは60年代になってからです。
といった事情で、女剣劇と西部劇が興行の世界でともに話題になっていたことが伺えます。
もうひとつは、その前年の1951(昭和26)年、西部劇映画のトップスターという触れ込みで、ケニー・ダンカンという俳優が来日し、全国を興行して歩いたのです。
何の興行かというと、彼は拳銃と投げ縄の名人ということで、舞台の上でそれを実演してみせたのでした。
戦後始めて来日したハリウッドスターということと、上に述べた西部劇ブームとが呼応して、その興行成績は上々だったようです。
実は、かくいう私もそれを観ています。当時は映画だけなら二本立て、映画一本の場合は実演が付くといったことがありましたので、きっとそんな折に観たのでしょう。私は中学生でした。
舞台に現れるや、振り向きざまにガンベルトから拳銃を取り出しバンバンと撃って見せる、あるいは二丁拳銃をあやつり交互にバンバンと撃って見せる、それらにそれぞれポーズを付けて決めて見せる、そんな内容でした。
投げ縄も披露されましたが、名人であったかどうかは分かりませんでした。
新聞の娯楽欄には、ケニー・ダンカンがガンベルトから拳銃を抜いて発射するまでは0.3秒しかからないとかいったことがまことしやかに書かれていました。
しかし、帰国してから分かったのですが、彼は一度ジョン・ウエイン主演の映画に出たものの、主演映画など一本もなく、拳銃や投げ縄もそのポーズを決めるのみで、別に名人でも何でもなかったということでした。
しかし、少年の私たちには結構かっこよくて、学校の廊下などで振り向きざま、バンバンなどとやったものです。
長くなりましたが、これもまた「二丁拳銃も これじゃ顔負け」という歌詞が含意しているところなのです。
さて、冒頭に戻りますが、なんでこんななんでもないことを思い出すのでしょう。
最初に私の頭にこの歌詞が浮かんだのはなぜなんでしょう。
その時洗っていたミキサーとなにか繋がるものがあるのでしょうか。
ところで、この長~い文章の内容なのですが、これらは実は、この歌詞とともにほとんど同時に私の脳裏に浮かんだものでした。
したがって、ネットではその正確な年代や固有名詞などを確認したのみです。
記憶という装置のもつ謎はまことに深いようですね。