かつて「何が禁止されているかでその社会が見えてくる」というコンセプトのもと、「禁止の考現学」というのをネットに連載したことがあります。要するに、ここではこんなことが禁止されているというのを写真入りで連載したのです。
ですから、禁止マークには結構敏感です。
そうした禁止マークが、週に一、二回利用するJR岐阜駅でここんところ急増したのです。それらの表示が数多くはられ、出入り口部分に相当するガラス戸などはこれでもかというぐらいそれでびっしりです。

それらを改めて写真で列挙します。
ひとつひとつを見るとなるほどということですが、そのいくつかの部分に「など」という言葉が入り、拡大解釈が可能になっています。
この解釈は、もちろん利用者側にではなく当局側にあります。
これらの禁止事項から免れ、何をしてもいいのかは以下のとおりだと思います。

駅構内に入ったら、迷わず切符売り場へ行き、所定の切符で改札口を通り、行き先のホームで来た列車に乗ってしまえということです。駆け乗ってはいけませんよ。粛々整然と乗らなければなりません。
到着した列車から降りる時もこの逆で、早く駅構内から立ち去らねばなりません。
これで秩序は保たれました。
しかし、なんだかさみしいのです。
こうしたお触れが強化される前を見てみましょう。
その前には駅の構築物の中ではないにしても、北や南の出入り口付近でストリート・ミュジシャンたちが様々なジャンルの音楽を聴かせてくれました。それはもはやアウトです。

夜遅く帰ると、半ば閉ざされたガラス戸をミラーがわりにして、端っこの方で若きダンサーたちがエクササイズをしていました。駅の機内ではありましたが、この時間敢えて彼らの群れに突入しない限り、何の危険も感じませんでした。
私なんかは、ヘルメットをかぶった頭を下にしてくるくる回っている若者をつかまえて、「何回まわったらいいの?」と尋ねたことがあります。
彼の答えがふるっていました。「出来れば永遠に!」。
それらは全て追っ払われました。駅は本来の、列車に乗り列車から降りる機能本位の場所として管理されることとなりました。
でもこれってさみしくはありませんか?
昔の駅はもっともっと豊かな表情を持っていませんでしたか?
そこは別離と出会いの場所であり人が集い、感情を発散させる場所でした。

かつての新婚旅行はほとんど列車でしたから、披露宴の後、新婚旅行を見送るために、披露宴に出た殆どの人が駅頭に集まり入場券を買い、プラットホームで発車のベルと同時にバンザイを叫んで見送ったものでした。
同じ職場を離れる人も、それが栄転であれ左遷であれ駅頭でバンザイをして見送ったものです。
見送りだけではありません。出迎えもまた派手でした。その組織に重要な人が来る場合にはできうる限りの人が駅頭に出迎えるのが習慣でした。
駅はもともと別離と出会いの場であり、だからこそ多くの映画監督が駅頭の場面をその映画の不可欠なシーンとして描きました。
しかし、もうそんなセンチメンタリズムは許されないのでしょうね。
駅はただ列車に乗降する場所に限定されてしまいました。

「あ、そこのあなた、そんなところで立ち止まると販売員か勧誘とみなされますよ。早く改札口の方へ。え?列車に乗りに来たのではない?駅の雰囲気が好きだから来た?怪しいですねえ。ちょっと鉄道公安室まで来てもらえますか。え?その前に捨てたいものがあるからゴミ箱の場所を教えてくれって?ますます怪しいですね。あなた、ゴミ箱に爆弾を仕掛けるつもりでしょう?そういうテロリストのために駅構内からゴミ箱を撤去したのですよ。え?駅の写真を?そ、そ、そのカメラって自爆装置付きのものでは?ま、ま、待ちなさい。直ちに自衛隊を出動させますから」
これって、国家機能に不規則性を持ち込むとして芸術家をシャットダウンしたプラトンの国家に似ていますね。そしてスターリニズム国家にもナチズムの国家にも、そして何よりも効率化を絶対的価値とする私たちの居住空間に・・・。
中高生の頃、駅の近くに住み、列車の発着と夜汽車の汽笛に思いを寄せ、駅がどこか他なる場所への接合点だと思っていた私には、今様の駅の佇まいは、もはやどこにも他なる場所などありはしないのだと宣告されたように思えてしまうのです。
ですから、禁止マークには結構敏感です。
そうした禁止マークが、週に一、二回利用するJR岐阜駅でここんところ急増したのです。それらの表示が数多くはられ、出入り口部分に相当するガラス戸などはこれでもかというぐらいそれでびっしりです。


それらを改めて写真で列挙します。
ひとつひとつを見るとなるほどということですが、そのいくつかの部分に「など」という言葉が入り、拡大解釈が可能になっています。
この解釈は、もちろん利用者側にではなく当局側にあります。
これらの禁止事項から免れ、何をしてもいいのかは以下のとおりだと思います。


駅構内に入ったら、迷わず切符売り場へ行き、所定の切符で改札口を通り、行き先のホームで来た列車に乗ってしまえということです。駆け乗ってはいけませんよ。粛々整然と乗らなければなりません。
到着した列車から降りる時もこの逆で、早く駅構内から立ち去らねばなりません。
これで秩序は保たれました。
しかし、なんだかさみしいのです。
こうしたお触れが強化される前を見てみましょう。
その前には駅の構築物の中ではないにしても、北や南の出入り口付近でストリート・ミュジシャンたちが様々なジャンルの音楽を聴かせてくれました。それはもはやアウトです。


夜遅く帰ると、半ば閉ざされたガラス戸をミラーがわりにして、端っこの方で若きダンサーたちがエクササイズをしていました。駅の機内ではありましたが、この時間敢えて彼らの群れに突入しない限り、何の危険も感じませんでした。
私なんかは、ヘルメットをかぶった頭を下にしてくるくる回っている若者をつかまえて、「何回まわったらいいの?」と尋ねたことがあります。
彼の答えがふるっていました。「出来れば永遠に!」。
それらは全て追っ払われました。駅は本来の、列車に乗り列車から降りる機能本位の場所として管理されることとなりました。
でもこれってさみしくはありませんか?
昔の駅はもっともっと豊かな表情を持っていませんでしたか?
そこは別離と出会いの場所であり人が集い、感情を発散させる場所でした。


かつての新婚旅行はほとんど列車でしたから、披露宴の後、新婚旅行を見送るために、披露宴に出た殆どの人が駅頭に集まり入場券を買い、プラットホームで発車のベルと同時にバンザイを叫んで見送ったものでした。
同じ職場を離れる人も、それが栄転であれ左遷であれ駅頭でバンザイをして見送ったものです。
見送りだけではありません。出迎えもまた派手でした。その組織に重要な人が来る場合にはできうる限りの人が駅頭に出迎えるのが習慣でした。
駅はもともと別離と出会いの場であり、だからこそ多くの映画監督が駅頭の場面をその映画の不可欠なシーンとして描きました。
しかし、もうそんなセンチメンタリズムは許されないのでしょうね。
駅はただ列車に乗降する場所に限定されてしまいました。


「あ、そこのあなた、そんなところで立ち止まると販売員か勧誘とみなされますよ。早く改札口の方へ。え?列車に乗りに来たのではない?駅の雰囲気が好きだから来た?怪しいですねえ。ちょっと鉄道公安室まで来てもらえますか。え?その前に捨てたいものがあるからゴミ箱の場所を教えてくれって?ますます怪しいですね。あなた、ゴミ箱に爆弾を仕掛けるつもりでしょう?そういうテロリストのために駅構内からゴミ箱を撤去したのですよ。え?駅の写真を?そ、そ、そのカメラって自爆装置付きのものでは?ま、ま、待ちなさい。直ちに自衛隊を出動させますから」
これって、国家機能に不規則性を持ち込むとして芸術家をシャットダウンしたプラトンの国家に似ていますね。そしてスターリニズム国家にもナチズムの国家にも、そして何よりも効率化を絶対的価値とする私たちの居住空間に・・・。
中高生の頃、駅の近くに住み、列車の発着と夜汽車の汽笛に思いを寄せ、駅がどこか他なる場所への接合点だと思っていた私には、今様の駅の佇まいは、もはやどこにも他なる場所などありはしないのだと宣告されたように思えてしまうのです。