
サブタイトルに「英語の世紀の中で」とあるのでインターネットの時代、英語が「普遍語」となり、「日本語は滅んでしまうぞよ」と受け取られかねないが、そうした時代背景を強烈に意識しているとはいえ、決してそうした主旨ではない。
ましてや、「これからは英語を学びましょう」といったことでもない。
むしろその真逆で、「読まれるべき言葉」としての日本語を慈しみ、いまあらためてそれを選びなおすべきだというのがその主張である。
これは私自身の反省であるが、言葉というものが単に指示対象を指し示す道具のようなものではないこと、あるいはソシュール流にいうと「否定的な差異の体系」でしかないことは知っていたし、また、ヴィトゲンシュタイン流に「言葉とはその使用」であるということも一応知ってはいたが、そうした言語論一般の範囲にとどまっていて、日本語そのものについて内在的に考えて見ることはあまりしたことがない。
水村が文中で、「まもなく死んでゆく老人にとっては日本語の将来など・・・」といった意味のことをいっていたが、さしずめ私なんかもその部類かもしれないとはいえ、反面、「オイオイ、そんなに簡単に切り捨てないでくれ」という気持ちもある。
考えてみれば、平均的日本人のなかでは、いろいろなところに日本語を書き散らしてきた方だといえる。
それだけに、「あとは野となれ山となれ」では済まない面もある。
さて、本書に戻ろう。
古くは中国語という東アジアを席巻した「普遍語」の傍らにあり、しかもその文字を漢字から借り受けた日本語が、にも関わらずその独自性を保ち、「漢字かな混じり」という独自の表記を生み出し「日本語」として存続し続けたこと、しかもそれを駆使して「文学」、とりわけ「日本近代文学」という豊かさを生み出したことを彼女は「奇跡」として高く評価する。
しかし、それらはすんなりと今日に至ったのではなく、すでに述べた中国語との関係、そして明治維新の開国に伴う共通語の模索、さらには第二次世界大戦敗戦時の日本語見直し論などの過程で様々に揺れ動いたことを彼女は克明に追跡する。
そのなかには、島崎藤村の「フランス語」への移行という今から考えるとトンデモ主張でしかないもの(藤村自身がフランス語を解しなかったというからよけいおかしい)から、表記をすべてローマ字にするというもの、あるいは漢字をすべて廃止するという動きなどさまざまな動揺があったようだ。
とくに、この最後に述べた戦後の漢字廃止論はかなり現実性を持っていたようで、「当用漢字」というのが将来の漢字全面廃止を前提にした「当面はこれだけは用いよう」という主旨で制定されたというのは目から鱗であった。
しかし、それは実際の日本語使用者たちの実践活動の中で、役人の机上の空論に終わったのは幸せだったと彼女はいう。
かくして日本語は、彼女にいわせれば「表音式かなづかい」という改悪(おかげで若い人達はもはや戦前の文学作品などを原文では読めなくなっている)はあったもののなんとかその形を保ったのであった。
さて、先にみたインターネット時代の英語の「普遍語」化の中で、わが日本語も呑み込まれてゆくのではという懸念に対し、彼女の立場は明快である。
ようするに科学技術や理論などの「叡智を求める人」たちには普遍語としての英語は必須になるだろう、それは例えば数学がほとんど各言語の干渉なしに普遍的に成立するようなものだという。
しかしそうした叡智の言葉と違って、つまりテキスト・ブックによって学習するものと違って、「読まれるべき言葉」つまり日本の文学作品などは「私達の言葉」である「日本語」で読むほかはないという。
それは厳密に言うところの文学の翻訳不可能性にもよる。たとえば、北原白秋の文語調で書かれた詩は、英語への翻訳は不可能なのだ。英語圏の人でその詩を味わう人はやはり日本語を通じてよりほかはないのだ。
「ふらんす」「フランス」「仏蘭西」という視覚上の違い自身がしばしば意味内容の違いをも含意することもある。
だから結論としては、英語が普遍語化する中で、「読まれるべき言葉」を読もうとする者は一層日本語に習熟しなければならないし、そのために日本語教育を充実させねばならないということになる。
その意味では日本人は日本語を大切にしなかったという。それは皮肉にも、ほかの言語の干渉によって邪魔されることなく稀有な国語としての日本語を成立させ、維持してきた島国という環境そのものが、逆に多言語との軋轢の中で自分たちの言語を守ってゆこうとする意志を成立させなかったからだという。
しかし、これからはそんなわけにはゆかないということである。
以上のような論旨だが、それらが実に豊富な資料をもとに展開されている。とりわけ彼女の得意分野である漱石の『三四郎』を中心としたテキスト解釈には力がある。
なお、彼女の言葉に強い説得力があるのは、それが「日本中心主義」的な動機から述べられているのではなく、彼女自身がバイリンガルというか日英仏のマルチリンガルであり、世界的な視野から日本語を逆照射しているところに負うところが多い。
*上記本文中、「フランス語を国語に」と主張したのを島崎藤村と書きましたが、これは誤りで、事実は志賀直哉が1946年に雑誌『改造』誌上で主張したものでした。ここに謹んで訂正いたします。