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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【映画二題】「危険なメソッド」&「声をかくす人}

2012-11-15 17:48:47 | 映画評論
 最近では一週間に二度も劇場で映画を観るのは稀なのですが、機会を得て可能になりました。
 評論というよりメモ程度の感想を綴ります。

     

「危険なメソッド」 (デヴィッド・クローネンバーグ監督 2011)
 
 精神分析の創始者・フロイトとその高弟にして一時はフロイトの後継者と目されたユング、それにユングの若き女性患者ザビーナをめぐる物語です。
 
 この種の映画は難しいでしょうね。
 精神分析のある種の基礎知識、無意識や対話療法、分析者と被分析者の間に生じる転移などを予めある程度了解しておく必要がありそうなのです。そしてまた、そこがわからないと、フロイトとユングの葛藤、そして決別がよくわからないからです。

 しかしこの映画はまあまあそのへんの所をクリアーしているともいえます。
 ようするに、治療過程で被分析者が抱く分析者への偏愛とどう対峙するのかですが、フロイトが若き日の苦渋に満ちた経験から(ここは映画では語られていません)それに対してあくまでも矜持を保つのに対して、ユングはそれに屈してしまう、その辺がこのドラマのキーポイントであり、それがまた両者の決別にも至るところです。

 ほかに、ユングが幾分オカルティックなものへの傾斜を見せるのに対し、それをフロイトが牽制する場面も出てきます。
 この映画では、どちらかと言うとユングに焦点が合わされているのですが、私としてはフロイトの方に好感を持ちます。
 確かに人間の世界は不可解に満ちているわけですが、それをいささか安易にカルト的とも言える仮説に還元して説明するユングよりも、あくまでも経験原則からの演繹で説明を試みようとするフロイトの方に意義を見出すのです。

 たとえば、快感原則や現実原則では説明がつかない人間のありようを、「死への欲動」という概念を生み出してでも説明を試みようとするその態度についてです。
 もちろん、「リビドー」などの仮説とともに、彼はいささかオーバーランをしているのかも知れません。しかし、そのオーバーの仕方はユングのそれとは異なるように思うのです。

 私のユングへの警戒心は、いささか不純なところもあります。
 それは1960年前後に東大からやってきた新左翼・ブンドのオルガナイザーがその後転向し、今ではゴリゴリの父権論者になっているのですが、彼が学者として名を成した(?)のがユングの研究者としてだったからです。
 思えば、オルグにやってきた頃から、どことなく父権的な感じのするところがありました。

 あ、私の得意な脱線です。
 映画に戻りましょう。
 映画は、そうした学問的葛藤と、ユングとザビーナのラブロマンスのようなものとが二重写しになっていて、上ではその関連と絡み合わせの困難さを「まあまあクリアーしている」と書きましたが、やはり「まあまあ」で終わっていたと思います。
 この種の映画は、それほど困難だということでしょう。
 なお、ザビーナ役のキーラ・ナイトレイの演技を、いささかオーバーアクションではないかと思ったのは私だけでしょうか。

     
     

「声をかくす人」 (ロバート・レッドフォード監督 2011)
 
 リンカーン暗殺の一味を裁く「軍事裁判」で、暗殺者たちのたまり場だった下宿屋の女将であったために、唯一、女性の被告となったひとを弁護する若き弁護士の映画です。
 この女性もまた、暗殺グループの一味とみなされ、死刑に処せられようとしています。
 
 それを弁護する男は、かつて北軍の勇士であったにもかかわらず、南部の連中を弁護するとして裏切り者扱いされ、所属するクラブから除名されさえします。
 この辺りは、日本で、光市親子殺人事件の弁護を行ったために、被告ともども「ひとでなし」扱いされた弁護士、安田好弘氏を追った記録映画「死刑弁護人」を彷彿とさせるところもあります。

 彼の七面六臂の活躍によって事態は次第に好転してゆき、判事たちの多数派(軍事法廷とあって判事も多数いる)を占めるに至るのですが、その評決も覆され、さらには最後の頼みの綱である「人身保護令状」も握りつぶされてしまいます。
 そしてその影には、人権よりも政治的効果を狙った最高権力者たちの陰険な欲望が張りめぐされていたのです。

 こうして映画はなんともいえないやりきれない結末を迎えるのですが、と同時にアメリカという国の光と影を考える機会にもなります。
 この映画にもしばしば登場するのですが、主人公が依拠するのは、建国時に定められた合衆国憲法です。
 これはまた、ハンナ・アーレントが大きく評価したアメリカ独立時の国民相互の約束の集大成としてあるものでした。もっとも、アーレントもその理想が崩れてゆく過程を冷徹に見つめ批判していますが、この映画において描かれているのもそうした葛藤です。

 私たちは、アメリカ建国時の自由や民主主義の精神を時折は垣間見るのですが、それらがリアルポリティックスのなかで歴史の背後に押しやられ、まるで骨董品のようになってしまっていることを思い知らされることがあります。
 
 被告メアリー・サラット役のロビン・ライトの毅然とした佇まいが光っていました。

 

コメント (8)
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