友人の娘さん、「新子」さんの個展を観ました。
彼女の絵の対象であるファクターは極めて限られています。
ずばり、「パン」と「子ども」です。
それだけなのです。
他のものは描かれていません。
彼女の絵を観るのはこれで2回めですが、前回もそうでした。
ここに載せた写真は今回のものではなく、たぶん、前回のものですが、これらの写真だけから見るとなんとなくメルヘンチックに見えるかもしれません。
タッチが繊細で柔らかいので余計そう見えることでしょう。

しかし、連作を観てゆくと、パンのバラエティ、そして子どもの表情や仕草のバラエティなどがそれぞれ異なり、そしてそれらの組み合わせによって表出されるものはそれぞれ異なります。
なかには、子どもがパンを食べるのではなく、パンが子どもを食べるというシュールなものもあります。
そうした一見、平板そうでいて単純なメルヘンのなかには収まりそうにない余剰が、これらの絵画を絵本の挿絵のような佇まいから自立した現代アートの一翼へと位置づけるのかもしれません。
その意味では、アニメのキャラクターをフィギャ化したようなアートよりは私たちには馴染めるように思いますし、少なくとも身近に感じられるのです。

なお、なぜその対象が「パン」なのかについては、画家自身が「子供の頃からのインプレッション」としてパネルのなかに書いているのですが、私のような疑り深い老人は、それ以上のトラウマのようなものをつい考えてしまいます。しかしそれは、たぶん、対象化された作品を曇りなく受容する上ではまったく余分な詮索というべきでしょうね。
なお、この「新子展」は、18日(日)まで、以下で開催しています。
ギャラリー名芳洞
名古屋市中区錦1丁目20-12伏見ビルB1
052-222-2588
地下鉄 伏見駅9番出口すぐ
*なお、作品の写真はネットで拾ったため、実際の作品とは色彩や明度、コントラストなど異なることをお断りします。
彼女の絵の対象であるファクターは極めて限られています。
ずばり、「パン」と「子ども」です。
それだけなのです。
他のものは描かれていません。
彼女の絵を観るのはこれで2回めですが、前回もそうでした。
ここに載せた写真は今回のものではなく、たぶん、前回のものですが、これらの写真だけから見るとなんとなくメルヘンチックに見えるかもしれません。
タッチが繊細で柔らかいので余計そう見えることでしょう。

しかし、連作を観てゆくと、パンのバラエティ、そして子どもの表情や仕草のバラエティなどがそれぞれ異なり、そしてそれらの組み合わせによって表出されるものはそれぞれ異なります。
なかには、子どもがパンを食べるのではなく、パンが子どもを食べるというシュールなものもあります。
そうした一見、平板そうでいて単純なメルヘンのなかには収まりそうにない余剰が、これらの絵画を絵本の挿絵のような佇まいから自立した現代アートの一翼へと位置づけるのかもしれません。
その意味では、アニメのキャラクターをフィギャ化したようなアートよりは私たちには馴染めるように思いますし、少なくとも身近に感じられるのです。

なお、なぜその対象が「パン」なのかについては、画家自身が「子供の頃からのインプレッション」としてパネルのなかに書いているのですが、私のような疑り深い老人は、それ以上のトラウマのようなものをつい考えてしまいます。しかしそれは、たぶん、対象化された作品を曇りなく受容する上ではまったく余分な詮索というべきでしょうね。
なお、この「新子展」は、18日(日)まで、以下で開催しています。
ギャラリー名芳洞
名古屋市中区錦1丁目20-12伏見ビルB1
052-222-2588
地下鉄 伏見駅9番出口すぐ
*なお、作品の写真はネットで拾ったため、実際の作品とは色彩や明度、コントラストなど異なることをお断りします。