カント先生曰く。「たとえ私たちが未来のために何かをしても、未来の人は感謝をしないだろう。それどころか逆恨みさえする」。
私たちもそうだ。さほど過去の人に感謝はしていない。

にもかかわらず、私たちもまた「他者」である未来の人ために何かをしようと試みる。感謝されるどころか恨まれることすらあるかも知れないのに。
それは私達が自分の有限性(=死すべき存在)を知っているからだろう。それを知るもののみが永遠を考え、未来を、しかも自己の不在の未来をも思考することができる。
考えてみたら、人間というのは、時間に対しておせっかいな(あるいは過剰反応をする)存在なのだ。ハイデガー先生もそういっている。
ほかの生物たちはそのように時間を支配しようとはしない。
私たちもそうだ。さほど過去の人に感謝はしていない。

にもかかわらず、私たちもまた「他者」である未来の人ために何かをしようと試みる。感謝されるどころか恨まれることすらあるかも知れないのに。
それは私達が自分の有限性(=死すべき存在)を知っているからだろう。それを知るもののみが永遠を考え、未来を、しかも自己の不在の未来をも思考することができる。
考えてみたら、人間というのは、時間に対しておせっかいな(あるいは過剰反応をする)存在なのだ。ハイデガー先生もそういっている。
ほかの生物たちはそのように時間を支配しようとはしない。