名古屋という街についてはあまりきちんと向かい合ったことはない。
ひとつには私の怠惰だが、もうひとつには18歳で名古屋の学校に通いはじめて以来、岐阜の人間であるはずの私はその大半を名古屋で過ごしてきて、その街を対象化して見るにはあまりにも身近かすぎたということもある。
その名古屋との付き合いは60年に及ぶ。そのうち名古屋に住んだのはサラリーマン時代の10年ほどだが、学生時代も、自分で名古屋に店をもってからも、ほぼ毎日名古屋へ通い、その生活基盤は名古屋にあった。
店をたたんでからの十数年は、その時間の大半は岐阜で過ごしたが、交友関係や映画やコンサートなどでは名古屋との関わりが強く、最近でこそ訪問回数は減ったものの、月数回は名古屋を訪れていた。
岐阜で書を読んだり文章を書いたりしていても、それは名古屋で発刊している同人誌のため(というか、それへの発表が読書やその整理原動力になっていた)が多かったから、精神的には名古屋とは深い結び付きがあったといえる。
そんな私だが、昨年の11月に、取り込みごとがあって以来、2ヶ月近く名古屋とはご無沙汰している。11月23日に、ちょっと期待していたコンサートで名古屋へ行くことになっていたのだが、それどころではなくなった。その折の無駄になったチケットが、いまも引き出しのなかに眠っている。
これまで述べてきたように、18歳の折に名古屋へ通学しはじめて以来、1ヶ月以上名古屋から遠ざかっていたのははじめてなのだが、ほかならぬ今日の午後、実に久々に(と私には思える)名古屋へ出かける。
用件は、まさにその18歳の折からの知り合いのYさんと、共通の友人であり、もう40年ほどの付き合いがあるNさんと合うためだ。このNさんは、中国は山西省に住んでいて、たまたま日本へ来ていて、まもなく帰るという日取りのなかでの出会いだ。
私の一身上にいろいろなことがあったあとだけに、どんな表情であったらいいのかにも戸惑いはある。しかし、長年の付き合いだから、自然の流れに任せればと思っている。
なんだか、名古屋再デビューのような心持ちだが、そういえば、60年前とは著しく変わった名古屋という街をあらためて眺める機会でもあろうかと思う。
二人との会話も楽しみだ。
それでは行ってきます。