12月31日、1月1日、2日の3日間は一歩も家を出なかった。
3日には、すぐ前にできたドラッグストアで買い物をしたが、往復にして100メートルちょっとを移動したに過ぎない。
このままでは足腰が萎えて死んでしまいそうなので、4日、郵便局に書留便を出しに行ったついでに少し歩いた。
郵便局で用件を終えてから、自宅を中心点にして、半円を描くように一時間半ほどフラフラした。途中で立ち止まってあたりを眺めたり、写真を撮ったりで、時間の割にはあまり歩いてはいない。それでも携帯の歩数計は6,000 歩ほどを記録していた。
新しい建造物などがあると、ここは前はなんだったのだろうと思い起こそうとするのだがなかなか思い出せない。まさに去るものは日々に疎しだ。
人間の記憶力なんていい加減なもので、自分の関心の対象外のものはどんどん削除してゆく。だから、そこに以前あったものをちゃんと見ているはずなのに、新しいものができてしまうと、以前あったそれを思い出すことができない。
一方、それほど一筋縄で行かないのもまた人間の記憶である。
夢の中などで、半世紀も前にほとんど業務的にしか会ったことがないぐらいで、したがってその後思い出したこともなかったような人が、名前も顔も鮮明に現れ、しかもその夢にとってけっこう重要な役割を担ったりする。
これなどはPCでいうと、とっくに削除し、ゴミ箱に入れたものが回帰する例、あるいはもっというと、ゴミ箱を空にするという措置を取り、もう回復しようにもし得ないはずのものが戻ってくる例で、その筋の専門家が、ハードディスクに残る痕跡からそうした情報を復活させるのに似ているのかもしれない。
なぜそんなことどもが夢の中で回帰するのかは、フロイト流にいえば、その夢のテーマと、その忘れ去られたはずの人どもとの間に、ある類似点や語呂合わせ的な共通性があって、したがってそれが夢の素材として選ばれて登場するということになるのだが、それを追跡し、突き止めるのは私の力には余る。だから、「なぜ、あいつがいまごろ」とただただ驚き訝しく思うのみなのだ。
なぜこんなことをあらためて書くかというと、そういう夢が最近すっかり多くなっているのだ。繰り返していうと、こうした夢でも見ない限り、決して思い出すこともなく、私にとってはなかったこと同様の人物やシチュエーションがしばしば登場し、目覚めてから、そういえばそんな人もいたっけとか、そんなところへ行き、そんなことに遭遇したなぁという思いに駆られることが多いのだ。
まあ、これは単純に、私が老境に差し掛かり、死期もそれほど遠くないということだと思う。
ついでに、この前も書いたが夢には時制がないから、登場する人物はみな生きている。亡父も亡母も、そして私の連れ合いも。
話はころっと変わるが、抑圧され生存の危機にある人間にとって最後の抵抗、最後の手段は移動である。逃亡、亡命、逃散、越境などがそれで、現在、それが大規模に生じているのが難民という事態だ。21世紀は難民の時代といわれ、それをめぐっていわゆる南北のありようは決定的に変化するといわれている。しかし、ここでいいたいのはそれについてではない。
話は植物のそれである。
植物は、一部のものを除いて基本的に動きが封じられている。環境の変化などに対しては、もっぱら座してそれに適応してゆくしかない。
私たちが、年月を経た老木などに接する際、崇高にも似た感を覚えるのは、それらがひたすら耐え忍んだ年月、にもかかわらず自己の遺伝子に刻まれた設計図を全うすべく奮闘した気の遠くなるような年月、それらを何処かで感じるからではないだろうか。
今回、ここに載せた写真は、6,000歩の散歩の中で私が見かけた植物たちで、場所柄そのほとんどが人の手が入ったものである。だから崇高さなどとは縁遠いといえる。
しかし、どのような事態になろうがそこにとどまり、それを引き受けて生きていることには変わりない。ニーチェの「ウィ」は、そうした植物たちのそれであり、彼はそれを、人間たちに普遍させようとしたのだろうか。
あちこち脱線ついでに、先ほど述べた人間の移動という行為に関してだが、私自身の将来の問題として、子どもたちに海外への移住という選択肢もあることを漏らしてみた。さしたる反応ななかった。そんなことをいったってどうせできはしないだろうと、足元を見透かされているのかもしれない。
確かに、私の能力や可能性からいったらその実現性は乏しい。
しかし、人間には究極の移動、飛躍とか狂気という手段があるのだ。
一方、人生至るところ青山(=死に場所、もしくは墓所)ありだとしたら、その青山を自分の恣意で決めるのは「いたるところにある青山」という趣旨とは逸脱するのかもしれない。
このあたりが自力と他力が別れるところか。
3日には、すぐ前にできたドラッグストアで買い物をしたが、往復にして100メートルちょっとを移動したに過ぎない。
このままでは足腰が萎えて死んでしまいそうなので、4日、郵便局に書留便を出しに行ったついでに少し歩いた。
郵便局で用件を終えてから、自宅を中心点にして、半円を描くように一時間半ほどフラフラした。途中で立ち止まってあたりを眺めたり、写真を撮ったりで、時間の割にはあまり歩いてはいない。それでも携帯の歩数計は6,000 歩ほどを記録していた。
新しい建造物などがあると、ここは前はなんだったのだろうと思い起こそうとするのだがなかなか思い出せない。まさに去るものは日々に疎しだ。
人間の記憶力なんていい加減なもので、自分の関心の対象外のものはどんどん削除してゆく。だから、そこに以前あったものをちゃんと見ているはずなのに、新しいものができてしまうと、以前あったそれを思い出すことができない。
一方、それほど一筋縄で行かないのもまた人間の記憶である。
夢の中などで、半世紀も前にほとんど業務的にしか会ったことがないぐらいで、したがってその後思い出したこともなかったような人が、名前も顔も鮮明に現れ、しかもその夢にとってけっこう重要な役割を担ったりする。
これなどはPCでいうと、とっくに削除し、ゴミ箱に入れたものが回帰する例、あるいはもっというと、ゴミ箱を空にするという措置を取り、もう回復しようにもし得ないはずのものが戻ってくる例で、その筋の専門家が、ハードディスクに残る痕跡からそうした情報を復活させるのに似ているのかもしれない。
なぜそんなことどもが夢の中で回帰するのかは、フロイト流にいえば、その夢のテーマと、その忘れ去られたはずの人どもとの間に、ある類似点や語呂合わせ的な共通性があって、したがってそれが夢の素材として選ばれて登場するということになるのだが、それを追跡し、突き止めるのは私の力には余る。だから、「なぜ、あいつがいまごろ」とただただ驚き訝しく思うのみなのだ。
なぜこんなことをあらためて書くかというと、そういう夢が最近すっかり多くなっているのだ。繰り返していうと、こうした夢でも見ない限り、決して思い出すこともなく、私にとってはなかったこと同様の人物やシチュエーションがしばしば登場し、目覚めてから、そういえばそんな人もいたっけとか、そんなところへ行き、そんなことに遭遇したなぁという思いに駆られることが多いのだ。
まあ、これは単純に、私が老境に差し掛かり、死期もそれほど遠くないということだと思う。
ついでに、この前も書いたが夢には時制がないから、登場する人物はみな生きている。亡父も亡母も、そして私の連れ合いも。
話はころっと変わるが、抑圧され生存の危機にある人間にとって最後の抵抗、最後の手段は移動である。逃亡、亡命、逃散、越境などがそれで、現在、それが大規模に生じているのが難民という事態だ。21世紀は難民の時代といわれ、それをめぐっていわゆる南北のありようは決定的に変化するといわれている。しかし、ここでいいたいのはそれについてではない。
話は植物のそれである。
植物は、一部のものを除いて基本的に動きが封じられている。環境の変化などに対しては、もっぱら座してそれに適応してゆくしかない。
私たちが、年月を経た老木などに接する際、崇高にも似た感を覚えるのは、それらがひたすら耐え忍んだ年月、にもかかわらず自己の遺伝子に刻まれた設計図を全うすべく奮闘した気の遠くなるような年月、それらを何処かで感じるからではないだろうか。
今回、ここに載せた写真は、6,000歩の散歩の中で私が見かけた植物たちで、場所柄そのほとんどが人の手が入ったものである。だから崇高さなどとは縁遠いといえる。
しかし、どのような事態になろうがそこにとどまり、それを引き受けて生きていることには変わりない。ニーチェの「ウィ」は、そうした植物たちのそれであり、彼はそれを、人間たちに普遍させようとしたのだろうか。
あちこち脱線ついでに、先ほど述べた人間の移動という行為に関してだが、私自身の将来の問題として、子どもたちに海外への移住という選択肢もあることを漏らしてみた。さしたる反応ななかった。そんなことをいったってどうせできはしないだろうと、足元を見透かされているのかもしれない。
確かに、私の能力や可能性からいったらその実現性は乏しい。
しかし、人間には究極の移動、飛躍とか狂気という手段があるのだ。
一方、人生至るところ青山(=死に場所、もしくは墓所)ありだとしたら、その青山を自分の恣意で決めるのは「いたるところにある青山」という趣旨とは逸脱するのかもしれない。
このあたりが自力と他力が別れるところか。