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大墓ー青墓・おおはかーあおはか・おはか 西濃歴史探訪より

2017-12-04 13:17:54 | 歴史を考える
 過日、名古屋の従前からの知り合いの方から、岐阜は西濃方面の歴史的な痕跡を探訪するのにお供をしないか誘われた。そうした歴史探訪に暗い私はさしづめアッシー君の役どころである。
 そのお誘いを二つ返事で引き受けたのは、その方との長年のお付き合いもあるが、その行く先が、なんと、私が戦時中から敗戦後の数年間、疎開暮らしをしていた大垣の郊外の、そのすぐ隣村に位置したからであった。
 隣村であったと言うべきだろう。私がいた頃は不破郡青墓村といって、大垣とは別の、いろいろな集落がまとまった村であったが、今や大垣市に吸収されてしまっているからだ。それらの集落とは、青墓、青野、榎戸、矢道、昼飯などであるが、そのそれぞれが江戸時代には独立した村であり、明治になってそれらが合併し、青墓村となった。
 なぜこんな些事をことさらに言い立てるかというと、上記のそれぞれの旧集落に、古代から平安にかけてのこの地方の隆盛を物語る痕跡が残されているからである。
 今回はそれらを巡ったわけであるが、巡った順序は車の運行上の都合なので、それは無視して歴史的な順序で整理してみよう。

          
          昼飯(ひるい)古墳公園から 典型的な冬空の養老山脈

 明治時代に、周辺の集落が合併して青墓村になったといったが、それはやはり青墓がそれらの中心であったということであろう。
 どういう意味で中心であったかは、「青墓宿」を説明する以下の文章の中にもある。
 「美濃(みの)国にあった東山道の宿駅。青波賀,大墓などとも書く。現在の岐阜県大垣市青墓町。平安末期から鎌倉期にかけて遊女や傀儡(くぐつ)がいた宿として著名。宿の長者を青墓長者といい,《保元(ほうげん)物語》によると保元の乱後に斬られた源為義の子の母は青墓長者の女(むすめ)で,《平治物語》には平治の乱に敗れた源義朝が青墓に逃れたと記され,源氏と関係の深い地であった。」
 これからわかるように、いまは何の変哲もないのどかな田舎なのだが、往時は京、鎌倉と密接な関連のある場所だったのである。

          
               昼飯古墳公園から 近くの紅葉

 ついでに、「青墓」の読みについて書いておきたい。
 当然これは日本語の読み(音読)としては「あおはか」である。
 しかしである、その隣接するところに住んでいた少年時代、私も、そして周辺の大人たちも、そこを「あおはか」とはいっていなかった。
 ではどういっていたかというと、「おはか」である。
 「おまはん、どこへ行きんさる」
 「ちょっと《おはか》の親戚へ」
 といった具合だった。
 私自身、「青墓」という漢字表記を見る前は、この地は「おはか」であると信じてやまなかった。

          
            昼飯古墳公園から 近くの金生山方面を見る

 これは、名古屋の鶴舞地区の呼称に似ている。他地区の人が読めば「つるまい」なのだが、その地域では圧倒的に「つるま」が多いのである。
 鶴舞町・鶴舞公園・鶴舞中央図書館・名古屋市立鶴舞小学校などはすべて「つるま」で、地下鉄や中央線の駅名は「つるまい」である。

 さて、「あおはかvsおはか」であるが、上に引用した青墓宿の説明の中にもヒントがある。そのひとつの地名の由来のなかにある「大墓」がそれである。
 この地区には大墓があるのである。
 では、大墓とは何か。
 それは4世紀後半に端を発する古墳群である。この古墳=大墓がこの地の地名の発端であることは確かなように思われる。ではなぜ、「おおはか」が「あおはか」に転じたのであろうか。

           
       金生山の一部 全山石灰岩の山は削られ、子供の頃に観た面影はまったくない


 それはどこでもそうであるが、当初、造成された塚としての墳墓は、時代とともに草木に覆われてゆく。今日の多くの古墳が、そうした草木に覆われ、素人目には小山だか丘だか分からなくなってしまっている。
 そうした緑に覆われた古墳が、ようするに青墓に転じたのではあるまいか。しかし、文字によらぬ口伝で受け継がれた地名は「おおはか→おはか」だったのではあるまいか。

 私たちが訪れたのは、昼飯(上に述べた青墓村を構成している集落のひとつ)の大塚山古墳(典型的な前方後円墳)であるが、現在は、それが造成された往時の様子がよく分かるように整備されているものの、それ以前には、竹藪や雑木に覆われて、その形状すら明確ではないこんもりした緑の塊であった。
 まさに、「青墓」と化していたのであった。

 前置きだけでじゅうぶん長くなった。
 以下、次の順で述べてゆきたい。

 1)昼飯大塚山古墳
 2)美濃国分寺跡
 3)南宮大社
 4)「今様」発祥の地、「圓興寺」
 
コメント
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