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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

近頃流行りの「天皇待望論」について

2017-12-29 02:18:07 | 日記
 以下は、旧知の若い人があるSNSに書き込んでいらっしゃることについての私の意見ですが、この問題は、今年の言論界の中で、静かに進行しているように思われるので、看過できないのです。

          

 安倍や麻生があまりにもひどいからといって、近年、平成天皇を評価する向きがあります。それは、サヨクの論客と言われている内田樹や、高橋源一郎、柄谷行人にまで及んでいるようです。
 なかには天皇親政を期待する向きもあるようですが、それはとても危険な考え方だと思います。
 天皇の性格や思想(その詳細はわかりません)を評価するのは勝手ですが、それをもって天皇制の復活などを夢見るとしたらとんでもない話です。

 天皇を評価してしまう人たちはひとつの重要な点を見逃しています。それは、天皇はその立場上、リアルな政治課題から自由で、というか、それに触れることを禁止されているので、理念のみに基づく話ができるということです。
 ようするに、天皇は政治とは違う次元で語っているのだし、また政治という次元では語ることができないのです。

 ですから、それをもって安倍よりはマシと断定し、天皇に期待するのは筋が違うのです。
 このことは決して安倍を擁護することではありません。彼への批判は、天皇の権威とは別のところで、まったく違う次元で批判されるべきなのです。

 天皇制からの離脱は、第二次世界大戦においての日本人300万人の命と引き換えにもたらされたものです。いわゆる主権在民がそれです。それを再び天皇に帰すようなら、それこそ戦後70年の歴史をチャラにするようなアナクロニズムといわねばなりません。

 私の安倍への批判は、彼がまさにこの主権在民を、そしてその基本である人間の尊厳を踏みにじっていることにあります。
 彼の画策する憲法の改悪をその方面から見ても、9条のそれは、シビリアンコントロールからの離脱へと至ります。
 25条のそれは基本的な生存権、尊厳を持って生きる権利の制限剥奪を意味します。
 また、98条のそれは非常時の決定権を国民から奪い、時の為政者の恣意に委ねるものです。

 既にお気づきのように、これらは1945年までの天皇親政の時代には、すべて私たちの側にはなかった諸権利です。
 ここに安倍の「日本をとりもどす」があるとしたら、「安倍はだめだけれど天皇は良い」は奇しくも安倍の路線に合流してしまうのです。

 繰り返しますが、平成天皇の性格や思想はよくわかりませんが、それを良しとして評価するのは勝手です(ただし私が指摘したように、彼は現実政治からフリーなところで発言していることに留意して下さい)。
 しかし、それをもって天皇の統治を期待するのはまったくの誤りです。

 あなたもお書きになっていらっしゃるように「時代は後戻りはしない」のです。
 ですから、私たちは、この時代に即した新しい形態を模索する中で安倍政治を止揚する道を探し求めねばならないのです。

コメント
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