マルタ・アルゲリッチはデビュー以来半世紀を超える当代きってのピアニストです。日本との縁も深く、「別府アルゲリッチ音楽祭」を主宰したりもしています。

そんな彼女ですから、世界中のこれというオーケストラとはさまざまな協奏曲で共演しています。
しかしです、そんな彼女ですが、これまでウィーン・フィルとのみは協演したことがないのです。世界屈指のピアニストが、ベルリン・フィルと並んでオーケストラの最高峰といわれるウィーン・フィルとは一度も演奏したことがないというのはとても不思議な話です。
しかし、それが、今年の11月末、ついに実現したのです。
棒を振ったのは、ピアニストにして指揮者のダニエル・バレンボイム。彼は、アルゲリッチと同じアルゼンチン出身で年齢もほぼ同年で盟友ともいえる関係にある人です。

曲目はリストのピアノ協奏曲第一番。リスト独特のきらびやかなピアノと重厚なオケが織りなすロマン派屈指のピアノ協奏曲です。
もうひとつ、付け加えたい情報があります。それは、当日のウィーン・フィルのコンサート・マスターがアルベナ・ダナイローヴァさんというブルガリア出身の女性バイオリニストだったということです。
そして、これがアルゲリッチとウィーン・フィル協演に繋がる鍵ともいえる事実なのです。

アルベナ・ダナイローヴァ
この協演が実現したその直後、「朝日新聞」のヨーロッパ総局長の石合 力は、楽屋にアルゲリッチを訪ね、本人から直接、これまで協演のなかった理由を聞き出しています。以下がその折のアルゲリッチの言葉です。
「これまで演奏しなかったのは、女性が一人もいないオケだったからです」
まさに明解ですね。ウィーン・フィルが女性の団員を忌避する以上、ソリストである自分も共演しないということだったのです。権威を嫌う彼女の基本的な姿勢、そして矜持がよく現れた言葉だと思います。あえて「矜持」というのは、やはりソリストである以上、ウィンフィルとの協演は一流であることの証になるはずなのに、そんなものに目もくれずに信念を貫いたその姿勢を評価するからです。

確かにそうなのです。私は1991年夏、モーツァルトイヤーのザルツブルグで、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの両方を聴く機会がありましたが、前者には女性の団員がいましたがウィーン・フィルの方は男性ばかりでした。
ウィーン・フィルが女性の団員に門戸を開いたのは、やっと前世紀の末で、いまでは十数名の女性が居るようです。
そしてついには女性のコン・マスが登場し、そこにアルゲリッチが加わって世紀の協演が実現したのでした。
今年は、世界中の各地で、女性が声を上げた年です。上のアルゲリッチをめぐる事実もその尊厳をめぐるエピソードだと思います。
日本でも「女性の活用」などといわれていますが、どうも女性の尊厳とは無縁なところで、生産力向上のための労働力確保ぐらいにしか考えられていないようです。
政治家や議員など、要職につく女性の割合が世界でももっとも少ない方だというのがこの国の現状なのです。

若き日のアルゲリッチ
話は逸れましたが、改めてアルゲリッチに敬意を表し、今後もその演奏を楽しみたいと思います。
当日の演奏は当然まだ聴いていませんが、アルゲリッチのソロ演奏をひとつ貼り付けておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=JXH-sj9miO8&list=RDuDuEviRTmOs&index=3
J.S.バッハ - パルティータ 第2番 ハ短調 BWV.826

そんな彼女ですから、世界中のこれというオーケストラとはさまざまな協奏曲で共演しています。
しかしです、そんな彼女ですが、これまでウィーン・フィルとのみは協演したことがないのです。世界屈指のピアニストが、ベルリン・フィルと並んでオーケストラの最高峰といわれるウィーン・フィルとは一度も演奏したことがないというのはとても不思議な話です。
しかし、それが、今年の11月末、ついに実現したのです。
棒を振ったのは、ピアニストにして指揮者のダニエル・バレンボイム。彼は、アルゲリッチと同じアルゼンチン出身で年齢もほぼ同年で盟友ともいえる関係にある人です。

曲目はリストのピアノ協奏曲第一番。リスト独特のきらびやかなピアノと重厚なオケが織りなすロマン派屈指のピアノ協奏曲です。
もうひとつ、付け加えたい情報があります。それは、当日のウィーン・フィルのコンサート・マスターがアルベナ・ダナイローヴァさんというブルガリア出身の女性バイオリニストだったということです。
そして、これがアルゲリッチとウィーン・フィル協演に繋がる鍵ともいえる事実なのです。

アルベナ・ダナイローヴァ
この協演が実現したその直後、「朝日新聞」のヨーロッパ総局長の石合 力は、楽屋にアルゲリッチを訪ね、本人から直接、これまで協演のなかった理由を聞き出しています。以下がその折のアルゲリッチの言葉です。
「これまで演奏しなかったのは、女性が一人もいないオケだったからです」
まさに明解ですね。ウィーン・フィルが女性の団員を忌避する以上、ソリストである自分も共演しないということだったのです。権威を嫌う彼女の基本的な姿勢、そして矜持がよく現れた言葉だと思います。あえて「矜持」というのは、やはりソリストである以上、ウィンフィルとの協演は一流であることの証になるはずなのに、そんなものに目もくれずに信念を貫いたその姿勢を評価するからです。

確かにそうなのです。私は1991年夏、モーツァルトイヤーのザルツブルグで、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの両方を聴く機会がありましたが、前者には女性の団員がいましたがウィーン・フィルの方は男性ばかりでした。
ウィーン・フィルが女性の団員に門戸を開いたのは、やっと前世紀の末で、いまでは十数名の女性が居るようです。
そしてついには女性のコン・マスが登場し、そこにアルゲリッチが加わって世紀の協演が実現したのでした。
今年は、世界中の各地で、女性が声を上げた年です。上のアルゲリッチをめぐる事実もその尊厳をめぐるエピソードだと思います。
日本でも「女性の活用」などといわれていますが、どうも女性の尊厳とは無縁なところで、生産力向上のための労働力確保ぐらいにしか考えられていないようです。
政治家や議員など、要職につく女性の割合が世界でももっとも少ない方だというのがこの国の現状なのです。

若き日のアルゲリッチ
話は逸れましたが、改めてアルゲリッチに敬意を表し、今後もその演奏を楽しみたいと思います。
当日の演奏は当然まだ聴いていませんが、アルゲリッチのソロ演奏をひとつ貼り付けておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=JXH-sj9miO8&list=RDuDuEviRTmOs&index=3
J.S.バッハ - パルティータ 第2番 ハ短調 BWV.826