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月見寺、隠れ城からの絶景に酔う 木曽三川紀行の最終章 

2018-04-03 01:37:03 | 写真とおしゃべり
 桑名紀行の帰途であるが、養老山脈沿いに北上し、岐阜県は海津市へと至った。目指すはその養老山脈の中腹にある臥龍山行基寺である。
 ここは、奈良時代、東大寺の大仏造営などに関わった高僧、行基入寂の地とあるが、主要な説では生駒山の近くで没したとあるから、これは異説の方であろう。ただし、木曽三川の洪水に苦しむ民のため、この地に寺院の造営を進言したのが行基であったということは事実のようである。

              
                川燈台ならぬ山燈台

 もうひとつ時代にかかわる説明としては、美濃高須藩藩主松平氏菩提寺とあるが、これは間違いのないところで、寺内にも徳川家外戚を示す葵の紋が随所に見られる。なお、高須藩と言うのは現海津市の中心、高須町のことである。
 しかし、私のような下衆な現代人にとっては、この寺の別名が「月見寺」ないしは「隠れ城」であることの方に関心がある。事実、その別名はじゅうぶん納得できるものであった。

            

 「水郷街道258」と名づけられた国道から山手に逸れて、看板が指示する通りに車を駆る。やがて未舗装のガタガタ道が現れ、この道が続くのなと覚悟を決めたのもつかの間、今度は簡易舗装はしてあるが、とてつもなく急な坂を登ることとなる。こんなに急な坂道は、30代から40代にかけてアマゴやイワナを追っかけて山間の林道や、谷あいの道なき道を走って以来のことである。

            

 オートマのD(ドライブ)ではとても登り切れない。2速に落としてもなおきつい。L(ロー)でやっと登りきるぐらいだ。
 どこへ行っても古刹などはこうした山中にあるものが多いが、それにしてもこんなところに寺院を造るためにどれだけの人力をもってその資材等を運び上げたのか想像もつかないものがある。

            
  
 山中の寺院といっても、高野山や比叡山と違って、行き着いた先は鬱蒼とした深山という感じではなく、眼前に濃尾平野の西南端が一大パノラマとして開ける、まさに絶景ポイントなのであった。
 それらは写真を参照していただきたい。

              

 駐車場の端には、珍しい「御山の燈台」が建っている。
 いわゆる川燈台は、木曽三川の各河川で見ているが、山燈台ははじめてだ。しかし、その機能は川燈台と変わらないという。ようするに、平行して眼下に流れる揖斐川、長良川、木曽川を、夜を徹して上り下りする船人たちに、その位置を知らせたのである。

            
                 高須藩 藩主の部屋

 「蛤のふたみに別れゆく秋ぞ」という言葉遊びに満ちた句を残して、「奥の細道」終焉の地、大垣をあとにした芭蕉翁はこの灯台を見ただろうか。旧暦の9月6日に発ったとはあるが時刻までは書いてない。
 大垣を早く発って、明るいうちにここを通り過ぎていればそれを目にすることはなかっただろう。遅く、例えば午後に発ったのなら、新暦でいえばもう晩秋、日が落ちるのは早いから、燈台には灯が入っていたかもしれない。

            
          手前から揖斐川、長良川、木曽川、そして名古屋市街

 山門(1820年の建立)をくぐり、本堂で案内を乞うと、何がしかの金額でお抹茶とお菓子がいただけ、本堂やそれに連なる建造物、そこからの景観を楽しむことができる。本堂以外の建屋は意外と広い。
 漆塗りの廊下は鏡のように輝き、藩主が訪れた場合の居室は最も景観の優れた箇所に置かれ、そこからお庭越しに見る濃尾三川の景観はまさに絶景である。

            

 名古屋駅前の高層ビル群はどれがどれかを判別できるほどにくっきり見える。午前中、桑名から遠望した御岳は気象条件が変わったせいもあって姿を見せなかったが、それさえ良ければ、恵那山、御岳、更に北方の北アも臨めるかもしれない。


            

 この寺の別名が「お月見寺」というのもよく分かる。こんな場所で東の空からポッカリと月が出るのを眺めたらまさに値千金であろう。ましてや、地上の人工の灯りなどほとんどなかった時代のそれは、凄まじいほどの美しさであっただろう。
 月の出る頃まで粘れる時間的余裕もなかったし、あの急坂を夜間に下るのもという思いもあったので、明るいうちに山を降りた。

            

 桑名を起点に養老山脈沿いに北上する小紀行は以上だが、それらはいずれも木曽三川の災害とその恵みが、禍福をあざなう如く絡んでいることを実感するものであった。
 しかし、それらの痕跡は、仮想現実の希薄なリアリティの中では、もはや折りたたまれてしまった古層として、人々の記憶から消えてゆくものであるのかもしれない。
コメント
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