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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

あなたは田中角栄を知っているか?

2018-10-04 00:32:41 | 書評
 偉そうにタイトルを書いたが、私も彼に関しては通り一遍にしか知らない。
 とりわけ彼の全盛時、訳あって私は政治アパシーに陥っていて、大きな政治状況についても、ましてや利益配分のチマチマとした政治事情など知る由もなかった。
 しかし、そんな私でも、今太閤のような田中角栄が総理大臣にまで登りつめたこと、日中国交回復を実現したこと、ロッキード事件でパクられたことぐらいは知っていた。
 ことほどさように田中のインパクトは強烈で、少なくとも戦後の歴代総理の中ではその印象は突出していたと思う。しかし、依然として田中という男の実像はわからないままであった。

             

 そうした私の欠落を埋めてくれるような書を読んだ。ミネルヴァ書房の日本評伝選の最新刊、『田中角栄 同心円でいこう』である。著者は京大名誉教授・法政大教授の新川敏光氏である。実はこの著者とはネット上で知り合って十数年になろうか、一度だけ、わざわざ名古屋で途中下車してくれた際に、一献酌み交わしたことがある。

 もともと、一般受けするものを書くような人ではないが、この評伝に関しては、こうしたシリーズの特色からして、また対象が対象だけに、とても面白く読むことができた。
 結論をいうなら、私が漠然と知っていた角栄像の確認が半分であるが、それらが意味するもの、なぜそうあったかなどの点は流石にちゃんと提示されている。
 あとの半分は、まったく知らなかった事実や、え、そこまでやってたのといったことどもが多く、それらの記録と同時に、その背景やそれらの解釈が提示されている。

 さまざまな情報やそれを巡る諸問題が示されているが、私のアンテナに引っかかったものについていえば、彼が間違いなく戦後民主主義の申し子であるという事実である。
 小学校卒の学歴しかなく、学閥はもちろん、閨閥や門閥とも一切無縁な彼が総理まで登り詰めることは戦前ではまったく考えられなかったことであり、そしてまた、これは私見であるが、戦後民主主義が完全に形骸化されている今日においても考えがたいことである。
 その事実は、今日の国会議員の多数が2世、3世などの世襲であるを考えてもよく分かる。現政権の安倍、麻生にしても、形式的には選挙の洗礼は受けているものの、その出自からして決して彼ら自身の能力が選ばれたわけではない。

 ついでにいうならば、ロッキード事件での彼の収賄も、回り回って金が入る仕組みになっているエリートたちと、自ら手を汚しても金を稼がねばならない成り上がり者ゆえの限界であったともいえる。

          

 もう一つの角栄像は、アイディアマンとしてのそれで、1946年に落選した衆議院選挙の折にすでにして「三国峠を崩せば新潟に雪は降らなくなり、崩した土砂で日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればよい」と大言壮語していたという。 
 これが後の「日本列島改造論」の系譜につながることは見やすいであろう。もともと土建屋であったせいもあり、土建屋政治の元祖でもあるが、かつて「裏日本」といわれ、太平洋側との格差が深刻であった地方の住民、そして、都市部との格差に悩む地方の活性化という点で大いに期待を集めた政治家であった。
 事実、この大風呂敷に基づく各種政策の実現は、日本列島のインフラ整備に寄与したことは間違いない。もちろん、大型公共事業の実施とその請負者からの幾ばくかの政治資金の還流というこの種政策の暗部もフルに機能し、角栄流錬金術を担ったことも事実である。

 もう一つは、浪花節的人情の人という側面である。ようするに情で動くということであるが、いってみれば理詰めで、イデイロギーなどによる行為の選択をあまりしなかったということにも通じる。しかし、彼の場合、自らが情で動くという側面よりも、情で人を動かすという側面こそ強調すべきであろう。
 こういっては身も蓋もないが、彼の情にはほとんど金が関わっていた。早い話が、金を渡して恩を売るのである。ただし、その渡し方がうまかった。くれてやるではなく、どうか受け取って下さい、私に対しての指導料です、あなたは将来ある人ですなどなど、受け取る側の気持ちをくすぐり、決してそのプライドを傷つけたりはしなかった。
 これらは、返さなくともいい金、一方的な贈与であり、受け取った側に恩義というより負い目が残ることとなる。その非対称な関係が目に見えぬ支配関係を生み、田中の主導権を築き上げてゆく。

          

 こうして彼はその権力を拡大していったのだが、それは排除というより包摂の力学に基づく。それを著者は田中自身が語ったという言葉を借りて「同心円の政治」とし、この書のサブタイトル「同心円でいこう」ともなっている。
 著者によるそのイメージは以下のようである。「境界線を設ける政治ではなく円内に包み込む政治」、「ピラミッド型の上意下達ではなく水平な円の広がり」なのであるが、その円の中心にはもちろん角栄自身が鎮座し、その同心円に包摂された者たちを家父長的に庇護する、それが角栄政治のイメージだというのだ。

 田中の思い描く選挙民たちは、自分たちの生活向上を求めて政治を利用しようとする存在であり、田中はそうした「庶民」の私的欲望を最もうまく動員した政治的事業家だったという。
 その意味では、これら庶民は、近代政治が暗黙のうちに前提としている「市民」や「公民」=自らを政治主体として行動する主体ではない。

 そうした田中政治もやがて瓦解する。それはどのように進んだのかを著者は概括し、それを進めた理論的代表は小沢一郎であったという。
 それによれば、田中型家父長制ではなく、政治課題を掲げた強力な民主集中制が必要であり、そのためには自民党内の派閥を解消し、それとの絡みもあって小選挙区制を導入する、そしてその結果選ばれた政府による官邸主導型の政治を実現するというものであった。
 この展望はその良否はともかく、小泉政権を経由して今日ほぼそのとおりに実現していて、安倍政権の図式がそれといってよかろう。こうして実現したその中心に、立案者の小沢一郎がいないというのが政治的力学のアイロニーであろう。

 最後にひとつ。田中はもちろん清廉潔白ではなくむしろ「悪党」に属したといえる。それについて、田中の秘書であった早坂茂三がこんなことをいっている。
 「何もできないお人よしの政治家と悪党ではあっても庶民の要求に応える政治家とどちらが好ましいか」、もちろん「政治家は、悪党に限る」と。
 ところでいま私たちは、「悪党であってしかも庶民の要求には応えない」為政者のもとにあるのではなかろうか。
 ここはじっくり考えるところだろう。

 田中角栄という誰でも知っているような事象は、実は戦後日本政治の突出した出来事であり、その現象をつぶさに眺めることにより、戦後日本政治の構造とその推移が見えてくる特異なサンプルであることをこの書は教えてくれる。
 

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