9月4日に襲来した台風21号でわが家のガレージの屋根が吹っ飛んだことは前に書いた。その修理代に五十数万円の見積もりが出て泣いていることも書いた。
しかし、泣いてばかりもいられない。壊れた屋根は直さなければならないし、かといって五十数万円も支払うことはできない。問題の解決は奈辺にあるや?
まずは、なぜ五十数万円もかかるのかの分析から。業者いわく、「壊れたガレージの方式はもう古く、これを撤去して新たなカーポートを設置したほうがよい、ついては、その撤去費に20万円ほど、新たなカーポートの代金並びに設置費が三十数万円、合わせて五十数万円」というわけだ。
しかしだ、「ちょい待ち草の痩せるなさ」だ。本当に前の方式は古く、壊れた屋根部分のみを葺き替えるということはできないのか、と業者に迫った。この人は、その方式に合わせて職人さんを紹介してくれるプロデューサーのような人で、信頼できるからこその体当たりだ。「探してみます」がその返答。
そしてしばらくして、「屋根のみの葺き替えでやります」との返答が。で、その価格は?というと、なんと前回の見積りの撤去費用の20万円とちょっとでできるという。ならばその、「ちょっと」という端数を切り捨てて、20万円ちょうどでどうだと談判し、それで契約。
で、この12日、職人さんが3人入ってほぼ半日で壊れた屋根部分の撤去と新しいものへの葺き替えが完成。
前のものは乳白色だったが、新しいものは薄い赤紫、ちゃんと光は通すから落ち着いた色調になった。波トタンの重なる部分が生み出す幾何学模様も美しい。
台風の被害から一ヶ月半、ちょっと時間は経ったが、粘った甲斐はあったというもの。
工事の過程を見ていたが、職人さんの仕事というのは無駄がなく連携プレイでどんどん進む。その間に、彼らの培ってきた経験と技がほの見えて、見ている方まで爽快になる。
こういうのを見ていると、AIやロボットが進化しても、その場その場で異なる状況判断が必要なこうした職人技は、単純な流れ作業とは違ってなかなか取り替え不可能ではないかとも思う。甘いかな?
それはともかく、といったようなわけで、当分はガレージに行くたびに上を見上げて、ささやかな自己満足に浸っている。
しかし、泣いてばかりもいられない。壊れた屋根は直さなければならないし、かといって五十数万円も支払うことはできない。問題の解決は奈辺にあるや?
まずは、なぜ五十数万円もかかるのかの分析から。業者いわく、「壊れたガレージの方式はもう古く、これを撤去して新たなカーポートを設置したほうがよい、ついては、その撤去費に20万円ほど、新たなカーポートの代金並びに設置費が三十数万円、合わせて五十数万円」というわけだ。
しかしだ、「ちょい待ち草の痩せるなさ」だ。本当に前の方式は古く、壊れた屋根部分のみを葺き替えるということはできないのか、と業者に迫った。この人は、その方式に合わせて職人さんを紹介してくれるプロデューサーのような人で、信頼できるからこその体当たりだ。「探してみます」がその返答。
そしてしばらくして、「屋根のみの葺き替えでやります」との返答が。で、その価格は?というと、なんと前回の見積りの撤去費用の20万円とちょっとでできるという。ならばその、「ちょっと」という端数を切り捨てて、20万円ちょうどでどうだと談判し、それで契約。
で、この12日、職人さんが3人入ってほぼ半日で壊れた屋根部分の撤去と新しいものへの葺き替えが完成。
前のものは乳白色だったが、新しいものは薄い赤紫、ちゃんと光は通すから落ち着いた色調になった。波トタンの重なる部分が生み出す幾何学模様も美しい。
台風の被害から一ヶ月半、ちょっと時間は経ったが、粘った甲斐はあったというもの。
工事の過程を見ていたが、職人さんの仕事というのは無駄がなく連携プレイでどんどん進む。その間に、彼らの培ってきた経験と技がほの見えて、見ている方まで爽快になる。
こういうのを見ていると、AIやロボットが進化しても、その場その場で異なる状況判断が必要なこうした職人技は、単純な流れ作業とは違ってなかなか取り替え不可能ではないかとも思う。甘いかな?
それはともかく、といったようなわけで、当分はガレージに行くたびに上を見上げて、ささやかな自己満足に浸っている。