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ペット専用席?での列車旅 サンクトペテルブルクからヘルシンキへ

2019-08-26 17:32:36 | 旅行
 サンクトペテルブルクの三日間は、私にはとても魅惑的な時間であった。
 三〇〇年前に人工的に作られたこの都市は、その佇まいからして魅力的だったが、それらの景観に重ねて、おおよそ一〇〇年前にこの都市で起こった革命の痕跡を観ることができたのだった。
 ロシア革命がなんたるかもわからず、その具体的な事件、その現場を知らない若い人々に比べて、私は何倍もこの都市を賞味できたと密かに自負している。
 
 しかし、私の旅は続くのだった。次の目的地は、トランジッドで何度もその空港には降り立ったことがあるがその都度上空から眺めるだけだったヘルシンキ。今回はその市街を目指したのだった。
 サンクトペテルブルクからは鉄路で約三時間半。通称フィンランド駅(サンクトペテルブルクの駅名は、その行く先を示す場合が多い。モスクワへ行く駅はモスクワ駅と呼ばれる)の国際線待合室はロシアや北欧系の人びとに混じって、インドやムスリム系もかなりの割合を占めていたのはやや意外だった。

         
 もちろん国際線なので、空港並みの出国検査の後、プラットホームに出る。私の乗るべきALLEGRO号はもうホームに入っていた。車両番号を確認しておいてから、写真を撮る。
 ホームの端まで行って列車の全体像を撮り、他のホームの国内線と思われる列車、そして列車の反対側の駅舎を2枚ほど・・・・。

 そのとき、意外なことが起こった。プラットホームを俯瞰できる場所には、黒い服で身を固めた国境警備隊か鉄道警備員かはわからないがいずれにしても腰にはちゃんと拳銃を装備している人たちが立っていたのだが、そのうちの一人、女性隊員がつかつかと私の方へ寄ってきて、駅舎を指して、「NO!」という仕草をする。
 そして、いま撮った写真を見せろという。その段階で、6~7枚の写真を撮っていたのだが、それらを再生してみせると、駅舎を撮したもの2枚を指差して、さらにゴミ箱マークを指す。ようするにそれらを削除せよということなのだ。

         
 以上は言葉が通じないままのやり取りだから、それ以上突っ込んで「なぜですか?」と聞くこともできない。下手に抵抗してスパイの嫌疑をかけられ、シベリア送りになったりしたら、亡くなった私の養父の二の舞いだ。満州で敗戦を迎えた養父は、約3年のシベリア抑留生活を送っている。

 結局、相手の言うがままにその2枚を削除したら、OKという仕草とともに私のもとを去っていった。よく見ると思ったより若い女性で、こんなことさえなければ「かっこいいなあ」といった雰囲気の女性隊員だった。

         
 ところでよくわからないのは、私が撮した駅舎の写真、それがなぜ撮影禁止なのかだ。けっこう伝統的な建物で、日本の機能本位の駅舎よりも素敵だから私の撮影本能をくすぐったのだが、それを肉眼で見直しても、その何処かに軍事秘密や国家秘密があるようにはまったく見受けられないのだ。
 あるいはどこかに、隠しカメラや、不審者を洗い出すセンサーのようなものが設置されているのかもしれない。そして、それらが密輸犯や、越境する犯罪者に知られるのを防ぐため撮影を禁じているのかもしれない。

 事件はそれで終わりなのだが、その女性隊員に制圧されている間、彼女の背後にかのプーチンの面影が浮かび、シベリアという観念が頭をかすめたことは書き残しておこう。やはり、ロシアにはその表層ではわからない怖さがある。

            
 さて、列車内の私の席はやや特殊であった。ALLEGROを示す下にはPETSとあり、写真下方の白い丸にはペットのイラストが。
 そう、ここはペット席なのだ。
 果たせるかな、私の両側はペットのケージをもった二人の女性が。二人とも猫を連れての国際旅行のようだ。
 片や品の良い老婦人、もうひとりは30歳前後のややぽっちゃりタイプの女性。この若い女性、Tシャツなのだが、その二の腕辺りにさほど大きくない入れ墨が2つ3つ。そのうちの一つの絵柄がふるっていて、明らかに男女和合の絡み合った図柄なのだ。
 しかし、この女性、わりと英語がクリアー(私にわかりやすいという意味だが)で、会話にも気さくに応じてくれる。
 猫の名前は「リトル・ブラザー」で生後1年とちょっとだと教えてくれた。ケージから出してくれた猫を見ると、決してリトルではない。すかさず私は「ビッグ・ブラザー」と名付け、彼女は苦笑していたが、この「ビッグ・ブラザー」がかのジョージ・オーウェルのディストピア小説の名品、『1984年』に登場する独裁者の名前であることを果たして彼女は知っていたろうか。

         
 老婦人の方はヘルシンキに住む娘に会いにゆくとのことで、猫の名はアメリカの映画俳優のような名前だったが忘れた。テッドだったろうか。
 この二人、互いに猫好きだけあって気が合い、間の私を飛び越えて話が弾むので、「なんでしたら席を替わりましょうか」ともちかけてみたところ、それはダメだという。ペット間のトラブルや感染などを防ぐため、席を隣接させることは禁じられているのだとのこと。
 かくして私の、あわよくば窓際の席をせしめようという野望は砕け散ったのだった。
 
 ようするにペット席に座らされた私は、ペット間の緩衝材だったわけだ。できるだけ安くあげようとして旅行社と交渉した結果がこれだったのか、それともたまたまだったのかはわからないが、いずれにしても私はこの状況に文句はなかった。なぜなら、この席は他のきちんとした座席に比べて遥かに前後左右に余裕があり、目の前の二つ折りのテーブルも、ペット用のケージを乗せるために自分の部屋のテーブルほどの広さがあるのだった。

         
 動物に関しては検疫検査がある。サンクトペテルブルクを出発してすぐ、検疫官が二人やって来て猫の検査を始めた。提出書類だけでA4数枚ほどで、それにパスポートが要る。パスポートといっても人間のそれではない。猫のそれである。猫のパスポートというのを始めてみた。体温などの検査もあり、かなり厳重だ。

 フィンランドとの国境に差し掛かる。
 昨年、ロンドン・パリ間を列車で移動した折は、同じEU間ということで、ロンドン側での出国で済んだようだが、ロシア・フィンランドではそうはいかない。人間様も改めてフィンランドへの入国審査が行われる。

         
         
            ヘルシンキ郊外の駅にて 車両は国内線用か

 ペットはというと、またまた今度はフィンランド側の検疫官がやってくる。どうもこちらのほうが検査がきつそうだ。出てゆく側より、これから受け入れる側が厳しくなるのは当然かも知れない。
 やはり、一悶着があった。
 若い女性の方はすんなりいったのだが、老婦人の方で問題が発生した。どうやら、婦人が持参したキャットフードが持ち込み禁止に該当するらしい。だが老婦人は粘る。そのキャットフードの成分表を示し、問題はないと主張する。検疫官は規定の書類を示してダメだと言い張る。相互のやり取りが交差する。こんな場合、負けるのは民の方だ。老婦人はそのキャットフードを没収されることとなった。それによる落ち込みはひどく、それまでの陽気さが嘘のようにむっつりと黙り込んでしまったのは気の毒だった。

         
         
           ヘルシンキ中央駅へ到着したアレグロ号と駅構内

 ここで車窓を紹介しておこう。列車は北欧の原野をひた走る。車窓の両側には白樺林、カラ松、ヒョロヒョロとした幹の赤い松(やはり赤松か)が生い茂り、時折それが途切れると、小麦と思われる畑が広がり、広い牧場が現れる。
 途中さほどの都会はない。ある駅では、同じ長さに伐採された白樺を満載した貨物列車をみた。ある駅では、鉱物資源を運ぶような特殊な貨車が連結された長い列車をみた。

         
                ヘルシンキ中央駅正面
 やがてヘルシンキに近づくにつれ、郊外の街々で人が息づく姿が見え、列車はヘルシンキ中央駅へと吸い込まれるのであった。
 のんびりと降り支度をしてホームに立つ。すると先程の老婦人が、出迎えの娘とおぼしき女性と抱擁を交わしている。通りすがりに「グッド・ラック」と挨拶をすると、先程の落ち込みが嘘のように満面の笑みで娘に私を紹介し、娘もまた笑顔を返してくれるのだった。
 もちろんこの間の会話はすべて異国の言葉、語られた言葉をここに翻訳することはできないが、何が語られたのかはよくわかる瞬間だった。






 
コメント
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