
午後10時でこの明るさ 緯度の高さを思い知る


ヘルシンキは想像していた以上にいい街だった。
第一、その規模が手頃である。人口60万人、わが街岐阜をひと回り大きくしたぐらいで、しかも、主たる施設が80歳の私の足で到達可能な2~3キロの範囲内にある。
その上、10系統のトラムが市内を縦横に走り、いわゆる交通弱者がいない。そのせいか、車の数もそれほど多くはない。


この街ではハトやスズメよりもカモメが大きな顔をしている 駅前広場にて

もうひとついい点は、わが街岐阜が、今やJR快速で18分という名古屋の衛星都市としてトヨタ一強支配に屈しそうなのに対し、この街は小粒ながらこの国の首都として、その威厳を失ってはいない。
半分本気で、この街に住みたいと思った。というのは、日本という国がつくづく嫌になって、逃避といわれようが卑劣といわれようが、残り短い人生、この国ではあまり暮らしたくはない。ときおり、ネトウヨから「北へ帰れ!」というお言葉もいただく。そう、こここそが日本の北ではないか。


サンザシに似た木が街路樹などにも使われている ロシアでもよく見かけた

しかし、私が訪れた8月上旬は、白夜は終わっといえ、午後10時ぐらいがやっと黄昏という頃で、気温や湿度も快適この上なかったのだが、その反動が冬にはやってきて、陰鬱な夜の長さ、日暮れの早さ、そして老骨にこたえる厳寒を考えると、それは現実的ではないように思われる。

弦楽六重奏団 ヴィヴァルディやバッハ 合間にポピュラーの編曲などを演奏

ショッピングモールの中の「俳句」という名の寿司店 東洋系の女性が準備をしていた
それはさておき、この街を楽しむために私が予めリサーチしておいたのは、トラム乗り放題のチケット、2日分をゲットすることだった。これは2日分で14ユーロ(約1,700円)するが、訪問予定にしていた全島世界遺産のヘルシンキ港から15分ほどのスオメンリンナへの船賃往復も込みだとしたら随分お得だと思う。
実際のところ、この島へは往復したし、市内のトラムは何やかやで10回以上は利用した。



街は美しい。サンクトペテルブルクでもそうだったが、高層ビルというものがなく、街の著しい凹凸、伝統的な建造物とのアンバランスがないのがいい。
いまや、ヨーロッパ各地で、観光化した旧市街と、近代の要請に応えた高層ビル群との著しい対照がみられるのだが(昨年訪れたロンドンでもパリでもそうだった)、サンクトペテルブルクでもこの街でもそうした不均衡な光景をみることはなかった。


サーモンサラダ日本風 白いのは寿司飯風ライス サーモンが見た目より多く、美味しかった 完全セルフ方式のオープンテラス風の店で7ユーロ

公園で見かけた馬車 馬の脚が太く長い毛が蹄を覆っている こうでないと寒い冬を越せないのだろう
それは、この地の人々が、まだまだ効率一辺倒にとらわれることなく、伝統的な世界と自分との調和のうちに住まっているからではないだろうか。自分の住む場所としてのこの街が、自分にとって何かよそよそしい異物のようになることなく、しっくり噛み合っているといった感じなのだ。



そう思ってみると気のせいか、トラムに乗っている人たちも、あまりせかせかしていないし、またスマホに見入る人もはるかに少なく、流れる時間に身を任せている感があった。
短い時間の旅行者の視線、いくぶん美化しすぎているかもしれない。
追々、この街での見聞を記してゆきたい。